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志布志歴史散歩

 7月20日(日)の午前中、仲間と志布志へ歴史散歩に出かけた。午後からは「おおすみ歴史講座」があるので、午前中だけのスケジュールになった。

 志布志市埋蔵文化財センターでは7月15日から8月30日までの一月半、「安楽山宮神社の鏡展」を開催しており、そこの見学を兼ねて行ったみた。

 8時に鹿屋市東地区学習センターを出発し、まずは多量の鏡を所蔵し、今回、その一部を展示に出した「安楽山宮神社」を訪れた。到着は8時半であった。Cimg9320 境内に入ると茅の輪くぐりが見え、周りにはたくさんの灯篭提灯。

 そばにいた宮司さんに話を聞くと、昨日の夕方に「六月灯」(ろくがつとう。ロッガッドー)をするはずだったのだが、急な夕立で中止になったそうだ。「延期ではないのですか?」と誰かが聞いたが、もうやらないそうである。境内外の臨時の演芸舞台がガランとしていた。

 この安楽山宮神社の祭神は天智天皇。他に大友皇子(子)、持統天皇(娘)、倭姫(皇后)、玉依姫(側室)、乙姫(側室)を併せ祀り、かっては「山口六社大明神」として尊崇された。北東15キロの田ノ浦山中「御在所岳」での創建は和銅2年(709)、その後約100年、大同二年(807)にこの地に遷宮して現在に至っているという古社である。

 宮司さんの話で興味深かったのが、「天智天皇を主祭神として祀っているのは全国でもここと揖宿神社くらいなものです」。たしかに天智天皇を大々的に祭る「近江神宮」(滋賀県)があるが、あのお宮は昭和15年に創建されたごく新しいものだ。(あちらは天智天皇が大津京(宮)を開いた縁でできたものである)

 南九州での天智天皇の事績は相当語られており、伝承地はかなりの数に上る。その中でも志布志と指宿は双璧である。今後の調査研究が待たれる歴史事象の一つにもなっている。Cimg9322鳥居の下で記念撮影。Cimg9323 山宮神社から南へ下り国道220号線を左折し、右手に県立志布志高校を見たらその向かい側を左折するとすぐに「志布志市埋蔵文化財センター」だ。

 中はこじんまりとしているが、展示は明瞭だ。ボランティアの案内係の女性がすぐに応対してくれた。ただし、肝心の鏡の展示は撮影禁止ということであった。残念!展示の中で白眉の鏡は「唐草鴛鴦鏡」といい、平安後期の作で国指定重要文化財になっている。Cimg9327右手の模型は国指定の史跡「志布志城内城」。細かい部分まで再現してある。Cimg9329 志布志からは縄文早期(7500年前~10000前)の壺型の「塞ノ神式土器」も見つかっている。煤が付着しているからに保存用ではなく煮炊き用であることが分かるが、こんな形の土器で何を火にかけたのだろうか? 液体状の物ではあろうが・・・。Cimg9334 文化財センターを出て東に1キロ弱、大慈寺に行く。ここは入宋して禅を学んできた玉山和尚が、鹿屋浜田の呑海庵、大姶良の竜翔寺、高山の帝釈寺を経て、楡井頼仲の依願によって志布志に創建した寺で(1340年頃)、その後、観応2(1351)年に入寂。朝廷からは「仏智大通禅師」の勅諡(法号)を貰っている。(写真は本堂だが、その中に開山堂があり、地下に玉山禅師の石棺があるという)Cimg9333 楡井頼仲の墓。頼仲は禅師と同じ信州の出身で、信濃源氏一族という。

 南朝方の重鎮、肝付兼重とともに戦ったが、延文2(1357)年、幕府方の日向守護・畠山直顕との戦闘で利あらず、ここに逃げ込んで自害した。こののち肝付氏は島津氏と一時停戦する。Cimg9335 次に向かったのが宝満寺。この寺の由緒は古く、聖武天皇の国家鎮護祈願のために建立したという。聖武天皇の勅願寺といえば国分寺・国分尼寺が一般的だが、大隅国は広大なため、この地にも必要だったのであろう。

 向こうに見えるのは観音堂(本堂)だが、これは廃仏毀釈後の再興によって建てられた。今日は縁日なのか、親子連れの参詣客で溢れかえっていた。Cimg9339 宝満寺から、橋を渡って志布志郷御仮屋跡である志布志小学校の前を左折し、今度は右折すると小さな流れ沿いに北へ向かう(途中に志布志城への散策路入口がある)。田ノ浦への道と松山号方面への道との分かれ部分に「天水氏庭園」がある。Cimg9338 長い縁側の前の庭園は右手に見える丘を借景にしている。この丘の上には国指定特別史跡「志布志城」が展開する。Cimg9340 平山氏庭園。はるか昔は海岸の波打ち際だったことを思わせる凝灰岩盤が庭全体を覆い尽くしており、その間にツツジが配された珍しい庭である。Cimg9342 
最後に立ち寄った「小西児童公園」。ここには「愛甲喜春の墓」・「日本どんの墓」・「児玉伝左衛門の墓」・「肝付兼続の墓碑」等が寄せ集められたように存在する。写真は肝付兼続の五輪塔墓碑(本墓は大慈寺の中にある)。

 廃仏毀釈の前、つまり江戸時代まで、大慈寺の境内はこの辺りまであり、この辺は海岸部特有の黒松林の中に墓地が広がっていたようである。

 午前11時40分、ここで本日の歴史散歩は終了。

 食と涼を求めて、街中の大食堂であるDレストランに入ったはいいが、客はさほど多くないと思ったものの注文して30分以上は待たされ、たいして美味くもなく(待たされたせいで評価を落とした!)、散々な目に遭った。

 午後1時半からの東地区学習センターでの三国志名勝図会学習(坊泊郷②)には何とか間に合ったものの、ちょっと後味の悪い半日であった。















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コメント

八月も残りわずか…早いですね。7月19日に、私も兼続さんの墓碑を訪れました。いつも綺麗な榊が沢山供えられています。 初めて来た時は場所が分からず、近くの役場の方にお聞きしましたら、とても丁寧に教えて下さり、嬉しかったです。


投稿: hanaori | 2014年8月28日 (木) 23時42分

志布志は史跡の宝庫で「犬も歩けば遺跡に当たる」ような所ですね。
 中世から近世までの史跡が特に豊富ですが、古代の天智天皇の事績がずいぶん残っているので、これの解明が課題です。

投稿: kamodoku | 2014年8月29日 (金) 23時04分

志布志の丼物やラーメンは大慈寺の右手も左手もチャンピオンの処が遠方よりも食事にお見えです。こりずに又お出かけ下さい。先日上京出来まして青山墓地にお参りしました。今度は興国墓地の高崎を見せて頂けましたのでお参りに行かせて頂けます。薩陽諸家略譜改訂二版を黒岡のおじから生前頂けております。母方の縁で女子の嫁ぎ先を当てはめたり、薩摩藩英国留学生の系図をたどったりして長年楽しんでおります。曽祖父は玉里島津の家老岩崎宰です。このページも楽しませて頂きます。有難う御座います。

投稿: 志布志っ子 | 2015年11月17日 (火) 20時10分

先月、娘孫のお礼参りに宝満寺代参し、序でに脇を流れる前川沿いに上がったら、天智天皇の「志布志屋敷跡」に行き当たりました。以前にここだと思っていたところと違うので驚きました。やはり歩いて見なければわかりませんね。
 また若宮神社の奥の「福山氏庭園」を訪ねましたが、あいにく改修中で見ることができませんでしたので、またしばらくしたら行こうと思っています。

投稿: kamodoku | 2015年11月18日 (水) 10時54分

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