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大隅湖の紅葉と垂水の千本イチョウ

 昨日の11月29日、大隅湖と垂水の千本イチョウの紅葉・黄葉を見に出かけた。

 大隅湖までは鹿屋中心部から国道504号(通称・空港道路)で高隈方面へ約13キロ、国道のすぐ左手にダムサイトの建物等が見えるから左折をしてダムの堰堤(高さ47m)の上を通り、小さなトンネルを抜けて大隅湖湖岸道路に入って行く。

 ここから大隅湖最上流部にある「アジア太平洋農村研修村」までの湖岸が紅葉の観賞道路となる。春は桜のトンネルにもなる。Cimg7203 湖岸道路に入って200㍍ほどの最も紅葉の木が密集した一角。木によって違うが完全に紅葉したのもあれば、何割かがまだ緑のままのもある。Cimg7205 大隅湖を見下ろせる場所。この湖は高隈ダムによって出来た農業潅漑用の人造湖で、昭和42年に完成した。周囲は約10キロ、湖岸道路は上流部から見て右手を湖岸沿いにうねうねと走る。Cimg7201 紅葉は湖岸道路の下流部(南側)に多く、46年前のダム完成の当時に植えられたにしてはそれぞれが結構な太さになっている。Cimg7206 おそらく最大の紅葉の樹。目通しの直径は50センチを超えている。根張りがよいのだろう、枝も四方八方に大きく広がっている。風格さえある巨樹だ。Cimg7208 赤味がなくほとんど黄葉したモミジ(?)もあった。

 上流部のアジア太平洋農村研修センターの民族館前まで来ると、湖岸道路は県道71号(垂水・南之郷線)に行き当たるので、それを左折して垂水方面へ。高峠への道である。

 串良川最上流部に沿う(といっても川は全く見えない)約4キロほどの登り坂を経て、高峠への分岐点へ。そこからは垂水への下り坂となる。約6キロほど下ると目指す「千本イチョウ」だが、大隅湖からここまでの10キロは道路に桜島の降灰がうっすらと積もっていて、前を行くトラックの後輪のダブルタイヤが巻き上げる灰神楽に悩まされた。Cimg7223 午後の2時半過ぎだというのに次々に駐車場に入ってくる車、車、車。県外ナンバーは少ないが、鹿児島市内からフェリーでわざわざ訪れる客が多いに違いない。観光バスも何台か見えた。Cimg7209 イチョウはちょうど黄葉の見頃で、イチョウとイチョウの間や高低のある箇所もなだらかに整地してあるので、車いすのお年寄りでも十分に楽しめる。Cimg7213 上を見上げるとまさに黄葉のトンネルだ。イチョウの枝は比較的真っ直ぐに上に伸びるので、幾何学的で面白い。Cimg7217 団体客もちらほら。Cimg7219 駐車場に近いこの部分と、やや離れた斜面にも展開する千本イチョウ。向こうに噴煙で霞んだ桜島が見えているのだが、噴火さえなかったらすっきりと綺麗な山容が望まれるのに残念だ。

 この千本イチョウは中馬吉昭さんという方が、もとはミカン園だったのを改植してイチョウ園としたそうだ。約30年前のことという。面積は4、5ヘクタール(東京ドーム3個分)で、実際には1300本植えられている。

 今や垂水の数少ない観光名所の一つとして脚光を浴びているが、その蔭には30年に及ぶ中馬夫妻の惜しみない努力があったからこそである。しかも無料で開放しているのは、奇特としか言いようがない。人を楽しませ、喜ばせ、それがまた自分の楽しみであり、喜びでもあるということか。有難き人である。Cimg7224 千本イチョウ園の駐車場から見える錦江湾と開聞岳。

※曇天の日だが午後3時というのに夕方のように薄暗くなっているのは桜島の噴煙のため。桜島の噴火・爆発はここ4年ほど年間800回以上を数えている。来年明けて1月12日は大正大噴火(大正3年=1914年)からまる百年だが、マグマの供給量はその大噴火の前の量にほぼ匹敵するまでに回復してきているそうだから、熔岩の流れ出すような大噴火が近いうちに起きて何の不思議もないらしい・・・。

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新生児取り違え損害賠償訴訟と判決

 60年前に同じ産婦人科で生まれた二人の新生児がすぐに取り違えられ、別の両親に育てられたが、最近(と言っても4年前)に取り違えられたことがDNA鑑定で判明し、病院側に3800万の損害賠償を支払うよう命じる判決が出た、というニュースが流れた。

 昭和28年3月30日生まれの原告は本来なら富裕な家庭の長男であり、間違って引き取られた家庭では末っ子で家は貧しく電化製品であるのはラジオだけというような暮らしだったという。そして中学を出るとすぐに働きに出てかたわら定時制高校に通ったそうだ。Cimg7168 取り違えられて原告の家に引き取られた新生児は、家庭教師を付けてもらって大学まで進み、現在は不動産会社の社長になっているそうである。原告本人は中卒で入った会社勤めの後、現在はトラック運転手をしているが、その身分差は明らかで、裁判では大学卒での生涯賃金と中学卒での生涯賃金の差額が賠償額3800万円に表されているようだ。(画像は読売テレビの「スッキリ」から)Cimg7173_2 自分がもし実の家で育てられたら取り違えられた男性同様に大学を出て、自分の夢を持って叶えられたのではないか―原告はそう話した。そう思うのは当然のことだろう。 可能ならば60年前の3月30日に時間を戻してもらいたい―とも言う。Cimg7194 そもそも訴えを起こすきっかけとなったのが、原告の元に育った男性は「長男なのに父の介護をしようとしない。容姿や性格が自分たちと似ていない」との疑問を弟たちが持ち、DNA鑑定を依頼したことからであった。もっとも生前の母親もこの長男には多少の違和感があったようで、そのことも鑑定に踏み切る要因であったようだ。

 その結果は、ほぼ100パーセント遺伝子的なつながりがない―だった。それから二人が生まれた産婦人科医院に問い合わせ、ほぼ同時間帯に生まれた原告を特定して探し出し、4年前に原告に連絡が行き、DNA鑑定で取り違えが確定したそうである。Cimg7198 別の場面では原告の実の両親の裕福な家をA家、原告の育った貧しい家をB家としており、B家には既に故人の3男がいたとしてある。こうなると両家とも4人の子供全員が男子という状況まで似ている。偶然といえば偶然だが、何かしら偶然ではないものを感じてしまうのは自分だけか。

 本来なら長男だったのが、育ったB家では末っ子というのも計らいがあったのではと思わせる。

 何の計らいか―非礼を顧みずに言うと、「子育て」(子供から見れば「子育ち」)の得難い実験のように見えてくるのである。人為的にやったらこれは立派な犯罪だが、新生児という段階で、故意にではなく(人為的にではなく)取り違えられて、育てられ、60年近い人生を送った二つの人生模様が客観的に第三者に分かるように描かれてきたわけで、まさに「氏より育ち」ということが真理であることを証明して見せてくれているのである。

 原告が本来なら裕福な家庭で育ち、家庭教師も付けられて有名大学へ進学し、それ相応の人生行路を営んだであろうことは想像に難くないし、取り違えられて貧しい家庭で育ったために希望に反するような人生を歩まざるを得なかったことには満腔の同情を禁じ得ない。

 しかし果たして「それ相応の人生行路」が順風満帆のものであったかどうかは分からないし、よくあるエリート家庭での確執や兄弟間トラブルから自由であったかどうかも分からない。エスカレーターコースから外れたらもう終わり―という貧しい家庭から見たら贅沢な進学・進路問題で悩み続け、一生を棒に振る人生だってある。

 我が家のことで気が引けるが、両親が教員、兄弟は同じ4人(ただし一番上は姉)で、その頃の平均値以上の家庭だったが、末子の弟が精神病を患い、16歳頃から通院・転入院の繰り返しで、32歳の若さで世を去った。我が家は外目からは裕福とは言えぬまでも暮しには全く困らず、どうして弟がそうなったかといえば、核家族であったため母親との関係が常に疎遠な状態であったことが最大の原因であった。

 弟はせっかくの恵まれた才能を生かし切れずに果ててしまった。人生行路の20パーセントも生きただろうか。経済的には多少のゆとりもあったのに、心のゆとりがなかった。弟が悩んでもそれに寄り添う親、とくに必要な母親の姿が乏し過ぎた。こんな家庭環境も親によっては演出してしまうのだから、人は(家庭は)見かけによらない。

 番組の最後の方で、実の弟たちが原告である兄へ、「60年は取り戻せないけれど、あと20年の人生をともに過ごして行こう」と言ってくれた―とあったが、心豊かな素晴らしい弟たちではないか。

 

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眼が泳いだ記者会見

 22日の猪瀬東京都知事の記者会見ほど「眼が泳ぐ」という意味の分かるイベントはなかった。

 記者団からの質問に対して何度も躊躇するたびに、これでもかと眼が泳ぎまくっていた。Cimg7147_3 一番眼が泳いだのは「誰から5千万円を手渡されたのですか?」という質問に対してだった。(画面は今日の『関口宏サンデーモーニング』から)

 言うべき必要はないと思う、との返答に、さらに突っ込まれると、とうとう「徳田毅議員です」と認めた。徳洲会病院という組織ぐるみの選挙違反で、親族や関係者から逮捕者が続出している火中のトップ(実際のトップは父の虎雄だが、社会上のトップは衆議院議員である息子の毅である)から直々に手渡されたとはさすがに言いにくかったのだろう。

 資金提供を自らが依頼したのか、選挙資金ではなかったのか、どこで渡されたのか・・・等々、言いよどむ場面と眼の泳ぐ場面とが延々と続き、これには猪瀬知事も堪えたろう。あの東京オリンピック誘致成功の時の晴れやかな自信に満ちた表情とは雲泥の差だ。Cimg7140_3 13日に東京地検特捜部が家宅捜査をしたところ、徳田寅雄氏の妻の関係先に5千万円が現金で保管されており、妻は画面のように述べたそうだ。

 だが、この返済は徳洲会に捜査が入り、逮捕者が出てからのことだから、辻褄合わせの慌てふためいた返済だろう。一年も前に借りたわけで、たとえ本当に「借りたけれど使わなかった」のであれば、少なくとも都知事選挙が終わり、当選が決まってからすぐに返すはずのものだからだ。それが、一年近く後のこの時期になってから返したというのは、「あの金がヤバイ組織からのヤバイ金となりそうだから、何とかかき集めて使わなかったことにして返しておくに限る」と考えてのことではないか。Cimg7149 個人的な借金であり、選挙資金ではないーと述べ、画面のような言い方をしているが、選挙に出るという挨拶に回った先でポンと5千万円はないだろう。常識的に考えて「選挙費用の足しにしなさい」ーとして渡されたに違いない。依頼したかどうかは別にしても、だ。

 ここは白黒を自ら発表した方がよい。あるいはもしかしたらこの選挙資金がらみの資金提供を持ちかけたのは、猪瀬知事の前任者で徳田虎雄氏との親交の篤い石原前東京都知事の「入れ智恵」だったかもしれない(考え過ぎか?)。

 せっかく東京都知事選始まって以来の最高票で堂々と当選し、その後の手腕ーとくに東京にオリンピックを誘致したことで選挙民である東京都民の評価も高い(筆者はさほど評価しないが)のだから、この際、しらを切らずに「白状」したらよい。たとえ検挙されて一度は野に下っても、再選挙では返り咲くに決まっている。

 一度解職されて、浪人し、その後に再出馬で当選したら、ちょうど自分の時に誘致したオリンピックが開催される巡り合わせになろう。それはそれでドラマチックなことではないか。

 ※猪瀬都知事が25年前に著した『ミカドの肖像』(1986年・小学館発行)を最近読み終えたばかりであった。ここで「ミカド」というのはもちろん日本の天皇のことなのだが、カタカナ表記は、実はその数年前にちょっとしたブームになったフランスの二人グループ歌手(デュオ)が「ミカド(MIKADO)」という名であり、なぜそのような名を付けたのか、という疑問がこの書の枕となっていて、これと日本の天皇の不可解さとが渾然として展開して行く一種の推理小説の面白さがある本である。

 中で、自分が惹きつけられたのは、西武グループの創始者・堤康次郎が皇族や貴族の好んだ軽井沢の別荘地開発により今日に及ぶ大資産を形成したことと対比させて述べている京都の北山の山中にある「八瀬村」のことである。

 八瀬村には「八瀬童子(やせのどうじ)」という伝統職の人たちが住んでいる。その人たちの起源は、

 ―八瀬村のこうした伝統(明治維新以来、地租税が免除され、それは昭和20年まで続いた)の縁起は、後醍醐天皇が足利尊氏の軍勢に追われて比叡山に逃げ込んだ延元元年(1336年、南朝歴では建武3年)にまで遡ることができる。八瀬童子は、神輿の形をした乗り物に後醍醐天皇を乗せ、比叡山の頂上まで送り届け難を救った。天皇家と「鬼の子孫」と称された村との独特の関係はこの伝説を拠りどころに成立していた。(同書・173ページ)

 また、

 ―明治維新で江戸が東京になり、千代田城に明治天皇が入城する際、百余名の八瀬童子が神輿の形をした鳳輦(ほうれん)を担いで京都を出発した。京都で、天皇家とその藩屏たちの運搬係であった八瀬童子は、新政府の中に位置づけられることになった。天皇家の行事は、私的なものから公的なものへと回復するのだが、それに伴い、八瀬童子の役割も公的なものに切り換えられていく。しかし、免税特権については、近代官制の例外として認められるのは困難であった。  そこで宮内省は、地租税金に相当する金額を八瀬童子に下賜するという、少しまわりくどい方法を採った。また、明治天皇東上の際、八瀬童子が若干名、雑用係として千代田城に残されたが、その既成事実を追認して16名を公務員として採用した。戸数130余りの集落であったから、十軒に一軒は安定した俸給生活にありつけたことになる。(同書・175ページ)

 このような人々の村が京都の山中にあり、後醍醐天皇の時代から昭和20年まで特別な扱いを受けていた―という認識(発見)は、猪瀬氏の驚きであり、読者の驚きでもある。

 後醍醐天皇の時代から明治維新後の明治天皇東京行幸まで、事あるごとに天皇用の神輿の形をした鳳輦(ほうれん)を担いだ八瀬童子を再発見した猪瀬都知事なら、「千代田城は皇居にふさわしくないから京都御所に還っていただこう」という「還幸」を推進できる知事だろうと思うから、是非とも、出直しをしてでも頑張ってもらいたいと自分は思っている。

 

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初霜・2013年秋

 昨日の夕方はよく晴れて夕焼けがきれいだった。

 ウメの散歩をする頃には風が無いうえ、かなり冷え込んできたので、明日の朝は霜が降りるかもしれないと思っていたが、案の定、今朝の散歩に出たらかなりの霜が降りていた。Cimg7119_6 南側の畑には一面の霜が降りている。初霜にしてはキツイ霜だ。Cimg7115 畑の畦に刈られて乾燥し切った草の上も真っ白だ。

 ウメの散歩から帰った6時40分頃、玄関前の寒暖計は何と0.5℃を指していた。7時のNHKニュース・鹿児島版では、北部の大口市が-2.0、大隅では一番寒いとされる福山町牧之原で同1.0と今秋では最低気温を記録した。

 それでも去年に比べると暖かい。去年は11月1日に軽い霜(初霜)があったあと11月中に3回、都合4度の降霜があったのだから。

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「衆院選挙一票の格差違憲訴訟」に思う

 去年の衆議院議員選挙で、千葉とか東京では50万票とっても落選するのに、地方では25万票で当選するのは「一票の価値に2倍の格差があり、このような選挙は無効であり、小選挙区の見直しを求める」との訴えに対して最高裁は「違憲状態だが違憲とはいえない」という結論で訴えを退けた。Cimg7105

 「違憲状態だが、違憲ではない」との見解はいただけないが、違憲でないことは明らかだろう。なぜなら、地方の民主状況と大都市の民主状況ではもともと並列に考えるのが不思議なくらいの格差があるからだ。

 というのも、まず投票率である。大都市では50パーセントを超える選挙が珍しいだろうが、地方では70パーセントはおろか80パーセントもの投票率がある。これから判断するとどっちが民主主義の根本条件である投票行為に忠実であるかが明快ではないか。

 そもそも大都市のように投票率が50パーセントに満たない選挙そのものが成り立つのか? それこそ民主主義の危機ではないのか? 地方から裁判所に訴えたいくらいだ!!「大都市の投票率は、ほとんどどの選挙でも50パーセントに満たない。このような選挙は民主主義とは言えないから無効である」と。

 もう一つ、地方では一人の議員の守備範囲がとてつもなく広い。選挙運動一つとっても大都市の苦労の数倍はあろう。議員になったとしても日々の広範囲な訴えに聞き耳を立てなければならないし、その行動範囲は大都市の議員の比ではない。

 地方の人口減は大都市の人口増にほぼ比例している。この問題こそ真剣に考えなければならないのに、弁護士会よ、問題の提議そのものが間違っているぞ! 地方はどうなってもいいのか! 地方じゃ弁護士活動もままならず、おまんまの食い上げなんで大都市の肩を持つのだろう。

 こんなバカげた活動に精力を費やすなら国連に行って次のように訴えてはくれまいか。

 「日本は人口が1億2千万、国連分担金も世界でも最高額を拠出している。だが、人口が500万で分担金もままならない加盟国と、総会などにおける投票は同じ一票である。日本の一票の価値は分担金の問題を考えないにしても、人口500万の国の0.04票の価値しかない。これでは不平等ではないか。国連総会における是正を要求する。」と。

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キャロライン・ケネディ新駐日大使の赴任

 アメリカの新駐日大使に決まったケネディ元大統領の娘・キャロライン・ケネディが来日した。何でも故ケネディ大統領が、アメリカの大統領として最初の訪日を計画していたが、凶弾に倒れたため果たせなかったその遺志を継ぎたいとのたっての希望で大使就任を勝ち取ったらしい。 Cimg7086 空港に到着したキャロライン・ケネディ。二人の女性SPが付いている。Cimg7085_2 記者会見では何と芭蕉の奥の細道の一節を引き合いに出して、いかに日本に来たかったかをアピールした。Cimg7081 故ケネディ大統領夫妻。

 ケネディ大統領は今からちょうど50年前の1963年11月22日、テキサス州ダラスの街中をオープンカーで移動中に、かなりの距離からのライフル銃の狙撃によって暗殺された。

 実はこの暗殺に関しては生々しい記憶がある。

 というのは、そのころ自分は中学2年生で、翌23日は同級生たち何名かとともにハイキングに行くことになっていた。勤労感謝の日の23日の朝早く、一緒に行く友人の家を訪ねて待っていると、別の友人がやって来て開口一番こう言ったのだ。

 「松ちゃん、ケネディ大統領が暗殺されたんだってさ」「ええっ!!本当かよ!」

 もう二の句が継げなかった。早く出て来たので、自分はテレビのニュースを多分見ていなかったのだと思う。<なぜ殺されたのだろう。アメリカという国は恐ろしい国だな・・・>などと感じたことを思い出す。Cimg7082_2 キャロラインは20歳の時に父の弟のエドワード上院議員と一緒に来日し、広島を訪れている。同じ訪日では京都などにも行き、日本への愛着を深めたらしい。Cimg7083 数年後に結婚をし、その新婚旅行では日本を再訪している。Cimg7078 一男二女の3人の母親でもある。

 キャロラインは知日派というよりは「親日派」だろう。政治的手腕はさほどない―とは大方の見方であるが、もともと大使の任務はその国との儀礼に関すること、つまり交際面が強いわけで、それだったらこの際ぜひやって欲しいことがある。

 それは彼女の口から直接天皇へは無理にしても、「天皇は江戸城にお住まいですが、それよりやはり千年以上続いた平安京(京都)のほうがお似合いです。歴史の浅いアメリカが逆立ちしても日本に及ばない最上の一点がそれでございます。」―と。

 そうすれば案外外務省が動き、首相をも動かし、天皇の京都への帰還(還都)が現実のものとして日程に上ってくるかもしれない。期待したいキャロライン・ケネディ。

(追記)

 11月19日、ケネディ新大使は皇居に向かい、天皇にアメリカ大統領の信任状を捧呈した。Cimg7090 新しく大使が任命されてわが国に赴任すると、東京駅から皇居までパレードをする。Cimg7098 パレードには「馬車」または「乗用車」が使えるのだが、ほとんどの各国大使は馬車をリクエストするそうだ。

 この馬車は明治時代に日本で作られたもので、「儀装馬車」とは儀礼用の馬車ということである。Cimg7095 馬車の中のキャロライン・ケネディ。あのあふれんばかりの笑顔は鳴りを潜め、緊張の面持ちになっている。Cimg7101_2 天皇に信任状を手渡し、軽く握手を交わす。右手の岸田外務大臣が手にしているのが信任状だが、シャチこばった姿勢でいるのが面白い。

 握手のあと、陛下は10分ほども「立ち話」をされたそうだが、どんな内容だったのだろうか。まさかキャロラインは「江戸城の皇居より京都の方がお似合いで・・・」などと言いはしないだろう。いくらなんでも、儀礼中の儀礼の席なのだから・・・。

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「かのやばら祭り2013秋」のステージ

 かのやばら園の秋祭りも残すところあと二日となった今日(11月16日)、午後のライブイべントとして3組のステージが催された。

 まず第一ステージは、荒川美咲の登場。Cimg7033 この人は鹿屋市出身で4年前に音楽がやりたくて福岡に行き、ストリートライブを行う傍ら各種のオーディションを受けるのだが、受からず、そうこうしているうちに2年前に筋無力症を発症し、いったんは鹿屋に戻ったが再起して福岡に戻り、5月にあったNHKのど自慢鹿屋大会にも出場して合格している。Cimg7032 合間のトーク。最近は福岡のラジオ局などにも呼ばれて出演し、歌を披露しているらしい。Cimg7037 すべて弾き語りで、自身の作詞作曲の曲を4曲(「教えて」「ありがとう」「光」・・・)歌ったが、なかなか声量のある伸びのいい声をしていると思った。「教えて」は生きている意味を教えて欲しいーという内容だが、心に残った。譜面の裏に「夢叶う」と大書してあったが、そう願う。

 第二ステージは、御存じ英明。Cimg7040 徳永英明のカバーリストとして全国区になったが、今回もまずは「壊れかけのラジオ」から。Cimg7042 徳永英明が比較的最近になってカバーした「百万本のバラ」を、早速カバーした英明。こんなに間近で聞くことはなかったのだが、声の張りと声量は相当なものだ。Cimg7044 東京のテレビ局などに多々出演しているせいか、トークの方も堂に行ったものだ。人間何事も場数を踏むことだな、と思った。

 何でも、今年の6月から鹿屋を離れて東京に本拠地をを移したそうである。マネージャーは宮崎出身者ということで、英明が売れるかどうかはその人にかかっている。

 英明の物真似で、これまで徳永英明を知らなかった世代が徳永の歌にほれてCDを買うという現象が起きているとも言う。ちょうどあのコロッケが美川憲一の物真似をしてから美川が再ブレークしたのに似ている。だが、コロッケにはそれだけでは収まらないタレント性があって今日を築いている。英明の方はどうか・・・。気長に続けつつ、タレントとしての新しい方向性を磨いて行って欲しいものだ。

 第三ステージは以前にも見たことのある鹿屋エイサー倶楽部の演技。Cimg7058 全部で10曲くらい披露したが、ハードな動きは迫力がある。Cimg7065 踊りながら太鼓を叩きながら笑顔を絶やさないのがいい。Cimg7063 ドラえもんの扮装をした演者には驚いたが、保育園や幼稚園などに呼ばれて出演する際のアイテムだろう。子たちは大喜びに違いない。

 

 園内はまだまだバラが咲き誇っている。もちろん春ほどのボリュームも花の数もないが、一輪一輪の色合いはすっきりと鮮やかなものが多い。Cimg7047 Cimg7048 Cimg7053 11月一杯はこんな花々が見られるようだ。明後日の18日からは通常の入園料300円に戻るので、お得である。

 

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ポールマッカートニーが大相撲を観戦

 夕方5時過ぎ、大相撲福岡場所を見ていたら、画面が客席を映し出した。そこには外人(白人)の夫婦が写っていた。

 よく見ると、何とあのビートルズのメンバーで、ロンドンオリンピックの開会式の時に競技場で「ヘイジュード」を弾き語りで唄ったポールマッカートニーではないか。Cimg7025 ビートルズ4人組の生き残りポールマッカートニーと何度目かの妻。

 福岡で明日15日に公演があるそうで、その前日に大相撲を観戦しているというわけである。公演はヤフードームだからすぐそこだ。

 ちょうど高校一年生(昭和40年=1965)だったと記憶するが、ビートルズが初来日し、大変な騒ぎになったのを覚えている。何人かの女子が学校をさぼって見に行ったようであった。

 ほぼ50年前の、今は昔の物語だが、この人は今まだ70歳位で、当時の面影がそのまま残っている。西洋人としては稀有に若いから一目見て記憶からよみがえった。

 ヘイジュードをはじめイエスタデイ、イエローサブマリン、恋の片道切符・・・などなどよく歌ったものだ。日本でもグループサウンズが流行り、エレキギターの聞こえぬ日がないくらいラジオで、テレビで、街中で、流されたものだった。

 高度成長の一つの象徴でもあった猥雑な繁華街の雑踏とロングヘアーの若者たちの時代―懐かしく思い出す。・・・歳を取ったなあ。

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「五族協和な菊たち」の開花宣言

 このところの冷え込みは強く、一昨日の最低気温は6℃ほどで今秋の最低を記録したのだが、今朝、ウメの散歩を済ませてから玄関先の寒暖計を見ると5.5℃だった。あと1度下がれば軽い霜が降りたかもしれない。去年は11月1日に霜が降りている。

 寒さがつのると花を開き始めるのが庭の菊たち。Cimg7015 この藤色の野菊のようなのが最初にこの庭に植えたもので、もう10年選手だ。下にぽつんと顔を出しているのが交配種の自称「日の出菊」。ただし、交配と言っても自然分化であるが。Cimg7013 マーガレットのような真っ白いのも生まれた。これもまだ野路菊(ノジギク)の雰囲気をもっている。Cimg7016 藤色から白が抜け切ったような鮮やかな濃藤色。これなど園芸品種と言ってもおかしくない。Cimg7014 濃藤色の菊の外側半分から色が抜けて、白っぽくなってきたのがこれで、名付けて日の出菊。蕾のうちはかなり黄色味を帯びているのも特徴の一つ。その黄色味が特化したのが次の黄色菊。Cimg7012 形こそ最初の元菊に似ているが、色は似ても似つかない。

 この五族(種類)はごく近接した場所に咲いている、というか、棲み分けている。この棲み分け状態(協和)はここ4年ばかり続いているから、もうこれ以上の分化はないかもしれない。

 あと変化があるとすれば人工か、突然変異でも待つしかない。多分、土壌の条件を思い切って変えれば色などに変化が現れるかもしれないので、来春、同じ種類ごとに二本ずつ差し芽を作り、土壌条件を変えた植木鉢で実験でもしてみようか。

 それと、来年は一鉢でも「懸崖菊」に仕立ててみたいと思っているので、乞うご期待!

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偽装話二題

 このごろ世間を賑わせるものというと、メニューの偽装と中国のミニテロ事件。

 レストランなどのメニューの偽装は今に始まったことではないが、今回は桁外れの数のホテルや料亭などが槍玉にあげられた。

 昔からある偽装は、「鴨南蛮」というソバにトッピングされている鴨肉が実はニワトリ肉だったというもので、客も「年がら年中鴨が捕れるわけがない。鶏肉でも仕方がない。それはそれでいい」―という了解があって槍玉にあげられもせず、堂々と定番のメニューになっていた(今でもあるかもしれない)。

 それに比べると、今回のは明らかに手の込んだメニューが、逆に足を引っ張って「偽装」とされている。

 <霧島ポークの上海式蒸し焼き>なんてメニューは、いったい誰が考え出したのか、いかにも「わがレストランは他店と違うコンセプトで料理を出していますから、どうぞ召し上がれ」と一味もふた味も他店との差別化を図ったのだろうが、それがかえって偽装に拍車をかけてしまった。

 最初の頃はこのコンセプト通りに、鹿児島県霧島山麓産の豚肉を「上海式に」蒸し焼きにして出したのだろうが、そのうちに―どこのポークでも同じだ、上海式と言っても分からないし手間がかかる―ということで霧島ポークでも上海式でもなくなって行ったのに、相変わらず「他店との差別化を図る当店独自のメニュー」ということで、看板を下ろせなくなったのだろう。

 偽装と怒るよりも、呆れて、むしろ滑稽ですらある。ニュースのインタビューの中で、「おいしいのだから、無理にそんなめんどくさいメニューにしないで、正直に書いてくれたらよかったのに・・・」という主婦らしき女性が言っていたが、その通りだ。あほらしい話。

 偽装と言えば、本場は中国。

 その中国で、天安門広場の毛沢東の写真の掛かったすぐ近くに突入して炎上した車は、東トルキスタン人の怒りを象徴していた。

 東トルキスタンは清朝の頃は「新疆」と呼ばれていた地域である。満州族である清朝の王族とも、多数の国民である漢民族とも違う「ウィグル族」が古代から住んでいた。

 清朝時代は朝貢さえしていれば、自治は認められ、宗教のイスラム教に対する弾圧はなかったが、清朝が崩壊して中華民国(国民党)が成立すると引き締めが強まった。

 第二次大戦後に国民党政府が共産党政府に取って代わられると、「宗教はアヘン」をテーゼとする共産党一党支配のもとに弾圧が始まり、さらに漢民族の移住政策によってウィグル族はどんどん押し込められ、紛争の火種となって現在に及んでいる。

 清朝時代の昔、漢民族は満州族に支配されていたのだが、今度はウィグル族が漢民族に支配されている。「満州族への仇をウィグル族でとる」とは漢民族も成り下がったものよ。中国よ、東トルキスタンはウィグル族へ返せ。

 同じことはチベット問題でも言える。中国共産党政府よ、チベットはチベット人に返せ。中国は国際紛争を話し合いで解決しようとする国連安全保障理事会の常任理事国ではなかったのか!!

 そもそも中華民国(台湾)に代わって、中共政府を大陸の正当な国家と認めるとしたアメリカが勇み足をおかしたのだ。ニクソン大統領の時代に特別補佐官だったキッシンジャーは日本がLT貿易などで中国と密接な関係を築きつつあるのに危機感を覚え、こともあろうにアメリカの最大の敵共産主義の中国と、日本の頭越しに手を結んでしまった(1972年。国交樹立は1978年)。これが今頃になって裏目に出ているのだ。

 世界のどの国も中国共産党政府のやり方を良いと思っている国はない。良いと思っているのは自民党保守派で中国と国交回復を果たしたと自負する田中角栄時代の執行部連中だけだ。(自慢するほどでもない。先にアメリカが国交樹立したから出来たのである。その証拠にアメリカが台湾を斬り捨てると、日本もあっけなく同調してしまったではないか。アメリカの犬と言われても仕方があるまい。)

 日本と共同宣言を結ぶ直前に南シナ海域に海底油田が発見されると、「領海問題は棚上げにしましょう」と言って、田中角栄を煙に巻き、その後はそれまで日本の沖縄県に属すると表示してきた地図を回収してせっせと書き換えた中国。偽装者の面目躍如。

 1978年に日中平和友好条約が結ばれると、ODAという名の多額の援助・借款をせしめたのは棚に上げて、いまだに「南京大虐殺30万人」などとありもしない<日本軍の蛮行>をでっち上げて恬として恥じない中国。

 その頃、中国から「カラスの鳴かぬ日はあっても難民船の来ない日はない」ほど密入国船が押し寄せたが、その処理にどれだけ日本の海上保安庁や外務省が苦労したかは素知らぬ顔。その保安庁の船に漁船が体当たりして何のお咎めも無いことをいいことにして、帰還した船長は英雄扱いした中国。

 つい、今朝のニュースで、不正に手に入れた日本円を中国人民元に替えるべく送金したとして主犯の中国人が逮捕された―とあった。

 窃盗団に必ずいる中国人。中国から研修生として来日して働いている職場の同僚を殺した中国人。カナダに高跳びしていた15年くらい前のスーパーストア女性3名殺害事件容疑者の中国人。大分県で研修でお世話になった社長を殺し、金品を奪った中国人。

 こんなどうしようもない悪党・殺人鬼を送り出している中国。

 こんな政府は早く崩壊してくれ!

 

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新「男はつらいよ」の放映が始まる

 10月12日(土)からBSジャパンで新シリーズ「男はつらいよ」の放映が始まった。Cimg6965 渥美清の主演する「男はつらいよ」は初めテレビ放送で単発のドラマだったのが、好評を得て2回、3回と延長されて行くうちに映画化が始まり、そうこうするうちに正月映画の定番となり、都合48回の大シリーズとなった。けだし日本映画界の傑作である。

 放送が中学生の時だったか、高校に入った頃だったかの記憶はあいまいだが、当時の任侠やくざ路線や日活ポルノ路線とは一線を画しており、といってホームドラマとも違う何かペーソスのような物が底に漂っていて、もう一度観てもいいなーと感じたものだった。Cimg6969 これは新シリーズの第3作からのもの。岐阜の山奥に商売に行った寅さんの例の人情話である。Cimg6972 この作あたりから、寅さんが地方へ行くときの時期はおおむね初冬(年の暮れ)の頃で、そのまま向こうで年を明かし、神社などへの参拝客相手に的屋の商売をする―というパターンが定着して行った。

 風景も舞台背景も極めて日本的な情趣を醸し出していて、同じように旅を繰り返す股旅物とは一線を画したところが「男はつらいよ」の特徴であり、渥美清の軽妙洒脱なセリフと相俟って長寿シリーズを展開したゆえんだろう。

 このBSジャパン番組で毎週土曜日に一回ずつ放送するとなると、全48話だからほぼ1年かかることになる。ビデオの録画予約に余念のない週末になりそうだ。(現になっているサ。)

(追記)―と言うには早すぎるが、寅さんの歌うテーマ曲について・・・・・・これまでは可愛いい妹<さくら>への詫び状のような1番にばかり眼、いや耳が行っていたのだが、2番の歌詞にぐっと胸に来るものがあったので、ここに書き留めておく。

 1 俺が居たんじゃ お嫁に行けぬ 分かっちゃいるんだ妹よ

   いつかお前の喜ぶような 偉い兄貴に 成りたくて

   奮闘努力の甲斐もなく 今日も涙の日が暮れる 日が暮れる・・・

 2 どぶに落ちても 根のある奴は やがては蓮の花と咲く

   意地を張っても 心の中じゃ 泣いているんだ 兄さんは

   目方で男が売れるなら こんな苦労も 

   こんな苦労もかけまいに かけまいに・・・

    ・・・男というものつらいもの 

      顔で笑って 顔で笑って 肚で泣く 肚で泣く・・・

「根のある奴」とは、「心に希望の根っこがある奴」ということで、挫けそうになりながらも辛抱に辛抱、耐えに耐えてどんなに遅くともおのれの希望の一つでもかなえる人間ということ。ああ、そうだよなあ。「忍びがたきを忍び、耐えがたきを耐え」・・・泣けてくるよナァ。)

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鹿児島史談会から『鹿児島史談』を恵贈される

 先日、鹿児島史談会から『鹿児島史談 百周年記念号』(発行:鹿児島史談会 平成25年10月11日発刊)を恵贈された。Cimg6930 本書掲載の「鹿児島史談会の発足について」(山下玄洋著)によると、鹿児島史談会は大正2年(1913)6月8日、城山公園「浩然亭」において有志9名で発足している。その時のメンバーは次の通り。

 猪谷宗五郎 武藤長平 名越那珂次郎 伊地知茂七 加藤雄吉 

 坂田長愛 東郷重毅 遠矢才二 池田米男

 その後の臨時会(6月25日)において、上記人名の他に

 阿久根成麿 小村俊秀 中村初枝

 の三氏が加わり、都合12名が発足当時の会員であったそうである。参加者の顔触れは、当時の七高や中学の教師たち、新聞にかかわりのある人たちが主なメンバーだったようである。

 かくして鹿児島史談会は発足し、爾来連綿と続けられて今年でまる百年を迎えることになった。Cimg6929 総ページ210ページ、投稿数20名、維新を中心に多岐にわたる論考はさすが鹿児島本府のお膝元だ。

 会長・伊牟田比呂多氏の巻頭言のあとに、鹿児島県知事と鹿児島市長の「お祝いのことば」が掲載されているのは百年という歴史の重みならではだろう。

 今後、我々大隅史談会との交流もお願いしたいものである。

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