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月例会の開催が決まる(大隅史談会)

 属している大隅史談会の平成26年度第一回役員会が鹿屋市のホテルこばやしで開かれ、25年度の決算報告・事業報告などが承認され、引き続いて新刊書『大隅57号』の紹介と、26年度の事業計画が協議された。

 その中で今年度から毎月第4日曜日の午後に「月例会」を開催して行くことが本決まりになり、記念すべき第1回目を5月25日(日)に行うことになった。

 講師に鹿児島国際大学大学院特任教授で文学博士、隼人研究の第一人者・中村明蔵先生をお招きし、奈良時代初頭に大隅国が古日向国から分立された時代相と、その頃の大隅鹿屋地区の状況を交えて語っていただくことにした。

 大隅史談会26年度第一回月例会のあらましは次の通り。

  期 日  5月25日(日)

  時 間  13:30~16:30

  演 題  「大隅国分立と姶羅郡鹿屋郷」

  講 師   中村明蔵・鹿児島国際大学大学院特任教授

  場 所  鹿屋医療プラザ(健康増進センター)小ホール

        ※国道269号線沿い(鹿屋農業高校から北東へ150㍍右側)

  参加費  資料代として500円

 

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ブルーインパルスとばら園

 一昨日リハーサル飛行を家の近くで見たブルーインパルス。

 昨日は本番で、午後、かのやばら園のある霧島が丘に行って見て来たが、あの五輪マークに色が着くのではないかと期待して眺めていたのだが、残念ながらそれは無かった。Cimg8565 今にも降り出しそうな曇り空にきれいな筋状の輪が描かれたのは見事だった。 Cimg8570 最後に2機のインパルス機が至近距離を追いかけるように飛び、先を行く一機は逆さま、それを追いかけつつ螺旋状の航跡を描いて猛スピードで低空を走り去ったが、これは見応えがあった。  

  航空ショーが終わってから、今度は同じ霧島が丘にあるバラ園に行った。

 まだ一分咲きだったが、種類によっては開花の進んだものもあり、園内にいた管理作業員の話ではゴールデンウィーク後半からが見頃を迎えるのではないかとのことであった。Cimg8588 咲いているものは咲いている。Cimg8584 グラデーションの何とも言えない花もある。Cimg8587 Cimg8592 Cimg8585 光の具合では面白い色合いの出るバラ。Cimg8593 これはハイジという名が付いていた。

  『かのやばら園2014春のばら祭り』

     期 間  4月26日~6月1日

     入園料  大人620円 小中高生110円

       

 

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からいも畑とブルーインパルス

 今年の4月はいつまでも寒く、とくに朝の冷え込みが下旬に入っても10℃を下回る日が多い。

 そのためと思うが、からいも(サツマイモ)の植え付けが遅れている。我が家の県道を挟んだ北側の畑地帯でも、ようやく苗を植え付けていく姿が多くなってきた。Cimg8518 午前中から植え付けを始めた畑。昼過ぎにはもう8割方植え付けた。Cimg8501 3時間近くもこのように中腰になって、金属製の箸のような物でマルチしたビニールに穴を開けながら一本ずつ手際よく苗を挿し込んで行く。腰に負担がかかるだろうな。でも1年に一遍のことだから・・・(ただし畑一枚に付きの話)。腰をさすりながらも植え付け終った達成感が何とも言えないのだろう。(多少の経験はしているので・・・)

 と、空からバリバリという凄い音が―。Cimg8502 北東の空を銀色に光る3機が、いや

その後ろにさらに3機。Cimg8510 いったん東へ飛び、Uターンしてきた。すさまじいスピード。ブルーインパルスだ。

 あす(27日)、海上自衛隊鹿屋航空隊基地で開催される「エアーメモリアル」の練習である。明日もこのあたりで見物しようかと思っていたのだが、もうリハーサルを見られるとは。 Cimg8512 そのまま編隊を組んで 鹿屋航空隊基地上空に一直線で向かって行く。

 しばらく往復するのを眺めていると、今度は5機が西に向かいつつ高く上がったかと思うと、同じくらいの高度で一斉に旋回を始めた。Cimg8522 そのまま上空を飛んで行ったが、Cimg8524 大回りしたあと、Cimg8516 やったぜ、五輪のマーク。

 ああ、これだな、明日の目玉は。東京オリンピックの開会式で見事な5色の五輪マークを青い空に描いたのがこのブルーインパルスだった。

 2020年の東京オリンピックを予祝するのだろう。今日のは色がついていなかったが、やはり 明日の本番では着けるに違いない。快晴なら最高のショーになろう。

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揖宿郷・山川郷歴史散歩

 毎月第3日曜の午後に催している「おおすみ歴史講座」の受講生メンバーとは、一年に二回のペースで、学習した地域の歴史散歩に出かけるが、今回は初めての1泊2日の日程で指宿・山川方面に行った。

 出発は4月19日土曜日の昼。今回の参加者は9名であった。

 垂水フェリー発が13:00。鴨池港から産業道路を南下して、指宿へ向かう。見どころは10数ヶ所だが、その時の詳細はホームページに記録するので、ブログではコースのみを記しておくことにする。

<1日目>

 鴨池港―清泉寺跡(谷山七ツ島)―喜入肝付氏領主館跡(喜入小学校)―海運王・浜崎太平次関連遺跡(指宿市潟口~湊)―(一日目終了=宿泊)

<2日目>

 山川港界隈(津口番所跡―熊野神社―薬園跡(旧山川小跡)―地頭仮屋跡の山川石製塀―河野覚兵衛一族墓塔群―旧正龍寺墓地墓塔群―海運山正龍寺―道の駅)―浜児ヶ水―徳光(前田利右衛門の墓)―枚聞神社―大山(大山巌元帥銅像)―成川遺跡―橋牟礼遺跡―今和泉島津家墓塔群―道の駅を経由して鴨池港へ

 垂水港着が17:20。北田池駐車場着17:50。ここで解散。

 最初に行った谷山の清泉寺跡と最後の指宿市今和泉にある今和泉島津家墓地でのスナップ写真のみここに掲載する。Cimg8435 後ろの岩の下から、清泉がこんこんと湧き出ている。「清泉寺」の寺名の由緒がここにある。 この寺で垂水新城島津家の初代・大和守久章が誅殺され、その巨大な五輪塔墓がある。Cimg8471 最後に訪れた今和泉島津家の墓塔群。写真の墓は初代・忠郷(たださと)のもの。

 どちらも江戸期になって新立された一門家だが、著しく明暗を分けている。内容の詳細はホームページに譲るのでそちらを覗いて欲しい(近日中にアップします)。

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ウメの散歩にモモが!

 朝6時過ぎのウメの散歩。この冬から、朝は県道を挟んで北側の畑地帯を連れて歩くことにしている。Cimg8416 周りはイモ畑で、この畑はつい一昨日に植え付けていた。Cimg8403 今朝はイモ畑を写してみようとデジカメをポケットに入れて出かけた。まだほとんどのイモ畑は 黒マルチ(草を抑えるためのビニール覆い)が済んだばかりで苗を植えているところが少ない。勢いウメの姿を写すことになるが、なかなかこっちを向いてくれない。下手にしゃがんで写そうとするとレンズに向かって突進してくるから厄介だ。Cimg8406 ところがどうした風の吹き回しか、くるっとこっちを向いてくれたのである。・・・れれ!なんだウンコか。 数秒か10秒程度はじっとして動かないから、次善のシャッターチャンスではあるな。Cimg8407 ここで序でにウンチクのある話を・・・。散歩にはいつもこの容器を持って行く。2リットル入りの焼酎のペットボトルを真ん中のあたりでやや斜めにスライスし、取っ手の付いた方を使用する。何でしょう・・・自称「ウンコキャッチャー」、正式名は「犬の糞取り器」。Cimg8409 使用上のコツは、あらかじめ中に砂または庭土をコップ一杯分くらい入れておくこと。こうすると軟便の時でも容器にべたつかない。写すのは差し控えたが、犬のお尻の方に持って行って直接キャッチしてもよし、下に落ちたのをシャベルで掬う要領で確保するもよし。いつもは直接キャッチ法を採用しているのだが、今朝は写真を撮る都合上、糞の落下に任せて地面から掬い上げる方法に替えた。ウメの場合ほとんどそういうことはないのだが 、軟便だった場合は容器の中の砂もしくは土を便にたっぷり振り掛けて素早く掬い上げるとよい。

 糞取り法の解説が長くなってしまったが、犬の散歩に欠かせない「糞の始末のエチケット」を守るうえで多少の参考になるかと思いここに掲げておいた。隣近所とのフン争にならぬよう!Cimg8423 1、5キロほどの散歩も終盤に差し掛かったところでひょいと後ろを振り返ると、道路端のにんにく畑の中に猫が潜んでいるのに気付いた。何だ、モモじゃないか。Cimg8424 指笛を吹くとそろそろとこっちに向かって来た。Cimg8428 我々の所まで来るとウメが大喜びで突進の構えをすると、身を引いて背中を高くしてモモは反撃の構え。

  もちろん反撃などせず、プイと身を翻してさっさと横へ歩く。そしてビニールハウスの間の道に入って行った。Cimg8430―さあ今日はこれから何をして過ごそうかな。

―いいな、モモは自由で・・・。

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「STAP現象には合理性がある」

 先日「涙の記者会見」を行ったSTAP細胞の作成者で理化学研究所のユニットリーダー小保方晴子氏の上司で、発生・再生科学総合研究副センター長の笹井芳樹氏が今日、東京都内で記者会見に臨んだ。

 笹井氏は小保方氏の採用に絡み、小保方氏のイギリスの科学雑誌ネイチャーにSTAP細胞論文を載せる際に論文への助言指導を行っているので、理研調査委員会が下した「小保方論文には捏造と偽装がある」との結論により、上司としての責任が問われることになったが、その釈明のために記者会見をセッティングしたものである。Cimg8374 記者からの質問は多岐にわたるが、もっとも多い質問が「共同執筆者として名を連ねている以上、細部まで目を通したのであろうから、二枚の偽装と取れる写真使用の不正に気付かなかったのか?」というものであった。(写真は読売テレビから)

 笹井氏は「主に小保方氏と組んで実験を行ったのは山梨大学の若山教授で、大学院の学生なら実験ノートを見せてごらんと命じることが可能だが研究者相手のことなのでおいそれと言えない面がある」とやや言い訳がましく答えていた。Cimg8388 小保方氏の師弟・共同研究者関係。Cimg8380 論文撤回にはどうやら同意するようである。理研の意向には逆らえないのか。Cimg8384 「 「「STAP細胞はあるのか、無いのか?」という質問には、STAP現象という言葉を使い、「あるとしないと説明のつかない現象が多数見られる」とし、存在を否定する「反証」が無い以上、有るということには 歴然とした合理性がある―と答えた。Cimg8387 記者の一人が『小保方氏は実験にはコツがある と言いますが、それはどのようなことでしょうか?」との質問には、「どうにも説明のつかないことのようで、私も確認したわけではなく、彼女に再現の実権をやってもらうしかないと思います」と逃げた。

 一体全体、小保方氏の細胞に対して与える「刺激」とは何だろうか? 結局振出しに戻った感がある。前々回のブログ「涙の記者会見」でも触れたが、小保方氏独特のというか特有の刺激の仕方というのは極めてメンタルなものなのではないだろうか。

 そもそも神秘な生命現象の始原的な発生には、機械(物理)的な合理性以上のものが存在すると考えて何らおかしくないはずで、小保方氏の体得している生命現象への感性(霊性?)については説明が困難だろう。

 科学的説明のつかない分野に入りつつあるような気がしてならないのである。

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宇喜多秀家潜居跡整備記念講演会(垂水市松ヶ崎)

 慶長5年(1600)9月、天下分け目の関ヶ原の戦いは西軍に属すると見えていた小早川秀秋の離反により西軍の総崩れとなり、わずか半日で勝敗が決まった。

 その時に有名な薩摩島津氏の「退き口」が敢行され、島津義弘主従は堂々と敵中を突破して大坂堺に落ち延び、そこから船で日向細島港に到り鹿児島へ帰還したのだが、1500の手勢のうち戻ったのは30数名という完敗を喫している。

 島津氏はすぐに領内を守るべく、態勢を整え東軍の訴追に備えた。翌年になって岡山城主で豊臣五大老のひとり宇喜多秀家主従が島津氏を頼って下向して来たのであるが、なにしろ西軍の副大将であった秀家であるから島津氏以上に東軍の詮議はやかましい。

 まかり間違えば賊将を匿ったとして島津氏への懲罰は相当なものになるはずで、苦慮した島津義弘は大隅半島垂水牛根に本拠を持つかっての平家の落人でもあった平野家に預かってもらうことにした。

 時代は違うが、同じ落人ということで平野家では歓待し、牛根山中にあった本宅(上屋敷)を秀家主従の住まいとし、自分たちは海岸べりの下屋敷に移り住むことにして、秀家をかばったのであった。牛根に住むこと2年3ヶ月、義弘の子・忠恒(のちに家久=江戸期島津氏第1代藩主)のとりなしにより、家康は罪一等を減じて秀家を遠島とし八丈島に流した。

 秀家主従が去ったあと、平野家では旧暦11月の初申の日に祭祀を行うようになり、それは連綿と今日まで継続されているという。

 このことに感激した岡山市ではこちらの松ヶ崎郷土史研究会との交流を開始した。今日はその関係者も含めて100人ほどが松ヶ崎公民館に集まり、記念式典が催されたのである。そのなかで志學館大学教授で県立図書館館長をも務める原口泉氏が講演を行った。

 講演を聞く前にまずは整備されたという宇喜多秀家潜居跡を見学。Cimg8360 旧国鉄大隅線の高架の下に案内板がありここから向うに上って行く。Cimg8359 約150㍍ほど行くと分岐を示す看板が立つ。左手の「七人塚」の方へ。Cimg8354 きれいな歩道をに覆いかぶさるように巨大なヤマモモの木が度肝を抜く。これを左の方へ回り込むと、今度はこれも巨大なアコウの木が・・・。Cimg8349 この木の立つ所が「七人塚」である。どこの七人をここに埋葬したかというと、七人は平家の落人平野氏を狙ってやって来た源氏方の刺客で、平野家の剣の達人によってすべて斬られたのだという。Cimg8356 もとの歩道に引き返し、さらに200㍍で秀家公潜居跡。説明板によると秀家と従者の住む茅葺の家の下には牛根郷の郷士の家々もあり、防衛体制は十分だったようである。 Cimg8362 最初の看板のあった旧国鉄大隅線の高架の上にあがるとカラー舗装が南の山の手へ延びているのがよく分かる。潜居跡は正面向うの小高い岡の下あたりだ。 Cimg8363 高架から北側、海の方を眺めると、平野川の清流に架かる橋の右手に瓦葺の二階建てが大木の向こうに見える。あれが平野家の下屋敷で、そこには平野家36代という当主が今でも住んでいらしゃる(当主は後出)。 Cimg8364 国道沿いの平野屋敷から2キロ半ほど西に行った所にある会場の「 松ヶ崎地区公民館」。

 11時から始まるという原口教授の講演はやや遅れ、その前に平野家現当主が表彰を受け、挨拶に立った。Cimg8368 第36代平野家当主。Cimg8372 大河ドラマなどの鹿児島を舞台にしたテレビドラマで時代考証に引っ張り凧なのがこの先生。

 天正年間から慶長年間までおよそ30年の濃密な歴史の動きに薩摩がいかに関わりをもったか、今年のNHK大河ドラマ「黒田官兵衛」を縦横無尽に語りながらの熱弁はたしかに聴く者を惹きつける。

 「今年のドラマこそは島津義弘をと期待したのですが、福岡に取られてしまいましたね。島津は対外的な戦いには意外と勝っていないのです。それに比べると黒田官兵衛は生涯50回ほどの戦いのほとんどに勝利していますから、仕方がないのかもしれません」

 と自嘲気味に言っていたのが記憶に残った。

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涙の記者会見

 STAP細胞を発見したという論文に二つの疑惑が持ち上がり、勤務している理化学研究所から論文の取り下げ要請を受けた小保方晴子ユニットリーダーが記者会見を開いた。(写真は午後5時のテレビ朝日のニュースから)Cimg8338 昨日(4月8日)、理化学研究所に対して弁護士を立てて「不服申立書」を提出し、今日、大阪市内のホテルで開いたもの(両脇に居るのは弁護士)。

 理研の疑惑認定は二か所で、イギリスのネイチャー誌に載せた論文中にある画像が博士論文の物と同じであり捏造ではないか ―が一点。もう一点は電子顕微鏡による遺伝子画像は他の物を貼り付けたのではないか―というもの。Cimg8334 いずれも論文執筆上の知識不足であり、 他意のない単純なミスであったことを強調した。Cimg8345途中で言葉を詰まらせ涙ぐむ場面もあり瞬間、高等科学に関する会見であることを忘れるほどであった。Cimg8341 記者団の質問での白眉は何と言っても「二か所の画像の疑惑に対する小保方さんの見解を是とするにしても、なぜ他の科学者の追認が成功しないのか?」 ーというものであろう。Cimg8335_2 本人の実験では200回以上もSTAP細胞を作り出しているが、Cimg8337_2 自分なしで再現できた例はあるというが、それは誰かという質問にはプライバシーを理由に答えようとしない。これには誰しも首をかしげるだろう。もしかしたら高名な学者ではなく普通の大学生とか大学院生なので発表を控えたのかもしれない。どうせ学者はバカにして認めようとしないからである。

 思うに、マウスから採取した細胞を酸性溶液に入れてから「何らかの刺激を加える」というその「何らか」というのは精神的なものなのではないか。精神作用である「念力」も一つのエネルギーであり、そのような類のものを彼女は霊感的にさりげなく照射できる能力を持っている(持つようになった)人物かもしれない。

 科学界のジャンヌダルクか卑弥呼か。はたまたただの割烹着の似合う リケジョか。

  自分としては前者に賭けたい。

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田植えの風景(鹿屋市永野田町)

 所用で永野田町へ出かける途中、田植えに出会った。Pt350021 湧水で有名な名貫川の水を引いている田んぼ地帯である。早場米産地の吾平町ではもう10日も前から始まっているが、このあたりは始まったばかりのようだ。Pt350017 携帯で写したので望遠でないのが残念だが、一家族が総出で田植えをしている。 Pt350019_2 手前の田んぼでは田植え直前に行う「代掻き」作業のトラクターが走る。 Pt350018 兄弟らしい小学生と中学生の男の子も春休みとあって加勢に来ているが、半袖・短パンの体操服。今日は西風がとても強く日中でも気温は15度くらいだ。寒くないのか。

 行きに見た時は田んぼのそばを流れる用水路に入って遊んでいた。親から呼ばれて田んぼに出たのだろうが、今の機械田植えでは手伝うと言ってもたかが知れている。田植えの終わったあとに、苗の入っていた箱を用水路まで運んで洗うくらいだろうか。Pt350016 しかし、こうして親たちのやっている仕事を見せるだけでも教育効果は大きい。この子たちの記憶の中に しっかりと刻み込まれるに違いない。

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桜(鹿屋市吾平町)

 桜の名所と言えば鹿屋周辺では何といっても串良平和公園だが、そこは屋台が出たり何とかレースがあったりと少々ヤゾロシイ(うるさい)ので、静かな吾平方面へ出かけてみた。昨日のことである。

 天気はまずまず。最初に立ち寄ったのが「玉泉寺公園」。ここは応永年間(1390年代)に源翁和尚が開いたとされる清池山玉泉寺の跡で、その寺名のとおり多量の湧水がある。Cimg8293 すぐ脇を通る農免道路(玉泉寺橋)から俯瞰した公園。大きな心の字池が風趣を醸し出す。Cimg8289 公園内部の桜はちょうど見ごろだが、数はさほど多くないのでちょっと物足りない。 Cimg8295 玉泉寺公園からシラス台地の上に出ると俗に「山陵道路」と言っている整備された道路に出る。それを右折して2㌔くらいで吾平山陵に着く。

 吾平山陵は正式には「吾平山上陵」(あいらやまのうへのみささぎ)だが、ここまで読む人は自分も含めて皆無。それどころか「あいらさんじょうりょう」とも読むことさえ無く、ほぼ「あいらさんりょう」と言っている。

 面白いのは道路の標識板で国土交通省が作らせたと思われる物に、漢字では、[吾平山上陵→] などと書いてあるのだが、平仮名は「あいらさんりょう」で、ローマ字でも「AIRA-SANRYOU」と表示してあることだ。何のことはない通用名で問題なしということなのである。(―この日、山陵駐車場の傍らにある売店で時期遅れの破魔矢飾りを買ったが、それにも「吾平山陵」という名札がぶら下がっている―) Cimg8299 それはそれとして肝心の桜だが・・・、見事に散ってしまっていたのである。山陵を流れる川沿いに 15,6本植えてある桜はご覧の通りの裸になっていた。散り残っているめしべのうす紅色がうらめしい。葉桜でさえないから目のやり場がない。

 売店の人に聞くと、19日に開花したあと1週間目くらいが満開だったが、土日にかけての強い雨と風で一気に散ってしまったという。ここのは他の所より日陰なせいで早く開花し早く散るのだそうだ。

 気を取り直して日当たりの良い広域公園へ行ってみると、なるほど、今が満開のようだ。Cimg8301 公園内の桜はまばらにしか植えられていない。芝生の中に、まだ10年かそこらの若い桜が思いっきり枝を広げている。Cimg8304 名所とするにはまだ まだ本数が足りない。土地はふんだんにあるのだからどんどん植えて欲しいものだ。Cimg8306 最後に来たのが「吾平温泉センター」近くを流れる姶良川の土手沿いだ。遊歩道が整備され、道沿いに1㌔以上の桜のトンネルが続く。トンネルと言っても歩道ではなく、そこには季節に応じてコスモスや菜の花が植え付けられる。

 それはそれで見応えがあるし、桜の花より時間的にはずっと長く楽しめるのであるが、やはり桜は格別だ。 あと10年すればここも名所の一つとなるに違いない。

 

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