« 『恒吉絵地図物語』を寄贈される | トップページ | 今上(平成)天皇が傘寿に »

奄美群島の日本への復帰60周年

 北緯29度以南の奄美群島は沖縄とともに戦後は米軍の統治下にあったが、昭和28年の今日25日、日本への返還がなされた。(27度以南の沖縄諸島が復帰したのは昭和47年で、奄美より約20年も遅れた。画面はМBCテレビより転写)Cimg7528 戦後8年間の統治下では、本土への渡航は外国扱いで、ほとんどの島民は自由に行き来は出来なかった。Cimg7520 そんな中で徳之島出身の泉芳朗を中心とした祖国復帰運動が熾烈になり、断食運動がようやく功を奏して、8年後の28年12月25日に正式に日本への返還が実現した。Cimg7525 当時の高校生も復帰運動に参加している。Cimg7536 夜9時のNHKのニュースではキャスターが奄美大島を訪れ、そこで暮らしている歌手の元ちとせにインタビューしていた。

 元ちとせはたしか美容関係の仕事をしに大阪に行ったのだが、帰島してから歌手になったという経歴を持つ。

 「ワダツミの木」という曲でブレイクしたあとも、本拠地は奄美大島に置いて活動している。そんな元に対して、キャスターの「一度は島を離れましたが、どうですか?」―との質問に、Cimg7539 自分は外から島を見たし、外から奄美に入って来る人もいる。そういう交流が必要―というような返事をしていた。

 それにしても、元は<縄文人女性>の顔立ちが濃厚だ。小顔でちょっとおでこが広く、眼から顎までの長さが短い。眼が大き目で黒目勝ちなのが特徴である。

 島に生息する「生きた化石」と言われるアマミノクロウサギになぞらえれば、「生きた縄文人女性」だ。ここより南の沖縄が、中国大陸からの移住者や、戦後米国統治下が長かったせいで、垢抜けしてしまったのと対照的である。

 沖縄の女性ポップスの歌声は高音部が独特だが、元ちとせのはさらにその上を行く独自の節回しがある。奄美の島唄が基層にあるのだと思う。

 親父が奄美出身だったので、やはり親近感はある。親父は戦後は一度も奄美には帰らなかったし、自分たち子どもも行ったことがなかった。米軍統治下から復帰したあとも帰らなかった。近そうで遠い奄美だった。

|

« 『恒吉絵地図物語』を寄贈される | トップページ | 今上(平成)天皇が傘寿に »

ニュース」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 『恒吉絵地図物語』を寄贈される | トップページ | 今上(平成)天皇が傘寿に »