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桜島大正噴火100周年

 今日の午後、KTSテレビ番組でラサール石井が司会する桜島特番があった。

 桜島の北部に位置する「黒神小学校」の教室を使い、京都大学桜島火山研究所長の井口氏を招いて小学生に桜島噴火のメカニズムと、100年前の大正3(1914)年1月12日に起きた大噴火の模様を学習するというものだった。Cimg8279桜島は今から2万5千年ほど前に現在の霧島市国分を中心に噴出した「姶良カルデラ」の南の縁相当する外輪山で、10500年頃に大規模に噴火して現在の姿になった。

 2万5千年前の噴出物が俗に「シラス」と呼ばれている火山灰で、鹿児島県のほぼ全域を覆い、厚い所では100㍍も積もっており、それまで住んでいた旧石器時代の南九州人はまず死に絶えただろうと言われている。

 10500年前の桜島の出現時の大噴火も相当なものだったが、 この時は生き残った人々は多かったようで、縄文草創期(11000年前以前)と縄文早期(10000年前~7000年前)とでは土器に様式上の連続性がある。早期の終わり頃には世界で最も古い「壺型土器」が作られるほど先進的だったのだが、6500年頃に起きた南海上の「喜界カルデラ」の噴出で縄文早期の先進文化は壊滅してしまった。Cimg8273 夕闇に映える桜島の噴火(この写真は徳島県の写真館経営の人が桜島の小噴火にほれ込んで月一くらいの割合でせっせと足を運んで写した作品である。)

 100年前の大噴火によって桜島が大隅半島と地続きになったのはよく知られているが、死者の数が58人だったことまで知る人は少ないだろう。Cimg8264 さらに桜島には当時2万人近い人々が暮らし、5つほどの集落が呑み込まれて移住を余儀なくされ、鹿児島市はもとより大隅半島の各地に入植しているのであるが、他県人には知られていないと思う。

 けれども10数年前に東京都の三原山が大噴火を起こし、全島民が避難したことがあったので、そのことを思い出せば桜島の噴火の大きさと苦難が想像できるだろう。

 桜島はその後もしばしば小噴火を繰り返し、降灰は春から夏は鹿児島市を中心とする薩摩半島に、また秋から冬にかけては大隅半島に被害をもたらしている。Cimg8281 そんな桜島に住むお年寄りは、「桜島は大噴火を起きさえしなければいいところだ」と言う。降灰や爆発・噴火の恐れを口にしても仕方がない、気候温暖の恵み、海の恵みといういいところだけを前向きにとらえてこう話す。 Cimg8284 降灰のため、時には目を開けて歩けないような日もある鹿児島市内の住民もやはり前向きだ。

 このように火山の爆発・噴火を日常的に目の当たりにしてもなおここに暮らして行く鹿児島県人、熊本県人 そして一部の宮崎県人の気質は「火を恐れず、共に生きる」ということから神話上「ホスセリ(火須勢理)」(火が勢いよく燃え盛る)とされる「隼人の祖」にダブってくる。

 隼人以前の南九州人は「熊曾」と言ったが、「熊」は「能」+「火」の合成語で「火をコントロールできる」と言う意味であり、これはさっきの隼人の祖「ホスセリ」と同義と言ってよいのである。また、熊という動物は動物の中では珍しく火をこわがらないそうだが、その意味で「能+火」の「熊」という字をあてがわれたに違いない。

 先日(3月16日)、「三国名勝図会から学ぶ歴史講座」で、頴娃郷について学んだのだが、その中の「開聞神社」(かいもんじんじゃ。「ひらききじんじゃ」ともいう)の項で、開聞岳の大噴火で神社は壊滅的な被害を受けた―という記事を読んでいて「これあるかな」といたく感じ入った部分があった。

 それは貞観16年というから西暦874年のことであったが、開聞岳の大噴火と開聞神社の大惨禍が大宰府を経由して朝廷に報告されると、「開聞神山」の怒りを鎮めようとして勅使を差し向け封戸2000戸を神社に賜ったという。

 それはそれでいいのだが、勅使に立った人物がすごいのだ。何と右大臣・藤原基経が勅使としてはるばる開聞までやって来たのだそうだ。当時の天皇は清和天皇、左大臣は源融、そして右大臣が基経。都を去ること数百里の辺陬の地に時の最高クラスの顕官がわざわざ下向して開聞岳の噴火を「神の怒り」とし、それを和らげようとしたのである。(基経は不比等の次男房前の子孫でその6代目が道長)

 いかに当時、火山の噴火が畏れられていたかがよく分かる記事で、このような土地柄の地に住み火(山)と共に生きる南九州人は、ある種の「畏敬の念」をもって見られていたと類推しても構わないだろう。

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ああ、嗚呼、モンゴル大相撲

 モンゴル人横綱がもう一人誕生した。鶴竜である。Cimg8204 これで大相撲の最高位である横綱は三人になったが 、すべてモンゴルからの新参者がタイトルを握ってしまった。Cimg8205 別にモンゴル人が横綱になって悪いとかどうとか言っているのではない。だが、・・・日本人力士はどうした!

 外国人力士が増えたのは日本の少年たちが野球やサッカーに熱中して相撲人気が落ちて行ったからだろうと思っていたが、それよりもバブル景気が影響していると今日の報道番組で知った。Cimg8214 ソ連が 崩壊してモンゴルがそのくびきから解放されたのと時を同じくして、日本ではバブルの絶頂期で、誰もが早く金になる道を選択をしている頃、1992年に元大関旭国の大島親方がモンゴル相撲の選手をスカウトしに行ったのが最初のようである。

 その時は新弟子募集をして170人から6人に絞って入門させたのだが、その中に居たのが小結まで昇進した旭鷲山で、彼は引退後帰国して実業家となり、その後政治家にもなっている。Cimg8216 モンゴル人にとって相撲の給金もすごいが、その他の懸賞金(ファイトマネー)など収入は本国からすると天文学的数字で、これにより引退後に本国での実業への道が開けたわけだ。

 文字通り裸一貫でやって来て汗を流し涙を流し、そして稼いで帰った。窃盗団や詐欺集団を送り込んで稼ぐような愚かでいかさまな隣りの大国とはわけが違う。その点は正々堂々だから文句のつけようがない。それにしても日本人力士の不甲斐なさには目を覆いたくなる。やはりハングリー精神の大きさだろうか。

 Cimg8221 日本人力士で最後の横綱は若乃花。1998年になってからで、大した活躍もしないうちに引退した。

 これから期待できるのはまず遠藤だろう。稀勢の里はもう無理ではないか。むしろ鹿児島出身の兄弟力士・千代丸、千代鳳が楽しみだ。横綱までは無理にしても三役に定着して大いに沸かせてくれればいい。

 応援も小粒になったな・・・。

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「高天原」をもとめて(曽於市末吉町)

 昨日(3月22日)は忙しい日だった。

 午前9時過ぎに、『大隅57号』の原稿の中で、最終校正でもっとも赤字訂正の多かった九大名誉教授H先生の物の打ち合せに印刷所に走り、その足で約50キロを1時間15分ほどかけて曽於市末吉町の耳鼻科に行った。

 先生曰く、「アレルギーは、放っておけばどんどん悪くなるのです。ちゃんとマスクをしていますか。家の中こそスギ花粉が溜まるので寝る時もマスクをして寝る方がいいのです。」

 先生の説では、外で飛んでいるスギ花粉は地面に落ちたあと雨が降って流れたりしてもう舞い上がったりしないが、家の中に入ったスギ花粉は家の中では雨が降らないのでそのまま居座って悪さをする―そうである。

 なるほどな、道理で寝てから鼻が詰まったりくしゃみをしたりするものな。やはり家の中の掃除を徹底するしかないか・・・。

 

 そのあと、午後からは北九州からの来客を「メセナ温泉」で待ち合わせることになっていた。

 メセナ温泉内の食堂で昼食を摂り、しばらく時間をつぶす。

 1時半に客人が到着。この人は昨年も『三国名勝図会』に載っている「高天原」を訪ねたいと連絡をよこしたのだが、あいにく去年の3月のこの時期に邪馬台国関係の調査で福岡県朝倉市、春日市、糸島市、佐賀県唐津市、多久市、小城市、佐賀市そして吉野ヶ里公園を回っていたので今年初めて会うことになったのである。

 会ってみて予想よりずっと若い人なのにはちょっと驚いた。

 挨拶もそこそこに「高天原」へ急いだ。

 道々話を聞くと霧島市のイザナギ神社が彼の守護神社とのこと。去年も3月のこの時期に来てイザナギ神社に詣で、独特の「修行」をするらしい(具体的にどんな修行をするのかは聞かなかった)。

 イザナギノ命の縁で調べているうちに、わがホームページに行き当たり、『三国名勝図会』が記すところの末吉町南之郷周辺の「高山のすえ、低山のすえよりさくなだりに落ちたぎつ早川の瀬に坐すセオリツヒメという神・・・」などの伝承地を目で確かめてみたいとの思いで訪ねて来たとのことであった。

 実は去年の春、私はその伝承地を訪ねてブログにも書いておいたのだが、彼はそれを見てなおさら探訪したいということで今回の訪問となったわけである。

 まずは、桜谷(さくらだに)を目指して南之郷の高岡小学校付近から南の谷に入った。この桜谷には人家は無く、1キロ余り入ってようやく田んぼ地帯が見えてくる。田んぼと言っても沢沿いの細長い田んぼで、よくもこんなところにまで田があるな―というような場所である。

 次に目指したのは、桜谷の上流を登りつめ、峠を越えたところにある「吉原」集落で、ここは曽於市ではなく志布志市の領域で、さっきの道に戻り右折して東方向へ行き、高岡口というちょっとした峠を右に(南に)折れたところにある。

 途中で「花房峡」を見たいというので、寄り道をすることにした。Cimg8192 花房峡キャンプ場入り口にて。

 花房峡に降りてみたが、途中の道はイノシシの掘り返しがひどくて歩きにくかった。冬場の山間はどうしてもこうなるのだが、仕方あるまい。

 花房峡から僅かに県道を南へいよいよ「吉原」だが、やはり去年出かけて確かめたように、「高天原」への道は荒れていて行くことは不可能であった。Cimg8195 雨が降れば沢になる道しかなかった。ここを登りつめ、さっきの桜谷からの道を合わせた辺りが「高天原」であろう―とは『三国名勝図会』の見解であるが、ではその「高天原」に神々は居るのかというと、まず居ないだろう、いや居るはずはないだろう。高天原とは天上の世界だからである。天上とはどこなのか? もっともっと高い山の上か、宇宙か。宇宙にもロケットが飛んでいく時代だからいずれ発見されるのだろうか? 答えは「否」だ。なにしろ見えない世界なのだから・・・。

 「吉原」に住んでいる人たちが、囲炉裏を囲んでの子供への昔語りに―「このあたりで一番高い山に高天原から祖先が降りてきたのだよ。」―ということであるに違いない。吉原に肝付姓の人々が住んでいるが、おそらく高山の肝付氏が島津氏の軍門に下った(天正2年=1572)あと、多くの家臣が高山から末吉に移住(改易)させられているが、その中にいた肝付氏一族の誰かがこの山中に居を移したのかも知れない。

 あるいは高山一郷をいったんは安堵された肝付氏本宗は天正8年(1580)に薩摩半島の阿多に改易されたが、一族のうち誰かがひそかに逃れてここに入植したということかも知れない。島津氏は負け組には厳しく、最終的に根絶やしにする傾向が強いからである。

 「葦原中つ国」にちなんでわが山中の小宇宙を「葦原」と呼び、「あしはら」では「悪し原」となって語呂が悪いので 「吉原」に改称したのではないか。

 吉原から再び県道に戻り、さっきとは逆に北上する。途中スタンドでガソリンを満たし、そこから約3キロほど行くと「中岳ダム入り口」があるから左折する。Cimg8196 中岳ダムは畑への潅漑用ダムで、上流から流れ込む水量では不足するため、ポンプアップしているそうである。大淀川の源流地帯とはいえ周囲の山は500㍍に満たない山ばかりなのだから、もともとダムを満杯にするような計画は立たなかったのだろう。Cimg8198 地元の人が近くを通ったので「最高峰は橘岳と呼んでいるんですか?」と聞くが、「さあ、中岳ダムやっで、中岳じゃろかい。」と何だか頼りない返事。『三国名勝図会』では「橘嶽」とあるが、その名称は地元では通用していないようだ。Cimg8199 中岳ダムのサイトを過ぎて2キロほど行くと道はもう下りになる。途中左手に見えた高い峰がこの山塊の最高峰(452㍍)だろうか。 Cimg8200 下り切る少し手前に広がる「田代谷」(たしろだに=地元ではタシトダン)。すぐ下の農家はニワトリの放し飼いをし、またポニー馬を三頭ばかり飼っており、ブルーのビニールフェンスの内側を飛び跳ねていた。 Cimg8201 檍小学校のすぐ横に下りて来て、幅5mほどの大淀川を渡り、もとの集合場所メセナ温泉に 向かった。途中、温泉の200㍍手前に鎮座する「住吉神社」に立ち寄った。鳥居周辺のソメイヨシノがもう少しで一分咲きというところであった。

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『大隅』57号の校了

 1月下旬から大隅史談会の会誌『大隅』の57号を編集して以来、所要時間に大小はあるものの連日かかわらない日は無く、昨日ようやくほぼ執筆者校正が終わり、今日はUSBメモリーにほぼインプット(記録)し、印刷所へ持って行くことができた。

 「ほぼ」を太字にしたのは、実は完全ではないからで、2名の投稿者の最終校正がまだ到着していないからなのである。二人の分についてはあとで別のメモリーで持参することにして準備を進めていると、何と何と、一人の先生(九大の名誉教授)の分が速達で到着したではないか。

 軽微な訂正であれば出かける前に手直しをし、メモリーに追加してから行こうと思って封を切ると、どうしてどうして訂正箇所はかなり多いうえ、内容が古文書の解読ということもあってパソコン内蔵の漢字辞書に載っていないものもある。

無い字は「作字」して下さい―との朱のコメントには愕然。印刷所に問い合わせると「こちらでできますよ」とのことで一安心した。この原稿にはまだややこしい箇所があるので後回しにし、予定通り、これまでに済んでいる分のメモリーと製本契約の○○万円を持って出掛けることにした。Cimg8190 それにしてもUSBメモリー(2ギガ)の能力にはおそれいる。

 上の会誌は昨年の56号だが、A5版のこの会誌は180ページ あり、さらに今年の57号誌は190ページ以上あるのだが、この両誌がすっぽり入ってなお受容能力の80パーセントは空いているのである。

 つまりわが平均的な大隅史論集10冊分(10年分)が、こんな小さな軽しも軽し10グラムほどの物体の中に納まってしまうのだ。Cimg8191 幅2センチ、長さ6センチ、厚さ1センチ弱の極小集積回路10グラムは、10冊分、重さにして5キロほどの情報量に匹敵するわけだから、図書(図書館も?)はもう必要なくなるかもしれない。

 たとえば蔵書が10万冊ある図書館は、一冊の平均重量が500グラムとすると、重さにして5万㌔(50㌧)の書物を抱えていることになるが、メモリー化すれば 0.5㌧の半導体メモリーに置き換えられる。このメモリーを置く部屋の広さははせいぜい10畳もあれば足りよう。あとはパソコン画面様の再生機を利用人数分だけ置けばよい。このメモリーを家庭でも検索できるようにすれば、図書館に行く必要もない。

 ただし著作権にかかるものはそうは行かないので、そこが難しい。せめて著作権保護期間の切れたものから順次どんどんメモリー化して行けばよいと思う。特に歴史書などの史料集なんか、結構むかしに編纂された物が多いので、著作権に触れる心配もなくメモリー化が可能だろう。

 研究所や資料館、大学の史料編纂所などそういうことを率先して推し進めて行って欲しいものだ。辺陬の地に住んでいる人間には大変ありがたく、貴重なツールになろう。

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ウクライナの火種

 ウクライナの政権をめぐってロシア系住民と暫定政権を支持する住民とが対峙したところへ、ロシアが圧力をかけ始めた。

 「住民投票で帰属をはっきりさせる」とロシア側は言うが、ロシア軍の駐留で自由な住民投票など出来ないとする暫定政権側の肩を持つ欧米の指導者はロシアへの非難を強めつつある。国連安保理でも話し合われたが、双方の言い分は平行線をたどったままだ。Cimg8180 ロシアのプーチン大統領は幾分譲歩したような意見を言っているらしいが、本音は分からない。Cimg8181 アメリカの国務長官とロシアの外相がイギリスで話し合いをするというが、この三国とも安保理の常任理事国である。

 もし話し合いが決裂すれば、お互いに経済制裁を発動し、その間に万が一ロシア軍がウクライナにまで侵入することになれば、再び緊急の国連安保理が開かれるだろう。

 ところがロシアは安全保障常任理事国の特権(どんな決議も常任理事国の一か国が反対すれば成立しない)拒否権を持っているから、ロシアへのいかなる国際法上の制裁決議も成り立たないというジレンマに陥るのだ。

 結局はロシアの侵攻を許すことになる。

 バカな話で、現在の国連が旧枢軸国(日独伊など)を打倒する側に回った連合国による「集団自衛権組合」なので、カイロ宣言で日本の敵に回るよう英米から勧められた中華民国とヤルタ会談でやはり英米に日本の敵に回るよう勧められて日ソ中立条約をほごにして終戦間際に満州に侵攻したソ連が、ともに安全保障理事会の常任理事国となってしまった。

 さらにニクソン大統領の時に米中(中国共産党政府)が国交回復をして中華民国を見離し、これも安全保障理事会の常任理事国に据えてしまった。つまり、英米は主義主張は反共でありながら、日本やドイツを敵とみなす国家は国連の「お友だち」(連合国)なのであり、常任理事国にしていて何の疑問も感じていないのである。 これは国連憲章第53条に載るところの「敵国条項」の規定が今でも生きている証拠ともなっている。

 日米は最も強い絆で結ばれている―と言っても、これある限り米が主、日本が従という関係は永遠に変わらないし、日米間の「集団的自衛権」というのも有り得ない。

 もし安倍さんがそれを望むなら、同時に「敵国条項」の撤廃を謳わなければ意味がないのである。しかし撤廃をするには安全保障会議の常任理事国の全部の賛成を得なければならないので、まず、中露がいる限り無理だろう。これと同じことが日本の「常任理事国入り」で、これも同じ理由で拒否されるはずである。米英も内心では認めないだろう、なぜならそうすれば現在の国連成立の経緯を根底から覆すからである。

 ロシアの侵攻に対してアメリカはどう出るか、国連決議が成立しない以上手をこまぬいて見守るか、ウクライナ暫定政権の支持者の身の安全を守るために武器の供与でも始めるか、予断を許さない情勢が続きそうだ。今回は間違っても日本へ「集団的自衛権」に基づく兵員や武器の出動要請は来ないだろう、国連内の内輪もめなのだから。

 

 

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茶畑のスプリンクラー(鹿屋市池園町)

 昨夜は鼻詰まりでしょっちゅう起きては鼻をかんだり、頭の向きを変えたりで熟睡が出来なかった。

 朝はいつもより1時間近く遅い7時に起床し、急いでウメを散歩に連れ出した。

 その寒いこと寒いこと、辺り一面が霜で真っ白だ。Cimg8176 3月も中旬に入ってからの霜にしてはかなり強い。

 いつもの散歩コースの南奥にぽつんと一軒だけ離れた農家があるが、 その家の手前にある茶畑でスプリンクラーが回り、水が勢いよく吹き出しているのが 目に入った。

 茶の新芽が霜でやられないように噴霧しているところだ。

 散歩を終えてからウメを犬小舎に繋いだあと、すぐにデジカメを持って現場に行った。Cimg8173 (写真に入力されている日付が間違っている。2014.3.11が正解)

 この茶畑の広さは50㍍×150㍍くらいで、1ヘクタールには満たないが、茶の畝の中に15㍍くらいの間隔でスプリンクラーが設置され、 出てくる水の力によってくるくる回りながら、 勢いよく茶の上に霧状の水を噴きかけている。Cimg8178 茶畑の防霜対策ではこのほかに、防霜ファンという扇風機のお化けのようなファンで霜の降りるのを防ぐ方法もある。

 しかし防霜ファンは電柱のような高い所にファンを取り付ける設備が高価なうえ、一晩中回さなければならないので電力消費が大きく、また台風で倒れたりすることもあり、コスト面ではスプリンクラーに 太刀打ちできない。

 もっともスプリンクラーは導水管の敷設が前提なので、どこにでも設置できるわけではないが・・・。

 ―閑話休題―

 

 春が間近に迫っている風物詩の一つとして茶畑の防霜用散水の風景だけ紹介すればよかったのだが、昔、といっても十数年前だが、大隅半島有数の茶の産地であるい旧田代町(大合併後の現在は錦江町田代)の大原地区に住んでいた時に、見渡せる山々のあちこちの中腹にニョキニョキと防霜ファンの立つ景色に馴染んでいたのでつい余計なことを書いた。

 でも、今日、こちらでの最低気温は-2℃であれば、田代の大原はさらに2℃は低いはずで、向こうでも今日はファンが盛んに回っているだろうなと思い出している。Cimg8179 春よ早く来い。寒さも花粉も追い出してくれ。高千穂の峰が真北にぼうっと霞んでいた。

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春浅くして雪深し

 雪が深いなどというタイトルでは雪国の人に申し訳ないが、この冬、雪の一度も降らなかった当地で朝の犬の散歩に出てみたら、四周の山々が真っ白になっていたのには驚いた。

 寒さは昨日の朝の方が強く、今朝は霜も降っていなかったのだが、どんよりした曇り空に霞んで見える山々がかなり白かった。最初見た時は低い雲が山肌を覆い尽くしているのだろうと思ったのだが、明るさを増してくるとどうやら本物の雪が積もっているようなのだ。Cimg8168 肝属山地の霊峰「国見岳」。887m。Cimg8169 肝属山地の最高峰「 甫余志岳」968m。Cimg8171 吾平富士こと「中岳」とその後方に聳える「 八山岳」(最近は「大尾岳」と呼ぶらしい)941m。見たところ標高500m位から上で雪が相当に降り積もったようだ。

 上掲の三写真は晴れ間の広がって来た11頃に、吾平町内で撮影した。

 大隅半島の「高隈山地」は我が家の北側の畑地帯からよく見える。Cimg8155 我が家辺りから見える主峰は御岳1182m。この山は9合目から上が 岩峰なので 積もった感じはなかなかアルペン的である。Cimg8157 左端のピークは「妻岳」といい、1145mのピラミッドだ。登り勾配は40度ほどあるだろう。だが不思議なことに岩峰ではない。Cimg8158 ズームアップぎりぎりで撮影。どう見ても北方の雪の嶺ではないか。Cimg8163 我が家から西へ5、600メートル 行くと田淵町との境に茶畑があり、茶畑越しに実は桜島が見える。さっきの高隅連山の稜線を西(左方向)へ辿ると、左端近くにこんもりと白いものが目に入る。これが桜島(の頭)である。 Cimg8165 これもぎりぎりズームアップで何とか撮影。晴れてはいるが快晴でないうえ、大陸由来のPМ2.5の影響もあり、霞んでいるのが残念だ。

 遠望とはいえ雪の情景は清々しくていい。できればひと冬に一度くらいは平地にも 降り積もって欲しいものである。

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岩ツツジ(鹿屋市萩塚町)

 このところ春先特有の「三寒四温」が続く。

 寒さに堪えて咲いていた梅花がいつの間にか散ると、次に待たれるのが桜だが、まだ一月半も先の話だ。

 その間に咲く樹花でもっとも美しいのが岩ツツジだろう。ミツバツツジとも言うが、蓮華色の花が葉に先立って燃え立つように(というより、萌え立つように)咲き誇る。Cimg8096 多くは庭園樹として植えられているので、道路際の塀越しで よく見られる。 Cimg8093 ここのは塀からはみ出して いるので近寄って見ると 、ミツバチが何匹か飛び回っていた。Cimg8094 この向かいの家のはよくできた和風庭園の中に、ひときわ華やぎを副えている。Cimg8095 ズームアップしてみたが 、ことさら剪定はしていないようだ。岩ツツジの野趣に任せるのだろう。そういえばどこの庭の岩ツツジも剪定バサミを入れていない。もともと園芸品種ではなく自然のものだからだろうか。

 同じ道路沿いの人家に白モクレンが咲いていた。Cimg8092 こっちはもう盛りを過ぎ、ときおり大きな白い花びらがひらひらと舞っていた。 Cimg8091 家並みを過ぎたところの畑には菜の花が。

 菜種油を採るための花ではなく、景観植物として種を蒔いたのかもしれない。もしくは、土に鋤き込んでカライモ(さつまいも)用に肥料の代用としてか。「どっちも!」だろう。

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近ごろ大流行りの物(鹿屋市田淵町・下堀町ほか)

 我が家も御他聞に漏れずというか、ついこの間、家庭用ソーラーパネルを設置したが、事業用のメガソーラー(太陽光発電所)の開設が近隣で相次いでいる。

 このブログでも肝付町のや串良町のを紹介したことがあったが、ここへ来てわが町内(田淵町)にもとなり町にも、やや規模は小さいもののメガソーラーの普及はすさまじい。Cimg8039 自宅から西へ1.5キロほど行くと、田淵町太陽光発電所工事という看板が立ち、右手奥にブルーシートなどが見え、工事中であることが分かる。Cimg8041 入って行くと、今日は日曜のため工事は休みであったが、中を覗いてみると パネルを載せる固定バー用の支柱がにょきにょきと建ち並んでいた。Cimg8042 奥の方から設置が始まっていて、もう全体の半分ほどが完成しているように見えた。

 この西隣りにも規模が半分くらいのメガソーラーが建設中であった。Cimg8044 ここを眺めていると、向かいの家の人が庭に出て来たので話を聞くと、最初に見たメガソーラーは農協(JA)が建設しているが、こちらのは個人事業者で、規模は三分の一程度ではないかという。Cimg8048 田淵町の現場から2キロほど行った所に鹿屋高等技術専門校という県の職業訓練施設があり、ここの前庭のような位置にもメガソーラーが出来ている。当然、専門校の設備だろうと思ったが、立ち入り禁止の小さな案内板には○○銀行とあった。Cimg8052 ここから南へ2キロほど行くと、池園町と萩塚町の境にある交差点に行き当たるが、そこをさらに南へ200㍍も行くと、右手に牧場(馬)の跡地がある。

 つい最近牧場の方はやめたらしく、馬を走らせる場所にいつのまにかたくさんのパネルが設置され、金網で囲まれていた。 Cimg8051 馬の牧場がメガソーラーに変わったのは 串良町の例があった。

 あそこは確か、現事業主(牧場主)が「家庭用なら500軒分くらいの規模」と言っていたが、それと同じくらいか。

 いずれにしても「再生可能エネルギー」の大きな柱である太陽光発電が着々と増加しているのは、いいことだと思う。

 想定外だったとはいえ、東京電力福島原発のメルトダウンによる損害は計り知れず、いまだに復旧(というより解体)の目途が立たない状況を見るにつけ、原発は限りなくゼロに近づけるべきだが、その一助に大いに役に立つ。

 小さな発電所でも数が多くなれば、かなりのエネルギーをクリーンかつ安全にもたらすに違いない。また過疎地の空いた土地の有効利用としても期待が持てる。

 

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