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検見崎城址を訪ねる(肝付町検見崎)

 昼食後に庭いじりをして汗をたっぷりかき、上半身裸になってもなかなか汗がひかない。玄関前の寒暖計を見ると32℃を指していた。今年の酷熱の8月からすれば3℃ほど低いが、9月に入ってからは平年並みの降雨があって湿度が高くなっているのでこたえる。

 そこで温泉に行くことにした。肝付町高山の「高山温泉ドーム」(やぶさめの湯)がお気に入りで、月に2回は行くことにしている。単純泉だが一応は「温泉」で、成分のせいか石鹸の泡立ちがよく肌触りもよい温泉である。

 のんびり入ってから出たのが5時。まだ落日までにはたっぷりの時間があるので帰り道からちょっと入ったところにある「検見崎(けみざき)城址」を訪ねてみた。

 県道<高山ー吾平>線を高山側から行くと二本松信号(コンビニやミネサキ高山店がある)を吾平方面に直進し、150mくらい走ると「検見崎バス停」があるからそこを左折する(右手には老健施設がある)。左折後約200mで道が二手に分かれ、直進方向に白い屋根付きの看板が見える。その裏手一帯が検見崎城址だ。Cimg6270看板の説明書きは次の通り。Cimg6272検見崎城を築いたとされる検見崎氏は肝付氏初代・兼俊の4男・兼友である。長子の兼経が本家を継ぎ、二男・兼綱は救仁郷氏、三男・兼幸は北原氏にそれぞれなっている。

 2代目の兼経が高山麓地区に入ったかどうかは疑問とされるところで、兼経夫婦の巨大五輪塔(供養塔)が高山地区とは肝属川を挟んだ反対側の東串良町柏原の熊野神社横にあることから見て、入部地は東串良側であろうというのが現在の見方である。

 兼友を始祖とする検見崎氏の居城が、高山麓とは川筋の違う境川流域にあるのも、高山麓には別の土豪的な勢力が居たことを裏付けている。二男は大崎地区、三男は串良細山田地区という入部地だが、やはり高山麓地区を避けている。

 どんな勢力だったかは証拠になる文書などないので分からないが、大きな課題であろう。Cimg6276説明板の後ろ側を通って城内に入ると直径15メートルほどの空間がぽっかり空いている。城の地割り上、ここが何に当たるのかは全く分からないが、左手に坊さんの墓を含む5基が、真ん中やや西側に二本の石柱と宝塔が建っている。Cimg6277石柱二基のさらに右手(西)、竹藪から始まる崖のふちに4つの石造物がある。手前は「六地蔵塔」、真ん中は人物像だが不明(田の神ではない)。右手は五輪塔を彫り込んだ塔婆。後ろには小さな五輪塔が見える。それぞれ時代の違う物のようだが、廃仏毀釈の嵐の中で残ったものをこうして並べてあるのだろうか。Cimg6279空間の真ん中近くにあるこの宝塔は、説明看板によると「初代・兼友の供養塔」らしい。左側の灯篭らしい石柱の側面に「文化十年」の刻字が見えるので間違いない。

 これを建立したのは文化10年(1813)当時の検見崎家当主(第20代)だった検見崎大右衛門という人物で、この人は17年後の文政13年(天保元年=1830)に嫡男のいなくなった肝付本家(島津氏に敗れ、1580年に高山から阿多12町へ改易)27代を継ぎ、肝付兼明となっている。その時の石高は700石だったという。(『高山郷土誌』347ページ)

 天文の頃(1530~50年)に最大の10万石とも12万石とも言われる戦国大名であった肝付氏本家も落ちぶれてしまったものである。

 同祖の検見崎家は本家の阿多改易後もしばらくは高山に残っていたようだが、江戸時代の初めごろ末吉郷に移住し、その後の経緯は分からないが、文政13年に兼明が本家を継いだころは鹿児島城下に居たようである。

 検見崎城は城といっても南北朝期以降の山城といった造りでは全くなく、すぐ下を流れる境川に面した「領主館(やかた)」でしかなかったように思われる。それだけ防御態勢には向いておらず、むしろ古いタイプの城なのだろう。鎌倉初期の築造であれば兼友の時代に重なるので、築城主は兼友に違いない。Cimg6283説明看板の前の道を比高で20mほど下った所を流れる境川とそこに架かる「検見崎橋」。検見崎橋の向こうのなだらかな丘の一角が検見崎城址。Cimg6282境川が開析した田んぼ地帯。見える範囲で5~6町はありそうだ。検見崎氏はこの辺り一帯の田園を背景にして400年近く勢力を維持した。今もなお田んぼは孜々として営まれている。




















 

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