« 2014年6月 | トップページ | 2014年8月 »

星塚敬愛園夏祭り2014

 毎年、梅雨明け後の盛夏に行われるハンセン病療養施設・星塚敬愛園の夏祭り。今年は7月29日に開催された。ここの祭りでは必ず全国区の著名歌手が訪れてヒット曲を披露する。これがとても楽しみである。Cimg9438 今度の会場には舞台前の観客席では見られない人のためなのか、大画面のモニタースクリーンが手前に準備されていた。Cimg9439 雨除けのテントの中に60インチくらいの、これはデジタルテレビ画面だろうか、観客席の一番後ろにちょっとした展望台を設けてその上から撮影して流しているようだ。これなら観客席の前に陣取ったのと同じである。(後で気づいたのだが、この画面を撮影すれば観客席の後ろからデジタルズームで写す必要は無かった・・・)


 さて、今年の招待歌手。一人は最近メキメキ売り出してきた演歌歌手・福田こうへい、そしてもうひとりはデビュー35周年という女性演歌歌手・松原のぶえ。

 7時からいよいよプロ歌手の出番である。まずは福田こうへい。Cimg9444 まずはデビュー曲で去年大ヒットを飛ばし、そのまま紅白歌合戦に初出場を果たした名曲「南部蝉しぐれ」で観客を魅了した。Cimg9450 この人の持ち味は民謡で鍛えた高音部の張りと伸びで、他のプロの男性歌手でも真似のできない音域の広さ・迫力がある。

 三橋美智也の持ち歌を3曲(おんな船頭唄・赤い夕陽の故郷・哀愁列車)披露したが、三橋美智也を無理なくカバーできる歌手はそうざらにいないだろう。Cimg9442 さらに、春日八郎(赤いランプの終列車)、吉幾三(門出)、細川たかし(矢切りの渡し)、千昌夫(夕焼け雲)・・・などなど、全部で12,3曲は歌った。その合間のトークも非常に面白く、この人のエンタテインメント性はかなりのものだと思った。

 会場にすでに「追っかけ」のような女性ファンの姿も見え、近いうちにもう一人の若手演歌界のホープ・氷川きよしと並び称せられるに違いない。Cimg9458 次に立ったのが松原のぶえ。

 デビューして今年で35周年だというが、それほどメジャーなヒット曲はなく、デビュー曲の「女の出船」が耳に残るくらいだ。Cimg9453 数曲歌ったのち、司会の「最近は自分で作詞・作曲もしている」との案内で新作<夫婦坂>を唄った。ヒット性は少ないと思うが、話題性はある。

 演歌歌手は呼ばれれば全国どこにでも行く。特に地方は演芸に恵まれず、また高齢者も多いので演歌歌手の需要はそれなりに多い。大御所ぶらないこの人など息長く地方公演を続けて欲しいものだ。Cimg9460 会場入り口のモニター画面。右奥の舞台中継を映しているのだが、絵が1~2秒遅れるのが面白かった。園内は有線で流しているのだろうか?

 歌手の出番が終わり、次の花火打ち上げまでの間、机にCDなどを並べて本人が売っていたので、福田こうへいの最新アルバム『煌(きらめき)』を購入した。(帰宅後、さっそく聞いてみたが、やはりデビュー曲の<南部蝉しぐれ>は群を抜いている。本人のトークによるとこの曲は民謡歌手だった父親の持ち歌であったという。52歳という若さで亡くなったため日の目を見なかった曲だったのを、去年自分がプロデビュー曲として大ヒットに繋げたそうである。親孝行!)

 帰る道すがら、花火の乱舞を仰ぎ見る。Cimg9495

1

Cimg94751













 




| | コメント (0)

大隅史談会7月例会

 大隅史談会の7月例会を鹿屋健康増進センター小ホールで開催した。

 6月の例会は「大雨警報」が出ている中、参加者はいまいち。今度は高温注意報が叫ばれていたが、30名を超えた。

 1時半、まず武田悦孝氏が「クマソへの旅」を発表開始。Cimg9436 氏はこのところ会誌『史論集 大隅』に毎年のようにクマソに関する論攷を載せて来ているが、最新号の57号のは一応の集大成的な論文で、今回はそれを基にさらに13枚の資料を使って話を進めた。

 去年の夏から秋にかけて、畿内大和にクマソ・ハヤトの足跡と思われる史跡・神社などを訪れたという。足を使っての臨場感ある話に聴衆は熱心に聞き入っていた。Cimg9437 史料にメモを書きこみながら、講話とスクリーンの資料を見比べる聴講者。大学の講義を髣髴とさせる風景。

 質疑応答まで入れると予定の2時間をはるかにオーバー。質の高い発表であった。

 

 そのあと休憩をはさんで会長・松下の「邪馬台国論」。

 表題は<1時間で解る邪馬台国>としたが、時間が押していたので 「3,40分で解る邪馬台国になりました。」 と冗談半分。

 <魏志倭人伝>の帯方郡から邪馬台国までの行程記事を逐次読むつもりだったが断念し、用意していた資料の最後4ページ目に作っておいた「邪馬台国九州説4書と畿内説1書」の伊都国・投馬国・邪馬台国・狗奴国・コメントの五項目の比較一覧表のほうを中心に話を進めた。

 

 以上の詳細はホームページ「鴨着く島おおすみ」の月例会情報のコーナーに近日中に載せる予定である。

  なお、来月の月例会は 

 8月24日(日) 13:30~16:30 発表者:上原義史

 テーマ:雅楽の歴史と演奏

  を予定している。会場は今月と同じである。乞う、ご期待。

 

 

| | コメント (0)

にゃんとも、暑い

 このところ全国で最高気温の更新などというニュースの無い日はないが、鹿屋でも相当な暑さだ。

 昨日は日中34℃となり、今年は久しぶりに真夏日を経験するかもしれない。だが、この気温はおそらく鹿屋の中心部に近い場所での数値で、我が家の玄関先の寒暖計では32℃であった。

 やはりコンクリートとアスファルトの多い市街地の中は気温が高く、緑豊かな郊外は低いということであろう。

 それでも昨夜は寝苦しく、窓を全開して網戸だけにし、さらに布団を敷かずに籐のネゴザにじかに寝たので明け方にはちょっと寒いくらいだった。

 いつも通り起きてウメを散歩させたあと、仏前と神前を混淆させた他人から見たら不可思議な「勤行」を済ませてから朝食を摂ったらもう8時であった。

 関口宏サンデーモーニングを見ていると、モモがふらりと姿を見せてそのままコロンと床に寝転んだ。Cimg9432 素の板床が涼しいらしい。Cimg9429 いま何度かと思い、室内寒暖計を見るともう29℃になっていた。起床時間の6時頃の気温を見ていなかったが、犬の散歩のため玄関を出た時にやれやれ暑いな、と思ったくらいだから25℃を上回っていたことは確かだ。仮に26℃だったとすると日の出から2時間ですでに3℃の上昇ということになる。Cimg9430 お前のその毛皮が暑いのだから、脱いでしまえ。三毛猫の毛皮は高いかもしれん―と無責任なことをぶつぶつ言うと、はっと頭を持ち上げた。阿呆!バカたれ!と思ったに違いない(・・・言葉が分かればの話だが)。

 そして、そのままぐったりしたように再び頭を床に付けた。

 ややしばらく、サンデーモーニングを見ていると、起き上がって来て餌を食べていたが、そのまま外へ出て行くなりササッと庭を走り、合歓の木に飛びついたではないか。Cimg9433 木の枝に小鳥が来たのを追って登ったのだ。何だ、元気があるじゃないか。野性味をまだ多量に持っているモモであった。

 

 これを書き終った10時50分現在、気温は31℃になっている。

 今日は午後から、大隅史談会7月例会があって発表することになっている。こんな暑さの中、聴講に参加してくれる人には感謝したい!







| | コメント (0)

ついにやった、甲子園初出場!

 今日の鹿児島県高校野球決勝大会で鹿屋中央高校が延長戦の末、上村学園を下し、ついに大隅半島から初めてとなる夏の甲子園出場を決めた。(画像は6時のNHK鹿児島版ニュースから。以下同じ)Cimg9409春の選抜ではすでに志布志市の尚志館高校が出場しており、これで大隅地区から春夏連続の出場となった。

 鹿児島県の高校野球といえば、かっては鹿児島実業・鹿児島商工、最近では上村学園や城西高校などが強豪校で、大隅半島の高校のつけ入る隙は無かった。

 それがこの3,4年で大隅地区の高校が驚くほど力をつけ、鹿屋中央高校はじめ鹿屋高校、尚志館高校とベスト8常連校を輩出するようになり、ここ2年ではベスト4にに残るのが当然というふうに変わって来たのである。Cimg9403延長戦の10回表に下位打線が出塁したのが勝機をつかみ、上位に回ったところでタイムリーヒットが出て2点を入れ、勝負を決めた。

 春のセンバツに尚志館高校が出場したのが大きかったのだろう。何しろ大隅地区の高校数は少なく、そのため鹿屋高校・中央高校、そして尚志館高校はいわば年がら年中、練習試合で競い合っているのだ。切磋琢磨を地で行くような環境だったのが幸いしたと思う。Cimg9416 地元鹿屋市では大変なニュースで、商店街ではさっそく優勝を祝うポスターが街角に貼られた。Cimg9419普段は元気のない商店街に活気が出るといい。

 たぶん甲子園での初日にはたくさんの応援団が向かうだろう。できるだけ長く甲子園でプレーしてもらいたいものだ。




| | コメント (0)

志布志歴史散歩

 7月20日(日)の午前中、仲間と志布志へ歴史散歩に出かけた。午後からは「おおすみ歴史講座」があるので、午前中だけのスケジュールになった。

 志布志市埋蔵文化財センターでは7月15日から8月30日までの一月半、「安楽山宮神社の鏡展」を開催しており、そこの見学を兼ねて行ったみた。

 8時に鹿屋市東地区学習センターを出発し、まずは多量の鏡を所蔵し、今回、その一部を展示に出した「安楽山宮神社」を訪れた。到着は8時半であった。Cimg9320 境内に入ると茅の輪くぐりが見え、周りにはたくさんの灯篭提灯。

 そばにいた宮司さんに話を聞くと、昨日の夕方に「六月灯」(ろくがつとう。ロッガッドー)をするはずだったのだが、急な夕立で中止になったそうだ。「延期ではないのですか?」と誰かが聞いたが、もうやらないそうである。境内外の臨時の演芸舞台がガランとしていた。

 この安楽山宮神社の祭神は天智天皇。他に大友皇子(子)、持統天皇(娘)、倭姫(皇后)、玉依姫(側室)、乙姫(側室)を併せ祀り、かっては「山口六社大明神」として尊崇された。北東15キロの田ノ浦山中「御在所岳」での創建は和銅2年(709)、その後約100年、大同二年(807)にこの地に遷宮して現在に至っているという古社である。

 宮司さんの話で興味深かったのが、「天智天皇を主祭神として祀っているのは全国でもここと揖宿神社くらいなものです」。たしかに天智天皇を大々的に祭る「近江神宮」(滋賀県)があるが、あのお宮は昭和15年に創建されたごく新しいものだ。(あちらは天智天皇が大津京(宮)を開いた縁でできたものである)

 南九州での天智天皇の事績は相当語られており、伝承地はかなりの数に上る。その中でも志布志と指宿は双璧である。今後の調査研究が待たれる歴史事象の一つにもなっている。Cimg9322鳥居の下で記念撮影。Cimg9323 山宮神社から南へ下り国道220号線を左折し、右手に県立志布志高校を見たらその向かい側を左折するとすぐに「志布志市埋蔵文化財センター」だ。

 中はこじんまりとしているが、展示は明瞭だ。ボランティアの案内係の女性がすぐに応対してくれた。ただし、肝心の鏡の展示は撮影禁止ということであった。残念!展示の中で白眉の鏡は「唐草鴛鴦鏡」といい、平安後期の作で国指定重要文化財になっている。Cimg9327右手の模型は国指定の史跡「志布志城内城」。細かい部分まで再現してある。Cimg9329 志布志からは縄文早期(7500年前~10000前)の壺型の「塞ノ神式土器」も見つかっている。煤が付着しているからに保存用ではなく煮炊き用であることが分かるが、こんな形の土器で何を火にかけたのだろうか? 液体状の物ではあろうが・・・。Cimg9334 文化財センターを出て東に1キロ弱、大慈寺に行く。ここは入宋して禅を学んできた玉山和尚が、鹿屋浜田の呑海庵、大姶良の竜翔寺、高山の帝釈寺を経て、楡井頼仲の依願によって志布志に創建した寺で(1340年頃)、その後、観応2(1351)年に入寂。朝廷からは「仏智大通禅師」の勅諡(法号)を貰っている。(写真は本堂だが、その中に開山堂があり、地下に玉山禅師の石棺があるという)Cimg9333 楡井頼仲の墓。頼仲は禅師と同じ信州の出身で、信濃源氏一族という。

 南朝方の重鎮、肝付兼重とともに戦ったが、延文2(1357)年、幕府方の日向守護・畠山直顕との戦闘で利あらず、ここに逃げ込んで自害した。こののち肝付氏は島津氏と一時停戦する。Cimg9335 次に向かったのが宝満寺。この寺の由緒は古く、聖武天皇の国家鎮護祈願のために建立したという。聖武天皇の勅願寺といえば国分寺・国分尼寺が一般的だが、大隅国は広大なため、この地にも必要だったのであろう。

 向こうに見えるのは観音堂(本堂)だが、これは廃仏毀釈後の再興によって建てられた。今日は縁日なのか、親子連れの参詣客で溢れかえっていた。Cimg9339 宝満寺から、橋を渡って志布志郷御仮屋跡である志布志小学校の前を左折し、今度は右折すると小さな流れ沿いに北へ向かう(途中に志布志城への散策路入口がある)。田ノ浦への道と松山号方面への道との分かれ部分に「天水氏庭園」がある。Cimg9338 長い縁側の前の庭園は右手に見える丘を借景にしている。この丘の上には国指定特別史跡「志布志城」が展開する。Cimg9340 平山氏庭園。はるか昔は海岸の波打ち際だったことを思わせる凝灰岩盤が庭全体を覆い尽くしており、その間にツツジが配された珍しい庭である。Cimg9342 
最後に立ち寄った「小西児童公園」。ここには「愛甲喜春の墓」・「日本どんの墓」・「児玉伝左衛門の墓」・「肝付兼続の墓碑」等が寄せ集められたように存在する。写真は肝付兼続の五輪塔墓碑(本墓は大慈寺の中にある)。

 廃仏毀釈の前、つまり江戸時代まで、大慈寺の境内はこの辺りまであり、この辺は海岸部特有の黒松林の中に墓地が広がっていたようである。

 午前11時40分、ここで本日の歴史散歩は終了。

 食と涼を求めて、街中の大食堂であるDレストランに入ったはいいが、客はさほど多くないと思ったものの注文して30分以上は待たされ、たいして美味くもなく(待たされたせいで評価を落とした!)、散々な目に遭った。

 午後1時半からの東地区学習センターでの三国志名勝図会学習(坊泊郷②)には何とか間に合ったものの、ちょっと後味の悪い半日であった。















| | コメント (4)

南九州が梅雨明け

 午前11時のNHKニュースで、南九州の梅雨明けが宣言された。

 時ならぬ梅雨明け前の大型台風8号が上陸して抜け去ったあと、12日の土曜日からほぼ晴れの天気が続いたから、もう間もなくだろうとは思っていた。

 去年より8日も遅いというが、去年が早過ぎたのだ。空梅雨のうえ明けてからの旱天には泣かされた。夏の間、ほぼ2ヶ月、植木、花、野菜に水遣りをしない夕方は無かったくらいであった。Cimg9307午後4時頃の東の空。梅雨明けと言われてみるせいか、ことのほか青く感じる。Cimg9306肝属三山(左から国見岳、黒尊岳、甫余志岳)の頂上部に夏雲が纏っている。Cimg9310夕方になり、日が西にだいぶ傾いてからウメを散歩に連れ出す。南の400㍍内外の「横尾山系」にも、夕刻を示す山襞が濃く現れている。晴れ間の少ない梅雨であったから、遠くまで霧も霞もなくはっきり見えるのは久しぶりだ。Cimg9312横尾山系が切れて急斜面になったあたりに円錐形の中岳が望まれる。中岳は別名「吾平富士」。姶良川最奥の神野という集落の守り神のような美しい山である。Cimg9315アップしたがどうもすっきりとは写らない。カメラのせいもあるが、大気に水分がまだ相当に含まれているためだろう。

※「吾平富士」のはっきりした写真は当ブログ<姶良川流域散策(その六)>か、<神野地区界隈>で観ることができるので、どうぞ。





| | コメント (0)

7月月例会の資料到来

 7月27日(日)に開催の大隅史談会7月例会で、武田氏(当会理事)が「クマソへの旅」というテーマで発表するのだが、その時に使う資料を持参してくれた。

 A4版で13枚になるというが、その中にカラーコピーが2枚あった。どちらも河内地方を中心とした地歴図であるが、中でも一枚はなかなか手に入らず、近畿で学会があった時に(武田氏は歯科医師で博士号をもっている)、大阪で手に入れたものだそうで、畿内全体が鮮やかに彩色され、旧都(難波高津宮・藤原宮・大津宮・平城京・長岡京・恭仁宮・紫香楽宮・平安京など)がすべてその位置の記入されている優れものだ。Cimg9302自分で30部も刷って来てくれた。ありがたい。

 手土産に焼酎を持って来てくれたのは、なお有難い。Cimg9303地元の神川酒造の「神之川」。(手前の地歴図は河内にまだ河内湖があった1500年前のもの。大阪歴史(弥生)博物館とある辺りから北へ砂嘴が伸びていた。現在の上町台地で、そのほぼ先端に仁徳天皇の高津宮があった。)Cimg9304栓の所に「昔造りの芋焼酎」と封がしてある。

 飲んでみると口当たりがよく、ツンとしない。昔の焼酎は芋臭かったとよく言われるが、あれは芋の仕込みの時に皮の剥き方が雑で、凹み部分や若干の腐れ部分も入り込んだせいではないかと思う。今はそんなことは無く、味はすっきりしている。(昔の芋臭いのが懐かしいという人もいる。懐古も人生の味わいの一つではある。)

 まあ、今晩は珍しい地歴図を眺めながら、一杯がいっぱいになりそうだ。

 <7月例会要領>

 日 時  7月27日 13:30~16:30

 会 場  県民健康プラザ・鹿屋健康増進センター

 発 表  1 「クマソへの旅」 武田悦孝

       2 「邪馬台国・投馬国・狗奴国」 松下高明

 参加料  500円(資料代等)

 

 







| | コメント (0)

台風8号が阿久根に上陸

 昨日は一日中東寄りのやや強い風に小雨が交じる「台風8号待ち」の天気で、夜寝る頃になってようやく真東に進路がぐいと変わったようだった。

 寝ている間のことは当然分からないが、明け方と思しき頃に目が覚めると雨と風が雨戸を締め切った家の中でも分かるようになっていた。

 6時に玄関から外を覗くと、風向きがすっかり変わっていた。Cimg9282結構強い風が右手(西)から左手(東)へ吹き付けている。Cimg9283ほとんど雨は降っていなかったので、菜園の所まで行くと、夜中の西風のせいか20センチにまで伸びて来たオクラが全部東へなびいてしまった。苗の部分は少し高畝にしておいたのだが、のっぺらぼうになっている。台風が去ったらすぐに真っ直ぐに起こして畝を立てておこう。Cimg9287ウメの「山小屋」に行くと出て来て散歩をせがんだが、駄目だ、と冷たく言うと少しは分かるのか、うらめしそうに項垂れた(入り口に立て掛けたヨシズは台風対策)。

 昨日の夕方、雨間かと思い散歩に行ったのだが、5分もしないうちに雨が落ちて来たので引き返した。だから今朝も行かないとなると丸一日外に出ないことになるわけで、糞尿が溜まりに溜まってどうにかなりそう? いや、それよりも外の匂(臭)いを嗅ぐという彼女の最大の楽しみが阻害されるのが辛いのだと思う。まあ、しょうがないな、恨むのなら台風を恨んでくれ。Cimg92747時のNHKニュースを見たら、どうやら鹿児島県内のどこかに上陸したらしい(このあとの別のニュースで阿久根市付近と分かった)。

 この時点で980hPaにまで衰えていたから、ほとんど被害らしい被害は出ないだろう。雨も台風の南側は大雨が降るというが、まさに鹿児島県全体がその南に入ったのに小雨程度に終始している。Cimg9281ところが鹿児島をはるかに離れた四国、長野、新潟・山形などで大雨の被害が出ている。Cimg9279また風速にしても、中心に近い枕崎や当地鹿屋の方より、はるかに遠い愛媛県の方が大きくなっている。

 人間界の情報網は、沖縄へも北海道へも一気につながるが、最近の自然災害も日本国内中わずかのタイムラグがあるだけで、即座につながって行っているような気がする。

 まあ、それにしても今日は7月10日。まだ梅雨も明けていないこんなに早い時期に巨大台風が発生し日本列島に上陸するなんて記憶がない。巨大なまま上陸しなかったのがせめてもの救いだったが…。









 

| | コメント (0)

鹿児島(かごしま)の語源

 5月25日(日)の大隅史談会第1回月例会記念講演に来ていただいた古代史・隼人史の研究者 中村明蔵先生の講話の中で鹿児島のいわれについて、「鹿児島という地名は、桜島が中心部にあり、この火を噴く山を“かぐしま”(かぐは火の神カグツチのカグ)と呼んだことから地域全体がカグシマとなり、そこからかごしまに変化したのだろう。鹿児という漢字に囚われてはいけない」ということを述べられた。

 つまり「かぐしま」から「かごしま」への訓音の変化があったとされたのであるが、その時、ふとそのような転訛は起こりえず、九州・沖縄方言の原則からはむしろ「かごしま」から「かぐしま」の変化なら有り得るのだが・・・(オはウになる。またおおむねエはイになる)、と首をかしげた。このことは大隅史談会のホームページの中の「月例会情報」→「第1回5月25日」の部分の最後に疑問として付け足しておいたのであるが、『三国名勝図会』(薩摩藩の地理歴史百科全書。天保14年成立。現在は青潮社版全4巻本が公開もしくは入手可能)を調べると、鹿児島及び桜島を「カグ島」と呼んだことはないことが分かった。

 以下に手短に論拠を抽出しておく(引用はすべて青潮社版による。漢文は読み下し文に、また年号等はアラビア数字に変えてある。※は私注)。

1、鹿児島の項(第1巻 63ページ~66ページ)

 「鹿児島」の初見は、『続日本紀』天平宝字8年(764年)に、「12月、大隅・薩摩両国の境、(中略)麑島信爾村の海に於いて…」とあるのが最初である(麑は鹿児の合体字)。

 『三代実録』貞観2年(860年)に、「春3月20日、庚午、薩摩国、鹿児島神…」。

 『延喜神名式』に「大隅国、鹿児島神社」。

 『倭名抄』に「薩摩国、鹿児島、加古志萬(かこしま)」。

 「鎌倉右大将公御教書」(頼朝公の下文)には国字で「かごしま」。

 (※初見の時以来、鹿児島はずっとカゴシマである。)

2、鹿児島神社の項(第3巻 国分郷 37ページ~40ページ)

 「鹿児島」の語源には二説ある・・・①「籠」説 と ②「鹿子」説

 ①は、いわゆる天孫降臨神話で天孫の二代目「ホホデミ命」が龍宮に出かけた際に「無目籠(まなしかたま)」の船を使ったことから、出発地の南九州を「籠島」とした―という説。

 ②は、「鹿児」は“天鹿児弓”“天真鹿児弓”があるように「鹿の子」ではなく「鹿」その物を指し、また応神天皇紀に見える「鹿子水門(かこのみなと=兵庫県加古川市の地名譚)」の説話で、南九州の諸県君牛諸井(もろかたのきみ・うしもろい)が瀬戸内海を渡って来るときの姿(角の付いた鹿皮を身にまとって航海していた)が天皇を驚かし、その船団が着いた所を「鹿子水門」と名付けた例がある―という説。

 南九州諸県の船人の話から船人を「水主・船手」とも書いて「かこ」と読むうえ、鹿児島は古来鹿の生息地であり、鹿皮も上納もされていたことから ②の「鹿子」が当て字されて「鹿児(子)島」となったと考えられる。

 (※伝説の中でも「かぐしま」は無い。)

3、桜島の項(第3巻 903ページ~906ページ)

 大永年間(1420年代)に、巣松という僧が『乱道集』を著したが、それによると「向島(桜島の通称)がひとたび歌集に載って以来、“桜島”と呼ばれるようになった」とあり、大永年間以前は「向島」それ以降は「桜島」と呼ばれた。

 (※桜島も「かぐしま」と呼ばれたことは無かった。)

 以上から言えることは、「鹿児島(麑島)」という地名は奈良時代後半以降に使われており、一度も「かぐしま」と表記されることは無く、また桜島も「火の島」であるにしても、一度も「かぐしま」と表記されることは無かった。したがって<鹿児島=桜島=かぐしま>説は成り立たないことが分かる。

 

 鹿児島の語源は上の中では2の②説が最も説得的で、船人を「カコ(水主・船手)」と呼んだことと、鹿の皮を上納品としたことがある南九州の地を「船手(かこ)の島」と呼び、漢字は「鹿児島」としたものであろう。これが一番合理的な解釈だと思う。

 私見ではこの「船手(かこ)」の内でも半島方面にまで船足を伸ばした者(族)を、「鴨」(族)と考え、そのような族人が多数蝟集していた地域を「鴨着く島」(かもどくしま)と表記したと思っている。

 南九州人は縄文中期(4000年前)の頃から黒曜石の入手のために北部九州まで船足を持っていたことは確実で、縄文後期(3500年前)頃の大隅半島を中心に多量の市来式土器を残した市来式時代人は南は沖縄から北部九州・半島南部にまで足跡を残している。

 このような南九州人の特に海に特化した属性を「鴨族」と称し、この「かも」は「かこ」の転訛である可能性が強いと思うのである。

| | コメント (0)

学童保育の充実は成長戦略に適い、かつ少子化を止めるか?

 NHKの「週間ニュース深読み」で取り上げられた<学童保育の充実>を熱望する内容。Cimg9267NHK<週間ニュース深読み>より。以下の画像も同じ。

 学童保育を充実して働く母親を支援したら、 

 ① 働く母親が心置きなく十分に働けるので、業務に精励でき、結果として経済成長につながる。 ② 第2子以下の子供を産み育てやすい環境が生まれ、結果として少子化をストップする。 というわけである。Cimg9272

 確かに①はその通りだろう。母親であっても父親に負けないくらいの業績を上げ、収入も増えるだろう。そうしたら消費も増え経済循環にとっては上向きの結果をもたらすのは間違いない。

 だが、②はどうか。これは期待できないだろう。なぜなら、男と同様の業績を上げ、収入も増やせる―ということは、女にとって、たとえ夫が家事・育児をかなり手伝ってくれたにしても、やはり出産という男にはない相当なハンディを抱えたうえでの業績であり、収入増だからだ。つまり、男よりはるかに余分なストレスを抱えたままの業績であり収入増なのであり、そのような女性にとっては子供は少ない方がいいに決まっているのである。だから、少子化は解消できない。

 それより不思議に思ったのは、実は政府の「学童保育の充実」を訴える背景には、「女性も働いてもらわなければ人手不足で経済上困る。けれども働き過ぎては子供の数は増えないからこれも困る」という二律背反があるということをキャスターもコメンテーターの誰も指摘しないことである。

 こう指摘したうえで、自分なら女性が働かない選択、つまり専業主婦を選ぶという堂々たる道があり、家庭こそ最良の職場と考える女性を後押しするような施策を考える。

 今も児童手当のような「子どもに因んだ年金」制度があるが、これをもっと拡充し、子供一人に付き3万円(月額)くらいの「専業主婦年金」を支払うようにすればよい。4人の子供を産み育て、その間12万の収入が得られれば、子供を早々と保育所に預けてストレスにさらされながら働くよりいいだろう。家庭における子育ても立派な仕事であるという認識が根付けば、専業主婦が増え、結婚願望も増えるに違いない。子供をきちんと産み育てることは次世代の安泰を保証し、ひいては経済社会・地域社会の健全な発展にもつながるのである。

 社会で子供を育てる、地域社会で子供を育てる―という語呂が良く聞き心地の良い意見があるが、地域に母親がいなくては始まらないのである。困った時の隣近所(地域社会)ではあっても、地域社会に預けっぱなしの親ではそもそも親としては失格だろう。このようなことも経済優先・稼ぎ優先の親には耳に入らないのかもしれないが―。

 男女は本質的には人間としては平等である。しかし、厳然として区別はある。この区別を前向きに受け止め、「女性として生まれたのだからまずは子供を産み育てよう」と考えるのが一番だと思うが、戦後は一貫して「男女の完全な平等は憲法に謳われている」という解釈の誤りが一般化してしまい、マスコミの後押しもあって「子どもを産み育てるのは男女平等のブレーキになる」「子どもを産み育てるとそれまでのキャリアがストップしてしまう(要するに稼ぎが得られなくなる)」となって、晩婚化・少子化が一気に進んだ。

 核家族・共働きの親に育てられた体験者として言いたいのは、まずは家庭こそが子供の心身の成長の基礎を形成する最も大切な場所だということである。姉などは「私は絶対共働きはしない」と言い、かつ実行したが、本人は大切な幼少・少女期に手本となる母親の姿を日常的には家の中で、また特に地域社会の中で見ていないため、近所(人)付き合いなど非常に苦手のまま高齢期を迎えている。(姉だけではなく多かれ少なかれ他の兄弟みな同じようなものである。心理的には見かけよりもっと苦しんできたが・・・)

 

 

 さて、その巨額になるであろう子ども手当の最大の財源は消費税になろうが、もう一つは老齢年金の額を最高20万円くらいに抑え差額を子ども手当に回す、といったきめの細かい施策も必要になるだろう。

 「女性はもっと社会進出して地位を(収入を)上げて欲しい」

 というそばから

 「少子化で困っている。女性はもっと子供を産んで欲しい」

 と言っている姿は滑稽である。両立するわけがないではないか。そうではなく

 「女性はもっと家庭に入って子産み・子育てとそれにかかわる仕事に専念して欲しい。そのための専業主婦としての地位(給付)は保証しますよ」

 と言ってもらいたいのだ。女性は安心して家庭に入るだろう。

 近ごろ、都議会と国会で相次いで問題視された野次は正しい。未婚で、子供を持たない女性議員たちが一生懸命 「少子化にもっと取り組め。保育所を作れ。予算を付けろ」(要旨)と訴えているのは滑稽の極みだ。女性へのエールのように見えるが、子育ての経験なしの意見では絵に描いた餅に等しい。

 一体どこまで「子育て環境の整備」をしたら、女性が喜んで子産み・子育てに移行するのだろうか? 

 もともと結婚も出産も育児もしたくないのに議論上そう言っているだけなのであれば虚言であり、言語道断だ。

| | コメント (0)

集団的自衛権行使容認閣議決定後の総理会見

 ついに昨日、これまで歴代の内閣では認めてこなかった集団的自衛権行使容認が閣議決定された。

 午後6時から安倍総理の記者会見が行われ、NHKで同時中継された。Cimg9231会見場に現れ登壇後、報道機関の撮影に横を向く安倍総理。(以下の画像はNHKテレビ画面から)

 このあと安倍総理はちょうど10分程度、の閣議決定の根拠等を説明した。Cimg9238Cimg9239Cimg9240
Cimg9241Cimg9243_2Cimg9244_2Cimg9245Cimg9246Cimg9247

 これまでの憲法解釈の基本は変わらず、集団的自衛権の発動により海外派兵しても武力は行使せず、むしろそのような積極的な国際貢献(責任ある行動)こそが、平和国家日本の歩みをより力強いものとする―というのが骨子であるが、この説明には矛盾がある。海外派兵するのは紛争があるからで、そこでは必ず戦闘が行われ兵士の血が流されている。この説明の中で「日本の自衛隊員が血を流すことを厭わず」という文言が入って初めて、この説明に筋が通る。

 だが、そんなことを一言でも言おうなら、轟々たる非難が巻き起こり絶対に集団的自衛権の行使容認など没になるのに決まっているので言わないだけである。集団的自衛権というのはそもそもそういうものなのだ。

 ただ、日本は現国際連合の設立経緯から言っても、また国連憲章の条文からも国際連合設立同盟国の「敵国」なのであるから、ドイツと同じように国連主導国家群の集団的自衛権には理論上積極的にかかわれないようになっているので、国連決議による紛争地域の安全保障、すなわち戦闘の矢面に立たされることはないはずである。しかしドイツはかってアメリカ・欧州同盟軍の一員としてアフガニスタンの紛争に派兵した際に「後方支援」に回ったが、ゲリラ的な攻撃を受けたりして55人くらいが命を落としている。

 「ここが紛争地域の安全地帯だ。ここで後方支援をしていれば血を流すことはない」など有り得ないことを現実に示している。日本もいよいよこういう場面に直面するということである。

 開けて今日の朝7時のNHKニュースではアメリカの反応が取り上げられていた。「日本の決断を歓迎する」という内容であったが、これは想定できた。しかし次のような意見があるとして

―日本も、欧州同盟国軍がアメリカに加担して武力行使をしているが、そのレベルにまでなってもらわなければ・・・。

 と紹介していた。

 こんな一歩も二歩も踏み込んだ意見を、日本の集団的自衛権容認が閣議決定されたその翌日にさらっと流されたことに、危惧を覚えた。

 というのは、そもそも国連決議に従わずに勝手に世界の警察官的な行動をとり続けるアメリカの意向が大きく作用しているのだろうと思っていたのが、どうも本物らしいと思える報道の仕方だからだ。

 アメリカは現在、民主党政権で、共和党と違ってあまり世界のあちこちに警察官面をして出て行くのを好まない傾向にあり、そのせいで、「日米安全保障上、尖閣諸島はその範囲に入る」と、オバマ大統領もケネディ駐日大使も言及はしているが、現実に中国が武力をもって尖閣諸島に侵入して来たら、おそらくアメリカは攻撃はしないだろう。「そのくらいなことは日本が自分自身でやってくれ」というのが本音ではないか。

 アメリカが中国に対して及び腰なのには二つの理由がある。 

(1)1972年に国交回復し、条約を結んでいる。つまり共産党の中国でありながら友好国の一つになっている。(それに引き替えて友好関係にあった国民党台湾を切ってしまった。) 

(2)共産党中国は現在、国連安全保障理事会の常任理事国である。(日本は現国連の「敵国」条項国であり、安全保障理事会でも非常任理事国に過ぎない。)

 要するに、日本はアメリカにとって二国間だけの安全保障条約を結んでいるので、上位概念にある国際連合(旧同盟国家群、旧ソ連も中国も抗独・抗日国家として日本の上位国家だ)の集団的自衛権においては、基本的には対象外の国なのである。だから、もし尖閣諸島に対して中国が実力行使をしてもアメリカは積極的にはかかわれないのだ。

 第一に中国がそうまくしたてるであろうし、日本に加担してアメリカが手を出して来れば中国は1972年以来、アメリカへの輸出で貯めて来たアメリカ国債を「売却するぞ」と脅してくるはずである。もし売却されたらドルは一瞬にして大暴落し、アメリカは今日まで築いてきた超大国の地位からたちまち陥落するだろう。(日本は個別的安全保障である日米安保により首根っこを押さえられているので、中国に勝るとも劣らない米債券を保有しているのだが、バッシングが怖くて売ろうにも売れない。)

 世界は経済的には見かけによらずずいぶんがんじがらめに結合しており、そのことが国家間の頸木になってもいるのである。

 そんなこんなで、集団的自衛権行使容認はアメリカの意向そのものと言ってよい。そのうちに(特に共和党政権になったら)アメリカは日本の純粋な自衛のための武力行使から一歩進めて海外の戦闘地域への派兵をもとめてくるだろう。はたしてその時に「日本は憲法上、他国での武力行使はできないことになっている」と突っぱねることができるのか。

 とりあえず今、安倍総理へは「アメ総理」との別称を奉りたい。





















 

| | コメント (0)

« 2014年6月 | トップページ | 2014年8月 »