« 美しき田園(指宿市山川町) | トップページ | 桜島噴火・爆発の活発化 »

京の塚遺跡説明会(大崎町)

 今日(2月11日)午後から大崎町の「京の塚遺跡」で現地説明会があった。Cimg2242 この遺跡は東回り九州自動車道の建設に伴う発掘で、大崎町の下原という地名の場所である。その場所は会場の展示コーナーに掲載されていた写真が分かり易い。

 同じ場所の空撮だが、左は志布志方面から高隈山をバックにしたもの、右は反対に鹿屋方面から志布志方向を写した物だ。左の写真の左下隅に上下に伸びる「鹿屋・志布志グリーンロード」(農免道路)が写っているが、鹿屋から来ると串良川に架る「霧島大橋」を渡って300mほど走った左手になる。Cimg2260 遺跡内の一番高い所から南を眺めると国見連山の東に落ちるあたりに、志布志湾が少し見えた。説明では、黒曜石や畿内系・瀬戸内系の土器などは、志布志湾から串良川を船でさかのぼり、ここまで運んだのだろう―ということであった。なるほど一見して海からはるかに遠い(15キロはある)ここへの運搬ルートは串良川だったのである。Cimg2262 この遺跡の特徴はやたらに土坑(掘った穴)が多いことで、しかも6400年前に堆積したアカホヤ火山灰層に掘り込まれており、深浦式土器が多量に埋まっていたことから、縄文前期でもほぼ5000年前と特定される遺跡だということである。

 土坑の数は110基ほど確認されていて、中から前述の「深浦式土器」をメインに「野久尾式土器」「船元式土器」(岡山)「大歳山式土器」(兵庫)など南九州以外の指標土器類が共伴している。Cimg2248Cimg2250 中には東海系の土器片も出ているというから、どうしてここまで運んだのか、いやそれは船によるものに違いないが、5千年も前にかくも遠方との交易があったのには驚かされる。

 黒曜石も著名な腰岳(佐賀県伊万里市)・姫島(大分県)など九州各地の物が出ており、これも海による交流があったことを示している。Cimg2259 注目はある土坑から発見された「玦状(けつじょう)耳飾り」である。これは耳たぶに挟むイヤリングのような物だが、硬玉製かと思われ、薄くピカピカに磨いてある優れものだ。この手の物はすでに国分の上野原遺跡でも発見されているが、素材が違うように思われた。

 これが土坑から出たということは、土坑が墓だった可能性を示唆しているのではないか。耳に装着したまま土葬されたのかもしれない。

 解説員にそう質問したところ、「墓だとすると土器などの生活関連埋納物が余りに多すぎる、と言われています」との応答。「しかも、土坑自体がやや小ぶりですから・・・」

 そう言われればたしかに穴の大きさが墓にしては小さいか・・・、「もしかしたら当時、何かの伝染病が流行して子供がバタバタとやられたのでは?」子供用なら十分な大きさなのでとっさにそう切り返したら苦笑されてしまった。Cimg2263 最後に回った一角では「フラスコ型の土坑」がいくつか見つかっており、その一つの断面が展示されていた。

 右手に模式図の描いてあるプラカードを持った青い作業服の人がいるが、その断面を持つ土坑はさっき見て回った小ぶりの浅い土坑とは打って変わって大きく深い。これならまさに大人でも屈葬であれば十分に入ることができる。

―これはやはり墓だろうね?

と質問したところ、「いえ、その可能性は低いと考えています」ときっぱり。

―可能性は低いにしても研究の余地はあるでしょう?

「そうですね、可能性はないわけではないから・・・」

 5000年前の大量の土坑群というのは今までにないから、今後の調査研究がおおいに待たれる。


















|

« 美しき田園(指宿市山川町) | トップページ | 桜島噴火・爆発の活発化 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 美しき田園(指宿市山川町) | トップページ | 桜島噴火・爆発の活発化 »