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安倍総理の靖国神社参拝

 12月26日の安倍総理大臣の靖国神社参拝に対して、中韓はもとよりアメリカからも「失望した」というコメントが発表され論議になっている。Cimg7558 この画面のあとに「失望した」が続く。(テレビ画面は29日朝の関口宏の「サンデーモーニング」より)

 靖国神社に合祀されたA級戦犯をめぐって、中韓各国は厳しい目を向けるのはこれまでもたびたびあったが、アメリカが素早く否定的なコメントを出したのは珍しい。Cimg7564 それというのも、安倍政権になってから画面に示されたように、憲法改正や国家安全保障会議や武器輸出三原則など、いわゆる「積極的平和主義」が推進されつつあるが、このあたりにアメリカが不安感を持ち始めたことの表れであろう。

 日米地位協定についても、ついこのあいだアメリカ国務省の報道官(女性)が「地位協定を変更することはあり得ない」と明言しており、日本がアメリカを抜きに独自に「積極的に」世界への発言力を増すことへ釘を刺した。

 靖国神社参拝についてはこれまでも、中曽根首相・大平首相・鈴木首相・橋本首相・小泉首相が任期中に参拝しているが、これほどの批判は浴びなかった。小泉首相の時、中韓はかなり強く非難していたが、小泉首相の個性が勝っていたためこれほどの問題にはなっていない。

 そもそも靖国神社は「国のために戦い戦死した兵士」を祀る施設で、起源は明治維新で官軍側に加わって命を落とした藩士などを祀ったのが始まりで、東京九段に建立された「東京招魂社」がその直接の前身である。

 官軍側というのが微妙で、官軍とは具体的には明治政府軍のことであるから、西南戦争を引き起こして戦死した(実際には自決だが)西郷隆盛をはじめとする反政府軍すなわち私学校軍側の兵士は祀られていない。(鹿児島市に南洲神社があり、そこに祀られてはいる)

 また戦争指導者でも戦死しなかった乃木稀典や東郷平八郎なども祀られていない。(それぞれ乃木神社、東郷神社がある)

 靖国神社参拝で中韓が問題視するのは「A級戦犯」の合祀(1978年)で、A級戦犯は国際軍事法廷で「最も重い戦争責任がある」として死刑その他に処せられたのであり、彼らにとってみれば「世界の歴史が認める公的な戦争犯罪人」なのである。

 東京極東軍事法廷において日本人にとって到底認めがたい犯罪容疑がでっち上げられたことは事実であるが、彼らはそんなことにまで忖度することはあり得ず、したがって上のような認識の下で、日本の国家指導者が靖国神社に参拝するのは「世界の歴史が認める公的な戦争犯罪人」の前にひざまずくような行為であり、到底認められない―ということなのである。

 靖国神社は法的には国家や公的なものと何の関係もない一宗教法人なので、「戦犯」を祀ろうが何しようができる施設であり、それはそれで続行したらいい。「戦犯」ではない多くの戦没者にとって靖国は心の拠り所であるし、靖国には招魂社の昔からの歴史というものがある。

 しかし国家として慰霊をするのであれば、やはり宗教色抜きの「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」があるように、そこをもっと拡充して第二次大戦の全戦没者、まずは日本人のみを、そして可能であれば日本との戦いにより斃れた各国の人々の慰霊にまで踏み込むような大きな寛容の心で祀る施設であって欲しいと思う。

 鹿児島にはこのような精神で建立された物がある。

 戦国時代の覇者となった島津氏第17代・島津義弘が高野山に<敵味方戦亡者慰霊塔>を建立して、互いに戦った相手をも含む慰霊を行っているのだ。そしてこれにならった施設が同じ鹿児島に戦後の昭和28年に建てられ、今日でも慰霊祭が行われているのである。

 その施設とはこちら

 将来、パックスアメリカーナ(アメリカ主導の戦後体制)が下火になった時には、日本の戦った真の相手は英米等の欧米ではなく、欧米の主導する有色人種への植民地支配そのものであった―ということが世界の常識になり、そうした歴史認識の下で世界から日本へ訪れるであろう人々が<敵味方戦亡者慰霊塔>を見たら、さすがに日本人は寛容であり見習わなければならない―と心を打たれるに違いない。

 

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今上(平成)天皇が傘寿に

 12月23日、今上天皇(平成天皇・第127代)が傘寿(80歳)を迎えられた。近代以降の明治・大正・昭和・平成の各天皇では昭和天皇に次いでの長寿で、天皇在位年数では3番目である。Cimg7499 ついこのあいだ心臓の手術を受けられた80歳の人とはとても思えない顔の色つやと公務の精励は、国民等しく喜びまたいくらかの心配も感じている点であるが、美智子妃とともに各地に出向いて人々に向かい合われるのが何よりの薬なのかもしれないと思ったりする。(画面写真はTBS12月24日朝の「グッド!モーニング」から)Cimg7498 新年の参賀に勝るとも劣らない人々がお誕生日の参賀に訪れた。Cimg7501 宮内庁ではますます国民との距離を縮めようと、新たに皇居の一部を開放するようにしたと聞く。また、新嘗祭の当日夜の陛下のご様子の一部を報道に公開もした。

 これら一連の動きはおそらく天皇の御意志でもあるのだろう。国民との垣根をできるだけ取り払われたいとのお気持ちの表れではないか。その一つに「御陵」が挙げられる。陛下は火葬でしかも皇后さまとの合葬を望まれたそうである。これは一般国民の通常の埋葬と同じであり、ここに陛下の御意志が表れている。

 ただ、皇后美智子さまが「合葬なんて畏れ多い」と遠慮されたので、合葬はされず、同じ御陵の境域の中で「寄り添うように」やや小ぶりの墓が営まれることになったようである。Cimg7505 驚くことに、陛下は今でも(皇居内ではあるが)ご自分で車を運転されて出かけることがある、という。車種は17年ほど前のホンダ製で、当時140万くらいの新車だそうで、中古自動車店の話では「もう価値としては10万円くらいなものでしょうが、陛下がお使いとあれば当然プレミアムが付き、高目に取引されるでしょう」。

 もし不用になって売りに出されたら、お宝車としてかなりの値が付くであろうことは想像できる(まあ、下種の勘繰りになるが・・)。

 因みに参考までに、明治以降の天皇の在位と生年月日、崩御年月日を掲載しておきたい。

○明治天皇(睦仁)…在位:1868年9月8日~1912年7月30日(満44年) 1852年11月3日誕生―1912年7月30日崩御(満59歳・この日大正と改元) (注)皇位継承月日と誕生月日は旧暦である。

○大正天皇(嘉仁)…在位:1912年7月30日~1926年12月25日(満14年) 1879年8月31日誕生―1926年12月25日崩御(満47歳・この日昭和と改元)

○昭和天皇(裕仁)…在位:1926年12月25日~1989年1月7日(満63年) 1901年4月29日誕生―1989年1月7日崩御(満87歳・この日平成と改元)

○今上天皇(明仁)…在位:1989年1月7日~(2013年12月28日現在満24年=25年目) 1933年12月23日誕生(2013年12月28日現在満80歳)

※注意しておきたいのは上の年数はすべて「満」で表記してあることで、「数え」で表記すると①明治の最後は「明治45年7月30日」であり、この日は同時に「大正元年7月30日」でもあり、明治45年と大正元年は同じ年である。 ②大正の最後は「大正15年12月25日」であり、この日は同時に「昭和元年12月25日」でもあり、大正15年と昭和元年は同じ年である。 ③昭和の最後は「昭和64年1月7日」であり、この日は同時に「平成元年1月7日」でもあり、昭和64年と平成元年は同じ年である。・・・ということである。

 したがって明治45年生まれと大正元年生れは同い年であり、大正15年生れと昭和元年生れも同い年であり、昭和64年生まれと平成元年生れも同い年ということになる。

 昭和64年は1月7日までのわずか7日間に過ぎず、厳密に言えば1月7日までの生れの人は昭和64年生まれとなるが、一般的には「平成元年生れ」として差し支えないだろう。

 ※25日朝のNHK「あさイチ」にゲスト出演した黒柳徹子も今上天皇と同じ満80歳ということであった。50年前にすでにNHKの番組「夢であいましょう」でキャスター的なことをやっていたが、その懐かしい映像に渥美清が映っていた。

             

 

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奄美群島の日本への復帰60周年

 北緯29度以南の奄美群島は沖縄とともに戦後は米軍の統治下にあったが、昭和28年の今日25日、日本への返還がなされた。(27度以南の沖縄諸島が復帰したのは昭和47年で、奄美より約20年も遅れた。画面はМBCテレビより転写)Cimg7528 戦後8年間の統治下では、本土への渡航は外国扱いで、ほとんどの島民は自由に行き来は出来なかった。Cimg7520 そんな中で徳之島出身の泉芳朗を中心とした祖国復帰運動が熾烈になり、断食運動がようやく功を奏して、8年後の28年12月25日に正式に日本への返還が実現した。Cimg7525 当時の高校生も復帰運動に参加している。Cimg7536 夜9時のNHKのニュースではキャスターが奄美大島を訪れ、そこで暮らしている歌手の元ちとせにインタビューしていた。

 元ちとせはたしか美容関係の仕事をしに大阪に行ったのだが、帰島してから歌手になったという経歴を持つ。

 「ワダツミの木」という曲でブレイクしたあとも、本拠地は奄美大島に置いて活動している。そんな元に対して、キャスターの「一度は島を離れましたが、どうですか?」―との質問に、Cimg7539 自分は外から島を見たし、外から奄美に入って来る人もいる。そういう交流が必要―というような返事をしていた。

 それにしても、元は<縄文人女性>の顔立ちが濃厚だ。小顔でちょっとおでこが広く、眼から顎までの長さが短い。眼が大き目で黒目勝ちなのが特徴である。

 島に生息する「生きた化石」と言われるアマミノクロウサギになぞらえれば、「生きた縄文人女性」だ。ここより南の沖縄が、中国大陸からの移住者や、戦後米国統治下が長かったせいで、垢抜けしてしまったのと対照的である。

 沖縄の女性ポップスの歌声は高音部が独特だが、元ちとせのはさらにその上を行く独自の節回しがある。奄美の島唄が基層にあるのだと思う。

 親父が奄美出身だったので、やはり親近感はある。親父は戦後は一度も奄美には帰らなかったし、自分たち子どもも行ったことがなかった。米軍統治下から復帰したあとも帰らなかった。近そうで遠い奄美だった。

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『恒吉絵地図物語』を寄贈される

 昨日の午後、鹿屋市内で大隅史談会の役員会を開催し、終わって家に戻ったらポストに書籍入りのゆうパックがあった。

 手にしてみると、曽於市大隅町恒吉に在住の後藤大志郎氏からのもので、すぐに開いてみる。すると本を発刊したので送る旨の手紙が入っており、素晴らしい体裁の『ふるさと 恒吉絵地図物語』が出現した。 Cimg7493_2 後藤氏の主催する「恒吉の歴史を語る会」(2008年発足)と「恒吉日輪会」の共同編集による出版で、後者の日輪会とは氏が6年前まで暮らしていた東京における恒吉出身者の集まりのようである。Cimg7494 本の体裁はやや縦の短いA4版の大きさで、硬い本ではなく、手に取っても読みやすい。

 同封の購入案内チラシから―

・・・緑と清流の自然豊かなふるさと恒吉。歴史・文化・生活等さまざまな角度から、恒吉の中近世・近現代そして昭和30年代を再現。カラー「恒吉麓全図」「旧恒吉村全図」(マップ)もついて、ふるさと恒吉の魅力満載です。ふるさとを愛するすべての人たちの共有財産の一冊です。

 [目次より]

 序 章 ふるさと恒吉―その歴史沿革―

 1の章 昭和のつねよし散歩

 2の章 つねよしの自然と四季

 3の章 つねよし歳時記

 4の章 つねよしの歴史エピソード

―書きぶりが、会話体が多く、つい惹きこまれる。またイラストの多用は読む者をして懐かしさ、愛しさを掻き毟るかもしれない。こんなふるさとを持った人々がうらやましい。Cimg7496 恒吉小学校と裏山に当たる中世の山城「恒吉日輪城」。Cimg7497 現存では鹿児島県でも最古に近い石橋「恒吉太鼓橋」と野町の風景。

 後藤さんが中心になって5年越しで成し遂げた「ふるさとへの想い・ふるさと愛の結晶」といえるこの本を、多くの人に薦めたい。

 本の最後で、後藤さんはこう語る。

「ふるさと恒吉をこよなく愛する人たちに/ 

あなたの故郷をこよなく愛する全国の人たちに/

そして、父祖の故郷をこよなく愛する百年後の世代に/

心をこめてこの本を贈ります」

 『ふるさと恒吉 絵地図物語』 A4変型版 並製カバー 鉱脈社刊 

   定価2800円

※県内書店・アマゾンで入手可。後藤さんから直接入手なら、まず下記に問い合わせたし。

 ℡・Fax…099-484ー1137(〒899‐8424 曽於市大隅町恒吉655 後藤大志郎)

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ぶるぶる!厳しい霜。(鹿屋市池園町)

 今朝の寒さはこれまでの最低の-1℃。厳しい霜が降りた。11月の下旬に最初の霜が降りてからこれで6回目で、氷が張ったのは2回目だ。Cimg7481 11月に入ってから蒔いた菜園の「三池高菜」。二枚の本葉が出揃ったところで氷らされた。このまま成長して行くのか心配だ。Cimg7482 東にある畑にも霜が相当降りている。その先に見える真っ白いのは芝畑だ。Cimg7488 南側の畑も白く、畝の高い部分は凍っているようだ。Cimg7485 どんなに冷え込んでも元気なのがウメ。散歩に連れて行くと、霜が降りて真っ白の枯草の上も物ともせず歩き回り、時折りは鼻を突っ込んだりする。Cimg7491 水の入ったバケツが凍っていたのには困っただろう。真ん中を指で突いて開けてやったが、厚さが5ミリもあった。

 12月22日。冬至の一日が始まった。

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近ごろ流行るもの(鹿屋市串良町)

 鹿屋市串良町の県道を北に向かって走っていると右手(東側)100m以上は先の畑の中で、結構な工事が行われているのが目に入った。

 行ってみると、パワーシャベルがせわしなく動き、10人は下らない作業員も図面片手に忙しそうに働いている。Cimg7478_2 牛舎か何か畜産関係の新築だろうと思ったのだが、意に反して何と太陽光発電パネルの設置工事であった。Cimg7479 基礎のコンクリートの上に、 パネルを置く鋼管がすでに組み立てられている。Cimg7480_2 ヘルメットに三本線の入った工事監督らしき人に聞くと、「京セラ製で4000枚を設置し、合計発電量は1メガワット」とのことであった。発注者は教えてもらえなかったが、「来年1月末が納期で、ちょっと焦っているんですよ」と苦笑しながら、現場にある簡易トイレに向かって行った。

 1メガワットとは1キロワットの千倍で、1000キロワット。最近では珍しくなくなった家庭用の太陽光発電の規模は4キロワット程度だそうだから、このメガソーラーは一般住宅250戸分の電力量を賄えるとピうことになる。鹿屋市における平均的な人口4~500人の町内会の戸数がそれくらいだから、かなりの発電量である。

 この現場からさらに県道を北に300mほど行くと、競走馬の某トレーニングセンターが道路沿いの右手にあるが、実はここは馬の飼育は止めて新たにメガソーラー事業を起こしている。Cimg7472 左手に見える赤い屋根がトレーニングセンターのかっての寄宿舎らしく、道路から一枚の畑を越えた向こうに大きなソーラーパネルが並んでいるのが見える。Cimg7474 道路から右手(東)に100㍍も行くと、今は馬の走らないトレーニングコースだ。Cimg7475 設置する場所の地目は宅地(屋敷地)又は山林でなければならないようである。Cimg7476 たまたま主人が居たので話を聞くと、開設は今年の7月で、規模は約500キロワットとのこと。向う側のトレーニングコースも全部メガソーラー所にしたいのだが、地目が農地なので転換の許可が下りず、残念だが今のところ不可能という。

 産業用のこうしたメガソーラー発電では現在、国が電力会社に高値で買い取らせるという政策を採っていて、これから20年はその値段での買い取りが義務付けられている。それまでには元を取り、事業を軌道に乗せられれば良いと思う。

 原発への依存度を下げるというコンセプトはおよそどの政権でも異論はないだろうから、それに代わるものとして太陽光発電には大いに将来性があるし、発展して行ってほしいものである。

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首都直下型地震による被害想定

 NHKのニュースで「首都直下型地震による被害の想定」が報道されていた。Cimg7467 それによると、想定マグニチュードは7.3で、震度は6弱から7まで幅を持たせて想定しているが、阿部東大名誉教授は、7クラスはどこでも発生する可能性がある―と警鐘を鳴らしている。Cimg7452 さすがに震度7というのはごく限られた範囲で、江東区深川などの河口の沖積平野またはかって「夢の島」と呼ばれたゴミ埋め立て処分場であった箇所に集中している。Cimg7460 木造家屋の密集地帯では揺れによる被害よりも火災の発生による被害の方が大きい。倒壊による死者の数より火災に巻き込まれて死ぬ人たちの方が多い。 Cimg7455 ニュースでの予想死者数はかなり控えめのもので、倒壊による死者の数の予測は少な過ぎるし、火災による死者数も関東大震災の五分の一以下にしか見ていない。こんなものではないだろう。全壊する家の数は最大で17万戸、少なくとも10万戸はあると見て、5万人くらいは命を落とすのではないか。

 また陸上での直下型であるから津波は起こりえないはずだが、東京湾からの逆流によって海抜0メートル地帯を中心にかなりの高波が押し寄せると思われる。Cimg7465 すさまじきは被害額だ。国の年間予算とほぼ同じというから、金銭的に言えば、国は潰れてもおかしくない。アメリカから買わされている国債を100兆円ばかり売れば数字的には辻褄は合うが、今度は世界の国債市場が大震災に見舞われてしまう。

 話は金だけでは済まない。復興への道のりこそが困難を極めるはずだ。国難といっても言い過ぎではない。

 一番怖いのが「首都機能のマヒ」で、今は、輝かしい誘致を勝ち取った2020東京オリンピックにどんな影響があるか、ないか―などという点に報道内容が矮小化されているきらいがある。Cimg7471 首都直下型地震の発生を見通した防災対策方針の大綱が来年3月までに出来上がる―というが、ぜひともこの際、「分都」および「還幸」(皇居の京都への帰還)を視野に入れた国家の大計を示して欲しいものである

 ※オリンピック誘致に成功した猪瀬都知事がついに辞表を提出した。ここ1ヶ月、徳洲会から提供された5000万という金の性格をめぐって、知事の説明が「揺れに揺れた」あげく、ギブアップしたわけだが、オリンピック選手や関係者もやきもきしただろう。こんな「揺れて危ない」東京で本当に行われるのだろうか―と、わずかながらも頭の片隅をよぎったに違いない。

 「安心と安全」は「おもてなし」とともに東京オリンピック誘致のキャッチフレーズだったのだから、すくなくとも上の地図で赤く塗られた地域にはオリンピック施設を設けない。そこでは実施しない、くらいの配慮が必要だろう。

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「裸の王様」の行く末

 金曜日に衝撃的なニュースが流れた。(画像はすべて今朝15日の「関口宏サンデーモーニング」から) 001 北朝鮮のナンバー2で、金正恩(キム・ジョンウン)の叔父でもある張成沢(チャン・ソンテク)が、裁判により国家反逆罪などを言い渡され、直ちに死刑に処せられたという。002 チャンソンテクはジョンウンの父の妹・慶喜の配偶者だが、西側の経済などに精通したかなりの実力者で、ついこの間も国会の承認を得ずにのこのこと出かけて行ったアントニオ猪木に面会したばかりだ。

 弁明も何もあったものではない。独裁者の金正恩に逆らったら、こんな目に遭うぞ、ごく親しい一族の者でも例外ではないぞ―という見せしめらしい。005 いつも朝鮮問題では明解なコメントをする辺真一氏も歯切れが悪い。どんな方向に行くのか想像がつかないようだ。

 いよいよキムジョンウンは「裸の王様」になって来た。4、5か月前には妻のかっての楽団仲間を、ポルノビデオを作ったかどで、公開処刑している。妻も最近は姿を見せない。

 完全に恐怖政治である。国民は何も言えなくなる(これまでも言えなかったが・・・)。おべんちゃら達だけがキムジョンウンを取り巻き、ますます現実に盲目になって行くだろう。

 金王家も三代で命運が尽きようとしている。問題なのは金王家以後の北朝鮮である。中国は「お家の事情だから」と静観しているが、もし北朝鮮が内戦状態になったらどうするのか。韓国の出方次第かもしれないが、きな臭くなってきたことだけは言える。

 中国のことだから、すでに金王家崩壊後のさまざまな利害関係の算盤をはじきだしているかもしれない。アメリカも計算を始めただろう。

 ただただ、キムジョンウンの頭の中が被害妄想で膨らみ過ぎないことを祈るばかりだ。

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EMDRの驚くべき力

 11日のNHKクローズアップ現代で取り上げられたEMDR。眼球の動きを利用してトラウマやPTSDを軽減させる画期的な方法として注目されているという。

 寡聞にして知らなかったが、患者の目の前で手を左右に動かしてそれを眼で追わせる一種の催眠療法と思われたが、患者は催眠にまで至らずに治療は終わるらしい。020 子どもがリラックスした姿勢で見つめているのが眼球を左右に動かさせる装置。カメラの三脚そっくりの支柱の上に乗った左右に長い板状の物にLSDの電球が並んでいて、その電球が点滅しながら光が左右に走り、それを子どもが無心に眼で追いかけて行く。

 そこにはトラウマ治療に必須とされる「事細かに過去の心的外傷をもたらした事実を思い出し、表現する」というプロセスはない。その分だけ患者の負担が少なくなるという。特に性的虐待やレイプなどを受けて傷付いた患者には朗報といえる。004 キャスターの前にいるのは浜松医科大学の教授だが、治療前の脳に負荷が掛かった状態と、治療後の負荷の少なくなった脳とを比較している。006 どのくらいの期間、治療を受けたのかは聞き漏らしたが、治療前には小脳にかなりの負荷が見られるのに対して、治療後はほとんどなくなったに等しいくらい劇的に負荷が減っているのが一目瞭然だ。

 この―眼球運動によるトラウマの大幅な軽減がなぜ起こるのか―についての決定的な理由付けはまだ無いようだが、眼球の動きといえば思い出されるのがレム睡眠である。

 レム睡眠とは、身体は完全に寝ているのに意識はまだ眠っておらず、盛んに眼球を動かしている状態のことで、なぜ眼球が動くのかについては、「夢の一種で、今日体験したことを臨場感を持って思い起こしている最中であり、意識的に覚えておくべき事柄か、捨て去った方がよい事柄かを仕分けしている」―ことらしい。

 経験が日常的なレベルのものであれば、レム睡眠は少なくて済み、意識も早々に眠りにつくのだが、トラウマ的な体験があったりすると、処理時間が長くなったり処理しきれなくなるので意識の奥底に沈殿してしまい、あとあとまで尾を引くようになる。

 それがトラウマの正体なのだが、この治療法により強制的に眼球運動を行わせることで沈殿していたトラウマ(心の傷)が再び浮上し、曖昧に処理していたトラウマ(古傷)を仕分け直す(可能な限り捨て去る)のではないだろうか。

 今日、クローズアップ現代の番組を見ていてそう感じたが、ふと、あの徳洲会の徳田虎雄の文字盤を追う眼球の動きを連想してギョッとなったりした。しかし、治療の方の眼球運動は催眠術の時の振り子の等時性(同じ間隔で左右に規則正しく動く)の原理に基くのだろうから、似て非なるものに違いない。自分も受けてみたいものだ。

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南アフリカ元大統領の葬儀

 南アフリカ初の黒人大統領だったネルソン・マンデラの葬儀が今日行われ、各国から指導者が参列した。日本からは皇太子と福田康夫元首相が代表として参列された。

 特筆すべきはアメリカからの参列者で、現オバマはじめ4代の大統領経験者がやって来たと言う。

 これは現職の黒人大統領オバマの存在を抜きには考えられない行動で、アメリカが人種差別解放の先進国であることをアピールする狙いもあるようだ。

 ネルソン・マンデラ(1918-2013)は大学在学中から黒人差別の解放を訴え始めたが、40歳を超えてから投獄され(1962~1990)、獄中にあること28年で解放され、初めての民主的選挙により大統領に選ばれた。

 その後、彼は自分たち黒人を隔離し、差別してきた人口の1割を占める白人たちへの報復はせず、融和を掲げて国政を運営したのでノーベル平和賞を受賞した。038 獄中で、彼はすべての白人が心情的には黒人を差別しているわけではなく、そうさせているのは偏見に満ちた教育だ―ということに目覚め、白人がアフリカで話している方言のような言葉を学び、積極的に交流しようとした。(写真は12月8日放送の関口宏サンデーモーニングから)

 彼の理想とするのは「虹の国」で、これは五色の人種のほか宗教・信条・出身などに左右されない平等な国―ということのようである。28年の獄中生活ののちに到達した信条で、戦前の満州で日本の掲げた「五族協和」という観念に近い。

 マンデラは1962年に投獄されたというが、その頃のアフリカは独立ラッシュだったのである。とくに1960、61年は非常に多くのアフリカ国家が独立を果たした。

 南アフリカでも1961年に「南アフリカ共和国」として独立したが、実態は建前上の宗主国からの独立に過ぎず、少数の白人が支配する名ばかりの「共和国」だった。それは「アパルトヘイト」という人種隔離政策であり、楯突いたのがマンデラを中心とする黒人解放の運動だった。

 その頃、実はまだアメリカでも「人種隔離政策」は続いており、民主主義は黒人には程遠い時代であった。そんな国が日本に勝つと、「日本に本当の民主主義を教える」とか何とか言って戦後間もなく教育使節団を送り込んで来たが、今から考えれば噴飯ものだ。

 学ぶのは実はアメリカの方であったのだ。ようやく黒人大統領オバマを選んだアメリカ人は過去を学んで大いに反省すべきである。

 折しも、ちょうど今日、新駐日大使キャロライン・ケネディが被爆地長崎を訪問したというニュースが流れた。黒人解放の記念日ともいうべきこのマンデラの葬儀の日に訪れたということは、オバマの核兵器廃絶のプラハ宣言を着実に履行していくという表れであろうか。そうあって欲しいものだ。

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道隆寺跡ミニコンサート(肝付町本城)

 柏尾山道隆寺の跡は肝付町の旧高山本城のある本城地区にある。この寺は宋国は四川省出身という「蘭渓道隆」(大覚禅師)が日本に来てから肝付氏に招かれて最初に建立した本格的な禅寺である。(寛元4年というから西暦1246年のことで、当時の鎌倉幕府執権は北条時頼。その後、時頼に招かれて鎌倉に行き、今度は建長5年=1253年に巨福山建長寺を創建した。)

 明治初期の廃仏毀釈により、破壊湮滅させられた寺跡を、30年以上かけて発掘整備した肝付町在住のF氏は、建長寺の管長はじめ宗務の方々と交流をしている奇特の人である。

 F氏はその道隆寺の跡で昨年からミニコンサートを開くようになり、今回はお招きを頂き、昨7日に拙い三線の演奏を披露してきた。004 道隆寺とは高山川の支流を挟んだ対岸にある本城地区公民館(本城小学校跡)でコンサートは行われた。ここにはかって本城小学校があった。国指定史跡の高山城が後ろの丘全体に広がるという歴史的な場所である。003_3 かっての校庭に聳えていたイチョウがほとんどの葉を落とし、下は黄色の目の覚めるような絨毯になっていた。008 午後1時半に主催者のF氏の挨拶があり、道隆寺跡の説明。(向こう側がF氏。手前はI氏)011 詩吟グループ。012 詩吟の作者・T先生の紹介。013 尺八(演奏者は85歳とか)。016 鹿屋弦楽アンサンブル(かのや第九演奏会では大活躍した)。020 三線(琉球三味線)。026 ギター(自作自演)。028 津軽三味線(演奏者はアメリカ人のALT)。030 最後はおおすみ歴史講座・世話人のI氏のギター。後ろの黒板に板書してある「今日の日はさようなら」をみんなで歌ってフィナーレ。

 聴衆は70人くらいだろうか、知った顔が多かった。

 来年を約束して帰路に着き、途中I氏の家で打ち上げ。お世話さんでした、三ちゃん。

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新島の誕生

 今朝8時からの読売テレビ「ウェークアップ」を見ていたら、小笠原の西之島のすぐ脇に噴出して来た小さな噴火岩礁が、12月3日現在では面積55000㎡(5、5ヘクタール。およそ東京ドーム3個分)にまで「成長」し、立派な島になった―との報道。Cimg7327 右が元からある西之島。その300㍍ほどの海底から小さな噴火島が出現した。Cimg7325 噴気を上げている噴火口からは、時折り噴石の飛ぶのが見えるという。Cimg7321 ヤフーの地図では12月3日の時点では点線で島の形をリアルに表した。Cimg7323 島ができつつある最初の報道から、―この島が確定すればわが国の領海が南東方向に数百メートル拡張される。距離的には大したものではないが面積は相当な広さとなるので大歓迎だ―というようなムードで発表され、識者もおおかたそんなコメントを出している。だがーCimg7329 この島は3000mほどの高さもある海底火山の噴火口であるということに絞ってみると、そう楽観的にはなれない。

 小笠原諸島は富士火山帯に属し、もしこの火山が地上のものであったらこんな穏やかな報道はしないだろう。そう、はるか南方の海中とはいえれっきとした富士山級の大火山が噴火を起こしているのである。

 富士・箱根・伊豆と、火山線では間違いなくつながっている一火山がかなりの規模で噴火を始めたのであるからには、伊豆諸島が箱根火山が富士火山がいつ連動して噴火を始めてもおかしくはない。

 領海が数平方キロメートル広がったことにのみ目を向けていると、肝心なそっちの方に盲目になるのではないかと危惧をする。冷静公平な報道をやってもらいたいものだ。

 

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根性テッポウユリ(鹿屋市池園町)

 昨日の夕方に少し尖端が割れて開き始めていたテッポウユリが、今朝咲いていた。Cimg7310 Cimg7311 根元には土が十分にあり、「コンクリートの間を割って芽が出た」という根性物とは一線を画すが、このテッポウユリの根性は耐寒性にある。

 11月23日の初霜を皮切りに、翌24日、30日、そして一昨日の12月2日とすでに4回の降霜を経験しており、その時の気温はほぼ零度に近い1℃とか0、5℃になっていたのに、よくぞ花を開いたな―という意味での根性なのである。

 ここは南向きで日当たりがよく、玄関の段差がコンクリート製で、そのコンクリートが日中に熱を蓄えて夜中に放熱してくれたので何とか成長し、花が咲いたのだろう。

 もともとテッポウユリは、自然界では9月中旬頃から10月中旬にかけて個体差に応じて咲き続ける花で、こんなに寒くなってから咲くはずはない。Cimg7312 Cimg7315 茎の長さ(背丈)と葉の長さは実に小ぶりだが、花自体は大きく、一人前の美しさだ。

 ここに球根があったという記憶はないから、おそらく近くで最も早く咲き、最も早く種を散らしたのがたった一粒、この天然の日溜まり(蓄熱器)のお蔭で時を忘れて芽を出し、すくすくと伸びたに違いない。Cimg7314 今を盛りのノジギクの変種たちも、アラヨウ!と驚いている風だ。Cimg7316 向こうではウメが何事かとこっちを見ている。お前も耐寒性は抜群だな、偉いぞ。でも根性犬と云うわけには行かぬ。

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かのや第九演奏会(鹿屋市文化会館)

 知人が夫婦で出ているという「かのや第九演奏会」のチケットをもらったので、今日の午後、鹿屋市文化会館で観賞した。

 地元のかのやオーケストラ が管弦楽演奏を担当し、「歓喜の歌」の合唱は鹿屋市を中心に140名もの人々が応募して4月から月二回の練習に励んだという。

 かのやオーケストラは1998年に誕生した大隅半島で唯一の市民オーケストラで、今回の演奏会が12回目の定期演奏会でもあるそうだ。Cimg7238 ベートーベンの交響曲第9番(合唱付き)は四つの楽章からなり、歓喜の歌の合唱は最後の第4楽章の中で歌われる。第2楽章が終わり、休憩ののち第3楽章が始まる前には140名の合唱団はスタンバイして待つ。

 約15分の第3楽章が終わると、いよいよ第4楽章がスタート。Cimg7231 最初は弦楽器でも大型のチェロとコントラバスがしばらくメインメロディを演奏する。Cimg7235 その後、4名の若手のうちバスを担当する歌手が朗々と歌い始める。Cimg7237 しばらくするとようやく合唱団の出番だ。4月からの訓練の成果だろうか、聞きごたえのある声々が響き渡った。Cimg7241 ソプラノとアルトの女性歌手は揃えたのか二人とも赤いドレスで美しく歌う。Cimg7242 歌い続けて15、6分だろうか、いよいよクライマックスとなった。Cimg7245 合唱団にも若手歌手たちにも惜しみない拍手と声援が飛んだ。

 4人の左手に立つのは指揮者の前田均(ひとし)氏。鹿屋中央高校の校長で、芸大の音楽科卒である。75分の長丁場を指揮するのは大変だったろう。この人にも盛大な拍手が贈られた。

 オーケストラと合唱団併せて200名以上の規模の演奏会なんて、そうざらにできるものではない。4月からの修練の賜物と思う。それにしても合唱団の女性の多いことよ。8割が女性である。また、管弦楽演奏者にも女性の姿が多く、4割方を占めているのは特筆される。

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