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かのや納涼花火大会2014

 鹿屋市主催の納涼花火大会が昨日(8月30日)行われた。

 正確には「かのや夏祭り納涼花火大会」と夏祭りが入るのだが、旧盆近くの夏祭り最終日10日に行われるはずが台風11号の接近で延期になったもの。

 去年から打ち上げ場所が市内の旧専売公社跡地から古江港の埠頭になった。去年は所用で見に行けなかったので今年こそは―と、古江港を見下ろす高台の「高千穂公園」に向かった。

 高千穂公園は高千穂神社のすぐ西側にあり、6,7年前に完成した広くて眺めのいい公園である。昼間は何度も来ているがさすがに夜の公園には縁がない。

 公園の周辺は人と車でごった返していたが、ミニバイクで行ったらすんなりと公園の横まで入れ、うまい具合にログハウス風の展望台(屋根はない)に上がることができた。東からの風が強く、時折りぱらぱらと雨粒が落ちたが、最後まで見物に影響はなかった。Cimg9966 展望台の下の芝生にはどこかの町内会の団体さんが、ブルーシートを広げて見物準備に大わらわ。もうアルコールの入っているらしい大きな声が飛び交っている。Cimg9988

ここからは会場のアナウンスは聞こえない。8時を少し過ぎたかとと思われる頃、いきなりドーンと打ち上った。すかさず下の団体さんから「おう!わあ、きれい!」と歓声。Cimg9994 前半でもっとも綺麗だったのがこの花火。上半分がグリーンで下半分が赤という珍しいもの。爆発音がここまで2秒近くかかっていたから、会場とここ高千穂公園との隔たりは600mというところだろう。Cimg0074 後半は埠頭の所定の打ち上げ場所から上がる連発と、少し右手の海中に設えられた打ち上げ台からの大玉(二尺玉)との連弾に見応えがあった。Cimg0071 そのうちに埠頭からレーザー光線の放射とともに連発が上がり、さらに海中の打ち上げ台から四本も五本も仕掛け花火的なものが打ち上げられ、それはそれは見事なショーだ。

 レーザーの乱舞は上から見下ろした方がよく分かり、楽しめたと思う。海面からの反射もなかなかのものである。Cimg0052 回転放射するレーザー光の色は赤・青を基調として緑・黄・紫などが交じり、おそらく下の会場では何らかの音楽が流れていたと思う。Cimg0049 初めて目にする「噴水」のような花火。Cimg0020 フィナーレにまた連発花火が上がった。

 その後ピタッと止んだので、もう終わりだと思い早目に公園を出た方がよいとバイクの所に行ったら、後ろからドカーンと大音響。

―しまった、最後のドでかい奴があったんだ!

と、振り返ってすぐに元の場所に向かった。見るには見られたが、ポケットに入れたデジカメを取り出す頃には消失していた。

 正式の会場ならば最後の大打ち上げのアナウンスがあったのだろうが、ここでは聞こえない。仕方ない、来年またここに来て、本当のフィナーレ「三尺玉」の雄姿を撮ることにしよう。



















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カライモの収穫が始まる(鹿屋市池園町)

 今朝6時にウメを散歩に連れて出ると、いつものコースにある畑でもうトラクターが動いていた。聞くと「カライモU(さつまいも)の後作のダイコン用に耕している」とのこと。

 そう言えば昨日あたり、カライモ畑の一部で蔓切りとマルチ剥がし(ビニールを剥ぐ)がなされており、収穫が始まったことを示していた。

 朝食後、デジカメをもって南へ300mほどの畑に行くと、いたいた。Cimg9946 農道の角の畑に軽トラックがたくさん停まっていて向こうでは収穫用の機械が動いていた。Cimg9947 畦に立ち、ちょうど機械のところから軽トラに向かって歩いてきた畑の主(奥さん)に写真を撮らしてと頼んだら、すぐに快諾。

 「去年の今頃、ここじゃないけれど別の畑で収穫していたら、鹿児島から来たというバイクの男性にやっぱり写していいかって聞かれた」

 そうで、何とかという農業関係の写真展に出品したらしい。

 ―そんなんじゃないけど、ただ趣味でやっているだけ。

 と返したが、ブログに載せる云々までは言い切らなかった。ブログって何?と言われてもなかなか説明しづらいので。(画面の空の部分に黒いものが二本?写り込んでいるが、どうやらトンボの影らしい。珍しいことで、撮ろうと思っても撮れるものではない。)Cimg9953 この畑は100m×50mくらいあるから5000㎡(5反)の広さだ。今朝の7時頃から始まったとして9時少し前に来たからちょうど2時間経っているが、畑の7割方が済んでいた。さすが機械力だ。Cimg9955_2 100mの先からここまで5分と掛からない。Cimg9956 先端のガイド用のタイヤの間に畝をえぐる歯のような物があり、土の中に眠っているカライモたちをずんずん掬い上げ、さらにキャタピラ式のエレベーターの上をころころと転がりながら上に運ばれて行く。

 収穫機の上には4人の人たちが乗り込み、イモに付いているツルを切り取りながら大きな袋に入れ込む。Cimg9960 袋が一杯になるとところどころに置いて行く。

 イモの種類は「黄金千貫(こがねせんがん)」。デンプン用だ。

 今年の芋は若干小さめのようだ。芋づるを植え付けた4月頃の天候が不順で、寒かったうえ日照時間が少なかったのが影響しているのだろう。植え付けの時期もかねてより2~3週間は遅かった。

 この畑の主はカライモ畑を20町(200,000㎡)も栽培しており、これからまだまだ収穫は続く。



 










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『垂水史談会のあゆみ』を恵贈される

 垂水史談会(会長・中島信夫氏)より、『―復活20周年―垂水史談会のあゆみ』という冊子を頂いた。Cimg9920_2
送り主は中島信夫・垂水史談会会長である。中島先生はわが大隅史談会の理事もされている。

 中島先生が平成6年にそれまで約20年間途絶えていた「垂水史談会」を復活し、垂水に関する歴史の再認識を目指し、新たな会員を加えて再興したものである。

 垂水史談会の歴史は古く、創立は昭和2年(1927年)までさかのぼる。発足当時の会員は10名ほどで、会員になるには地方の名士である必要があったようで、今日の姿とはだいぶ違うが、この時は7年後の昭和9年にはいったん会の活動は閉じられている。

 戦後の昭和31年(1956年)、史談会は復活し、30名ほどで運営が始まった。42年(1967年)に戦後の初代会長・山口栄之氏が亡くなると、再び会は衰微しはじめるが、それまでに山口氏が収集した史料(古文書・系図・歴史書)などは垂水市史編纂の準拠とされ、さらに47年(1972年)には山口氏から史談会へ提供されていたそれら史料は氏の教育委員会へ一括して寄贈されることになった。名付けて「山口文庫」とされた。

 しかし、昭和50年には再び会の活動は停止する。

 時を経て平成5年(1993年)、史談会の会員であり、垂水市文化財審議委員でもあった中島先生は垂水の歴史的遺産の重要性に鑑み、再度の史談会活動の復活を目指した。そして翌平成6年に総会を開催し、垂水史談会は復活を果たした。

 以後の20年は中島会長の指導の下、研究調査はもとより講演会・歴史研修会を年に数回開催しつつ、会報を発行して垂水の朝野に働きかけて来たのである。

 御礼の電話を差し上げると、御歳に似合わぬ元気な声で話された。

 「垂水は歴史遺産が多い町でその顕彰に努めて来たが、いまひとつ残念なのは平成9年だったか、市議会に対して歴史資料館を建設してほしい旨の請願を出し、受理されたのだが、いまだに建設の目途が立っていない」

 そうで、何度も悔しさをにじませておられた。

 上述のように昭和47年に史談会所有の垂水のみならず様々な古文書・記録・書籍などを市に寄贈してあり、歴史資料館さえできればそれらの史料類が安心して保管され、また活用されるに違いない。

ー陳情の結果、10年後には建設すると約束されたのにできないのはどうしてですか?

「いやあ、行政側にいろいろあってねえ。よそじゃ、トップのツルの一声で決まるところもあるというのに・・・」

 残念至極のお声であった。

Cimg9923 故・山口栄之氏収集の文書等の寄贈記録。第一回分として1083点が寄贈された。Cimg9922 神皇正統記・東関紀行・日本外史など貴重本が見える。Cimg9921 桜島噴火記・旧造士館回想録・垂水太平記など稀覯本もある。

 こういった書籍資料のほかに古文書や家系図など散見され、史料として散逸しないよう、また研究に資するためにも歴史資料館は必要だ。

 このことは鹿屋市についても言えることで、有形文化財を重んずる余り、せっかくの史料を持ちながら蔑ろにしているのである。

 箱モノはこれ以上いらないというならば、箱モノを建設せずともやって行ける方策はないものか、情報最先端のアイテムを使えばわずか数センチの記憶媒体にすっぽり収まるやもしれぬ。このあたりのことを真剣に考えて行かなければなるまい。散逸してからでは遅かろう。










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広島市安佐地区の土砂災害

 一昨日の未明に土砂降りが3時間ほど続いたという広島市の安佐地区で、大規模な土砂災害が発生した。

 昨日までの報道では、死者39名、行方不明7名だったのが、今朝は行方不明が一気に増えて51名となり、死者・行方不明者が90名。まさに寝耳に水の災害である。Cimg9901 朝7時のいつものニュースでは、下のテロップでも「計90人のおそれ」と曖昧さを隠していない。(画像はすべてNHKニュースから)Cimg9902 土砂崩れの現場は安佐南区と安佐北区にまたがっている。特にひどいのが南区の方にある八木地区だ。ここだけで25名の死者を出している。

 八木は広島市の中心部から太田川沿いに10キロほどの北東に位置し、背後に山々は迫ってはいるがそう深い谷間にあるという印象はない。

 実は、安佐北区の可部町三入に2年弱住んでいたことがあり、平成3年から5年にかけてだが、上の画像にある「三入南」がまさにそこであった。可部の町で買い物や学校・病院のほとんどの用は足りていたので、八木とか緑井などは広島市内や宮島へ行く際に車で通るだけだった。あの辺りは東側に大田川の広い河川敷などが散見されて、むしろ広々としている地域に見えたものだ。

 可部以北の方がより深い谷間となっており、そっちの方がひどいかと思って報道を見守ったのだが、そうではないらしい。Cimg9907 八木の災害現場は広島県が過去に調査した時点では「土砂災害警戒区域」候補に挙がったものの、見送られたらしい。担当者は設定しておくべきだったと悔やむようなことを言っていた。Cimg9913 土砂災害の研究者が八木地区の現場に入ったが、山からの花崗岩の巨岩交じりの「まさ土」の破壊力はすさまじい。「まさ土」は花崗岩が風化してできた砂状の土で、水を含むと一気に流れ出す。鹿児島のシラス火山灰に似ているが、シラスの方は若干の粘着力があって滝のように流れることは少ない。

 画面の向こうに瀟洒な県営住宅が無事に残っているが、1階にはほとんど土砂が流れ込んでいるらしい。こんな危険区域に県営住宅を建てた気が知れない。もしかしたら県が調査をした時点ですでに建っていたのかもしれない。そのために今さら「土砂災害警戒区域」というわけにいかず、指定から外したのではないか―と勘繰りたくなる。Cimg9916 専門家は現場を目の当たりにして、想定外の降雨量と「まさ土」流出の因果関係を説くが、ここに県営住宅を建てた是非についても十分に見解を述べて欲しいものだ。

 8時の民放のニュースでは、行方不明者がまだ増えそうだということである。

 2年間住んでいた三入地区は伝統行事の盛んな所で、小正月にはすぐ近くの根谷川の河原で無病息災を祈って鏡餅を焚き火で焼いて食べる行事(どんど・とんど?)に家族そろって参加した。

 また、長男が通ったことのある三入小学校の東方の丘の上にある三入八幡宮では秋祭りに石見神楽が奉納されるとあってこれも家族で見物に行った思い出がある。

 そんな三入地区で大きな災害になっていないか気になるのだが・・・。













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鹿屋中央高二回戦敗退

 今日の甲子園球場第3試合に出場した鹿屋中央高校は、石川の星稜高校の前に惜しくも涙を呑んだ。

 所用があって外出し、帰宅したら7回の裏の攻撃だった。全部内野ゴロで三者凡退となった。

 それでも8回裏と9回裏には意地を見せ、2塁まで出塁したが後続を断たれた。(画像はすべてNHKの放映から)Cimg9848 9回裏は4番の木原からで、一回戦と違い今日は2安打を放っている。しかしフォアボールを選んだ。

 次の川内はヒット性の当たりだったが、二塁手の真正面へのライナー。6番大田が左中間へヒットを放ち、ワンアウト二塁、三塁になった。期待が持てたが、7番神田は三振に倒れ、Cimg9861 続く8番山下の当たりは一塁正面へのゴロでスリーアウト。

 鹿屋中央高校は初出場、一回戦初勝利を記録してこの夏は終わった。Cimg9867 残念だが、よくやった。Cimg9874 2回以降完全に抑えられてしまったが、相手に集中打を浴びせられず、わずか4点しか与えなかったのは偉い。Cimg9873 ベンチ入りを含む全員が一塁側応援席へ挨拶に行く。Cimg9881 ブルペンの前に勢揃いし、甲子園球場全体に感謝し、別れを告げた。Cimg9877 甲子園の土を大隅半島の中心鹿屋に初めて持って帰り、なお一層の精進とカムバックを期待したい。














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かのやオーケストラ第13回定期演奏会

 おおすみ歴史講座を受講している仲間で、奥さんがかのやオーケストラに所属している人がいる。

 今日は午前中に中央公民館でいつもの『三国名勝図会』を学習したあと、昼食を挟んで午後からは隣りの文化会館で行われる演奏会を視聴した。

 14時から始まった演奏会は二つの楽曲(①ブラームス 悲劇的序曲 作品81 ②モーツァルト 交響曲 第35番ニ長調 K385「ハフナー」)をこなして約1時間で終了。Cimg9828 指揮者の前田学園校長・前田均氏の挨拶には全員総立ちで観客に向かう。惜しみない拍手がおくられた。

 休憩をはさんで次は鹿屋在住のピアニスト・竹下智子さんをメインに「ラフマニノフ ピアノ協奏曲 第2番ハ短調 作品18」が演奏された。Cimg9834 協奏曲は三つの楽章からなるという。第1楽章はモデラート、第2楽章アダージョ・ソステヌート、第3楽章アレグロ・スケルツァンドという聞きなれない構成だが、弾き方がだんだん早く劇的になって行くのは分かった。最後の方の鍵盤を動き回る手の動きはとても人間業とは思えない。Cimg9830 招待してくれた仲間いわく「ピアニスト竹下さんの実の祖母が舞台に出ている」―と。

―どこに?

「家内と同じチェロのパートにいるんだ。この人は70歳過ぎてからオーケストラに加わっているけれど、それまでチェロなんか弾いたことがなかった。いまもう90歳近い人だよ」

―へえー!

 どこにいるかというと、写真右端から二人目、顔だけが見えている。Cimg9843 素晴らしい演奏が終わって、子どもたちから感謝の花束を受け取る竹下さん。(右手は第一バイオリン奏者)Cimg9842 孫が祝福されるのを同じ舞台上で見守るチェリストの祖母(右から三番目)。さぞホッとしまた誇らしくもあったろう。

 日本的な習い事、たとえば日本舞踊や三味線などの世界では祖母(祖父)と孫の共演は珍しくないと思うが、洋楽器の世界ではかなり稀だろう。これからも元気で!




 







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大姶良夏祭り

 鹿屋市の大姶良地区の夏祭りが今夜行われた。

 朝は一時雨が降り、その後もどんより曇った一日だったが、さいわいにも夕刻からは徐々に晴れて来た。

 大姶良夏祭りは今回で8回目で、さほど歴史のある祭りではない。手作り感のある素朴な印象を持っていたが、今回はいつもより外部からの招待グループが多かった。Cimg9791 6時から始まったが、最初は幼稚園、小学校の合唱からで、少し進んでから空手の演舞が行われたがこれはいつも見応えがある。Cimg9792 何とかレンジャーのショーも参加し、客席を回って盛り上げていた。Cimg9796 「1believe」(ワン・ビリーブ)という名の少女隊。大隅半島で結成され、それなりに活躍しているという。Cimg9798 地元の小学生たちのフラダンス。Cimg9801 地元のおばさんたちのフラダンス。動きのしなやかさはやはり小学生の方が上だった。Cimg9800 下堀地区に伝わる「ひょっとこ踊り」。観客席の周りを踊り回る。
Cimg9804 若いエイサーのグループ。Cimg9806 地元のオペラ歌手(?)。歌もうまいが、トークが面白い。Cimg9807 薩摩川内市から来た「薩摩川内踊り太鼓」のグループ。太鼓の演奏に踊りの見せ場を取り入れた珍しいエンターテインメント。フランスでも披露したそうで、ド迫力のバックミュージックには鼓膜が痛かった。太鼓と踊りだけに限定して演技したらと思うことであった。Cimg9823 お楽しみ抽選会が終了するとすぐに会場隣りの小学校校庭から花火が打ち上った。Cimg9816 その数200発。時間は9時30分。空はきれいに晴れていた。


























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手漕ぎ船の競争(熊本県水俣市)

 日本各地で手漕ぎ船による競走大会が開かれているが、今朝のNHKニュースでは熊本県水俣市で行われているものを紹介していた。Cimg9748 ここのは「競り船」というそのものずばりの名で行われているが(他県ではハーリーとかペーロンなどが一般的)、初めて参加する高校生を取材していた。Cimg9757 一回戦は首尾よく通過した。Cimg9767 他の参加者の船には女性も参加している。Cimg9762 普通のカメラでは写せない手漕ぎ船内部の様子が新鮮だった。進行方向に向かって左右に分かれたクルーが上に持ち上げたオール(櫂)を目いっぱい海に突っ込んで、うしろに掻いて行く様子がよく分かる。Cimg9763 海中に掻き板部分を突っ込み、思い切って後ろへ掻く。この力はかなりなもので、馴れないとすぐ息が上がる。Cimg9760 二回戦は残念ながら4位で上には進めなかったようだが、Cimg9765 力を出し切った安堵感が見える。また来年頑張ればいいさ。

 このような手漕ぎ船こそ帆船(古代)以前の海上交通の姿で、船を推進する者たちを「カコ」といった。「カコ」は「水手」とか「船子」などと漢字を当てるが、本来の倭語は「(水を)掻く子」の意味の「カキコ」だったであろう。

 この中の「キ」が脱落して「カコ」になり、応神天皇紀に見えるように「鹿子」が当てられ、「カコ」が多く、また鹿も多かった薩摩・大隅を「鹿児島」と呼んだにちがいない。

 「鹿児島」地名は764年に「鹿児島信爾村の海辺に小島が噴出した」と『続日本紀』にあるのが初見で、この「鹿児島」を桜島と解釈する人もいるが、その後の歴史書に桜島のことを「鹿児島」と表現したものは皆無であることからして無理である。

 また、朝鮮半島半島方面に渡る手こぎ船を「鴨」とも呼んだということが、万葉集の歌人・山上憶良の歌(10首連作)によって判明しており、皇孫のホホデミがトヨタマヒメと出会った「鴨着く島」が「朝鮮半島とも行き来する船の発着場所としての鹿児島(特に大隅半島)」を表していることがますます確かになって来たようだ。



















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鹿屋中央高甲子園初戦突破!

 今日の10時45分から始まった甲子園第2試合<鹿屋中央高校VS市立和歌山高校>。Cimg9694 (写真はすべてNHKの放映画面から)
 投手戦の様相で、鹿屋中央のエースピッチャー七島君と和歌山の赤尾君の互いに連打を出さない投球は大したものだった。

 しかし七島君は4回表に二塁打を連発されて1点を先取された。しかしその後は安定したピッチングで得点を許さなかった。Cimg9707 逆に8回裏に鹿屋中央が1点を返して同点。

9回も和歌山の得点を許さず、その裏にはサヨナラのチャンスがあったがダブルプレーで抑えられ、延長戦に突入した。延長戦は今回の甲子園でこれが初めて。Cimg9728 12回裏のトップバッターは一塁手の大田豪君。今日はクリーンナップの打撃が振るわない中、もっとも活躍した6番バッターだ。見事にクリーンヒット、その後送りバントで2塁に進塁し、8番の徳重選手のヒットでワンナウト1塁3塁となった。Cimg9730 9番は、9回からエース七島に代わってマウンドに立ったピッチャーの米澤君で、ぼてぼての2塁ゴロを打ったが、和歌山の二塁手は何を思ったかバックホームせずに1塁に送球してしまい、上の写真で3塁に出塁している大田君が難なくホームインして逆転サヨナラ。Cimg9733 おめでとう! 大隅初の夏の甲子園出場と初勝利!Cimg9735 外野席までほぼ埋まった大きな球場に、鹿屋中央高校の校歌が流れる。Cimg9736 ナインはもとより、アルプススタンドで声を嗄らしていた応援団も大喜びだ。Cimg9738 暑さの中、ご苦労さん!Cimg9744 インタビューを受ける山本信也監督(鹿児島商高ー鹿屋体育大学―社会人野球ー鹿屋中央高赴任後、監督就任)。まだ40歳そこそこと若い監督で、「粘りの気持ちで行け、必ず転機が来る」と4回もダブルプレーでチャンスをつぶされてしまった今日の試合を振り返った。また、「打線が湿っていた」とも。

 たしかに3,4,5番のクリーンナップトリオが、これといった働きをせずじまいだった。それでも勝てたのだから、投手陣(七島ー米澤選手)の制球力が大きくものを言ったということになろうか。

 2回戦もがんばれ! 相手はこれまた奇跡の逆転勝ちを拾って来た強豪校・星稜高校だ。予定通り行けば18日に行われる。














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台風一過の夕焼け

 台風11号は夕方の7時頃にほぼ抜けて、西空には久し振りに美しい茜雲が浮かんだ。Cimg9662 手前の丘陵には霧島が丘公園があり、その一角が「かのやばら園」である。Cimg9667 茜雲の下に広がる青とグレーを混ぜて透明にしたような空の色もいい。心を落ち着かせてくれる。Cimg9659 吹き返しの西風に揺れるユリ。

 庭に咲いているユリはどれも全くの無事であった。ユリは無事、夕焼けは見放題。

 結構毛だらけ、猫灰だらけ―と、寅さん的心境。

 7時過ぎに『男はつらいよ ぼくの伯父さん』を観る。甥の満男が準主役になった記念すべき43作。満男のマドンナが後藤久美子、寅さんのマドンナは檀ふみという役回りで、九州は佐賀が舞台だった。ああ、あと5作で完了か・・・。







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台風11号の暴風域に入る

 台風11号は昨日夜遅くに種子島・屋久島を暴風域に巻き込んだあと、そのままゆっくり北北東に進み、今朝8時頃には大隅半島の南部が暴風圏内に入ったようである。Cimg9595 (ヤフーの天気欄から)一番下の赤丸が今朝8時頃の暴風圏域。

 今これを書いている9時半の時点での外の様子は、風の強さ自身は昨日強風圏に入った頃のとそう変わらないが、15メートルくらいの北寄りの東風がのべつ幕なしに吹いている。勢い風のうなり音が高巻いて、いかにも台風特有の風の様相ではある。

 ところが雨の方は一向に降らない。朝起きたころ(6時)から7時半くらいまでは小雨が降っていたが、それ以降は風が強まっただけで雨は落ちて来ないでいる。しかし空はどんより曇り、低い灰色の雲が西へ流れて行く。

 このままの状態で抜けてくれれば大助かりだ。どこもほぼ被害はないだろう。

 停電もないので、8時からの読売テレビ「ウェークアップ」を視聴したが、8月5日付の朝日新聞「従軍慰安婦報道に関する過去の誤報を取り消す」という問題で話題しきりであった。Cimg9563 慰安婦はいても、「従軍慰安婦」なる言葉も無く、それから連想される日本軍が強制的に行った「女性狩り」「性奴隷化」なども存在しなかったことを事実として認め、過去にさかのぼって「あれは虚偽でした」と報道した。

 そもそも朝日新聞が1982年に吉田清治という「作家」の見解を取り上げ、一面トップに掲載したのがことの発端であった。

 吉田は「自ら済州島で女性を強制的に駆り立てて軍の慰安婦に送り込んだ」と生々しく自著に書き、それを鵜呑みにした(というか半信半疑だったが受け入れた)朝日新聞が大スクープとしてその後も15年ほどにわたって書き続けたわけだが、吉田の本が韓国語に訳されてからは韓国人の対日嫌悪感情を煽りにあおり、今日の「従軍慰安婦への賠償・国家責任」問題へとつながって来た。Cimg9579 1993年には「河野官房長官談話」が出され、韓国への謝罪となって表れたのも、朝日の一連の誤報が原因となっている。Cimg9584 当時の副官房長官・石原信雄氏は「日韓関係の将来を見越して、<強制連行した。済まなかった>と言わざるを得なかった」と、今になって釈明している。

 河野氏と石原氏それに当時の宮沢総理は揃って記者会見を開き「虚偽に基づく報道に煽られてしまった。日本国民にお詫びする」と言って欲しいものである。仮に百歩譲っても1965年の日韓基本条約に置いて戦後賠償のすべては済んでいるし、<虚偽の従軍慰安婦>を含む女性人権への配慮「アジア女性基金」なるものまで設置して日本は誠意を見せているのだ。今後、韓国側の従軍慰安婦関連の暴走は無視するに限る。Cimg9565 韓国のパク・クネ大統領は、ことあるごとに画面のようなことを日本向けに発信するが、これから孤立を招くのは韓国自身だろう。

 風聞によると、パク大統領の父でやはり大統領だったパク・チョンヒ(朴正熙)大統領は朝鮮戦争の時に軍人として米軍への「慰安所」を統括する責任者だったという。今度の朝日報道で、国内的にも矢面に立たされるはずだ。可愛そうに・・・。

 

 朝日新聞が自らの虚偽報道認定と発表までにすでに32年という歳月が流れた。最初の虚偽報道の1982年といえばまだ戦争をひきずっている大勢の人たち(あらゆる階層のトップクラスが戦前・戦中派だった)がおり、先の戦争は日本が勝手に起こしたバカげた戦争であった、近隣諸国には済まないことをした、さらには「こんなバカな日本人に生まれて恥ずかしい」というような日本人が多かった時代でもある。

 そういった中で朝日新聞は中道・革新を問わず、結構な数の読者を持っており、特に上のような戦前・戦中派には<日本軍が強制した気の毒な従軍慰安婦>というような記事は受けが良かった。

 「やっぱり朝日の言う通り日本人はバカなことをしたんだ。自分が日本人に生まれて恥ずかしいと思ったことは間違いじゃなかった」

 こんな屈折した感情を持つ人たちを、戦後の論壇をリードしてきた朝日新聞は巧みに読者に取り込んで来たとも言える。しかし、時代は戦後派のものになっている。朝日もどーんと読者を減らすだろう。

 安倍総理は先の記者会見で「河野談話を見直すことはしない」と言ったが、それは無いだろう。どう訂正するか注目したい。











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台風11号が接近中

 あとから生まれて東シナ海をさっさと通り過ぎて行った12号を尻目に、南海上をのんびりと北上して来た11号。

 8月8日9時30分現在、奄美大島の南東250㌔くらいのところにあって虎視眈々と北上し、列島上陸の機会を窺っている。

 勢力は945hPaと大型のランクで、平均風速40m、最大瞬間で55m、と直撃されたら瓦が飛びそうな強さの風が吹き荒れる。クワバラ、3月に屋根に取り付けた太陽光パネルが心配だ。

 昨夜はときおり激しい雨の音がしていたが、5時半頃には止んでいたのでウメを散歩させ、その後、玄関先に置いてあるプランター類を全部家の裏(北側)に避難させた。

 朝食を摂っていると、再び強い雨が、かなり吹いてくる東風にあおられて横なぐりに庭を通過して行く。もう強風域の辺縁に入ったのかもしれない。

 ちょうど今週初めの日曜日から花を開き出したテッポウユリが、庭のあちこちで大きく揺れている。Cimg9540 11年前にここに移ってから、最初は庭に2,3本あったかどうかだったが、次第に殖えて来て今では庭中に勢力圏を広げている。Cimg9537 一箇所に10株くらいの群落を作っているのは一本の花の種から増殖したもの。Cimg9539 背丈と花の大きさはおおむね比例していて、この株の花が最大のようだ。株高160センチ、花の径は15センチ、花の長さ20センチもある。しかも同じような5個の花が着いている。Cimg9535 これは球根が塊状になり、叢生するタイプ。今年も一箇所から30本くらい生えて来ている。背丈は1メートル程度で、全体として自然にまとまった形を保持している。ちょうど咲き頃を迎えたが、40mの風の前では散るか折れるかするだろう。惜しい!Cimg9538 まだ全く咲いていない株もある。株の高さというより長さは2m。花数はちょうど10個。咲かずに散ってしまうのはもっと惜しい。これだけは支柱を立ててみるか。しかし、下手に立てて緊縛するとその部分から上が強風にもぎ取られてしまう恐れもある。

 風に堪えて揺れる植物だから「ゆり」と名付けられた―という説があり、それなら自然任せ風任せにしておくのがいいか・・・。











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黄金の大地の刈り取り(鹿屋市吾平町)

 昨日あたりから早期米の刈り取りが始まったようだ。

 肝属半島南部で最も早いのが吾平町一帯の田園地帯で、昨日、吾平町の温泉「うがやの湯」を訪れた際にすぐ近くの田んぼで米刈りをやっていた。

 今日になってもし雨が降っていなかったらあちこちで刈り入れが見られるだろう―と期待して朝を迎えたが、幸いに時折り日の差す薄曇りだったのでデジカメを手に出掛けてみた。Cimg9514 我が家からほぼ東へ3キロで大姶良川に架る樋渡橋を渡り、そこから向うは旧吾平町の領域だが、橋を渡った右手の田んぼでさっそく刈り取りにお目にかかった。Cimg9515 今は10アール(300坪)くらいの小さな田んぼでも、コンバインが入って人手はほとんどかからない。ここも夫婦二人で、奥さんが軽トラック仕様のモミ入れを畦道に持ち込んでいた。

 籾入れに一杯になったらそのまま家まで走り、我が家にしつらえたモミ乾燥機に入れて乾燥させれば出来上がり。田んぼでの掛け干し風景は年々少なくなっている。Cimg9532 吾平町の中福良地区にやって来た。ここはすぐ脇を流れる姶良川の氾濫原だったところ。Cimg9531 姶良川の土手から見た中福良(鶴峰)田んぼ。3年前に基盤整備事業で畦道が真っ直ぐに整備され、田んぼもほぼすべてが長方形の形になった。(向こうに見える鉄筋の建物は「鶴峰小学校」)Cimg9519 土手から見渡すと二ヶ所にコンバインが見えたので、近い方の田んぼへ行って見る。すると・・・何やら修理中の様子。聞くと「田んぼに降ろしていざ始めようとしたら動かなくなった」とのこと。

 このあと、御主人は道具を取りに奥さんの乗って来た軽自動車で自宅に向かったらしいが・・・。

Cimg9530 そこでもう一箇所、鶴峰小学校に近い方の田んぼに行って見ることにした。Cimg9525 ここでは無事に刈り取りが行われ、18アール(540坪)あるという一枚の田んぼの大半がもう終わっていた。Cimg9529 コンバイン内のタンクが一杯になると、突き出た長いパイプからモミを吐き出して行く。Cimg9522 ここでは軽トラックの荷台のモミ袋(バインダー袋ともいう)に、送り込んでいる。

 軽自動車に乗っている爺さん、軽トラックの荷台に乗っている婆さんと嫁さん、そしてコンバインを操作する息子の4人の共同作業だ。このあとモミ袋を積んだ軽トラックは自宅のモミ乾燥機へ。

 コンバインが導入される前は―バインダーという刈り取り機で刈り、それを田んぼの中で掛け干しし、乾燥したらハーべスターという脱穀機にかけてモミ袋に入れる―という行程があり、自分もやったがかなりの重労働で、時間もかかった。

 それが今は、その頃より日数も労働力も五分の一くらいになり、実に楽になった。

「それはいいが、金ばかりかかって農家には何も残らん」―とは爺さまの弁。なるほど、機械化貧乏というやつ・・・。

―でも農家は、どんな飢饉でも災害でも残りますよ。

 と、なぐさめ・・・にはなっていないだろうな。だが、事実は事実と思っている。

 






















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