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「国司城址」の碑があらわに―。

 2月に鹿屋市役所近くを単車で走っていると、人家の入り口に何やらいわくありげな石碑が立っているのに気付いた。降りて確かめようとしたが、石碑の前面を黄色のマサキが覆い尽くしていた。仕方なく頭を突っ込んで彫り込まれた字を確認しようとしたが、どうにも完全には読めない。

 幸い石碑の後ろ側に建立者の名前と年代が彫られていたので、「ああ、ここがあの国司城というやつだな」と確信したのだった。以上のことは2月のブログに書いておいた(こちら)。

 その後、たしか5月の連休明けだったが、またここを通り過ぎようとして、今度はその人家の主らしき人が屋敷内に車を停めていたので、訪ねてみた。

 ご主人は鹿児島に住んでいてたまに帰郷して残された実家の掃除などをしているという。またもう一人の女性は奥さんかと思ったのだが、妹さんで神奈川県に住んでいるとのこと。

―国司城址というあの石碑ですがね・・・、垣根になっているマサキが覆っていて見えないもんですから、もう何年も気にはしていたんですが、分からなくて、この間、といっても2月の頃にようやく私なりに発見しましてね・・・。

「いやあ、そうですか。国司城と言っても私にはピンときませんが、ああ、この家の裏手にあったという岡ですな、うーん、そんなに大きなものではなかったと思うけれど・・・。」

「でも、登る道はあって行ったことはあるのよ。」

 兄さんと妹さんの話によると、どうもいわゆる城址というような大きなものではなく、ちょっとした小丘でしかなかったそうである。

 それは、旧五万分の一地形図からもうかがえるところで、割ときれいな円形のその小丘は直径が50㍍までもないような大きさである。とても城を営める場所ではない。見張り用の砦なら築くことができるかもしれないが。

 今日の午前中、所用があって中心部へ行く道すがら、信号待ちしていて何気なく件の人家を眺めて驚いた。石碑があらわになっているではないか。Cimg5542信号から横道に折れて近くに行ってみる。カラオケ店の広い駐車場越しに見る石碑。(ちょうど真ん中あたり)Cimg5541人家の前まで来ると前面を覆っていた黄色のマサキがカットされ、すっかり見えるようになっていた。一月余り前の人家の主への一言が利いたものか。有り難い。Cimg5539文句なく「国司城址」(こくしじょうし。または、こくしじょうあと)だ。人家の所有者Oさん、ありがとう。Cimg5540建立者は戦前戦後の長きにわたって国会議員を務め、戦後は一時公職追放に遭い、復帰後は鹿屋市長として采配を振るった永田良吉で、永田家の祀る「国司塚」との関連を思わせる。

 国司城は最初の写真で言えば、この人家の裏手にちょっとした高さ、おそらく15~20㍍くらいで聳えていたようである。形から見ると円墳のようでもあるから、そう考えてみても悪くはないだろう。

 国司城なら誰が支配者だったのか。円墳なら誰が埋葬されていたのか、興味あるところだ。

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