圧巻の河岸平野(曽於郡大崎町)
鹿屋から志布志へ抜ける農免道路を鹿屋から走るときに、大きな橋としてまず串良川をまたぐ「霧島大橋」があり、その次が大崎町を流れる持留川に架かる「大崎中央大橋」だ。
農免道路にしては立派な橋で、長さ150㍍くらいはある。
この下を流れる持留川の河谷には見事な水田が広がっている。
ど真ん中を持留川が左手から右手に流れるが、この川の幅はせいぜい20㍍。これは土手を入れた幅であり、本流は10㍍ほど。
上流方面を望む。左右から田んぼに迫るのはシラス台地の突端部で、今でこそ鬱蒼とした照葉樹林類が覆い尽くしているが、シラス台地の成因は2万5千年前の姶良カルデラの噴出物(入戸火砕流)である。
噴出物でのっぺらぼうになった台地をこの持留川が2万年以上かけて掘削し、水溜り(池沼)となって均平にした挙句にできたのが、今眺めている河岸平野である。一枚の田では、今まだトラクターで代掻きをしているが、今年の四月が寒かったせいで、田植えにしろイモの植え付けにしろ例年より2週間は遅れている。
同じ持留川の下流方面を眺める。こっちは平野部が右岸に偏っている。ここも周りはシラス台地の突端で、田んぼから台地の上の平面までの比高は40㍍ほどはある。
河岸平野というような地理上の用語は無く、ふつうは河岸段丘というのだが、シラス台地を刻む河谷の特徴はこのように「段丘」自体が無いか、あっても段差が極めて少ない。
シラスという名の火山性土壌は大量の水を含むと液状化するため段丘が発達しないのと、もう一つはシラスの堆積が2万5千年前と非常に新しい地層だからである。
それがこの「段丘なしの河岸平野」を生んだ原因だろう。
こちら側では、橋のすぐ下の一枚の田んぼで
今まさに田植えの最中であった。
田植えをしている田んぼの向こうに建つウナギ養殖のビニールハウス群。
右手の奥から良質の水が湧き出しているのだろう。シラス台地の崖下にはあちこちに湧水点があり、水の美味しいこと(軟水)で知られ、また量も相当なものである。
この持留川流域ような九州南部特有のシラス台地と小流が刻んだ「河岸平野」こそが、米作りを国是とした弥生時代以降のクニグニの豊かさを保証した。
台風災害・豪雨災害そして火山災害さえなければ南九州は海の幸・山の幸に恵まれ、相当に豊かな地域だったはずだが、どっこいそうは問屋が卸さなかったのが南九州の困苦に苛まされた歴史なのであった。
| 固定リンク
「おおすみウォッチング」カテゴリの記事
- 雄川の滝(2018.06.26)
- 鬼界カルデラが再噴火?(2018.06.01)
- 吾平神野の春(2018.04.19)
- 鯉のぼり(2018.04.09)
- ソメイヨシノの開花(2018.03.17)
コメント