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飛翔しなかったイプシロン(肝付町内之浦)

 昨日とは打って変わった上天気。

 朝からトップニュースで報道された内之浦宇宙観測所から7年ぶりに打ち上げられるロケット「イプシロン」。Cimg61277時前のNHK鹿児島放送局のニュースでも、すでにスタンバイしている姿を流していた。Cimg6125_27年前に人工衛星「はやぶさ」を載せて打ち上げられたМ型ロケットからバトンタッチされた新機種イプシロンは、二つの大きなコスト削減を行った。

 一つ目:メインエンジンに種子島でよく打ち上げられるH2A型ロケットの補助ロケット(エンジン)が使われ、開発コストを削減。

 二つ目:コンピューター制御による自己管理・点検機能で大幅なコストダウン。

 だそうで、開発製造打ち上げ総額38億円は、前のМ型ロケット75億円の約半分、H2A型ロケットの約3分の1になった。この額なら途上国にも十分売れるという。意気込みと期待は大きい。(前日の月曜日のNHKクローズアップ現代による)

 予定通りなら発射は午後1時45分というので、昼食を早めに済ませ、30分の余裕をもって12時半過ぎにミニバイクに乗って見物に行った。車では駐車場所が見つからないだろうと思ってミニバイクだったのだが、これは正解だった。

 見物場所は内之浦の中心から南へ10キロも離れた岸良海岸と決めて出かけたが、これも正解だった。何しろ内之浦中心地への分岐である国見保育園信号では、とっくに中心地への道路は閉鎖されていたのである。

 予定通りに川上ー二股川ー姫門というコースをたどって岸良には1時20分頃に到着。ここ岸良から内之浦中心部へ通じる海岸通りも閉鎖されており、どの車も右折して錦江町方面への道(国道448号)を行く。途中の海岸駐車場はすでに満杯。Cimg6129停めきれずに出てくる車さえあった。ここの海岸では毎年夏に岸良の平田神社の夏越し祭が行われ、去年は見物に来た場所だ。あの時、人はたくさんいたが車はさほど多くなかった。Cimg6133ここから海岸通りに入りえんえんと続く車列が途切れる辺り(第2船木橋)にようやくバイクを止めた。下からは2キロ以上走った。もう大きなカメラを構えている人たちがたくさん見える。Cimg6135第2船木橋から見下ろす岸良湾。

 ロケットは向うの半島状に突き出て見える丘の間から飛び上がって来るはずだった・・・。「はずだった・・・」が上がってこなかった。

 自分も橋の欄干に近寄り、同じようにカメラを構える人たちの間で待っていたのだが、予定の1時45分を過ぎても飛び上がる気配がない。周囲から「あれ!時間だがねえ」という声が上がり始める。だれか男性が「失敗じゃあ!」と大きな声を出した。「いいや、2時頃までは幅があるっちゅど!」と、なだめる声。

 3分ほど経った頃、下の方からぞろぞろ人が列を乱して歩き出し、それぞれの車の方へ行くではないか。「どうなったって?」「中止じゃ、中止」「ほう、何でまた」「分からん」そんな声が飛び交う。中心地から離れているので打ち上げ本部や肝付町の広報などは入って来ないので、―中止というのもおかしい、延期ならまだしも―と思いつつ2時まで待ってみたが、結局、中止が本当らしいことが分かった。Cimg6137海岸通りを下った途中からは美しい岸良の浜が見える。大隅花崗岩が風化してできた砂浜である。

 帰りの渋滞がひどく、しばらく海を眺めて時間をつぶし、3時になってから帰途に就いた。帰りは打ち上げ場のある海岸山手通りを内之浦中心部に向かった。Cimg6138左手の丘の上に発射台まで見通せる「宮原展望所」がある。そばを通るともう一般見学者の姿はなかったが、報道関係者用の駐車場には地元放送局の報道通信車がまだたくさん残っている。Cimg6139さらに行くと右手に宇宙観測所が見える。乗用車やライトバンなどが慌ただしく入って行くように見えたので門衛に聞いてみると、関係者(事業者・業者)が集合しつつあるところだという。打ち上げ不発への対応協議ということだろう。Cimg6143発射場から5キロも下ると内之浦中心部に入るが、ここはまだ漁協に停めていた車が次々に出てくるところで、時ならぬ渋滞に巻き込まれた。

 車のナンバーを見ていると、隣県宮崎はじめ九州は全県、自分の見た最も遠いのでは「八戸」というのがあった。青森県である。

 渋滞を尻目に内之浦町北方のE先生宅を訪れ、しばらく今日の話題と今月31日にある大隅史談会役員会の協議事項について話を伺ったりした。

 小一時間して先生宅を辞したころには渋滞はほぼなくなっていた。

 夕方のJAXAの会見では、「機体などに異常はなく、ロケットの傾きセンサーとそれを自動制御装置に伝える部分に問題があったらしい」とのことで、そこの問題がクリアーできれば早ければ3日ほどで発射できるそうである。

 全国からわざわざ見物にやって来た人たちにとっては、後の祭りならぬ「後の発射」で気の毒な話。肝付町も県外見学者には何か記念になるものでも上げたらどうか。リピーターになるぞ。

 

















 

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ようやく本降りに・・・(鹿屋市池園町)

 待ちに待った本格的な雨。

 今朝の早朝4時頃だったか、雷の音で目を覚まし、あっという間に落雷が近所にまでやって来たので、慌てて飛び起きて二か所のパソコン用コンセントからコードを外した。

 5,6分すると雨はそのまま強く降り続いていたが、雷は収まった。安心して二度寝したが、それから約1時間くらいたった頃、また雷が近づいてきて起こされた。

 6時になっても雨は降り続き、小雨にはなっていたが、ウメの早朝散歩は取りやめにした。傘を差せば行けないこともなかったが、足元が濡れるし、ウメは全身が濡れる。夕方にも行くことだし・・・と、餌だけをやって済ませる。

 午前中は梅雨時のような雨で、降るかと思えば止み、止むかと思えば降るくらいになって行ったので午後には上がるだろうな―と思っていた矢先の昼を回った1時半頃、遠雷が聞こえ始めると同時に雨脚が急に強まって来た。

 ひさびさの豪雨である。Cimg6119庭に停めてある軽自動車の屋根に雨粒が叩きつけられ、その時に発生した煙霧が、折しも吹く強い西風に乗って湯気のように東へ流れて行く。

 こんな光景は本当に久しぶりだ。梅雨の真っただ中の6月下旬の頃に一日雨量が120ミリくらいの時があったが、その時以来かもしれない。2か月ぶりということになる。

 鹿児島気象台によると、6月の降水量は534ミリで梅雨らしい梅雨だった。ところが7月は36,5ミリと一転してカラカラ天気で、おまけに高温の異常気象。8月は今日で10回くらいの雨だが、こんなにまとまって降ったのは初めてだ。これで気温が低下してくれれば異常気象は解消されるだろう。Cimg6118庭先が見る見る川になって行く。横たわっているグリーンの潅水用ホースも、これでしばらく使わないで済むか。Cimg6120庭の西側に設置してあるウメの小屋が浸水していないか、ちょいと心配になって見に行った。浮かない顔をのぞかせたのは雨よりも雷がまだ聞こえるからだろう。

 (まさかこんな時に散歩じゃないですよね・・・)

 と思っているのか。Cimg6121(あ、こりゃ駄目だ、こりゃ。雨が目に入ってるワン)

 鼻面を外に出した途端に目を細めるウメ。

―分かっているよ、行かないよ今は。

 3000㍍級の山の頂きにある避難小屋のようなウメの別棟。どうやら雨漏り・浸水の心配は無いようだ。

 それにしても・・・Cimg6116庭の南側一等地に立派な本宅があるのだがよう。

 大好きな餌をこの小屋の奥に置いても、食べるだけは恐る恐る入って食べるのだが、食べ終わると決してもう入ろうとしないのだから仕様がない。また手荒くホースでウメに水を掛けると、掛けている間だけやむなく入っているが、掛け終われば元の木阿弥。・・・さんざんやってみたがすべて水泡に帰した。

 というわけで、この小屋に入るのは無理とあきらめ、別棟をテキトーに造ったら喜んで入っている。何ともはや!

 ついの住処は「避難小屋」になりそうだ。













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「風の森」「気色の神叢」を訪ねる(霧島市国分府中)

 一昨日は霧島市民会館で「隼人舞の共演」を観覧したが、そのあと去年の国分歴史探訪で訪れていなかった「風の森」(こがのもり)と「気色の神叢」(けしきのもり)を見て回った。

 幸い市民会館のロビーに国分界隈の歴史資料の展示があり、その中に名勝地の案内図があった。Cimg6090表示では「風の社」「気色の社」となっているが、読み方は同じである。上で使った「風の森」「気色の神叢」のほうは出典の『三国名勝図会』のを採用した。

 まずは風の森へ。国分駅の前を北上して祓戸神社(守公神社とも言い、大隅国国衙の一角にあったとされる古社。大隅国の国衙は祓戸神社とでかでかと書かれた下のあたり一帯にあった)の前を通り、右折して手篭川の橋を渡って200㍍くらい行った所にある。Cimg6095『三国名勝図会』の記述通り、「水田の中に一叢林があり、広さ二畝ほどで、古樟樹(樟の大木)がある」。

 この写真は北側に行き過ぎて撮影したので、大木の下、遥か南に桜島が見える。また右手の白っぽい10数階建ての建物は京セラホテルだ。Cimg6092道路からは少し下るが、田んぼの面より1メートルは高い。『図会』の記述ではクスの大木を、「この樟、いま根幹三つに分かれ、その幹本は周囲8丈2尺(24、6m)あり」と記すが、そんなに大きいものではない。せいぜい直径は1,5m、したがって周囲は5メートルほどだ。何代目かのヒコバエなんだろう。

 さらに『図会』の記述。

「村びと古賀の森という。久我大臣といえる人の塚木なり、といい伝う。または木嵐(こがらし)の森とも、あるいは古歌あるがゆえに古歌の森とも呼ぶと言えり。その是非定めがたし。ー(中略)―大原貞以の名所旧跡を記した書に、風の森は気色の森近辺にあり、と見えたり。云々」

 古歌が記載されている。『夫木集』にある和歌で詠み手は「按察」となっているが、誰のことか不明・・・

  恨みじな風の森なる桜花 さこそあだなる色に咲くらめ

(愚訳)桜が咲くにしても「風の森」ではすぐ散ってしまう。だから咲くならよほど色香の強い花(個性も色気も強烈な女)でないと駄目だろうな・・・。

 これは古歌にしては歴史の重みを感じさせるものではない。「こが」が「こか(古歌)」から来ているというのは誤りだろう。そうすると「久我大臣の墓標樹」説の方に軍配が上がると思われる。久我大臣とは誰を指すのだろうか―。

 さて次は「気色の神叢」。『図会』で風の森の解説の中にあったように、ここからは近い。さっきの手篭川の橋まで戻って渡り、右折して祓戸神社ー鹿児島神宮への道に入り、約200㍍先を左折すると右手になだらかな微高地が見える。それが「気色の神叢」である。Cimg6100通り過ぎて逆方向から見たところ。通り過ぎた側からだと説明板の立っているのが見える。

 中に入るとやや荒れが目立つ。もう少し整備されているとよいが・・・。Cimg6097小高いちょっとした広場に「史碑」が立つ。説明板によると、昔はもっと大きな岡だったが、水害を復旧するときにだいぶ削られたようである。

 『三国名称図会』の記述。(意訳してある)

「千載集・歌枕では気色社と書く。松・杉・樟・櫨などの中に祠がある。祭神は天満自在天神である。・・・この気色の神叢は初め鼻面川(天降川)の隈にあったのを、寛永2年(1625)の4月頃、大水が出て岸が崩れ、叢・社ともに流された。時の地頭・喜入久加は社壇を今の地に新建して天満天神の木像を安置したそうだ。神叢の源処は今の社頭より東南に1町ばかりにあって、上川原の木堀という字名の田んぼにその跡が残っている。

 鼻面川(天降川)は享保年中(1716~1736)に川筋を移したので旧川道は田となり、今でも田の底から神叢の樹木の折れたのなどが見つかることがある。

 あるいは、この気色の社は原天子とて蛭児神を祀っていたのを、後世誤って天満宮を創って祀ったのだとも言う」

 最後の段落が正しいようで、この神叢は日当山にある奈毛木(なげき=嘆き)の森の大樹が水に流されてここへ漂着したというのが本当らしい。寛永時代の頃の地頭の喜入久加(ひさます)は何を根拠に天満天神を祀ったのだろうか。

 鼻面川(天降川)水運を古代の要路と考えると、この気色の森と日当山の奈毛木の森とは一直線でつながっている。川筋を直さない前はもっと近かった。そのような水運を考えさせてくれる気色の神叢の存在である。

※霧島市からの帰りに「道の駅・たるみず」に立ち寄って桜島を眺望。Cimg6107しばらく眺めていると同じように写真を撮っていた70代の男性に声を掛けられた。

 「私はちょうど三年前にもここから桜島を眺めたのですがね、あの時は昭和火口なんて本当にてっぺんからちょっと下がったあたりに、もやもやと白い煙が上がっているくらいだったんですよ。今度見て驚いたな。火口がずいぶん下の方まで大きくなっているもの・・・」

 聞けば大分からの来訪者。一昨日(8月18日)の5000m級の噴煙を上げた大噴火が火口を大きくしたに違いない。3年も時間を置くと、その違いは一目瞭然らしい。

―2008年に再噴火を開始して以来、年々噴火回数も噴煙の高さも大きくなっていますが、気象台は今度の大噴火は大大噴火には繋がらないと言ってますよ。そうかなあと疑問です。

 先方もうなずいていたが、「年々大きくなるガス抜き噴火」なんて矛盾していないだろうか?Cimg6110黒神瀬戸大橋方面から見た昭和火口。噴煙の右手にぽっかりと大きなエグレが丸見えだ。






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「隼人舞の共演」を観る(霧島市市民会館)

 霧島市の市民会館で「隼人舞の共演」というのが開催されたので観に行った。Cimg6055「共演」とは鹿児島市・鹿児島神宮・京田辺市の三ヶ所で行われている隼人舞を一堂に会し、それぞれの舞を披露するというもので、最初は鹿児島市坂元町の隼人舞保存会の舞が披露された。

 最初は座を祓い清める舞。演じたのは近くの県立東高校の女子生徒。Cimg6059坂元町には「せばる」という地名があるが、これは雅楽にも取り入れられた「催馬楽」(さいばら)が演じられたことから名付けられた。また、近くには「たんたど」という聞きなれない地名があるが、こちらは鼓の「たんたん」、それと大太鼓の「どんどん」という音が響いたことから名付けられている。

 集団の演舞は坂元の「せばる隼人舞」の特徴である。その他に鹿児島商業高校男子生徒による「弓舞」があった。

 続いては鹿児島神宮神職による隼人舞。Cimg6066鉾を手にした二人の踊り手がゆっくりと右に回り或いは左に歩くだけの舞で、隼人の勇猛というイメージとはかけ離れた静謐な舞であった。

 鹿児島神宮創建(708年)時から、「隼人職(はやとしき)」という担当者がいて連綿と舞われているという。

 最後が目玉とも言うべきか、はるばる京都からやって来た「大住隼人舞」だ。1300年以上前に南九州からそこに移り住んだ隼人たちが伝えた舞で、律令制の施行以降は組織化されて宮廷で舞われた。

 しかし時代とともに隼人舞は廃れたが、幸いに鹿児島の日枝神社に神舞として残っていたのを受け継ぎ、大住の月読神社において復活した。昭和46年のことだそうである。(配られたパンフレットから抜粋)

Cimg6069毎年、京田辺市の大住地区にある月読神社で舞われる隼人舞。舞い手も中学生なら弾き手(龍笛)も中学生である。

 全部で6番あり、最初は「お祓いの舞」で舞の場所や周辺を清める舞。手には五色の幣(ぬさ)と鈴を持つ。Cimg6072二番目は「神招(かみおぎ)の舞」。祓い清めた斎庭(ゆにわ)に月読大神はじめ天津神・国津神を招く。五色の幣を垂らした柱が神の依り代となる。Cimg6077三番目は「振剣の舞」。もろもろの不浄や悪霊を祓う。これは勇壮だった。Cimg6079四番目は「盾伏の舞」。盾を持って敵(悪霊)の侵入を防ぎ、神々と人を守る。手にした盾はいわゆる「隼人の盾」で独特の逆S字文様が描かれている。解説によると「邪を寄せ付けない文様」だそうである。しかり。Cimg6083五番目は「弓の舞」。弓を持って、隼人舞にしかない所作をする。パンフレットによると「隼人の始祖である海幸彦は山幸彦に服従するようになったが、その際に海で溺れる仕草<飄掌>(たびろかす)をした」が、その所作のようである。Cimg6086最後の六番目は「松明の舞」。火を敬い、神々に感謝をささげる舞という。中に豆電球(LEDライトだろう)の入った松明に似せた物を二本持ち、振りながら踊り回る。

 すべてが中学生の出演(演舞・演奏)というのには驚かされたが、なるほどこうすれば後継者の心配はないだろうな、と感心もさせられた京田辺市の大住隼人舞であった。

 夏休みであればこうして各地に招かれても差し支えないわけである。彼らにとっても素晴らしい夏休みの思い出に繋がり、故郷を外から顧みるよすがとなろう。

 京田辺市長も来ていて舞台挨拶に立ったが、名物が玉露茶・早掘り筍・一休さんだそうで、一休さんはさすがに鹿児島にはいないが、茶と筍は同じである。霧島市は今年大隅建国1300年記念行事が目白押しだが、この記念すべき年にさらに良いパートナーを見つけたようである。























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桜島昭和火口の過去最大の噴火

 昨日の日曜日(8月18日)の午後4時半頃、桜島の昭和火口から観測史上最高の5000㍍の噴煙が上がった。

 ちょうどこの時間帯は鹿屋県民健康プラザに於いて恒例の「おおすみ歴史講座」の最中で、家に帰るまで知る由もなかった。6時のニュースで知り、鹿児島市内に大量の火山灰が降り注いだことを報じていた。Cimg6045これは19日の5時過ぎのニュースから取り込んだ噴火の瞬間。しかもこれが今年になってからの噴火・爆発のちょうど500回目という。Cimg6046同じニュースの中で鹿児島気象台が発表している判断はこれだ。

 本当にこれ以上の大規模噴火はないのか? 疑問を感じてならない。

 というのも、7月下旬から8月上旬にかけて2500㍍とか3000㍍近い噴煙の爆発は何回かあり、それに対して気象台は「風が非常に弱い時は真っ直ぐ高く上がるものなので、このくらいの高さは十分に想定内である」というような見解だった。

 その舌の根も乾かないうちに起きた今度の大噴火。

 今年は、四月が極端に少なかった噴火・爆発も、6月・7月と回数を増やし、一ヶ月で120回以上、一日で10回の時もあった。そのくらい夏に向かって増え続けてきた桜島の噴火・爆発の頂点として発生したのが今回の噴火である。

 桜島噴火の異変だけではなく、異常高温もまだ続いている。鹿児島市内では猛暑日(最高気温が35℃以上の日)が22日となって、観測史上もっとも多い回数となったそうだ。

 

 そもそも度重なる小噴火はその火山に溜まっているマグマを小出しにすることで、噴火の爆発的エネルギーを抑制するはたらきである。-となると、今年の6,7月は小墳火が多かったからガス抜きも十分ということになり、昨日のような観測史上最大級の噴火など起こるはずがない。

 今度の大噴火は想定外ではあっても桜島のマグマが相当に溜まっていることを示した。もっと大きなウルトラ噴火が起きる可能性を高めたのではないだろうか。

 

  閑話休題―これも異常気象の一つかもしれないが、今年の夏は梅雨の最中から梅雨明け後もずっと真西の風が吹いていた。真夏に西風は不似合いで、それがつい8月14日まで、強弱はあるにしても毎日のように吹いたのだ。

 しかも不思議なことに8月15日(月遅れの盆。終戦記念日)からは今度は真東の風になったのである。それも変わり方が極端で、普通なら西風から東風に変わるとすれば西風からまずは南風(もしくは北風)へと変化してから東風になるはずなのに、15日が明けてみたらすでに真東からの風に変わっていたのだ。

 夜中に劇的に変化したのかもしれないが、とにかく今日も真東からのかなり強い風が吹いている。大異変が時々刻々と迫っているような気がしてならない。杞憂ならよいが・・・。




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第51回全国戦没者追悼式典(終戦68周年)

 終戦後68年が経ち、今日は第51回目の全国戦没者追悼式が日本武道館で開催された。Cimg6023齢を重ねるごとに遺族は高齢化して行くが、英米仏蘭連合国を相手に戦った将兵、軍属、そして一般国民に数多くの戦死者が出た。その数は310万という。その中には東京大空襲や広島・長崎への原爆投下、沖縄での地上戦による無辜の国民の死者も数多く、おそらく100万くらいに上るだろう。

 非キリスト教国・非白人国家なのに繁栄をした(世界の一等国になった)日本への憎しみプラス異教徒への迫害に似た感情の故の無辜の国民への爆弾雨あられであった。酷いものである。原爆が最も非人道的だが、焼夷弾も酷かった。一般住民の住む市街地に対してまず半径何百メートルかに油をぐるっと撒いておき、そこに焼夷弾を落としたという。残虐極まりない殺傷の仕方であった。

 (戦前には「黄禍論」というのがあった。日本を筆頭とする黄色人種が、白人の帝国主義的植民地政策(世界分割闘争)に対抗して勢力を持つこと、への恐れによって生まれた白人国家側の屁理屈である。彼らが植民地を支配するのは、現地の有色人種を文明化するので構わないが、黄色人種が支配するのはいけない―というのだ。

 そこで日本は「同化政策」を採用した。白人国家は現地人の支配層の子弟だけを集めて高等教育をさせ白人国家に代わって現地を統治し(ただし総督は置いた)、その上がりをピンハネするという収奪統治が主であったのを、日本が統治する場合はなるべく多くの国民が教育を受けられるように学校などを建てることから始めた。すぐれた統治法である。何のことはない明治維新後の明治政府がすでに日本国民に対してやったことの応用なのである。

 戦前の中国なども早い段階でこのようなやり方を取り入れていれば、今日の共産党独裁国家が生まれるはずもなかったのだが、国民党の蒋介石はアメリカに丸め込まれて日本を敵に回してしまった。その挙句に共産軍に大陸を奪われ、小さな台湾に逃避するという体たらくであった。)Cimg6020天皇・皇后両陛下の戦没者に対する悼みは、読み上げられるお言葉に十分表れている。

 同じ日の夜、NHK総合テレビで<ニッポンの平和 アメリカとの関係は?>という特集があった。

 このところギクシャクした関係が続いている中国の日本への揺さぶりに対してアメリカが「近隣国同士の紛争に発展しないようにしろ。総理大臣が靖国神社へ参拝して中韓の反発を買わないようにしろ」というようなことを言って来た。

 そこで安倍総理は自ら参拝することを避け、代理人を靖国神社へ行かせたわけだが、このことに関してNHKが国民への関心を呼び起こそうとして企画したらしい。

 安倍総理がアメリカに対して「靖国神社は欧米の植民地化闘争に異議を唱え、人種差別をなくすために戦った英霊を祀る日本固有の祭祀施設だ。参拝して何が悪い。そんなことを言うなら集団自衛権など御破算にする」―とか何とか言ってしまえば済むものを、情けない。この辺りはあの小泉元首相の気迫に劣っている。残念だ。

 しかしまあ、登場した行天幸夫とかいう外交評論家にはがっかりした。

 ―横須賀の米第7艦隊は3兆円規模で運用されており、首都東京の入口にどかっと駐留しているから日本は守られている。

 戦後は日米安全保障条約のおかげで軍事支出が最小限に抑えられ、その分経済に回せたので日本は発展した。

 あの太平洋戦争のどこがいけなかったかをちゃんと総括しなければならない。

 歴史認識は適確に持っていなければならない。―

 

 なのだそうだ。まるでアメリカのスポークスマンだ。自分の意見はないのか!

 

 それじゃあ、クリントン国務長官が「尖閣諸島は日米安全保障条約の適用内の島である」と言ったのだから、第7艦隊を出して中国の護衛艦を早く追っ払ってくれ!

 おいおい、日本の都市という都市を空襲でメチャクチャにしておいてそんなこと言うなよ。その挙句に軍事占領府(GHQ)を置き、「兵力放棄の平和憲法」を押しつけたのだ。軍事支出のしようがないだろ!

 あの戦争は欧米植民地闘争に唯一巻き込まれずに独立自尊を保った非白人国家日本と、欧米植民地主義・人種差別国家との一戦で、自分は義戦だと思っている。間違ってはいない。アメリカは自由だなんだと言っているが、その当時の黒人には基本的人権すらなかったではないか!

 歴史認識とはこのようなことを言うのだ! 

 朝鮮動乱の時に中共軍が参戦しなければ、朝鮮半島は米軍の後押しで統一がなっただろう。その後にソ連との軋轢が生まれたかもしれないが、取りあえずは分断は避けられたはずだ。つまり現在の南北分断の張本人は中国共産党なのである。

 このようなアメリカの敵であった中国共産党政府を正式国家と認め(特使はキッシンジャー)、台湾の国民党政府を見捨てたのは全く筋が通らない。

 キッシンジャーの忍者外交とはよく言われるが、彼は実は、日本が中国共産党政府とLT貿易のような関係を持ち、そのまま日中の関係が親密になるのを防ぐために、日本の頭越しに中国共産党政府を承認したのである。

 ひとえに日本と中国が手を握って強大になるのを恐れたためだ。以前のブログで―韓国の朴大統領が中国の習国家主席との蜜月を演出したのは「敵(日本)の敵(中国)は恋人?」と考えてのことだ―と書いたが、何とそれの40年前版である。

 このような外交術も最近は透けスケで底が見えて来た。いつまでもアメリカのお先棒を担ぐような輩はアメリカに永住してくれ。

 日本は早く永世中立国になるべきだ。

 

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これまで経験したことのない暑さ!

 暑い! 

 今日の2時過ぎに玄関前の寒暖計を見たところ何と38℃。部屋の中でも34℃。これはこれまでの最高温度だ。

 2時少し前に今日の甲子園高校野球第2試合の<樟南ー佐世保実業>戦が終わり、1-0で勝利した喜びの最中だった。NHKのテレビ画面にニュース速報が流れた。また地震か、それともゲリラ豪雨か、と思う間もなく「高知県四万十市で最高気温41℃・・・」と出た。

 ついに日本新記録だ!

 ちょうど41.0℃ということで、去年か一昨年に記録した40.9℃を0.1℃上回った。わずか0.1℃だがとうとう41℃を突破したわけで、砂漠の国アラビア並みの気温になったことになる。四万十市では土曜から今日まで3日間連続して40度台をキープ。これもまた日本新記録だそうだ。いやはや!

 今年は梅雨入りと同時に連日の雨で、7月8日の梅雨明けまでにかなりの雨が降った。また梅雨の間に台風が7号くらいまで発生し、うち2個が日本本土にかなり接近した。この現象から自分としては「長梅雨で台風も襲来し、ひょっとしたら20年前の8・6水害の時のようになるのではないか」-と予想したのだった。

 しかし見事に外れた。梅雨明け後のカラカラ天気と高温は予想外だったのである。晴天続きであることは外で行う行事にとってはありがたいことで、お蔭で先月28日の鹿児島歴史探訪は難なく消化できた。

 そいれにしても不思議なのは電力供給だ。去年と一昨年は「カラスの鳴かぬ日はあっても、電力需給のひっ迫で節電を!の報道のなされぬ日はなかった」のに、今夏はとんと流れて来ない。一体どうしたことか? 去年以上に暑い夏なのに・・・。

 幽霊(原電を再起動しなければ電力不足になる!)の正体見たり、枯れ尾花(原電で生活している人間のためだ!)」

 ということだったのだろう。この際、再生可能エネルギーへ大胆に舵を切り、原電の職員らをそっちへ振り向けるべきだ。

 閑話休題―地元の大姶良の夏祭りも天気の心配は全くなく、土曜日に滞りなく開催された。Cimg5945地元にいても滅多に見ることのできない郷土芸能や団体の演技はやはり心躍る。Cimg5952暑さの中、子供たちの真剣な空手披露。Cimg5955鹿屋農業高校和太鼓部の迫力満点の演技。Cimg5983今年はとくにフラダンスのグループが3つも出演した。涼しげではある。Cimg6009最後の打ち上げ花火も良かった。

 納涼と銘打つ花火大会が多い。どんどん打ち上げて早く涼を納れて欲しいものだ。











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長崎平和祈念式典

 8月9日は長崎に原爆が落とされた日。Cimg5930当時の長崎市の人口は24万人。うち7万4千人が爆死及び放射能障害死。

 広島でもそうだったが、終戦後に入った米軍の医師団たちは被爆者の被爆状況を調べるだけで治療はしなかった。まるでモルモットだった。

 長崎は日本のキリスト教信仰の代表的都市で、初め彼らはそのことを知らなかったらしく、無残に焼け落ちた浦上天主堂と、そこで焼き殺された神父や多数の信者のことを知ると、長崎市としては浦上天主堂を広島のあの原爆ドームのようにそっくり残して置くつもりだったのだが、米軍占領府は秘密裏に解体することを強制してきた。

 もし無残な姿の浦上天主堂が残されていたら、「アメリカがいくら戦争終結を早めるために原爆を落とした―といってもあれじゃあ、あんまりだ。戦時国際法もへったくれもないじゃないか!」という同盟国側(米英仏蘭・・・ほとんどが欧米キリスト教国だ)からも痛烈な批判を浴びることになるからである。(このことについてはブログ「浦上天主堂解体の密約」に詳しく書いた。)

 アメリカをはじめとするキリスト教国家というのはキリスト教を最上位の宗教とし、それ以外は「異教徒」(古来の中国的観念で言う蛮夷)としたい傾向が強い。異教徒は法の裁きの適用外なのである。

 その点日本の神道は異教徒・蛮夷という観念が少ない(幕末に皇国史観が発生し、明治時代に至ってそれに基づく反中国・反西欧観が普及してしまったが、欧米列強の植民地化闘争の世界史的流れに対抗する点からは無理からぬことである。現に日本も治外法権を認めさせられるなど不平等下に置かれた)。
 

Cimg5923式典は被爆者代表と小中高校生による「献水」で始まった。熱戦を浴びた被爆者が「水を!水を!」と言いながら息絶えたことへの慰霊の意味である。Cimg5925続いて遺族代表と長崎市長・同議会議長の献花。このあと11時2分の原爆投下時刻に合わせた黙祷が行われ、長崎市長が挨拶に立った。

 今年の挨拶の中で異例だったのが、この4月にジュネーブで80ヶ国の賛成署名を得て提出された「核不拡散条約(NPT)」に日本政府が署名をしなかったことへの言及であった。Cimg5935「世界の期待を裏切った」とまで述べる田上市長。Cimg5937日本よ、原点に返れ!賛同しなかった同盟国アメリカの顔色を伺っているのだろうか。それとも外交密約で署名するなとくぎを刺されているのだろうか。世界の多くは唯一の被爆国日本のイニシアチブを期待しているのに、このざまではまたがっかりさせるだけだ。Cimg5942米露だけで核弾頭の90パーセント以上を保有しているそうだ。この現状に呆れたオバマも大統領の一期目、就任して間もなく「核兵器の廃絶に向けて行動する」(プラハ宣言)と言っているではないか。Cimg5940_2

 日本が率先して堂々と核不拡散へのイニシアチブをとれば、オバマも同調する可能性はあったのに残念なことである。

 日本への原爆投下を指示した米国大統領トルーマンは「広島は軍事都市だから落とした。終戦を早め、これ以上の犠牲者が出るのを阻止したのだ。」と強弁した。異教徒の日本人なら無防備の民間人が何万人死のうとも、日本への最終上陸作戦で出るであろう米軍側の犠牲者が出ないことの方が大事だったらしい。

 ところが同じように落とした長崎の実態を知って「まずいな」と動揺があった。それが「浦上天主堂撤去の密約」に現れているのだが、こっちは異教徒ばかりの町ではなかったのだ。

 ナガサキはそういう経緯を含め、核弾頭保有国に対して、核兵器使用への抑止力の象徴として永遠に輝き続けるに違いない。日本がイニシアチブを取り、長崎において核兵器廃絶ひいては大量破壊兵器廃絶のための定期的な国際会議を開催したらどうだろうか。


















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雨後のサフランモドキ(鹿屋市池園町)

 この夏は蝉の声が聞こえない。いつもなら梅雨明け後まもなくアブラゼミやクマゼミが鳴きはじめるのだが、8月に入ってもこのあたりでは鳴く様子はなかった。(7月28日に鹿児島に歴史探訪に行った時は、福昌寺跡などでは聞こえたが<シャワーのよう>と形容される鳴き方ではなかった。)

 ところが暦の上では秋に入った立秋の一昨日から、少ないながらも我が家の近くでクマゼミが鳴き出した。いつもなら気温のぐんぐん上がる最中に鳴き出すので暑さを増幅させて気障りなほどなのだが、今夏はむしろ「やっと鳴いてくれたか」と安堵感さえ感じるほどであった。

次の日(8日)も来て鳴いたが、これと連動するかのように我が家の庭数か所に植え付けてあるサフランモドキが一斉に咲き出した。Cimg59167日の日にここは蕾を空に伸ばしいまにも咲きそうだったが、8日の朝ついに一斉に花を開いた。サフランモドキの咲き方の特徴はとにかく一時に咲き揃うことで、これは蕾、これは開きかけ、これは満開というような順番がない。揃いもそろってパーンと開くのだ。時間差を置いて開いてくれればな、とよく思う。Cimg5917しかしよくしたもので、同じピンク色かと思えばそれぞれの花には微妙な違いがある。Cimg5913個体差なのか、種類があるのかは分からない。Cimg5915よく見ると同じ群落ではピンクの濃淡が適当に交じりあっているようだ。Cimg5914どの花も虫を寄せ付けるために開くのだから、全く同じ色では虫が飽きる(虫がムシする)といけないので、毛色を変えるのだと思う。植物の智恵だろう。

 このサフランモドキの一斉開花は、おそらく8月に入って2回ほどの雨の効果だろう。それまでも夕方の水やりは欠かさなかったが、人間の水掛けなど高が知れたもので地表のせいぜい1センチ下くらいまでしか届いていない。たった10分間の本物の夕立には叶わないのだ。

 球根の部分までたっぷりと雨水がしみ込んだので一斉開花となったに違いない。…雨後の筍ならぬ、雨後のサフランモドキ・・・。

 同じことがクマゼミの羽化にも言えるのではないか。地下にいるさなぎの状態の時にほとんど雨が降らなければ、サフランモドキの球根と同じで羽化(花芽立ち)には至らないが、水を感じた途端に羽化が始まって地上に姿を現したのではないか。

 しかし天気予報によれば立秋以降も雨に見放されるようなので、クマゼミを始め他のセミ類もなかなか姿を見せないかもしれない。Cimg5919テッポウユリはもう終盤に差し掛かっている。これは一本で最多の8花を着けた。ご苦労さん!












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知林ヶ島に渡る(指宿市)

 指宿市の魚見岳(215㍍)の下に広がる国民休暇村は戦時中、海軍の特攻基地(多良浜基地)が置かれたが、戦後は風光明媚な公園として整備され、さらには国民休暇村として再建された。

 その沖合に浮かぶ「知林ヶ島」。Cimg5911魚見岳の最高地点にあるNTTドコモ用無線中継所から眺めた知林ヶ島。ちょうど砂州でつながっている。左の小さな島は知林ヶ小島。
 戦後しばらくは民間の開墾畑として使われたそうだが、その後東京のある学校法人の所有となり、上陸(というよりは入島)は不可能だった。ただし「法的には」ということであって、実際には釣り人や好奇心のある人々がしばしば入島していた。

 ところが指宿市がその学校から島を購入したことから一変した。指宿市が整備をして島内を散策できるようにしたので、大手を振って島に渡ることができるようになった。

 もちろん環境には十分配慮をしている。なにしろこの島を含めてかっての霧島屋久国立公園から屋久島が単独の国立公園になって分離したあと、ここは「霧島錦江湾国立公園」の一部になったのである。Cimg588710時半頃に島への渡り口になる多良岬に到着。浜昼顔が出迎えてくれた。Cimg5891さらに歩いて行くと、すでにかなりの観光客が砂州を渡っているのが見えた。向こうまで距離的には6~700㍍かと思うが、砂の上だから若干足を取られたりするので約20分ほどかかる。履き物は脱いで裸足の方が歩きやすい。Cimg5895歩いて15分ほど。あと50㍍で島の入り口という所から振り返ると魚見岳からの砂州がうねって見える。何だか天童よしみの歌「珍島物語」を思い出した。海が割れるのよ~橋ができるのよ~、はまさに同じ現象。

 左側の海が錦江湾そのもの。やや波が荒い。右側は同じ錦江湾の中だが魚見湾といえる部分で、砂州が本湾の荒波を防いでいて穏やかだ。Cimg5897島に上がる(入る)と人の集まった所に指宿市の案内所があり、そこで係から「国立公園なので環境には十分配慮を!」と注意を受ける。Cimg5896案内所の傍に立つ案内看板。島の中は散策路があり、一周すると約2キロくらい。

 面白いのが「今日は15時10分までに知林ヶ島を離れて下さい」という手書きの注意だ。干潮で砂州が出来ている時間は4,5時間なのでそういうことになるのだろう。Cimg5899案内所から右手の磯伝いに約100㍍行くと、島の南端にある南展望台への登り口がある。何でも階段が304段あるそうで、30℃近い気温の中、かなりの難路だった。Cimg5900ようやく南展望台に到着。いやはや暑い!

 先客のいる展望台はログハウス風で、どういうわけか天井から鐘が吊るしてあったので鳴らしてみた。Cimg5904展望台から見る砂州と魚見岳。魚見岳の下、砂州の付け根一帯が国民休暇村で、昔は海水浴場やテニスコート・芝生広場などで賑わったそうだが、今はサッカー練習グラウンドやキャンプ場に利用されている。

 左手遠くに霞んで伸びているのは指宿市街地。Cimg5906家内だけを南展望台に残して自分だけ一周してみようと思ったのだが、ここでギブアップ。一周するのは涼しくなってからと言い聞かせて降りることだった。

 ほとんどの観光客は渡るだけですぐに引き返している。サンダル履きの人が多いのがその証拠(自分も!)で、家族連れの子どもなんかは水と戯れることで満足しているみたいだ。夏休みの珍しい体験だぞ。






















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高須の刀舞い(祇園祭)

 毎年8月の第一日曜日に行われる鹿屋市高須町の祇園祭り(おぎおんさあ)。今年は8月4日であった。

 今朝は早朝に種子島宇宙センターから打ち上げられるという「H-2B」ロケットの光跡を見ようと、頑張って早起きして見たのだが、あいにく雲が多くて南の空に若干の姿を垣間見せただけで、雲間遥か上空に飛んで行った。(4時48分発射。8時のニュースで打ち上げ成功とあった。)

 そのあと6時から集落の道路沿いを草刈り清掃して回ったが、かなりの汗を絞った。高須に向かったのは9時半で、到着してみるともう波之上神社での神事は終わっており、神社下の国道にたくさんの人たちが集まっていた。Cimg5842小学生の手にしているのは刀で、今年は7名で刀舞(かっなめ)を舞いながら町内を練り歩く。Cimg5845いよいよ練り歩き開始。

 刀舞はもともとは波之上神社に古くから伝わる奉納舞いで、昔は大晦日の晩に夜を徹して奉納されたそうである。

 ところが波之上神社から300㍍ほど南の高須海水浴場近くにあった祇園宮(八坂神社)が鉄道の路線に掛かるということで移築されたあとに台風で倒壊したのでこの波之上神社に合祀された。

 祇園宮の祭り(おぎおんさあ)では旧6月15日に行われ、その際は盛大な山車行列があったそうだが、山車の老朽化と引手の減少でいつしか行われなくなり、その代わりにそれまでは波之上神社の神事として大晦日に行われていた刀舞が祇園祭りで奉納されるようになったそうである。(「伝統芸能ー刀舞-の継承」=高須町刀舞保存会のパンフレットより引用)Cimg5850いまにも降り出しそうな空模様の中、高須大通りを進む。「弓舞」は中学生たちが舞う。Cimg5851国道を左折して高須港の筋に入る。小学生一行の先を二名の高校生が「長刀舞」をしつつ歩いて行く。Cimg5854他の小学生は手作りのみこしを担いで回る。Cimg5857行列の先頭には「露払い」の人がいて、戸口に出て来ている人々を水を浸した笹で清めて行く。Cimg5865行列の最後の方になるとお面を付けた一団が歩いている。田の神(たのかんさあ)だそうだ。五穀豊穣を願うのだろう。Cimg5867一番最後にあるいて見物人の中から小さな子どもに脅しをかけて泣かすのが鬼。「鬼神舞」を担当する。この鬼は知り合いの中学校の先生だった。Cimg5868最後に高須川に架る「鉄道橋」(昭和62年までここを大隅線の列車が通っていた)を渡るのは神主の一行だ。

 この頃からいよいよ雨脚が強くなってきたので、付いて行くのはあきらめる。Cimg5871鉄道橋の200㍍ほど上流には国道に架かる「高須橋」があり、その橋のたもとには「川津神社」がある。(祭神は岡象女神(みずはめのかみ)で水を司る神様らしいが、創建の由来は不詳。)

 鳥居の向こうの荒平石(溶結凝灰岩)の崖の下には雨宿りにちょうどいい空洞があり、すでに先客がいた。それならばと波之上神社に向かう。Cimg5872国道から参道に入ると第二の鳥居がある。くぐって70段ほどの石段を上がれば拝殿が見える。Cimg5874祭日とあって明かりが煌々とついていた。

 この波之上神社の創建は南北朝時代の正平3年(1348年)で、建立したのは南朝方の勤王僧・昌光僧都。紀州熊野権現を勧請したという。祭神はイザナギ・イザナミ・ハヤタマヲ(正式には家津美御子・夫須美・速玉之男)で熊野三所(三社)権現とも言っている。

 拝殿の左手に行くと六基の板碑(いたび)が建立されている。Cimg5876向かって左から二番目のは赤色凝灰岩(荒平石)製で脆いために磨滅が激しいが、他の物は黄色凝灰岩(山川石)製でこちらは風化を免れている。(山川石は同じ凝灰岩でもこうして地上に晒されるとかえって固くなるという風に言われており、大隅半島でも移入して多用されている。)

 手前のは供養塔で心勝という僧のために菩提を願う記念碑で、嘉暦3年(1328)という古い物である。また一番奥のには南朝年号「元弘2年(1332)」とともに北朝年号の「正慶元年(1332)」とが同時に使われており、時代に混乱を反映した珍しい記念物(供養塔)とされている。Cimg5878階段の途中から眺めた高須の町。右手の工場のような建物は蒲鉾屋。

 遠い昔、この波之上神社の丘は陸繋島だったとおもわれる。向こう側の鳥居辺り(国道)には海水がひたひたと上がって来たように見える・・・。




 

 
















 

 

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星塚敬愛園夏祭り(鹿屋市星塚町)

 7月の末日、近くの星塚敬愛園で恒例の夏祭りがあった。

 夕方のウメの散歩のあと、庭の植物に水掛けをし、夕食を済ませてから歩いて敬愛園まで行く。7,8分の距離である。Cimg5773県道鹿屋環状線に面するいつもの敬愛園入口の雰囲気と違うなと思ったのは、何かの看板が立てられ、その周りに幟旗も立てられていることだった。Cimg5774二枚の看板が立っていて、一枚には「スローガン」とあり、ハンセン病問題の国会決議を励行せよ、というもの。下から二番目には「外部委託に反対する」とある。要するに、国の施設であり続けて欲しい―ということだろう。Cimg5775もう一枚のは「国立ハンセン病療養所における療養体制の充実に関する決議」というもので、ハンセン病問題基本法に完全準拠せよ―という内容だ。

 国会で決めた法律はそれが守られないと大きな不利益を被る人たちがいる以上は遵守されなければならないが、時代の趨勢によって必要以上の利益あるいは不合理が生まれて来れば見直されるのは当然である。それが民主国家というものであり・・・・・・、といっても今ここでつらつら論じても致し方ない話。

 午後7時過ぎ、いつもの場所(公会堂横の広場)に行くとすでに舞台では歌謡ショーが始まっていた。Cimg5776ブルーシートの上は観客で埋め尽くされている。大盛況だ。Cimg5777今回で35回を数えるという夏祭り納涼大会。歌謡ショーの主役は大川栄策と田川寿美で、まずは年少の田川寿美の歌で始まった。Cimg5785ただ、この歌手の大ヒットは何だったろうか、と思い出すのだが浮かばない。Cimg57844,5曲目からは舞台を降りて観客と対面して歌った。美空ひばりの「お祭りマンボ」をカバーしていたが、これはなかなか良かった。Cimg5786一通り唄い終わって司会者とおしゃべり。

―去年はご出産されておめでとうございます。お母さんになってまた何か新たな気分とかにー。

「ええ、それはもう、違いますね」

―今年の一月には出産後最初のシングルをお出しになりました。

「はい、花一輪という歌です」

―それでは、アンコール曲として花一輪を唄っていただきます。皆さん盛大な拍手をお願いします!

 というわけで、田川寿美はアンコールに応えて新曲「花一輪」を唄った。歌も歌声もきれいだし姿も良い歌手であるが、なぜか大ヒットに恵まれない。素質はあるが良い意味での「あく」がないのが欠点だと思う。しかしまずは息の長い歌手を目指してほしいものだ。Cimg5788次のステージはご存じ大川栄策。

 デビュー曲の「めん無い千鳥」を唄いながら現れた。懐かしい曲である。それもそのはず、唄い終ってからの挨拶で「デビューして45年になりました」というから、40年以上前のヒット曲である。

 まだ歌手としては駆け出しだったのにいい曲に恵まれたものだ。さすが同じ福岡は大川出身の古賀政男に弟子入りしたことだけはある。その後ややヒットは出なかったが、カラオケ定番曲の「さざんかの宿」に出会って完全にプロ歌手の仲間入りを果たした。

 「デビューしてから45年になりました」のあとには「・・・が、実は私はここで唄うのが夢だったのですよ。今日やっと夢が叶いました・・・」と観客を笑わせていたのであるが、驚くことに大川の母親は指宿の喜入町(現在は鹿児島市喜入町)の出身なのだそうである。

 だから、九州出身であるうえ母方は鹿児島というわけで、鹿児島にはやはり何か懐かしさを感じるのではないだろうか。母親というのは理屈抜きに懐かしい存在であろうから・・・。Cimg5790唄わないなどうしたんだろう―と思っていた定番の「さざんかの宿」はアンコール曲として歌われた。

 そういうプログラムになっていたのか。とまれ、持ち歌10曲の最後はおなじみの歌で締めくくられた。観客も満足したに違いない。

 広場から人々が三々五々立ちあがって帰りかけるのを見計らったように花火が上がり出した。Cimg5804Cimg5817_2Cimg5810終了したのは午後9時。

 ほんの15分の花火ショーだったが、暑さを吹き飛ばしてくれた。































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