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『昭和天皇実録』の完成

 今日の報道番組「報道の日2014~日本の岐路~」(TBS)は、今年の重大ニュースを取り上げ、それをさらに掘り下げるという興味ある番組だったが、中でも『昭和天皇実録』が宮内庁職員の手で完成された―というのが一番だった。

『昭和天皇実録』は昭和天皇が亡くなった翌年から着手され、16年の予定が24年かかってようやく完成にこぎつけたもので、和綴じ本では60巻(他に索引1巻)という膨大なものだそうだ。Cimg1730 それが、落札によってある出版社が通常本にして発行するというものの、それでも18巻(索引が別に1巻)にもなるという代物である。今後、昭和史をまとめて行く上では第一級の参考文献になることは間違いない。(写真は「報道の日2014」からのもの。以下同じ)

 「報道の日2014」では、戦後70年を迎える来年を踏まえて、太平洋戦争と天皇の立場について、特に取り上げ、これまで公開されてこなかった<戦争に関する天皇の肉声>を取り上げた。

 それは、天皇が1975年にアメリカの雑誌「ニューズウィーク」の東京支局長の質問に答えられたものである。Cimg1722 太平洋戦争の開戦は「やむなく(遂行の)決定に関わったのか?」というクリッシャー記者の質問に陛下はこう答えられた。Cimg1723 終戦の決定は軍部の「続行すべし」という意見には反対の意見を述べたが、Cimg1724 開戦の時は総理大臣がアメリカからの通牒「ハルノート」に対しての御前会議において、決断を下し切れなかったので、Cimg1725_2意見をもとめられた。そこで(開戦の)意見を言ったのであるー、

 こう回顧された。

 アメリカの記者はこれで理解できただろうか? おそらく「何だ、やはり反対はしなかったんだ」と、昭和天皇の戦争責任の一端を頭の中に思い浮かべたかもしれない。

 しかし、天皇はすでに終戦後に乗り込んできたGHQ最高司令官のマッカーサーに呼ばれて本部を訪れた際に、マッカーサーに対して、「戦争の責任はすべて私にある。私はどうなってもいいからとにかく今疲弊している国民を助けて欲しい」と懇願し、天皇自身の命乞いをするのだろうと思っていたマッカーサーを驚愕させているのである。

 のちにマッカーサーは朝鮮動乱の時に「原爆を使うべきだ」と主張して総司令官職を解任されてアメリカに帰ったのだが、上院外交委員会における聴聞の際に、「日本が米英に対して戦いを挑んだのは自衛のためだった」と太平洋戦争の本質を衝いた意見を述べている。

 だが、自分としてこれに加えて欲しいのは、日本の挑戦は単に自国が置かれた欧米による差別を解消するためではなく、欧米による有色人種への植民地支配という根本的な差別を無くするためのものだった―ということである。

 1919年に第一次世界大戦後の「パリ講和条約」に、日本全権公使・西園寺公望の副公使として同行した牧野伸顕(まきののぶあき=大久保利通の二男で牧野家へ養子に行った)は、本会議の中で「もう人種差別はやめにしよう」と提案して賛成多数を獲得したのだが、議長をしていたアメリカ大統領ウィルソンに却下されている。

 黒人を奴隷の身分からは解放したものの、まだまだ黒人への差別が強固だったアメリカの現状を変えられてたまるか―という心理がウィルソンをして多数決を無視させたのである。

( アメリカの黒人差別はその後50年も続き、1970年代になってようやく「ホワイトオンリー」という表示は無くなったに過ぎない。現大統領のオバマの父がアフリカのケニヤから留学生でやって来た時もまだ差別の真っただ中にあった―とは、オバマの大統領就任式の演説で聞かされた通りである。

 しかも今またアメリカでは黒人差別を象徴するように警官が黒人少年を銃殺したりする事件が起こっている。)

 日本という白色人種ではない民族がのさばってくるのを見過ごせない、また日本と朝鮮・中国が手を結んだら大変なことになる―との思惑が欧米側には根強くあったことも見逃せない。

 それやこれやで日米は開戦したのだが、結果はご覧の通り。

 日本は確かに敗北したが、欧米の有色人種国家群への植民地支配が音を立てて崩れて行ったのもご覧の通り。

 最後まで残ったアパルトヘイトの南アフリカも約10年前には現地黒人に解放された。

 植民地解放と人種差別のない世界の恒久平和を願って戦陣に散った日本兵も泉下で喜んでいるに違いない。

 それにしても太平洋戦争末期のアメリカによる日本本土への空襲は狂気というべきすさまじさであった。戦時国際法も何もあったものではなく、無力の赤ん坊から年寄りまで無差別殺戮の限りを尽くしたのである。

 最近、中国のブログで、「あんなにアメリカにやられまくって、日本はなぜ復讐しないのか」というようなものがあると知ったが、その「やり返してやる、今に見ておれ」という復讐心が湧くのを見越したかのようなのが、昭和天皇の終戦時の「玉音放送」の次の一節だろう。

「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、もって万世に泰平を開かんと欲す」

 世界中が万世にわたって泰平になるのはいつのことだろうか。




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