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中国の反日・侮日行動の背景

 暮れに安倍総理の靖国神社の参拝があり、それに対して中国が(韓国も)即座に非難発言をよこしたが、その経緯とコメントは12月29日付のブログ(「安倍総理の靖国神社参拝」)で書いておいたが、そもそも彼ら中国人が何故いつも声高にあのような発言を繰り返すのか―。

 一国の総理が国内の一施設を訪れたからといって、それが戦争時の日本軍の侵略性・残虐性を称揚するというような明らかな意思の下に、たとえば北朝鮮でよく見られる大々的な記念行事のような形で行われたのならいざ知らず、このような姑根性のような非難の仕方は常軌を逸している。

 「愛国無罪」とうようなスローガンで中国の若者たちが、事あるごとに日本人の経営する企業やスーパーなどを壊して回る行為も、常軌を逸している。

 この反日・侮日は江沢民が指導者だった頃から格別にひどくなったようである。教育の現場でも日本軍の侵略性と残虐性を針小棒大に教え始めたのも江沢民時代であった。

 この江沢民という人物について、ウィキペディアで調べると、何と実父は日本と組んで蒋介石の国民党政府に対抗しようとした南京臨時政府(反共でもあった。首班は汪兆銘)への協力者であり、江沢民自身はその当時は南京大学学生だった、とのことである。

 したがって彼は本来なら反共産党分子として除名か、下手をすれば抹殺されかねない状況にあったのに、かろうじて文革の嵐も乗り越え、ついに中国の最高指導者まで登りつめた。しかしその際、青年期までの反共的な生きざまを大っぴらにされては困ることになるわけで、このことを隠す、あるいは隠さないまでも心の中には忸怩たるものがあったはずだろう。

 そのために逆に「南京事件で中国民兵・国民党軍・共産党軍士は殺害されたが、そのほとんどは日本軍によるもので、その数は30万人だ」と針小棒大に宣伝し、教育上もそう教えるようにしたのだろう。その後から、日本に来る研修生などの非道や日本人殺害が目に見えて多くなった。すべて「愛国無罪」の精神の発露だとすればとんでもない話である。

 国内の混乱や腐敗を他国のせいにする、あるいは他国への侮蔑にすり替えるのが、「大国」の常套手段になるのはアメリカなどにも見られることだが、中国の場合、日本へ向けられる場合は「日本軍の侵略・残虐」をキーワードとして叩きやすいからだろう。日本人もそう叩かれて「すみません。南京じゃ大変なご迷惑をお掛けしました」―と謝ってしまう歴史の真実に疎い輩が多いからいよいよつけ上がっているのだ。

 この江沢民を「すぐれた指導者である」と持ち上げているのが、ニクソン大統領の時代に「忍者外交」を演じ、対中国国交に道を開いたキッシンジャー元国務長官である。

 今日読んだ『キッシンジャーからの警告 2000年日本が再起する条件―日高義樹のワシントンレポート』(1999年・青春出版社刊)の第3章には、空軍機で中国に向かう寸前のキッシンジャー一行に出会った、という面白い部分がある。

<もう28年も前の昔のことになるが、1971年7月1日、ワシントンの夏の盛りの暑い日、私がワシントン郊外のアンドリュース空軍基地のVIPの部屋にたまたま入って行ったとき、キッシンジャー博士の一行が特別機を待っているのにぶつかったことがあった。このとき、私は気がつかなかったが、キッシンジャー博士はニクソン大統領の特使としてパキスタンを経由して北京を訪問するために旅立つところであった。キッシンジャー博士は中国を国際社会に連れ出した歴史的な人物であり、そして、まさに1971年からすでにほぼ30年間、中国の国際社会での動きを眺めつづけた政治家である。>

 本当に「たまたま」だったのか、日高氏はNHKのワシントン駐在員として記者だったわけで、たまたまではないような気がするが・・・。

 とまれ、このことからアメリカの忌み嫌う共産国家との国交が始まった。キッシンジャーは、アメリカ・中国ともにソ連を敵国としているという利害の一致があったから国交樹立が可能になった―と言っているが、真実は周恩来に語ったという「国交は日本の伸長を抑える<瓶の蓋>(重石・栓)である」―が本音だったろう。(キッシンジャーは米中協会の会長だそうだ。)

 日本はその頃、えらい勢いで経済成長を遂げており、アメリカの経済的な脅威になって来ているうえ、「LT貿易」という形で、共産中国と細々ながら経済交流を促進していたので、そのことのほうがアメリカにとって潜在的にはさらなる脅威だったのだ。

 キッシンジャーはそこに楔を打ち込んで「日中の離間」を図ったわけである。その頃、中国は反日でも侮日でもなく、むしろ親日の革命世代が多かった。何しろ日本軍が中国共産党軍(八路軍)の敵である蒋介石の国民党軍と戦って弱体化してくれなければ、戦後、共産勢力が国民党に打ち勝つことは難しかったからである。

 こういう歴史の真実は、アメリカが中国との国交を樹立する前には革命世代の共産党幹部たちには共通の「歴史認識」だったのだが、中国が資本主義化し、アメリカナイズされてからの指導部は江沢民を頂点に「反日・侮日」に変わって行った。その底流にはアメリカの日中離間策があり、江沢民の個人的な経歴がそれを増幅させている。

 「歴史認識」は時代とともに味付けは変わるが、江沢民以降の中国のは極端すぎる。だれも信用しない国になるだろう。少なくとも日本人は信用してはいけない。

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