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緋寒桜が満開(肝付町検見崎)

 梅の盛りが過ぎ、そろそろモクレン、菜の花が寒空に彩りを添え始めているが、今日、所用で肝付町の健康広場という名のグラウンドゴルフ場に行った折に、素晴らしい緋色の寒桜がちょうど満開なのに出くわした。Cimg2383 検見崎のバス停のあるT字路を右に折れると、100㍍ほど向こうの道路左側の民家に色鮮やかな一本の緋寒桜がある。

 ここの主人に聞くと、この緋寒桜は肝付町内之浦にある宇宙空間観測所(内之浦ロケット基地)に植えられているのと同じで、樹齢は30年ほどとのこと。一本だけでもここまで枝振りが良いと見応えがある。Cimg2379 見ている間に何羽かのメジロが飛んで来て、せわしなく花の間を動き回り、蜜を吸い出した。Cimg2382 十分に腹いっぱい吸ったのか、一羽のメジロは枝に止まって羽を膨らませるようなしぐさをした。こうして見ると嘴は細くてとんがっている。狭い花弁の間のめしべを狙うにはちょうど良いのだろう。

 

 この民家の手前に石造の「正観音菩薩像」がある。民家から戻り、道路際の小高い場所にある観音像を訪ねてみた。Cimg2368 観音様に鳥居は不可解だが、元は何かの神様が祀られていたのだろう。Cimg2369 ふくよかなお顔の観音菩薩坐像である。Cimg2371 台座には正面に「正菩薩観世音」とあり、側面には建立した年月「宝暦四甲戌九月吉日」とある。宝暦4年(1754年)と言えば、薩摩藩に幕府から木曽川治水工事という難題が吹っかけられ、千人近くの薩摩藩士が慣れぬ水防工事に明け暮れていたまさにその頃である。

 薩摩藩士は幕府から派遣された役人や笠松郡代の役人のわざと融通を利かさない命令・指示に耐えきれず割腹するものが続出。さらに疫病などでも命を落とすものが多かった。総計で80名近い藩士が向こうで亡くなっている。(総奉行であった家老の平田靭負は翌宝暦五年五月、すべての工事が済み、幕府の出来栄え改めも通っていざ薩摩へ帰ろうかという前日に工事費の大幅超過と多くの藩士を失った責任をとって切腹して果てている。)

 その事とは関係なく造立されたものかもしれないが、結び付けて考えてもおかしくはないだろう。














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