« 桜島昭和火口の過去最大の噴火 | トップページ | 「風の森」「気色の神叢」を訪ねる(霧島市国分府中) »

「隼人舞の共演」を観る(霧島市市民会館)

 霧島市の市民会館で「隼人舞の共演」というのが開催されたので観に行った。Cimg6055「共演」とは鹿児島市・鹿児島神宮・京田辺市の三ヶ所で行われている隼人舞を一堂に会し、それぞれの舞を披露するというもので、最初は鹿児島市坂元町の隼人舞保存会の舞が披露された。

 最初は座を祓い清める舞。演じたのは近くの県立東高校の女子生徒。Cimg6059坂元町には「せばる」という地名があるが、これは雅楽にも取り入れられた「催馬楽」(さいばら)が演じられたことから名付けられた。また、近くには「たんたど」という聞きなれない地名があるが、こちらは鼓の「たんたん」、それと大太鼓の「どんどん」という音が響いたことから名付けられている。

 集団の演舞は坂元の「せばる隼人舞」の特徴である。その他に鹿児島商業高校男子生徒による「弓舞」があった。

 続いては鹿児島神宮神職による隼人舞。Cimg6066鉾を手にした二人の踊り手がゆっくりと右に回り或いは左に歩くだけの舞で、隼人の勇猛というイメージとはかけ離れた静謐な舞であった。

 鹿児島神宮創建(708年)時から、「隼人職(はやとしき)」という担当者がいて連綿と舞われているという。

 最後が目玉とも言うべきか、はるばる京都からやって来た「大住隼人舞」だ。1300年以上前に南九州からそこに移り住んだ隼人たちが伝えた舞で、律令制の施行以降は組織化されて宮廷で舞われた。

 しかし時代とともに隼人舞は廃れたが、幸いに鹿児島の日枝神社に神舞として残っていたのを受け継ぎ、大住の月読神社において復活した。昭和46年のことだそうである。(配られたパンフレットから抜粋)

Cimg6069毎年、京田辺市の大住地区にある月読神社で舞われる隼人舞。舞い手も中学生なら弾き手(龍笛)も中学生である。

 全部で6番あり、最初は「お祓いの舞」で舞の場所や周辺を清める舞。手には五色の幣(ぬさ)と鈴を持つ。Cimg6072二番目は「神招(かみおぎ)の舞」。祓い清めた斎庭(ゆにわ)に月読大神はじめ天津神・国津神を招く。五色の幣を垂らした柱が神の依り代となる。Cimg6077三番目は「振剣の舞」。もろもろの不浄や悪霊を祓う。これは勇壮だった。Cimg6079四番目は「盾伏の舞」。盾を持って敵(悪霊)の侵入を防ぎ、神々と人を守る。手にした盾はいわゆる「隼人の盾」で独特の逆S字文様が描かれている。解説によると「邪を寄せ付けない文様」だそうである。しかり。Cimg6083五番目は「弓の舞」。弓を持って、隼人舞にしかない所作をする。パンフレットによると「隼人の始祖である海幸彦は山幸彦に服従するようになったが、その際に海で溺れる仕草<飄掌>(たびろかす)をした」が、その所作のようである。Cimg6086最後の六番目は「松明の舞」。火を敬い、神々に感謝をささげる舞という。中に豆電球(LEDライトだろう)の入った松明に似せた物を二本持ち、振りながら踊り回る。

 すべてが中学生の出演(演舞・演奏)というのには驚かされたが、なるほどこうすれば後継者の心配はないだろうな、と感心もさせられた京田辺市の大住隼人舞であった。

 夏休みであればこうして各地に招かれても差し支えないわけである。彼らにとっても素晴らしい夏休みの思い出に繋がり、故郷を外から顧みるよすがとなろう。

 京田辺市長も来ていて舞台挨拶に立ったが、名物が玉露茶・早掘り筍・一休さんだそうで、一休さんはさすがに鹿児島にはいないが、茶と筍は同じである。霧島市は今年大隅建国1300年記念行事が目白押しだが、この記念すべき年にさらに良いパートナーを見つけたようである。























|

« 桜島昭和火口の過去最大の噴火 | トップページ | 「風の森」「気色の神叢」を訪ねる(霧島市国分府中) »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 桜島昭和火口の過去最大の噴火 | トップページ | 「風の森」「気色の神叢」を訪ねる(霧島市国分府中) »