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弓張城址(肝付町高山新富)

 肝付町に南北朝時代の南朝方武将・楡井頼仲(にれいよりなか)が築いたという弓張城があった。高山町役場(現・肝付町役場)の南東に聳える城山山塊全体がそれである。

 暑い最中であったが、高山に用事があったので登ってみた。Cimg5627 城山遊歩道案内図。

 登山口は4か所あり、これまで北東側の四十九所神社横からのコースからは2回ほど上ったことがあるので、今回は高山川の流れに近い「高山川口」からのコースをとることにした。Cimg5632旧高山町役場から南へ向かうとじきに高山川に行き当たる。そこに架かる「屋治橋」から城山山塊を眺める。

 標高は104m。手前からがいきなり高く、そのまま400㍍ほど標高を維持し、最高点が104mである。そして南東に行くにしたがって少しずつ低くなっていく(遊歩道図参照)。

 向こう(上流側)の土手に排水路調節用の建屋があるが、そのすぐ左手に人家らしき屋根が見えている。それが国指定の「二階堂家住宅」。故・二階堂自民党副総裁の実家である。

 遊歩道の高山川口は橋を戻り、高山川に沿って二階堂家住宅に向かって行くと、むき出しの手摺りがまるで梯子のように見えるので分かる。かなりの勾配だ。Cimg5604 急な階段だけあって登ってすぐに良好な景色が得られるのがいい。Cimg5606高山川の眺め。

 階段の真下の道路際に三人の高齢男性が腰を下ろしているが、この人たちはサイクリングの途中で、自分が登山道入り口の写真を撮っているときに出会った。「登りは暑いが、上に行ったら木が生い茂っているので涼しいかも」と言われたが、その通りだった。Cimg5608_2 ところがどっこい。その樹林帯に入る手前が難儀だった。ご覧の通りの孟宗竹の御乱行である。幸い枯れ切っているので軽く、よけるのにさほどの力はいらなかったにしても・・・。階段は途中で数えるのを忘れたが、150段くらいはあったような気がする。Cimg5609 最初のピークらしき場所。ここは見張り台のような建物があったかもしれない。向こうに見える道しるべの左手からは北入口(四十九所神社口)からの登山道が合流する。

 南朝方楡井氏の最大の敵は、足利方の島津氏である。当地の古豪・肝付氏が島津貞久・氏久親子に押されがちだった中、楡井氏の奮闘は光る。Cimg5611 やがて100mラインの稜線上を歩くようになり、二番目のピークには石の配列が見られる。何のためか。Cimg5612さらに進むとまたもやこんな石組が広がる。石垣の一部かもしれない。Cimg5616最高点に上る直前の階段口は幅2㍍くらいの抉れが左右の谷へ延びて落ちている。空堀だろうか。Cimg5619 最高点に到達。理屈で言えばここが本丸跡なのだろうが、それにしては狭すぎる。

 左手にちょっとした崖があり、そこを石垣が抑えているが、これは何時のものなのか。南北朝時代の物ではあるまい。遊歩道整備の時のだろう。Cimg5620 ここにも高さ1㍍ほどの大岩の石組が・・・。築城とは関係ないだろうな、と首をかしげつつ、最後のぽつんと離れたピーク(遊歩道案内図では県果樹試験場・大隅支場園地の右手の小さなピーク)に初めて行ってみて驚いた。Cimg5625八幡神社口(東口)への分岐路を左に見てそのまま階段を上がる。
 この20段余りの階段の先は小広いなだらかなピークで100㍍以上進んだ先は「遊歩道終点」となっており、その脇がすごいことになっていた。Cimg5624巨岩が溢れかえっている光景にちょっとびっくり。人の二抱えはある石がまるでここに集められたかのようにゴロゴロしているではないか。Cimg5621最上部の岩は手前に置いた長さ60㌢のタオルで判断すると、高さは150㌢、幅は3㍍近いおむすび岩である。下に埋まっている部分がどれほどか分からないが、この100㍍×30㍍ほどの広さのゆるやかなピークに、これらの他に大きな石組などは見当たらないので、やはり「集めた」としか言いようがない。

 「誰が何のために?」―何らかの(超)古代人が造った宗教的なモニュメントか、墓か、パワースポットか・・・。

※楡井頼仲・・・南北朝時代の中頃(1350年代)に南朝方として肝付兼重とともに大隅を転戦した。高山弓張城と高隅の松尾城を築城し、兼重亡き後、宮方勇将として活躍した。しかし正平12年(1357)に足利方日向守護・畠山直顕に敗れ、自ら創建した志布志の大慈寺で自害している。




































 

 

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コメント

初めまして。
鹿屋市の情報を懐かしく拝見させて頂きました。
私は鹿屋市出身で、現在東京の多摩地域に居住して、緑地散策を楽しんでおります。
たまに帰省すると、鹿屋市街地は、畑は見られるものの、バイパスが通り、車の所有率が全国平均を上回るほどの車社会になってしまって、美しさに欠けると感じました。今の古里が好きになれず……。
しかし、貴プログを通して高隈や肝属の自然風景を拝見しまして、鹿屋も悪くないかなーと心に変化が生じました。
城山も今度帰省の折には行ってみたいと思います。
今後も貴プログで古里の良い処に目を向けていきたいと思います。

投稿: 島桜 | 2013年7月15日 (月) 11時24分

島桜さんコメント感謝します。
 自分のようなIターンからすると、鹿屋・大隅は自然がいっぱいで、ほとんど混雑も金も無縁で味わえる素晴らしいところですね。
 自然や景観のみならず歴史や祭りなどにも興味を持つとさらに奥深く楽しめ、飽きることがありませんよ。
 

投稿: kamodoku | 2013年7月16日 (火) 14時32分

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