« かのやばら祭りファンタジーナイト | トップページ | 高円宮家典子女王と千家国麿氏との婚約 »

塚崎古墳群に見つかった地下式横穴墓

 肝属郡肝付町の塚崎古墳群は「塚崎台地」に展開する古墳群で、現在、高塚墳が44基、地下式横穴墓が19基確認されている。

 最近、イモ畑の中に地下式横穴が出現し、話題になった。今日は埋葬されている人骨を取り上げる作業があるとのことで出かけてみた。Cimg8932 まさに畑の中、右手の畝にはサツマイモがすでに植え付けられている(右手上方奥に平たい屋根の肝付町立歴史資料館が見えている)。Cimg8923専門家が写真を撮り始めていたが、撮影しても良いとのことで、邪魔にならないように内部を写させてもらった。  Cimg8916現場の主任のような人の話によると、人骨の主は「男性・40歳代・身長155センチ」とのこと。頭蓋骨だけ真っ赤だが、これは皮膚に塗っていた朱が白骨化したあと、顔だけは皮膚が薄いため骨に付着したのであろうとのことである。

 副葬品は足の右側に鉄製の鏃らしきものが7本だけ。特別に加工されたものではなく、普段から使用していたもののようである。副葬品だけからいえば首長(族長)層ではなく、一族ではあるにしても高位の者ではないだろう。Cimg8920トラクターのタイヤが落ち込んで地下に穴(玄室)があるのが分かったそうで、こういう見つけられ方は塚崎では珍しくないそうだ。

 畑土を剥ぎ取ってみると黄色っぽい粒のある地層が見えてくるが、これは池田湖カルデラ由来の火山噴出物で、約5700年前、その下に見える赤い地層が鬼界カルデラの噴出物で俗に言う「アカホヤ」層で、こちらは約7000年前の堆積物。

 大隅半島の地下式横穴墓はほとんどこのアカホヤ層をえぐって玄室が作られている。Cimg8924 玄室の入り口を埋めている軽石と粘土の塊。

 本来ならいま足元だけ写っている人の立っている辺りから真下に掘り進み、アカホヤ層に達したら今度は横方向に水平に羨道を掘って玄室を広げて遺体を安置し、羨道と玄室の間に軽石や粘土で壁を作る。

 塚崎古墳群では最初に触れたように円墳や前方後円墳のような高塚墳が44、地下式は今回のを入れてて19。鹿児島で一箇所の台地上にこのように高塚と地下式併せて60余りを数えるような古墳群は無い。

 強いて似ていると言えば宮崎の西都原古墳群だが、あそことは規模(面積)も数もかなりの違いがある。しかしここと肝属川を挟んだ直線距離にして3キロの所にある「唐仁古墳群」とをセットとして捉えると、そうひけはとらない。唐仁古墳群には地下式は無く、すべて高塚だが、その数は優に100を超えているのである。

「肝属川水系古墳群」というような名称にして一括して扱えば、大きな歴史的観光資源になるかもしれないCimg8934 地下式墓から南へ500㍍ほどの所には、塚崎古墳群最大の前方後円墳である通称「花牟礼古墳」がある。Cimg8935 この古墳は花牟礼集落の中にあり、花牟礼集落からは弥生時代の住居跡も見つかっており、台地の突端ではなく奥まった場所に築かれたこの花牟礼古墳の属性には興味がそそられる。国指定でなければ発掘調査ができるのだが、残念なことである。10 この地形図は明治35年基本調査、昭和10年に修正された五万分の一地形図だが、三角形の場所が今回見つかった地下式横穴で、下の欄外に青でかたどった前方後円墳が花牟礼古墳。そして東西を走る道路の北側の赤い屋根状の家が肝付町立歴史資料館。

 地元の人の話では、上記の道路は昭和10年に開通し、その際にも3基ほどの地下式横穴が見つかったそうである。また、文化財保護法が確立する昭和47,8年頃までに掘られた墓などからの副葬品などは発掘者に持って行かれたケースも多々あったという。







 













|

« かのやばら祭りファンタジーナイト | トップページ | 高円宮家典子女王と千家国麿氏との婚約 »

おおすみウォッチング」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« かのやばら祭りファンタジーナイト | トップページ | 高円宮家典子女王と千家国麿氏との婚約 »