小烏神社の相撲大会(鹿屋市野里町)
鹿屋市の野里地区には大津と呼ばれる地区があり、そこの鎮守を小烏(こがらす)神社という。
毎年9月23日には神社の下の広場で「野里消防団大相撲大会」が開催される。今年で62回とかで、戦後の疲弊した近隣地区の意気を高めようと始められたようである。
我が家からは北西に5キロほど離れており、神社は広大な野里田んぼを見下ろす位置にある。
神社へは高須川に架る大津橋を渡るが、その橋の手前に田の神がある。 この田の神は約250年前に製作されたもので、端正な造りで年代もはっきりしているということで県指定の文化財になっている。
田の神様は広い野里大津の田んぼを見守っている。 もう間もなく刈り入れを迎える田んぼは黄金色に輝いている。左手奥にこんもりとした森になっているところが目指す小烏神社だ。
神社の近くまで来ると、なるほど消防団の主催らしく、中型の消防車がでんと構えていた。
雨は落ちて来ていないが用心のためだろう、観客席から土俵まで大きなブルーシートで覆われている。
土俵では小学生の取り組みで、地区別の団体戦らしい。 いくつかの対戦が済み、最後の大将戦は一方の不戦勝であった。土俵下に勢揃いして勝ち名乗りを受ける。
さてこの相撲が奉納される神社を「小烏神社」というが、珍しい神社名である。鹿児島県神社庁のホームページによると祭神は「ヒコホホデミノミコト」で、創建の由緒は不明であるという。 しかしインターネットで「小烏神社」を検索してみると、山口県の防府市に同じ小烏神社があり、そこの祭神は「八咫烏(ヤタガラス)」となっている。
ヤタガラスは南九州からのいわゆる神武東征のとき、熊野の山中で道に迷った一行を導いたカラスで、別名は「賀茂建角身(かもたけつぬみ)」である。
カモタケツヌミは京都にある下鴨神社の主神で、下鴨神社は京都では最も由緒の古い神社である。その主神カモタケツヌミは『山城国風土記逸文』によると、遠い昔に「曾の峰に天下りした神」であるという。そして「神武天皇一行の御前に立って先導した」というから、まさにヤタガラスと同じことをしている。
そんな祭神がここに祭られている由緒は不明とはいえ、南九州から神武やカモタケツヌミが出発して大和地方にあるいは京都の鴨川の上流に到達したということがまんざら嘘ではないように思われるのだ。 普段は参詣客の少ない神社にも今日は人の気配が濃厚である。このあたりにしては大きな立派な鳥居の向こうに豊かな田園が広がっている。
京都の賀茂神社の祭礼といえば何と言っても「葵祭り」だが、実は「カラス相撲」という神事もある。ヤタガラスの故事に因むものだが、ここ小烏神社の相撲大会はもしかしたら賀茂神社のそれを倣ってのものなのかもしれない。
そうなると県の神社庁の祭神「ホホデミノミコト」は当たっていないのではないか。京都の賀茂神社の方に縁があるとした方がよいだろう。
今でこそ消防団主催の勝ち負けに特化した「大相撲」になっているが、本来は賀茂神社の場合と同じように「相撲という神事」だったのではないだろうか。このあたり調査の要ありとみた。
| 固定リンク
「おおすみ祭礼と行事」カテゴリの記事
- 宮下相撲大会(鹿屋市吾平町)(2017.11.12)
- 鹿屋市吾平町の敬老会(2017.10.29)
- 満開のばら園(2017.05.18)
- かのや春のばら祭り2016最終日(2016.06.05)
- かのやばら園は満開(2016.05.22)
コメント