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インカ帝国と日本人

 4時から5時頃にかけて放映されていたBS103では、「世界遺産ミステリー」というテーマで世界遺産に登録された史跡などの不思議を追いかけていた。

 今日見たのは「エジプトのピラミッドは王の墓か」という考古学者の吉村作治・元早稲田大学教授の現地取材ものと「インカ帝国の創始者は日本人か」というものだった。

 初めのピラミッドに関しては、「ピラミッドは来世(死後)の世界を表現し、神々との交流のための施設」というもので、ミイラという肉体から魂が分離され、その魂が鎮まる場所であったことが明らかになった。

 ピラミッドの中をいくら探してもミイラという墓の主が見つからなかったことから「墓ではなく宗教施設」というのが以前から言われており、今回のはそのダメ押し的放映であった。

 スフィンクスを手前に置いてずうっと伸びて行く参道の先に大ピラミッドがある。そのピラミッドには手前に付属施設があったのだが、今は小山のようなピラミッドだけが残っている。

 この姿を<スフィンクス=狛犬><ピラミッド=本殿>と見立てて日本の神社建築になぞらえ、エジプトから2千年という時間をかけて日本にたどり着いた時、日本人はピラミッドに替えて祖先を崇拝する施設を造った、それが神社だ―と吉村作治はコメントしていた。

 しかし日本の神社建築は仏教が導入されてからその伽藍様式を模倣したと言われており、ピラミッドではないだろう。むしろピラミッドに匹敵するのは「神奈備山」で、奈良の三輪明神を例にとると神の宿るのは神社本殿ではなく、後方に聳える「三輪山」であり、山そのものがご神体であるという点で小山のようなピラミッドとはよく似ている。

 しかしその相似的なつながりに歴史的蓋然性はないだろう。

 ところが次の「インカ帝国は日本人が作ったのか」には歴史的必然性が感じられる。Cimg9183 日本に駐在大使として住んだことのある「フランシスコ・ロワイサ」という人物が書いた本で、どういうわけか、ペルーの図書館では一般人が読めないような所蔵庫に隔離してあった。

 確かに南米のインディオたちは日本人に似ている。Cimg9177純粋な高地ペルーのインディオ女性。日本のどこにでもいそうである。

 こういった外見もその一つだが、向こうの伝承に「ペルーのインカ帝国を築いたのは日本人」というのがあり、それもインカ帝国の王族の末裔という人が言っているのは注目に値する。Cimg9166 インカ皇帝の子孫。この人は現代日本人で言うなら奄美・沖縄系の風貌をしている。Cimg9175 インカ帝国初代皇帝・マンコ・カパック夫婦はチチカカ湖に降臨したという。この「チチカカ」が「チチ=父」「カカ=母」の意味だというから驚きである。Cimg9219 とある村の百歳の老婆の語る伝承では、マンコ・カパックは太平洋の彼方からやって来たそうだ。

 高地クスコからだいぶ南の海岸近くにある遺跡では20体のミイラが発見され、遺伝子調査をしたら東アジアの系統とそっくりであることが判明している。

 また、ペルーより北にあるエクアドルの海岸部で発見された土器類が南九州で5千年以上前に盛行した「曽畑式土器」とよく似たものであることが分かっている。

 どうやらルーツは南九州のようだ。南九州とくに鹿児島に多い「成人T細胞白血病」と同じものを起こす遺伝子も向こうには多いという。

 約7千年前に鹿児島の離島「硫黄島」を含む一帯で、人類有史以降最大規模のカルデラの噴出があり、それは高度に進んでいた南九州早期文明を壊滅させたのだが、宮崎方面に逃れた縄文人で、さらに海を渡って移住したものがあり、四国南部や本州へ船出したはいいが天候の影響で流されて南太平洋を南米にまで漂流し、漂着した一団があったのだろう。それがまずエクアドルの海岸部に根付き、その後次第にペルー方面へ南下したに違いない。

 インカ帝国の時代はそれよりずっとあとの12世紀から16世紀であったから、5,6千年前に移住した南九州人ではなく、鎌倉時代に入るか入らないかの時代ということであれば、源平の争乱により押し出された一群の人間であったのかもしれない。

 頼朝の追討を受けて奥州平泉で戦死した義経は、そこでは死なずに大陸に逃れ、モンゴルの皇帝チンギスハンになった、という伝承があるが、それの南米版か。海と言えば同じ頃、沖縄の琉球王朝の始祖と言われた「舜天王」も、実は本土から逃れた鎮西八郎為朝のことだ―という説もあるくらいだから、あながち否定はできないだろう。













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