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緋寒桜が満開(肝付町検見崎)

 梅の盛りが過ぎ、そろそろモクレン、菜の花が寒空に彩りを添え始めているが、今日、所用で肝付町の健康広場という名のグラウンドゴルフ場に行った折に、素晴らしい緋色の寒桜がちょうど満開なのに出くわした。Cimg2383 検見崎のバス停のあるT字路を右に折れると、100㍍ほど向こうの道路左側の民家に色鮮やかな一本の緋寒桜がある。

 ここの主人に聞くと、この緋寒桜は肝付町内之浦にある宇宙空間観測所(内之浦ロケット基地)に植えられているのと同じで、樹齢は30年ほどとのこと。一本だけでもここまで枝振りが良いと見応えがある。Cimg2379 見ている間に何羽かのメジロが飛んで来て、せわしなく花の間を動き回り、蜜を吸い出した。Cimg2382 十分に腹いっぱい吸ったのか、一羽のメジロは枝に止まって羽を膨らませるようなしぐさをした。こうして見ると嘴は細くてとんがっている。狭い花弁の間のめしべを狙うにはちょうど良いのだろう。

 

 この民家の手前に石造の「正観音菩薩像」がある。民家から戻り、道路際の小高い場所にある観音像を訪ねてみた。Cimg2368 観音様に鳥居は不可解だが、元は何かの神様が祀られていたのだろう。Cimg2369 ふくよかなお顔の観音菩薩坐像である。Cimg2371 台座には正面に「正菩薩観世音」とあり、側面には建立した年月「宝暦四甲戌九月吉日」とある。宝暦4年(1754年)と言えば、薩摩藩に幕府から木曽川治水工事という難題が吹っかけられ、千人近くの薩摩藩士が慣れぬ水防工事に明け暮れていたまさにその頃である。

 薩摩藩士は幕府から派遣された役人や笠松郡代の役人のわざと融通を利かさない命令・指示に耐えきれず割腹するものが続出。さらに疫病などでも命を落とすものが多かった。総計で80名近い藩士が向こうで亡くなっている。(総奉行であった家老の平田靭負は翌宝暦五年五月、すべての工事が済み、幕府の出来栄え改めも通っていざ薩摩へ帰ろうかという前日に工事費の大幅超過と多くの藩士を失った責任をとって切腹して果てている。)

 その事とは関係なく造立されたものかもしれないが、結び付けて考えてもおかしくはないだろう。














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三重苦の日々へ

 今朝は天気予報では晴れということだったのだが、どうも様子が変だ。空も遠くの山々もヤケに霞んでいる。桜島の降灰かと思ったが、それにしては灰黒っぽくない。Cimg2328 遠く霞む肝属連山。Cimg2330 やや南へ方向をずらすと、いつもなら鉄塔の右に秀麗な吾平富士が見えるのだが、今日は見えていない。Cimg2331 我が家のすぐ南(といっても4キロは離れているが)の横尾山系も山襞が溶け合って区別がつかない。

 夕方近くなっても状態は変わらず、5時のニュースでようやく原因が分かった。黄砂だ。Cimg2337 (画面はNHKより)今年初めての黄砂が西日本を広く覆ったようだ。

 ゴビ砂漠が発生源というから、5000㌔は飛んで来たことになる。Cimg2335 しかし飛んで来るのはそれだけではない。桜島の灰も相変わらずやって来る。桜島の最新の噴火情報によると、午後4時16分に噴火があったらしい。噴煙の向きは「南東(垂水。鹿屋方向)」とある。

 ここまでで二重苦。さらに・・・Cimg2338 「花粉情報」によると、明日はどこもかしこも「多い」となっている。つまり、三重苦のシーズンに入ったわけだ。(画面は7時前の天気予報。画面の左隅に桜島噴火情報が出ているが、さっきのに続いて6時36分にもまた噴火している!)

 花粉の飛散は1週間前くらいからぼつぼつ始まってはいたが、「少ない」が4日ほど続いたあと「やや多い」となり、それもつかの間、昨日の予報からとうとう「多い」となった。

 2週間前から予防のために耳鼻科で薬をもらって飲んでいるので、今のところ風呂に入って温まった時に目をこすると若干のかゆみを感じる程度で収まっている。

 また、外出時には必ずマスクをし、帰ってからはジャンパーなどの上着は玄関で脱いで、帽子掛けに掛けるようにしている。

 それでもピーク時にはクシャミ・鼻水・のどの痛みなんかがあるだろう。対策は外出をなるべく控え、万全の態勢でやり過ごすほかあるまい。



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火山噴火情報に関する検討会

 今朝のNHKニュースで、昨日気象庁で「火山噴火情報についての検討会」が開かれたとあった。Cimg2276 公式に国民に対して噴火情報を伝えるにあたっての検討会のようだ。Cimg2279 7時のニュースではその模様を映し出していた。(上は6時半のもの。下は7時のもの。どちらもNHK画面から)Cimg2280 この検討会は去年の9月に起きた御嶽山噴火(爆発)による登山者の大量遭難を受けてのものであり、日本列島にある110と言われる活火山への登山や観光への災害対策に重点が置かれている。Cimg2277 その結果「噴火速報」を発表することになったらしい。その速報度で気象庁側は5分ほどかかると言い、検討者側の委員たちは1,2分以内でないと意味がないと言っている。

 鹿児島ではすでに桜島噴火・爆発(噴火と爆発の違いは火口から溶岩性のものが漏れるか漏れないかである)に関しては、視聴者側の設定により速報が画面に自動表示されており、我が家でも設定して見ている。

 噴火或いは爆発が起きると画面左側に帯状に表示されるようになっているが、まず「第一報」というのが最初に出るわけだが、噴火(爆発)時間と表示時間とのタイムラグは5~6分はある。

 別に桜島登山して山中にいるわけではないので、何分かかろうが差し支えはないが、これが登山の最中だったら、たしかに危険は大きくなるだろう。火砕流が発生した場合、その速度は時速100㌔ほどにもなって山肌を下るそうだから、情報をキャッチした際の3分の違いは生死を分ける可能性が大である。

 しかしそもそも今後活火山に登るというのであれば、やはり常日頃の火山情報をキャッチしておくことが必須だろう。観光的に容易に登れる火山は眺望も抜群なため、そんな準備もいらないくらい「みんなが登っているから大丈夫、気にしない」と気軽に登ってしまうが、これからはそうは行くまい―と御嶽山の遭難は教えてくれた。

 ところで、2月14日のブログにも書いたが、桜島の活発な爆発・噴火は収まる気配がない。

 今朝、本棚で探し物をしていたら、かなり昔の『かごしま 茶の間の地球科学』という本が目に入った。昭和56年発行(発行所・南郷出版 執筆は鹿児島県教育地質調査団)の地学系の大学教授・高校教諭の手になる鹿児島県全域の地質・火山活動・植生などを地域別に「地学散歩」というコンセプトで書かれた本である。

 そこの桜島の記載部分に図があったので次に載せてみる。Cimg2288 この図が桜島の噴火・爆発のメカニズムで、鹿児島湾(別名・錦江湾)の海面下10キロにある「アイ良マグマだまり」(姶良マグマだまりのことで約25000年前にここを根源とする巨大噴火が起き、桜島を南限とする直径20キロ以上の大カルデラが出現した。霧島市の大部分はその時の火口原。また噴出した火砕流は鹿児島県本土を覆い、シラス台地という名で残った)から、桜島直下2~3キロの「桜島マグマだまり」にマグマが供給され続けている―という。(同書1-33ページ)

 桜島の大正大噴火(1914年1月)によって、この直下のマグマが放出され、桜島の山体が沈降したのだが、最近また(というか大正噴火以後継続して隆起はしていたが)格別に膨張して来ているらしい。つまり直下のマグマだまりには大正噴火前の90パーセントの量にまで回復しており、近い将来相当な噴火があってもおかしくない状況になって来ている―と言われている。Cimg2287 こちらは桜島の火山(火口)の図で、同書によると、約13000年前に噴火し形成されはじめた桜島だが、北岳が最初期の噴火口で、その活動が終わった頃に今度は2キロ南部に南岳火口の活動が始まったという。

 南岳は最近では昭和30年(1955)頃から活動が活発となり、この本が書かれた56年(1981)の一年前の55年(1980)当時の生々しい記述がある。

「桜島南岳は、昭和55年の1年間に277回も爆発を繰り返している。爆発が一番多かった月は5月の69回であるが、なかでも5月8日は連続7回も爆発したと報道されている。

 一噴(ひとふき)千両!地球のささやきが聞こえる国(鹿児島)!―と観光客には讃嘆されるが、降灰の悩みは大きい。55年(1980)4月の降灰量は鹿児島市で1㎥あたり259㌘もあったらしい。降灰地域はその日その時の風向き次第でくるくる変わる・・・・・・」

 こんな悩みは今でも続いている。

 2006年からは南岳に代わってその東側の山腹八合目に位置する「昭和火口」(上の図の赤丸)が噴煙を上げ始めた。

 昭和火口の噴出は昭和10年ごろに始まり、昭和21年(1946)には大規模な溶岩流をもたらしている。南岳の寄生火山と言われるので、南岳の火口が蓋をされたので、火道の途中から噴火口ができたわけである。Cimg2286 昭和火口から昭和21年に流出した溶岩を赤く塗ったが、その範囲は半端ではない。この時に桜島登山をしていた人(学生ら)がいたと聞いたが、幸いにも死者はいなかったようである。だが、登山コースのある山の西側に流出していたらエライことになっただろう。(同書1-31ページの図)

 大正の大噴火の火口は東西二か所あり、そのうちの西側の「なべ山」火口から流れ出た熔岩は桜島と大隅半島の間の瀬戸(早崎海峡)を埋め、地続きにしている。

 「なべ山」はこの図では昭和熔岩に囲まれたドーナツ円の中心部であるが、この山は高さが350mほどしかないが、この火口のはるか上(標高800mくらい)の昭和火口が大噴火を起こしたら、いったいどうなるか心配である。最悪の場合「山体崩壊」になるかもしれない。

 今、ちまたでは「富士・箱根両火山が危ない」と言われているが、こちらとの連動も考えられる。「2020年頃には・・・」と言う学者もいる。

 東日本大震災を引き起こした太平洋プレートと北米プレート間の「ずれ修正」の余波が、日本列島を載せている他のプレートにもひずみを与えているらしいから絵空事とは言えなくなってきた。














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桜島噴火・爆発の活発化

 新年に入って早々に「山体膨張が観測される」と報道され、それ以来確かに活発に爆発・噴火が起きている桜島。

 午後4時半頃に夕方の散歩にウメを連れ出し、家から出ると間もなく西の空からこちらに向かってくる噴煙が見えた。空は一点の曇りもないから黒雲でないことは確かだった。

 ウメの散歩を終えてからデジカメを手に再び外に出た。Cimg2267 噴煙の元の桜島の頂上部は見えないが、そこと思しきところから高隈連山の南を通過して、まさしく鹿屋方面を直撃しようかという所までやって来た。

 あとで鹿児島気象台とNHK鹿児島の桜島噴火情報を確かめると、この噴煙は午後4時26分の噴火の物だ。Cimg2266 わが家を含む一群の住宅地に覆いかぶさるかのような不気味な雲。住宅地の向こう北側ではどうやら火山灰が降り注いでいる。

 風向きが北西ではなく西北西だったのが幸いしたようで、黒い雲はわずか500mくらい進路が北寄りに行き、直撃は免れた。Cimg2270 さっきウメを連れていた時は、この通路の方向、電信柱のはるか向こうに霧島連山の高千穂峰がうっすらと見えていたのだが、15分後の今、降り注ぐ灰で全く見えなくなった。Cimg2271 黒い灰雲の先端は、向こうに見える肝属連山の方に向かっている。高さからいっておそらく連山を越えることはあるまい。そうなると吾平町や肝付町に降ることになる。

 降灰は大変だが、この程度であれば洗濯物が外に干せないことと、車が灰で汚れるくらいが実害で、農作物への被害も、健康への被害もまずないだろう。

 しかしさっき確認した鹿児島気象台とNHK鹿児島の情報では、桜島の噴火・爆発は今日だけで何と25回(21時現在)というから驚く。正月から今日までで爆発回数は135回ほどになっているが、今日の桁外れの25回が、回数を大幅に増やしたことになる。

 この写真の噴煙は火口の上2100mまで上がったという。5時過ぎにもやはり2100m、そして2時間後くらいには2600mも噴き上げている。1年半前の4000m、5000m級の噴火が起こるのも時間の問題のようだ。降灰だけなら実害は軽微だが、その事よりも、日本列島のほかの地域での火山噴火もしくは大地震の予兆でなければいいと思っているのだが・・・。







 

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京の塚遺跡説明会(大崎町)

 今日(2月11日)午後から大崎町の「京の塚遺跡」で現地説明会があった。Cimg2242 この遺跡は東回り九州自動車道の建設に伴う発掘で、大崎町の下原という地名の場所である。その場所は会場の展示コーナーに掲載されていた写真が分かり易い。

 同じ場所の空撮だが、左は志布志方面から高隈山をバックにしたもの、右は反対に鹿屋方面から志布志方向を写した物だ。左の写真の左下隅に上下に伸びる「鹿屋・志布志グリーンロード」(農免道路)が写っているが、鹿屋から来ると串良川に架る「霧島大橋」を渡って300mほど走った左手になる。Cimg2260 遺跡内の一番高い所から南を眺めると国見連山の東に落ちるあたりに、志布志湾が少し見えた。説明では、黒曜石や畿内系・瀬戸内系の土器などは、志布志湾から串良川を船でさかのぼり、ここまで運んだのだろう―ということであった。なるほど一見して海からはるかに遠い(15キロはある)ここへの運搬ルートは串良川だったのである。Cimg2262 この遺跡の特徴はやたらに土坑(掘った穴)が多いことで、しかも6400年前に堆積したアカホヤ火山灰層に掘り込まれており、深浦式土器が多量に埋まっていたことから、縄文前期でもほぼ5000年前と特定される遺跡だということである。

 土坑の数は110基ほど確認されていて、中から前述の「深浦式土器」をメインに「野久尾式土器」「船元式土器」(岡山)「大歳山式土器」(兵庫)など南九州以外の指標土器類が共伴している。Cimg2248Cimg2250 中には東海系の土器片も出ているというから、どうしてここまで運んだのか、いやそれは船によるものに違いないが、5千年も前にかくも遠方との交易があったのには驚かされる。

 黒曜石も著名な腰岳(佐賀県伊万里市)・姫島(大分県)など九州各地の物が出ており、これも海による交流があったことを示している。Cimg2259 注目はある土坑から発見された「玦状(けつじょう)耳飾り」である。これは耳たぶに挟むイヤリングのような物だが、硬玉製かと思われ、薄くピカピカに磨いてある優れものだ。この手の物はすでに国分の上野原遺跡でも発見されているが、素材が違うように思われた。

 これが土坑から出たということは、土坑が墓だった可能性を示唆しているのではないか。耳に装着したまま土葬されたのかもしれない。

 解説員にそう質問したところ、「墓だとすると土器などの生活関連埋納物が余りに多すぎる、と言われています」との応答。「しかも、土坑自体がやや小ぶりですから・・・」

 そう言われればたしかに穴の大きさが墓にしては小さいか・・・、「もしかしたら当時、何かの伝染病が流行して子供がバタバタとやられたのでは?」子供用なら十分な大きさなのでとっさにそう切り返したら苦笑されてしまった。Cimg2263 最後に回った一角では「フラスコ型の土坑」がいくつか見つかっており、その一つの断面が展示されていた。

 右手に模式図の描いてあるプラカードを持った青い作業服の人がいるが、その断面を持つ土坑はさっき見て回った小ぶりの浅い土坑とは打って変わって大きく深い。これならまさに大人でも屈葬であれば十分に入ることができる。

―これはやはり墓だろうね?

と質問したところ、「いえ、その可能性は低いと考えています」ときっぱり。

―可能性は低いにしても研究の余地はあるでしょう?

「そうですね、可能性はないわけではないから・・・」

 5000年前の大量の土坑群というのは今までにないから、今後の調査研究がおおいに待たれる。


















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美しき田園(指宿市山川町)

 今日は、指宿の国立病院に入院している義母を見舞いに行って来た。

 昨年の11月に肝臓機能の検査数値が異常に高く、即入院していたが、今日の主治医の話では、数値的には全く正常値に戻っているということであった。ひとまず危機は去ったことになる。

 昼食後、かねてから行きたいと思っていた山川町の「ヘルシーランド」に足を伸ばし温泉に入って来た。Cimg2208 ヘルシーランドの玄関口。

 ここは浜児ヶ水(はまちょがみず)という所。昔から海岸に温泉が湧き出ていたようなところで、新たに泉源を確保して大規模に今時の温泉施設に変えたものだ。

 温泉の質は「ナトリウム塩化泉・硫黄塩温泉」で、泉源の温度は77℃もあり、泉量は普通なら毎分何リットルとしてあるものだが、豊富過ぎて(と思うが)書いてなかった。Cimg2210 玄関口から振り返るとすぐそこに「竹山」がそそり立っている。海抜202mのこの岩峰には天狗が住んでいると言われ、『三国名勝図会』には、決まった日月にこの頂から「火の玉」が飛ぶとか、すぐ下の海岸に船を停泊するのを嫌い、悪さをする―などとある。

 切り立った岩峰ゆえ人は容易に近づけないが、そのことが天狗や神の住む別世界と考えられたのだろうか。Cimg2213 温泉を出て西方面に戻って行くと、畑地帯が現れる。Cimg2212 午後の陽光を照り返す海を向こうに眺める畑では、ニンジンの収穫が行われていた。何とも贅沢な畑である。Cimg2217 人参畑を過ぎて今度は北に向かって振り返ると、見事なソラマメの畑が広がる。その向こうに見える工場のような建物は「山川地熱発電所」だ。ヘルシーランドと同じ泉脈が通っているのだろう。排ガスならぬ「排蒸気」が温かみを演出している。Cimg2219 道路の反対側を見るとここもソラマメの畑だが、はるか向こうには開聞岳が顔をのぞかせていた。Cimg2220 本土最南端を走るJR「指宿枕崎線」のとある小さな踏切からも、線路越しに秀麗な開聞岳が―。

 鉄道が真ん中を走る田園そのものの風景はどこともそう変わらないだろうが、すぐそこに海が見え、岩峰あり富士山のミニチュアあり、温泉由来の蒸気が立ち昇る光景はここだけのものだろう。美し過ぎる田園といってよい。

 ここ山川は鹿児島県でも屈指の農業所得を誇っている。温暖な気候、温泉の恵み、そして観光。どれをとってもよそにはない優位性があるから当然と言えば当然だが、戦前までは「米がとれない」「火山灰土に覆われている」というハンディキャップがあって農業的にはむしろ貧しかった地域である。

 先人のたゆまぬ努力でようやくここまで漕ぎつけたわけで、今や指宿・山川ブランドが確立して押しも押されもせぬ農業先進地となった。ヘルシーランドは元は海に近い別荘地として開発されたかなり辺鄙な場所であったが、上に見るような立派な温泉保養施設に生まれ変わり、ますます住みやすくなったと思われる。

 帰路の垂水フェリーは波穏やかで、晴れ渡った空に桜島が雄大な景色を見せてくれた。Cimg2228 写真をよく見ると、手前のマストとマストを支える左側のワイヤーとの間に薄らと霧島の連山が遠望できる。その部分を拡大すると、
Cimg2226 左が雪をかぶった「韓国岳1700m」、右手に新燃岳、そしてさらに右へ高千穂峰が連なる。Cimg2237 桜島に最も近付いた時、我々の乗った垂水行の反対(鴨池港)に行くフェリーとすれ違ったが、気のせいかフェリーの真上あたりにある南岳からうっすらと噴煙らしきものが立ち昇っているように見えた。

 今盛んに爆発・噴火を繰り返しているのは「昭和火口」で、南岳の8合目あたりから噴火しているのだが、南岳は昭和火口の「母火口」(正式にはこんな言葉はないが)であり、昭和火口が何らかの理由で火口に蓋をされた状態になったとき、行き場を失ったマグマが母火口である南岳までせり上がって行く可能性が無いとは言えない。もしそうなった時は・・・。





















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豊饒なり!地方文化

 去年の10月から大隅史談会定例会のホームグラウンドとして利用している「鹿屋市東地区学習センター」で、2月7日・8日の二日間、生涯学習の展示発表会が催され、今回初めて大隅史談会の展示を行った。Cimg2202 展示に割り当てられた部屋は図書室で、他に4グループの展示がなされていた。(両脇は会員のМ氏とT氏)

 今回は『肝付氏の始祖と系譜』を肝付氏の遠祖である「大伴氏(伴氏)」から、高山に土着して肝付氏を名乗り、有力な戦国大名になった過程(系譜)を発表した。

 7日は各グループの展示とともに、大集会室で日舞やフラダンス、太極拳、コーラスなど30組近い舞台発表もあり、なかなかの人出であった。Cimg2201 展示の合間に舞台の方を見に行ったが、各グループの熱心な取り組みには感心させられる。

 上の写真は太極拳だが、太極拳だけでも3グループあり、それぞれ趣向を凝らした発表になっていた。Cimg2181 展示のほうも各種あり、水彩画から墨絵・陶芸・パッチワーク・生け花など見応えのある作品が多かった。Cimg2191 水墨画と生け花。Cimg2188 Cimg2193Cimg2192 ひと月早い雛飾りも鮮やか。Cimg2183 中で一押しが陶芸である。Cimg2185 「作品には触れないでください」という注意書きが置いてなかったら、手に取ってみたいものばかりだった。

 派手なゲージュツ作品は見当たらないが、身近に親しむにはもってこいの文物、しかも種類の多いことには驚かされる。

 地方は地方で、それなりに豊かな文化の香りが立ち昇っている。






















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イスラム国人質問題(続)

 シリアでイスラム国に拘束されていた日本人でフリージャーナリストの後藤健二氏が、ついに殺害された。昨日の午前中のテレビ番組『関口宏サンデーモーニング』、『新報道2001』などで相次いで冒頭にそう報道されていた。Cimg2112 Cimg2118 上はサンデーモーニング、下が新報道2001で、どのキャスターの面持ちも沈痛である。Cimg2111 これが2月1日日本時間の5時頃にユーチューブに載ったビデオ映像(ただしこれ自体は静止画)で、遺体らしきものも映ったというから残念ながら真実らしい。上の『新報道2001』では、この静止画像の左隅を拡大して、Cimg2120 記号のようなのを赤い丸で囲み、画面下で「アラビア語でフルカーンとかかれたテロップ」であるとし、解説で「フルカーンはイスラム国の公式報道機関のマークであり、これがある以上はこのビデオ映像は本物といえる」との認識を示した。

 つまり、後藤健二氏の殺害は事実であるということで、この報道番組の前7時過ぎに安倍首相が「残虐極まりないイスラム国の行為を糾弾し、テロに対して日本は一貫して人道支援から対応をして行く」というような声明を出したのは、やはり後藤氏の殺害を認めてのことだったのだ。

 もう一人のすでに殺害された日本人湯川氏を救出しに行ったとされる後藤氏だが、本来の「戦場における弱者を報道し、救出につなげたい」という高い理念を持っておられた方なのに、今回の「自分で勝手に軍事会社をきどって危険地帯に死地をもとめて行ったような人物の救出活動」によって無駄死になってしまった。残念であろう。御冥福をお祈りしたい。

 これを受けて、後藤健二氏の母・石堂順子さんが報道陣によるインタビューの中で次のように語ったのは前にもまして心にせまる。

「悲しみで涙が止まらないがこの悲しみが憎悪の連鎖につながってはいけません。戦争は絶対にやめて欲しい

 この前、健二氏が拘束された映像を見てこの母堂は「イスラムのみなさん、恨みつらみの気持ちをどうか持たないで下さい」と述べたが、息子の死を受けて今度は自分のこととして、自分に言い聞かせるようにこう語ったのである。崇高としか言いようがない。

 イスラムには「目には目を、歯には歯を」という復讐・報復の教えがあるそうだが、イスラムに限らずどの国どの連合・連盟でもその名の下で行われるほとんどの戦争はつまるところ復讐・報復である。どこかで「武器よさらば」をしない限り、報復合戦は永久に続く。

 その点、日本は太平洋戦争の末期に「まだまだ戦争続行!やられっ放しでなるものか!」と叫ぶ一部の軍人・将校を尻目に昭和天皇の「終戦の詔(みことのり)」が出され、武装解除がほとんど反抗もなく行われた。連合国の進駐軍(連合国軍とは名ばかりでほぼ米軍)もこれには驚いたのである。

 唯々諾々「はい、もう戦いはやめます」-これが降伏後の日本人の大方の反応で、ずいぶん男らしくなく、それまでの「鬼畜米英、徹底抗戦!」はいったい何だったのか、首をかしげるほどだが、それまで陸海空軍の総指揮官(元帥)に祭り上げられて本来の天皇の姿とは似ても似つかない昭和天皇ではあったが、肉声による「終戦の詔」の効果は絶大であった。

 あの、「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、もって万世に泰平を開かんと欲す」の部分は、今なお、光輝を放っている。この内容こそが日本の天皇の御使命であろう。安倍首相も軽々しく集団的自衛権を設定せず、天皇のこの御使命に沿うよう「武器は使わずに人道支援に徹し、万世に泰平をもたらすことが日本の役割である」と常に国際社会に訴えるべきである。

 それはまた、武器を持たずして殺害された後藤健二氏への瞑助、そして残された母堂への悦びにつながるだろう。
 

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桜島の降灰(続)

 けさ早く錦江町の娘の嫁ぎ先に行って帰って来る途中、浜田海岸の手前から見える浜田海岸(松原)と桜島、そして高隈連山の風景が余りにも佳かったので帰宅後に朝食を摂るとすぐにデジカメを持って写しに行こうとした。

 ところが県道に出ると、進行方向に、朝食中に見ていたテレビ画面左隅の「桜島噴火情報」の第一報の通りのことが起きていた。その情報はおおむねこうであった。

 <桜島噴火情報 第一報 平成27年2月1日 午前7時12分 噴火。噴煙 桜島上空2800m。 風向 垂水・鹿屋方面・・・>

 車で家を出たのが7時45分くらいだったが、噴火後まだ30分だし、住んでいる池園町あたりはほぼ無風だったので、噴煙は桜島の直上からはまださほど流れていないだろう―と思っていたのだが、期待は見事にはずれた。Cimg2095 家から県道550号を西へ500mほど行った所にある茶畑からは、いつもなら高隈山系の西(左手)のはずれに桜島の8合目あたりから上が台形に見えるのだが、すっかり灰に覆われていた。しかも風向きはさっきの予報の通りで、まさにこっちをめがけてやって来るところだった。(茶畑の上が白っぽいのは降灰ではなく降霜である。今朝は零度以下に冷え込んだ。)Cimg2097 アップしてみたが山容は全く見えない。茶畑の向こうの赤い屋根の家の上あたりに桜島がひょこっと顔を出していなければならないのである。これだと浜田海岸まで行っても見えるはずはなく、あきらめて家に戻った。Cimg2103 家に戻ってくるまでの10分ほどの間に、灰はもう我が家の上空にあった。相変わらず地上は無風に近いが、上空では南東のそよ風でも吹いているのだろうか。灰雲をよく見ると、上部の水蒸気雲と下部の灰そのものの雲とに分かれている。下の方はやがてこのあたりに落ちてくるに違いないと、いったん家の中に入った。Cimg2108 家の居間からガラス戸越しに空を眺めていると、どうやら灰雲の帯はさらに南下して昨日と同じように南町から吾平町方面に流れて行くようだった。15分ほどしてから再度庭に出て東を眺めると、日の出から1時間ばかり後の太陽がちょうどその灰雲の帯に覆われていた。

 昨日の夕方は日没前の太陽がやはり同じような灰雲の帯に光を遮られたのと好一対の現象で、こんなことが日を挟んで夕と朝に見えたのはここへ来て初めてのことである。何かの予兆ではーなどと構えたくなるが、考え過ぎか・・・。単なる偶然としておこう。

 それはそうとして、うれしい発見があった。上の写真で影のように写っている左右の梅の木のうち、左の梅に初花が咲いていた。Cimg2106 近接レンズが使えないのでボケたが、梅の花であることは間違いない。春はもうすぐそこまで来ている。(スギ花粉の飛散も近い!!)













 

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