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大川内神社(鹿屋市吾平町神野)

 大川内神社(おおかわちじんじゃ)は鹿屋市吾平町を流れる姶良川の源流に近い神野地区(吾平町中心部から約8キロ)に鎮座する。Cimg1339 神野でも最奥に近い「永野牧」という集落を訪ねると、その少し手前からは美しい山村風景が広がる。左手に秀麗な「吾平富士」と呼ばれる中岳が聳え、その右手山麓の突端が大川内神社のある森である。Cimg1338 永野牧バス停から右折して橋を渡り、200㍍ほど行くと左側に鳥居が見える。ここから石段を上がると神社の前に出る。Cimg1331 6年前に来た時はこんなに整備されていなかった。Cimg1335 拝殿はもとより本殿も一新され、常の大隅の古社に似ない落ち着いた渋い色合いの外観だ。以前は朱塗りだった。Cimg1333 脇看板によると旧村社で、祭神はヒコホホデミ・ヒコナギサタケウガヤフキアエズ・タマヨリヒメ(后)・カムヤマトイワレヒコ・アヒラヒメ(后)の五神となっている。

 また、「古くは地王権現と称していた」とあり、慶安四年(1651年)の棟札があることから江戸時代の初め頃には社殿があったことが分かるという。

 さらに「主神吾平津媛(アヒラツヒメ)は、神武東征に御子手研耳命(タギシミミ)を随伴させ、みずからは吾平の地にとどまり、ひたすら夫の君やわが子の御東遷・武運長久を御祈りになったという。」と書かれている。

 この由緒書きでは問題になる箇所がある。

 それは祭神では神武天皇の皇后を「アヒラヒメ」(漢字では阿比良毘売)としながら、あとの説明では「吾平津媛」としていることだ。

 というのも、「阿比良毘売」という書き方は『古事記』からのもので、「吾平津媛」は『日本書紀』の書き方なのである。

 何だ、「ツ」があるかないかの違いじゃないの―と思われそうだが、実は古事記の方には阿比良毘売に手研耳(タギシミミ)のほかにもう一人の息子・岐須耳(キスミミ)がいたのである。

 だから祭神に阿比良毘売を挙げるのならば、東征に参加せずに現地に残った岐須耳(キスミミ)も祭神の一柱に加えなければ収まらない。

 母・アヒラヒメはここに残って東征に出た主人イワレヒコと息子タギシミミの無事を祈って没したのであるが、もう一人ここに残ったキスミミはその後どうしたのであろうか?

 古事記は杳として語らない。また、日本書紀はそもそもキスミミについての記載がないのだが、そのわけは何だろうか?

 以上の二点は謎のままである。

 帰り道、吾平山陵に立ち寄った。Cimg1329 永野牧からの姶良川もここまで来るとかなりの水量となる。Cimg1325 山陵入口の駐車場にある観光案内所(物産展示館)付近の紅葉はまだ落ち切っていなかった。Cimg1327 すっかり色付いたのとまだ緑色のが渾然一体。これはこれで見応えがある。Cimg1330 びっしりと生えた苔も見事だ。心あらば一首か一句を詠みたいところである。








 











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