高円宮典子女王と千家国麿氏との婚儀
10月5日(日)に皇室の一員・高円宮家の次女の典子女王と、出雲大社宮司家・千家家の長男千家国麿氏とが結婚式を挙げた。
場所は出雲大社で、拝殿内部で式が執り行われた。 警護員のすぐ後ろが式の際に斎主(進行役)となった国麿氏の叔父・隆比古権宮司。次にお二人が並んで本殿に向かう。
典子さまは大社本殿内で「小袿(こうちぎ)」と「長袴」に着替えられ、いよいよ式場となっている拝殿へ。
式では玉串を奉奠し、盃(三々九度)を交わし、国麿氏が誓詞を読み上げたそうである。
式が終わって拝殿の前に出て来られ、待ち構える人々に挨拶をされた。
午前中に式と挨拶が済み、略装に着替えられた。これで晴れて夫婦となり、典子さまは高円宮家を離れて千家典子として出雲にお住まいになる。
台風の余波の雨風が心配されたが、何の影響もなく滞りなく済んだのは幸いであった。
5月27日に世間を驚かせた婚約発表から4ヶ月余り、これからの皇室と出雲大社の橋渡しとして新たなスタートが切られることになった。
島根ではテニスの錦織圭選手の全米オープン準優勝で大いに湧いているが、さらなるビッグニュースでなお一層興奮していることだろう。
※参考 <出雲国造家と皇室との関係について>
出雲国造家の祖は「天穂日命(アメノホヒノミコト)」
天照大神―(玉から生まれた5男神の次男)天穂日命
皇室の祖は「ニニギノミコト」
天照大神―(5男神の長男)天忍穂耳命ーニニギノミコト
すなわち皇室の始祖・ニニギノミコトは出雲国造家の始祖・天穂日命の甥に当たるわけである。年代的に言うと、出雲国造家の成立の方が一世代古いということになる。
それなのに皇室は現在125代、出雲国造家は国麿氏で85代と、皇室の方が40代も多いのは、王権がらみで兄弟継承の多かった皇室と、親子相続のほとんどであった出雲国造家の構造上(というか立場上の)違いである。
婚約発表の時のブログで書いているように、ちょうど2000年前の頃、皇室(ニニギノミコト家)と出雲国造家(アメノホヒ家)とは同祖であったと考えてよい。どちらも「天つ神」系の家柄である。
それに対して、出雲大社に祭るのは「国つ神」の総大将たる大国主命で、皇祖であるニニギノミコトが豊葦原瑞穂国を統一しようとした時に、「国譲り」をして国を明け渡した神である。その神を天孫の一族が祀っている姿が出雲大社なのである。
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