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PМ2.5と花粉と降灰の三重苦

 昨夜は一昨日に続き、寝ると鼻が詰まるという花粉症特有の症状に悩まされて夜中何度も目が覚め、いつもより起きるのが遅れた。

 ウメの散歩のあと餌をやり、もうとっくに上がっている太陽の方を見ると、すっかり霞んでいた。Cimg7950 天心は晴れ間が広がっているのに、周辺の山々の方は靄のように霞んでいる。今朝も軽い霜が降りていたのでこの寒さの中で春霞とは考えられない。中国大陸由来のPМ2.5に違いない (カメラの月日表示が1日前になっている。25日の朝の撮影である。以下同じ)。Cimg7954 南の方向もこの通り。直線距離にして5キロも離れていない丘陵がかすみ、その奥の15キロ先の 連山はほとんど見えないに等しい。 Cimg7951 太陽をアップしてみると、まるで朧ろ月夜の月のようだ。

 2日前の日曜日だったか週間気象予報で、PМ2.5の到来を予測していたが、まさにその通りになった。大陸では冬の間こんな状況が続くのだろうか。堪えられそうにない。

 共産党の幹部を中心に、資産階層がアメリカなど諸外国の土地や住宅などを買いあさっていると聞くが、それは共産党政権がいつ崩壊してもいいように自己資産維持のために投資をしておくことのほかに、こんな大気汚染をはじめ諸々の汚染から逃れるためいつでも移住できるようにしておく―というのも一つの大きな理由かもしれない。

 経済的自己保身的欲求と生物的自己保身的欲求とあいまってトンデモナイ事態が起きているとは想像がつく。あとはいつ中国国内の不動産バブルが崩壊するかだ。

 どっちにしても日本には来て欲しくないよ。・・・もっとも江沢民政権時代から始まった「反日・侮日」のスローガン路線からすれば、「小日本」などに行こうとはしないだろうが、人間切羽詰まると藁をもすがる、ということがあるからな。まさか正真正銘、一本の藁のような尖閣諸島に逃げ込む中国人はいるまいが・・・。

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太陽光発電パネルの設置工事

 太陽光発電用のパネルを南向きの屋根に設置した。

 昨日の午後3時半頃、屋根に上るための足場を組む業者が来て1時間足らずで組んで行ったが、今日は9時過ぎにパネルの設置業者が本工事に掛かった。Cimg7900 6人が工事に掛かり、うち二人は家の中で太陽光で起電された直流を交流に換える機器と、それを外部の電力会社の電線に送る何とかという機器などを設置。屋根裏に上がったり、床下に潜り込んだりと忙しげに工事を進めていた。Cimg7902 屋根の本工事の方は3人で瓦を横一直線に6行ほどを剥がし、下に降ろして何をするかと見ていれば、Cimg7904 一人が瓦1枚1枚にドリルで穴を開けはじめた。向うの「ふね」と呼ばれるモルタルを練るプラスチックケースに水を張り、その中でドリルを使って瓦に穴を開けている。水を張った中でやれば、瓦を削る際に出る土ぼこりが防げるのだという。なるほど。 Cimg7908 そうこうしているうちに、瓦を剥がした下に木の板を嵌め込んで行った。これに金具を取り付け、金具から出たボルトのナット部分を瓦の開けた部分から出し、Cimg7912 鉄製の角型パイプのような物を、瓦の並びに対して垂直に設置して行く。平行に並んだ二本で一枚のパネルを止めて行くそうだ。 Cimg7914 少し遅い昼食を済ませると、パネルをどんどん屋根に上げて次々に止めて行く。その際には瓦を上にあげるアルミの脚立に似た「昇降機」が大活躍する。今日はほぼ無風で、工事の進捗は安全かつ完璧だ。 Cimg7918 午後4時頃の状態。半分は張り終えている。Cimg7920 5時にはすべて張り終えた。屋根の形に合わせた富士山型。上から3枚、4枚、5枚、6枚、7枚の合計25枚で、出力は5、25キロワットである。どう稼働してくれるものやら、15年ローンなり・・・。 Cimg7924 すぐ上の写真はウメの散歩道の途中から望遠で撮ったのだが、撮っている最中おとなしいナと思って下を見ると、ウメが草を食んでいた。道草だ。

 このあとも何度か道草をしたが、胸やけか? そう言えば出る時に朝の餌を残していたな。でも糞は普通だったし、どうしてか分からない。鼻の頭はツヤツヤして元気だが―。

 

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高千穂冠雪を遠望(鹿屋市下堀町)

 昨日今日とほぼ快晴で寒さがぶり返したが、それはそれで青い空が広がっている。

 昨日(15日)は久し振りに、北の方角に高千穂の峰が望まれた。しかも、雪をかぶって真っ白であった。

 朝早いうちに撮ればよかったのだが、明日16日にある「おおすみ歴史講座」の準備に追われていて、気がついたら昼近かった。

 わが家のそばを通る鹿屋環状線道路を挟んで、北側の畑地帯に行くとまわりには遮るものがない。音のする方を振り向くと、春耕のトラクターが動いていた。Cimg7891 寒いせいか、フードをしっかりと被った男性が黙々と耕している。おそらくデンプン用のサツマイモ(黄金千貫)を作付する畑だろう。(向こうに見える給水塔は星塚敬愛園のもので、その向こうに園が広がっている。)Cimg7880 北やや東寄りには、いつもの高隈山塊が。そして北(右手)に目を移して行くとCimg7872 白い物が見えてくる。雲ではない。Cimg7869 デジカメの望遠を少し戻してみると、高千穂もくっきりと浮かび上がってくる。頂上付近だけを見るとまるで雪の富士山のようだ。Cimg7871 アップすると、解像度が悪いせいでぼやけるので、これが精一杯だ。何しろ直線距離にして70キロはある。

 霧島連山は千m位から上はほとんど樹木がないので、雪景色が明瞭である。それに比べると近くの高隅山塊はほぼ頂上付近まで樹木に覆われているため、積もった雪が見えにくい。高さは1200mほどあるので、冬季は何度も積雪があるのだが、積もったな、という感じがしない。せいぜい沢筋が帯状に白くなるくらいである。むしろ桜島の冠雪のほうが見応えがあるし、美しい。(今度撮りに行こう・・・)Cimg7886 寒の耕運の済んだ下堀町の広大な畑地帯。やがて畑はカライモ(さつまいも)で埋め尽くされる。

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集団的自衛権について

 国会で集団的自衛権をどうするか、という論戦が始まった。Cimg7864 (写真は衆議院予算委員会で安倍首相に質問する民主党の岡田克也議員。)

 安倍政権では何としても集団的自衛権を発動できるようにしたい意向で、例えによく出されるのが、「もし(日本を守っていてくれる)アメリカ第7艦隊のイージス艦が敵(北朝鮮など)のミサイル攻撃を受けた場合、日本は憲法では他国との武力行使をしてはならない―とうたっているので助けることはできません、とアメリカに言えますか」―という答弁である。

 こういうことを言い出した背景には、あのアメリカの引き起こした湾岸戦争で、「ショウ・ザ・フラッグ」(現地で日本国旗を見せてくれ)というアメリカ側の要請にかかわらず、自衛隊を派遣しなかった日本が終戦後に90億ドルを提供したのに何ら感謝されなかった―というトラウマがある。

 あのような同盟国アメリカへの軍事支援が出来ない憲法を改正したいというのが安倍首相の狙いなのだが、しかしそもそも「集団的自衛権」というのは、米英が日本を降伏させた翌年に制定した「国連憲章」の条文(第51条)に登場した概念で、この際の集団的自衛権というのは英米主導の連合国に敵対した枢軸国(日独伊)とその同調国に対して、連合国側が「お互いに協力し合おう」と条文化したものであって、基本的には国際連合国家群の敵国になっている日本(第53条=敵国条項)は、残念ながら彼らの集団的自衛権を発動すべき対象国なのである。

 だから日本が「集団的自衛権を発揮してアメリカを助けましょう」ということは安倍首相がどう力んでもあり得ないのである。アメリカも期待はしていないし、認めようとはしないだろう。ただ、日本の国会での民主的な議論には内政干渉になるので口を挟まないだけなのである。

 米英は第二次大戦の直前に「大西洋憲章」を取り決めて、ドイツや日本の進出に対処しようとした。これが言わば「集団的自衛権」の走りであった。その後、日本の中国への進出を阻止すべく、1943年には中華民国の指導者・蒋介石を招いて対日戦線を共同で行うように取り決め(カイロ宣言)、また1945年2月には、こともあろうに共産ソビエトのスターリンを交えて対日戦線を共同で行うように秘密協定を結んでいる。

 どちらも「英米に敵対する憎き日本を封じ込める」ためである。そのためには共産主義者だろうが何だろうが、日本の敵に回ってくれればOKだったのだ。その場しのぎでしかなかった。

 その証拠に、日本が降伏すると間もなく中国では中国共産党軍(八路軍)が大攻勢を始め、そんな中国国内を「国内問題だから干渉しない」と、中華民国を裏切り、結局中国は共産党の支配下に置かれることになった。その挙句に朝鮮動乱では中国共産党軍が攻め入り、南北が分断することになってしまった。中華民国が支配していれば、こんなことにならなかったはずだ。

 ソ連との関係にしても、第二次大戦が終われば元の木阿弥で、英米とソ連は「鉄のカーテン」で隔てられ、ケネディ大統領の時にはキューバ危機(ソ連が同盟国キューバに核弾頭を配備しようとした事件)さえ起きている。二国間の冷戦は1989年にソ連が崩壊するまで、実に40年以上続いた。

 そんな英米とは水と油の関係にあるソ連(崩壊後はロシア)だが、戦後は一貫して国連の安全保障理事会の常任理事国である。おまけに中華民国に代わって中国共産党政府が常任理事国に居座ることになった。英米の自由主義に敵対する国がソ連と並んで二つも国連の主要国になったのである。英米もいい加減なものだと思わざるを得ない。

 日本が第一次大戦のパリ講和(ヴェルサイユ条約)のあとにできた国際連盟の常任理事国だったのが夢のようだが(ただし、国際連盟発足後12年して脱退したが)、仮に集団的自衛権を国会で承認されました、皆さんと同じように普通の国になりましたと言っても、日本が国際連合で常任理事国になることは、国連の発足経緯からして絶対無理なのである。 

 「かなりの額の国連分担金を延滞なく納めている我が日本を、いつまで敵国条項に入れておくのだ、いい加減にしろ!」と叫んでも、国連から英米露中(中共)がいなくならない限りは無理なのである。(ただしフランスは日本の敵国条項からの抹消を認める可能性が高い。)

 これが現実である。歴史的経緯からしてどうしようもないのだ。まさに「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び」を地で行くようだが、平和に徹して生きていくほかないではないか。そのうち英米露中以外の世界各国が日本へエールを送って来るだろう。

 英米、とくに安全保障条約を結んでいる米国の桎梏を離れるには、「武装永世中立」を宣言して集団的自衛権など考えず、つまり「大量兵器はなかった」と対イラク戦終了後にぬけぬけと言い放ったあの馬鹿ブッシュの率いるようなアメリカの「世界戦略」に引っ掛かることなく、粛々と世界の平和のみを考えるモデル国家になるべきだと考える。

 

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日本列島雪の便り

 2月初めこそポカポカ陽気だったが、ここへ来て一転して冬将軍の到来となった。

 2月7日から8日にかけて降った雪で、関東では千葉県で史上初めて積雪が20センチを超えたというし、新幹線も航空路線もマヒ状態が続いたなどと、全国ニュースのトップで流された。

 自分の東京時代、もう今から50年、60年前のことだが、東京の冬はもっと寒かった。まだ幼児のころの記憶だが、道路の真ん中が除雪され、その分道路脇に積み上げられていたのだが、高さは自分の背丈を越えているように思ったことがあった。幼児だから身長といっても6、70センチ位だったろうからえらく積もったように感じたのだろうが、それでも50センチは降ったのではなかろうか。

 2、30センチ積もるのは一冬に3回くらいはあったし、高校生の時の記憶では4月上旬に15、6センチ積もるという時ならぬ春の大雪も経験している。この時はさすがに山手線も運休し、学校も休校状態だった。

 雪ならずとも霜柱の立つことはしょっちゅうで、霜柱の長さ(高さ)が5センチ以上の日はざらだった。寒いのは東京の北郊だったせいもあるが、道路自体も幹線道路以外、さほど舗装されていないという道路事情が拍車をかけていたと思う。

 それでも外で遊ぶから、ひび切れ、あかぎれなどは絶えたことがなかった。まあ「子供は風の子」を地で行くような幼少年期だったからな・・・。

 雪合戦・雪だるま遊びも冬の定番―というにはちと降る雪の量が物足りなかったが、それでも坂の多い町だったので、木製のミカン箱を胴体にし、竹の火であぶって曲げたのを脚に取り付けたソリを作って坂道を滑り下りたなんてこともあった。これはたいてい2回も滑ると竹製の脚がガタガタになっておじゃんになったがね・・・。でも、それはそれでワクワクした。

 あの頃は手作りの遊び道具というのが多かったなあ。・・・こんなことを思い出していると懐旧の感がぬぐえない。懐かしい。

 今日の午前中、岡山にいる息子が向こうの雪の様子を写真付きのメールで送って寄越した。何でも地元のニュースでは「10年来の大雪」と報じているそうだ。 Grp_0002_2 昨日の土曜日に降り続いた雪で住んでいる寮の周りは完全に雪に覆われたようだ。Grl_0000 大きな雪だるまもできている。この大きさだと1週間は溶けずに残っているだろう。Grp_0001 近所の通りも車の轍がかえって雪の積もり具合を表している。でもこのあとの凍結が心配だ。

 そう言えば去年は鹿屋でも正月元旦に珍しい雪景色が見られたが、今年は霜は結構降りてはいるのに雪の到来はいまだに無い。わざわざ降らなくても良いが、こういった雪景色をみているとひと雪欲しい気にもなる。

 

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ついに来た!スギ花粉。

 昨日はほぼ終日外で仕事をしていたのだが、午前中に3~4回、鼻のむずむず感とくしゃみ・水っぱなが出始めた。

 「これは来たな」―朝の地元のニュース局では花粉情報を流しているが、大隅地区は曽於市が「多い」で、錦江町が「少ない」だったので、錦江町の杉の多い町でも少ないなら、鹿屋は大したことあるまいと高をくくっていた。

 鹿屋の笠野原台地の一隅にあるため、周りは広大な畑地帯で、見た目には杉の樹林帯など無いのだが、やはり風に乗って花粉が飛び回っているのだろう。

 2年前以前だとスギ花粉が飛び始める半月くらい前から、抗アレルギー剤薬を予防的に飲み始め四月の最初の頃まで飲み続けたのだが、2年前に鼻腔内のレーザー光線手術を受けてからはクスリとは無縁になった。

 今年も1月16日に末吉町の末吉耳鼻咽喉科クリニックで受けて来た。もう3回目とあって先生との会話も弾む。―「もう、晩酌はやめた方がいいですよ。」と先生。酒がアレルギー状態を悪化させるためである。・・・「いや、晩酌のために来たんですよ」と本心。―「は、ははは」先生は呆れ顔で大笑い。

 おかげで、スギ花粉シーズンでも晩酌は欠かさずに済んでいる。以前だったら晩酌をすると大量の鼻水が出て止まらず、寝てからは今度は逆に鼻詰まりで眠られず、酷い状態だったのである。

 もっとも昨夜はいくらか鼻詰まりの前駆症状はあったが、鼻閉までには至らなかった。鼻腔の内部を焼いているとはいえ、やはりシーズン初めのスギ花粉には若干アレルギー的な反応を示したのだろう。直きに馴れて来ると思う。といってシーズン中は無理な外出は控え、外出時には必ずマスクを着用すること―これは欠かせない。

 ※スギ花粉症に朗報か――今朝のTBS「はなまるマーケット」を見ていたら、今度、厚生省でスギ花粉症治療のうち「舌下免疫療法」というのが、保険診療の対象になった―という記事が紹介されていた。

 以前からある「減感作療法」という、皮下注射でスギ花粉のエキスを体内に入れてアレルギー症状を馴化減少させて行く方法の「舌下」版だそうで、日本医科大学の大久保公裕教授が開発したやり方である 。Cimg7850 このやり方だと4つのメリットがあるという。Cimg7860花粉症の時に医者にかかると目薬を渡されるが、そんな感じの容器の中に花粉のエキスが入っていて自分で舌下に垂らして2,3分待つだけよいから、通院する必要がなく、副作用が少なく、保険が効くので費用も安い。

 ただ、期間は減感作療法と同じく2~3年はかかるので、気長に続ける必要がある。Cimg7858 被験者の2~3年の結果では、完治が3割、改善が4割の成果が上がっているそうだ。

 報道でも言っていたが、国民の4分の1が罹っているといわれるスギ花粉症。もしそのうちの3割が完治できれば「国民栄誉賞」ものに違いない。

 もっとも、そう気長ではない自分には向いていないかもしれない。多分これからも年に一回、治療時間は鼻腔内の部分麻酔の時間を入れても30分で済むレーザー光線治療を続けて行くだろう。

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春を告げる梅の開花(鹿屋市田崎町)

 田崎の県道を走ると、そこここに梅が花を開いていた。Cimg7831 県道と防衛施設庁の管理地の間に一本の梅が―。Cimg7834 五分咲きまではいかないが、開き方は見事。

 一昨日から日中の気温が20℃近くまで上がり、一気に開き始めたのだろう。Cimg7837 田崎神社を挟んでもう一本の大きな梅の木が花を咲かせている。(向こうの大きなクスノキは田崎神社のシンボル)Cimg7836 こちらは3分咲きといったところ。Cimg7839 県道を挟んで向かい側には梅林があった。個人のもので柵がしてある。向うに見える左側の建物は「田崎グラウンドゴルフ場」の入り口事務所だ。Cimg7840 梅の木は30本くらい、まだ10年ほどの樹齢だろうか。咲き始めたばかりだ。

 この梅林の近くには山茶花の群落もあり、まだ旺盛に花を着けている。Cimg7841 去年の12月半ばから、もう一ヶ月半も咲き続けている。2月に入ってからのこのような開花状況は初めてのような気がする。

 赤い山茶花と白い梅と―自然は初冬から早春への衣替えの時期に差しかかっている。そろそろスギ花粉の飛散も心配だが・・・。

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