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甥からの贈呈本『寺山修司研究・6』

 去年に引き続き小田原の甥から寺山修司の研究本が送られてきた。

 一年に一度の発刊で、今号が第6号。Cimg5414『寺山修司研究・6』2013年4月20日発行。編者・国際寺山修司学会。文化書房博文社刊。

 表紙のデザインは天野天街といい、去年の5号と同じ人だ。大正浪漫を髣髴とさせる絵柄である。

 今号は「没後30年記念特集」と銘打っている。寺山修司は昭和58年5月4日に47歳という若さで逝去したという。

 甥は今号でエッセイ「スクリーンの中に寺山修司を見た」と「寺山版『生老病死』」というタイトルの二編を物している。

 ほとんどスクリーンには縁がないが、後者の方からは若干の情報を得た。

 それによると、寺山修司の生まれた同じ昭和10年に甥の父(義兄)が生まれている。また青森の寺山修司記念館の初代館長だった人は寺山のいとこで「寺山孝四郎」というが、甥の父の名も同じ「孝四郎」なのである。

 偶然とは思えない―と甥が感じるのも無理はない。寺山も、「必然ということばは社会的であり、偶然ということばは個人的である。」と書いているそうで、そう思うことは個人的には許される違いない。

 ついでにもう一つ偶然がある。自分の弟(甥から見れば叔父)の死は寺山と同じ昭和58年のことであったのだ。これも「個人的には」偶然とは思えない範疇に属するのかもしれない。

 

 寺山修司は死の一年前の昭和57年9月に「懐かしのわが家」という散文詩を発表している。(数字は算用数字に変えてある。)

       懐かしのわが家

    昭和10年12月10日に

    僕は不完全な死体として生まれ

    何十年かかゝって

    完全な死体となるのである

    そのときが来たら

    ぼくは思いあたるだろう

    青森市浦町字橋本の

    小さな陽あたりのいゝ家の庭で

    外に向かって育ちすぎた桜の木が

    内部から成長をはじめるときが来たことを

 

    子供の頃、ぼくは

    汽車の口真似が上手かった

    ぼくは

    世界の涯てが

    自分自身の夢のなかにしかないことを

    知っていたのだ

 甥はこの詩に「寺山修司の<生老病死>が凝縮されている気がする」と書き、医者らしい視点から寺山の病歴を解説したりしている。

 なるほど、「不完全な死体で生まれた」というのは生と病、「完全な死体になる」が老、そして「世界の涯て」は死ということか。

 「外に向かって育ちすぎた桜」とは寺山自身で、「内部から成長をはじめるときが来た」というのは自分の残した物(作品)が他者の内部に保存され拡散して行くということ意味しているのか。

 おのれ及びおのれの作品が他者の記憶の内部にインストールされ、いつまでも鑑賞者がいるということは、死んではいないということになるのであろう。

 この間の早朝、偶然、車の中で聴いた瀬戸内寂聴の法話(?)。

「死者への供養? それはね、忘れないでいてあげることなのよ、ね、それが供養!」

 例の甲高い声が耳に残っている。

 
 

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