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初詣(鹿屋市田崎町)

 小正月と言われる1月15日、田崎神社に初詣をする。

 今年は大晦日から三が日まで、例年になく荒天だったため初詣には行きそびれていたが、ようやく15日になって鹿屋の田崎町にある旧郷社「田崎神社」を参拝した。Cimg1944 西日本一の規模と言われる「かのやグラウンドゴルフ場」を左に見ながら行くと道がやや下りに入ろうかという右手に赤い鳥居がある。そこが田崎神社だ。

 上天気のせいか、鹿屋市街地に下って行く道路の正面には高隅御岳がくっきりと望まれた。Cimg1943 鳥居ももちろん目印には違いないが、境内にある楠の巨木こそが本当の目印である。Cimg1945 境内の東端から眺めるとその大きさには驚く。右隣りのお札所の瓦屋根の天辺まで約5メートルの高さはあるから、この樟の高さは25メートル以上だろう。Cimg1941 最近になって根元をフェンスで囲ったが、その太さは優に2mはあり、樹齢は950年だそうだ。神社の建立年代は不詳とされているが、少なくともこの樟の樹齢は下らないだろう。平安時代中期ということになる。Cimg1942 田崎神社の正式名は「七狩長田貫神社(ななかりおさ・たぬきじんじゃ)」という珍しい名である。「七狩長」は文字通り七人の狩猟の頭領ということであり、「田貫」は田の主を意味すると思われるが、祭神は京都の上賀茂神社と同じ「別雷神(わけいかづちのかみ)」。

 「七狩長」は縄文時代の昔からの狩猟を司る神々で、「田貫(田主)」は弥生時代以降の米作りを司る神だから、この神社は混合神である。どっちが先かと言えば、もちろん前者だが、祭神がどちらともつかないのが不思議だ。「別雷神」は普通水をもたらす神とされ、稲作には水がおおいに必要なので、こっちは後者の守り神と見られる。Cimg1938 本殿に向かって左側奥には「西之宮」が祀られているが、これが「七狩長」の本殿である。中には七王子の面が納められており、かっては旧正月の22日には御幸行列が催された。Cimg1940 西之宮の右脇には「田丸玄蕃(たまるげんば)」という人の墓がある。この人物こそが京都の上賀茂神社から別雷神を奉じてはるばる下って来た人である。伊勢の国の人とまでは分かっているが、詳細不明の人物である。

 腰囲いのある朱塗りの東屋の中にあるので、相当丁重に祭られていることが分かる。

 京都の賀茂神社には上賀茂と下鴨の上下二社があり、上賀茂の祭神ワケイカヅチは下鴨の祭神カモタケツヌミの子である。したがって下鴨神社の方がより古社なのだが、世間一般的には葵祭りやカラス相撲などの公開行事の多い上賀茂社のほうがよく知られている。

 『山城国風土記逸文』によると、下鴨神社の祭神カモタケツヌミは「曽の峰に天下り、のちに大和葛城に遷り、さらに北上して山城の久我の山本に鎮まった」そうで、出身は曽つまり南九州である。神武天皇に先んじて東遷し、熊野の山中で道に迷った神武軍をカラスの姿になって導いたともある。

 このカモタケツヌミが南九州のどこに降り立ち、どこから東遷に出たのか、興味のあるところだが、どうやら野里の小烏(こがらす)神社がカギを握っているようである。

















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