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安倍首相の米議会での演説

 安倍首相が訪米し、アメリカ議会の両院合同の集会で、演説をした。今から57年前の1957年に、祖父にあたる岸信介首相も演説したそうだが、あの時は上院議員だけの集まりで演説したのだが、今回のように両院合同でというのは日米関係史上初のことだという。

 今朝、というより昨日の夜中(日本時間午前零時)に行われた演説は、多くは文書を読み上げる形だったが、安倍首相の発音は明瞭で、議会人にも聞き取り易かったと思う。

 しかし演説の内容は「アメリカへのお追従・おべんちゃら」の域は超えず、残念なものであった。途中でキャロライン・ケネディ駐日大使をヨイショしたり、Cimg3209 (安倍首相夫人昭恵さんの隣りのケネディ駐日大使。突然のヨイショに驚いた様子。画像はNHK総合テレビから)Cimg3214 硫黄島の戦いで最後まで米軍に投降せず、「フォックスと呼ばれた男」(栗林司令官)の孫と、米軍硫黄島攻撃部隊の生き残りの元軍人との和解の握手を演出したり、なかなか見せ場を作っていた。

 学生時代に訪米したことのある首相は、日本人なら誰しも感じたアメリカの豊かさへの驚きと「民主主義」を学んだと言ったが、しかしその当時のアメリカは黒人への差別が当然視されており、そのことについて安倍首相は「黒人への人権的配慮はいまだしの感があった」と率直に言うべきであったのだ。

 それがオバマ大統領がわざわざ前日に安倍首相をリンカーン記念堂に案内したことに対する礼儀であったと思う。

 なぜなら前日の会談の後に両首脳が記者会見に臨んだ時、ちょうどつい最近起きた黒人窃盗容疑者に対する白人警官の過剰防衛による殺害についてオバマが記者から質問を受けた時に、オバマは苦々しい顔で実に会見時間1時間の4分の1をその問題に当てたことでも分かる。

 多くの日本人は白人びいきだから、そのことは無視するのだが、黒人(白人とのハーフ)であるオバマはそれが大きな問題だと考えているのである。だからせっかく奴隷解放の父リンカーン記念堂に行きながら、安倍首相の「黒人奴隷解放」にも「黒人への人種差別問題」にも触れない会見における答弁にはいたく失望したに違いない。Cimg3221 アメリカは今でこそ黒人をはじめ有色人種への差別を薄め、「自由、民主、法の支配」が国家の国是として機能しているが、日本がアメリカに敗れ降伏した時点では黒人の公民権もなかったし、当然職業選択の自由もなかったのである。

 リンカーンは「人民の、人民による、人民のための国家を」と言ったが、実は戦後も1970年頃までのアメリカは「白人の、白人による、白人のためのアメリカ」だったのである。したがって戦後日本は上記の「自由、民主、法の支配」をアメリカから学んだとは言っても、「白人だけの」という限定付きの自由、民主、法の支配に過ぎなかった。これが本当の「歴史認識」というものである。

 歴史認識ついでに云えば、なぜ日本が欧米と事を構えることになったかという「歴史認識」が無ければ、太平洋戦争の真意は解らないのだ。日本ばかりが「歴史認識を知らない、侵略した周辺国家に謝罪していない」と言われる筋合いはなく、まずは欧米こそがそれぞれの植民地侵略をしたアジア・アフリカの国々に謝罪をしなければならないのである。

 戦勝国英米仏蘭は「勝てば官軍」を決め込んで頬かむりしているが、彼らこそ「歴史認識」を知らない(都合が悪いから無視している)のだ。

 アメリカでは近年よく報道される警察官による「黒人容疑者への暴行・殺害」をはじめとして、拳銃による殺人は年間8000人ほどもある国で、言うならば人殺しが日常的に行われているのであり、したがって他国民、とくに宗教の違うイスラムなどへの殺害に対してはさしたる罪の意識は感じていない。(敗戦間近の日本へのホロコーストに匹敵する一般市民無差別爆撃もこれに近い。)

 安倍首相はこんな国とタッグを組んでこれから堂々と米軍の指揮下に従うつもりらしいが、冗談じゃない。

 中国の脅威というが、そもそも今の中共をのさばらせた原因は1971年のキッシンジャーの「忍者外交」(当時の大統領はニクソン)による中共承認で、その挙句、台湾を国連から追放し、こともあろうに「自由、民主、法による支配」にもっとも遠い(現在ですら無いに等しい)中共を国連安全保障常任理事国のポストを与えてしまったのは他ならぬアメリカなのである。

 身勝手なものだ。その中国が威勢を駆ってのさばって来た(軍事力もだが、対米貿易の超黒字があり、それをアメリカ国債を買わせて何とかドルの下落をしのいでいる状況)ので、日本を一層取り込んで中国を抑えに掛かろうというのがアメリカの魂胆である。

 万が一、米国が中国と事を構えることがあったら、日本も応分の出兵をーということなのだ。ともに対米貿易大黒字で米国債を大量に保有している日中が共同戦線を張ったりしないように、日中間の隔離を図っているという構図が見て取れる。

 なぜ首相はここまでおべんちゃらを言ってアメリカの歓心を買おうとするのか。ひとこと「これで日米同盟、日米の絆はより一層深まるが、そろそろ国連憲章における敵国条項を廃止してもらいたい」とどうして言えないのだろうか。

 Cimg3228 ここまで言うとは追従も度が過ぎる。欧米に学んだとはいえ、日本には日本の行き方があり、これまでもそうして来たし、これからもそうする―と言うべし。


TPPに関して「農業の大胆な改革をする」と言ったが、これは農協から金融部門を独立させようということらしい。しかしそんなことより日本には2000年来米作りをしてきた歴史と伝統があり、これは日本としては死守しなければならない―と言うべきであった。

 「2000年の歴史と伝統」などと言えば、歴史の浅いアメリカ人など震え上がる(良い意味で)に違いないのだ。むしろそう言い切った方がアメリカ人には効くはずである。外務省などの妙なアメリカ通が邪魔をしているのだろう。残念なことだ。

 安倍首相の演説でただ一つだけ良いと思ったのは「中国も韓国も台湾も戦後の日本の経済援助で発展した」と言い切ったことである。これは確かにその通りで、大いに是としたい。

 総じて100点満点中の35点というところか。言語明瞭だが、中身は戦後の日本人が得意とするアメリカへのおべんちゃら演説であった。オバマ大統領はリンカーン記念堂を案内した真意が伝わらず、残念だったろう。

(訂正:最初の段落で、祖父の岸首相が1957年に行ったという米議会演説は、上院だけとしましたが、上院とは別に下院でも行ったそうです。今朝の「関口宏モーニング」において知りました。お詫びして訂正します。)

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史論集『大隅58号』が完成

  大隅史談会の年一回発行の史論集『大隅』の58号が完成した。Cimg3125 昭和29年に創刊されて以来連綿と60年、途中2回の休刊があったが、ほぼ毎年大隅地区の歴史に関する調査研究の論稿が寄せられて上梓を果たしてきた。

 今回は論稿22編、執筆者16名。本文178ページ。対象の歴史年代は先史時代から現代まで多岐にわたり、それだけ大隅の歴史は深く長い。

 購読を希望する人は、大隅史談会ホームページ<鴨着く島おおすみ>の58号紹介欄へどうぞ。

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チリで火山が大噴火

 22日に南米チリでカルブコ火山というのが大噴火を起こした。Cimg3099 (画像はNHK4月23日夕方5時のニュースから)Cimg3102 標高は2000mというから高山ではない。写真で見る限りでは富士山型で、山頂から噴火しているようだ。Cimg3100 噴煙は高度1万5千メートルにまで達したというからかなりの大噴火である。ちょうど画面左手に桜島の直近(4月23日午後4時47分時点)の爆発的噴火の情報が表示されているが、噴煙の高さは火口上2400mで、噴出孔である昭和火口の標高は約800mであるから、合計すると高度3200mに達したことになる。

 2者を比べれば明らかなように、今度のカルブコ火山噴火の規模の大きさが分かる。推定であるが、このカルブコ火山の噴火を上回っていたのが、大正3年(1914年)1月12日の桜島大正大噴火だ。

 カルブコ火山の山麓にはさしたる村もなかったようだが、桜島では当時島の人口は2万1千を数えたという(同じ頃の鹿児島市の人口は7万。ただし、のちに谷山市などと合併してどんどん人口は増えた)。

 桜島火山は安永年間(1770年代)に大規模な噴火を起こしてからは江戸の末期以来明治時代を通じて、穏やかだったようで、勤王の志士平野國臣が薩摩に下って来た際に詠んだという歌に「我が胸の燃ゆる想ひに比ぶれば煙は薄し桜島山」とある。

 そのためか火山の恩恵で暮らしやすい桜島に2万を超える人口があった。しかし大正3年の1月9日頃から急に地震や井戸の水がぬるくなったり水位が下がったり、真冬なのにヘビ・カエルが道路に出てきたりと、噴火の徴候は唐突だったらしい。

 当時の村長はこれぞ噴火の前触れと思い、測候所に問い合わせるも「大噴火はなし」と言われるが、それでも村びとの危惧は止まず、10日ごろからは続々と鹿児島市方面へ避難を開始した。

 2万のうちどれほどが避難し得たのか明確な記録はないが、とにかく死者・不明者は58人で済んだ(58人のうち桜島近辺での死者は30名ほどで、残りは鹿児島市内など本土での圧死や火災死である)。

 雲仙普賢岳の火砕流や去年の木曽御岳噴火による死者がそれぞれ30名を超えたことからすれば、大自然の最上級の猛威の中では幸いというべきだろう。

 カルブコ火山の今回の噴火も唐突であったが、43年前にも大規模噴火をしているので前例は比較的身近にあったわけで、山麓近くには居住地自体が無かったのかもしれない。死者は出ていないようだ。

 ただ、噴煙が1万5千メートルまで上昇したことで別の危惧が生まれている。Cimg3118_2 4月24日(金)の昼の番組「ひるおび」では噴煙の高さが地球の対流圏(高度1万メートルまで)を突き破って成層圏まで達しているとして、「噴煙が太陽の光を遮り、冷害などの気象災害を引き起こす」危惧があると指摘していた。Cimg3121 Cimg3119 1991年のフィリピンのピナツボ火山の噴火では2年後の冷夏現象、また1783年のアイスランドのラキ火山噴火は日本では「天明の大飢饉」(大凶作)に関係があるとする。

 それなら大正3年の桜島大噴火は―というと、昭和初期の東北大冷害・飢饉がそれに該当するかもしれない。その結果、東北地方では「娘の身売り」が盛んに行われたというが、結び付けるのは、そう無理ではないだろう。

 なお、大規模地震と火山噴火の間にはかなり高い確率で関係があるようだ。(参照ホームページ



 桜島は大正大噴火以来今年で101年。山体膨張現象は収まっていないから大噴火の確率は高い。薩摩川内市の川内原発再稼働中止訴訟を審理していた鹿児島地裁の判断は「新規制基準をクリヤーしているから問題なし」とゴーサインを出したが、果たして・・・。















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かのやばら祭り2015春

 恒例のかのやばら園での春のばら祭りが4月25日(土)から始まるが、2日前に咲き具合を見に行った。Cimg3061 オープンを明後日に控え、すでに歓迎門がセットされている。Cimg3098 入園口の広場には売り物のバラの鉢物が置かれているが、どれも鮮やかに満開の状態。Cimg3094 園内の様子。小ぶりのバラは結構咲いているが、大輪物はまだ1分咲き程度である。Cimg3065 鹿屋で創出された「プリンセスかのや」。今年は本数が少なく、まばらに咲いている。Cimg3069 バラは何と言っても花色の種類の豊富さだ。Cimg3081 味わい深いローズ色。Cimg3073 目の覚めるような赤。Cimg3082 今日見た中で最大の大きさ。手のひらで測ったら直径が16センチはあった。Cimg3084 今日見た中で最も気品を感じたバラ。純白の中にほんの少しピンク色を含んでいる。Cimg3091_2 愛らしい少女を想わせるものも―Cimg3088 本物のプリンセスの名を冠した種類を集めた一角では、プリンセス・オブ・ブリテンすなわち故ダイアナ妃を冠したバラだけが、たった1輪咲いていた。


 【 かのやばら祭り2015春 】 入園案内

 期  間  4月25日(土)~5月31日(日)

 開園時間  9:00~18:00

 入園料   一般 620円  小中高生 110円

(年間パスポート 一般 1860円 小中高 310円)

 ※期間中は各種イベントあり

 ※バラの開花状況で入園料の割引あり

 以上、詳しくはホームページ→ http://www.baranomachi.jp/




















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アジア・アフリカ会議

 今日、インドネシアで開催された「アジア・アフリカ会議」。日本からは安倍首相が参加し講演した。Cimg3049(画像は7時のNHKニュースから)

 アジア・アフリカ会議は1955年にインドネシア・インド・中華人民共和国など太平洋戦争後に欧米による植民地からの解放を成し遂げた国々、および米国主導の西側同盟国にもソ連主導の東側にも属さない国々、29か国が集まり、インドネシアのバンドンで開かれた初の非白人国家群による集団的な会合であった。

 その時に、日本も招待を受けたのだが、アメリカに義理立てして参加するかどうか迷い、ついに参加はしたが政府首脳は誰ひとり行かず、外務省と通産省の役人が代表して出席したそうである。

 日本は「太平洋戦争で戦いの舞台となってしまった各国が日本を糾弾するに違いない」と戦々恐々望んだのだが、何と糾弾どころか「戦時中に<大東亜共同宣言>を出して欧米からの独立運動を後押ししてくれたおかげで、欧米植民地からの独立を勝ち得た」と、逆に大歓迎されたそうだ。

 戦後は敗戦国の弱みで、戦勝国アメリカから戦前の日本の「非道」を刷り込まれてしまっていたことのよく分かる記事である。(上のアジア・アフリカ会議についてはウィキペディアを参照した。)

 戦後は評論家などが口を開けば「日本総懺悔」「バカな戦争であった」「若い有為な人たちをあたら無駄な戦場に送ってしまった」等々、太平洋戦争(大東亜戦争)への短絡的歴史認識が席捲した。敗れたのだから多少は仕方がないにしろ、余りにも日本が起こした(起こさざるを得なかった)戦争の意味を過小評価していた。

 それがそうでなかったことは、バンドン会議(アジア・アフリカ会議)が証明してくれたのだが、対米追随外交・文化に覆われてしまった戦後日本ではさして重要であるとは報道されなかったのである。

 今日のニュースでは「安倍首相は大戦への反省は表明したが、お詫び(謝罪)は言わなかった」と取り上げていたが、バンドン会議当時の各国首脳がもしまだ生きていたら、「日本はなぜ謝罪するのか、日本が立たなかったらわれわれはまだ欧米の植民地のままだったのだ。われわれは日本が大東亜共栄圏を唱えて欧米からの独立を促してくれなかったら今日は無いのだ」と言うだろう。

 日本人よ(小生も日本人だが)、この歴史認識に目覚めよ!
 

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「例外なき国会承認」で合意

 4月15日に与党の自民党と公明党との間で<自衛隊後方支援派兵>に関して、自民党は「すべてを国会承認に委ねなくてもよい」としたのに対し、公明党は「例外は認められない」と主張して物別れに終わっていたが、今日再度協議した結果、自民党側が折れて「自衛隊派遣についてはすべて国会承認を得る」と譲歩した。Cimg3034 4月15日の記者会見では公明党の方が苦虫をかみつぶした顔だったが、今度は自民党の幸村副総裁(向かって右)の方が浮かない顔をしている。(画像は夕方6時のNHKニュースから)

 いくら日米同盟があるからといって、うかつにアメリカ主導の対テロ戦争に巻き込まれたら大変なことになるので、その歯止めはどうしても必要だ。ブッシュ2世の引き起こした大義なきかつ国連決議なきイラク戦争なんかに派兵していたら、完全にアメリカの犬に成り下がり、それこそ世界の笑いものになる。

 以前にも説明したが、そもそも国連憲章上の「集団的自衛権」という概念は、第二次世界大戦(もちろん太平洋戦争を含む)における英米仏等の連合国側のものであって、敵国であった日独などがもし再び連合国に刃向うことがあったらまた一緒に戦おう―というものなのである。

 日本とアメリカは国連とは無関係に日米同盟を結んでいるが決して対等のものではないように、現在の国連における日本の立ち位置は「敵国条項適用国」に過ぎない。

 いくら日独や日独を支持する国々が増えても、現国連のもとではけっして敵国条項適用国から解放されないし、まして安保理の常任理事国にはなれない。残念ながらこれが歴史認識というものである。

 こんな国連からは脱退してしまえ―と短絡的には思いたいが、そうなったらそうなったでアメリカがより一層対米従属を進めてくるだろうし、中国も堂々と「国連安保理決議なき尖閣諸島占領」を始めるだろう。

 やはりここはアメリカ主導の国連決議なき対テロ戦争なんかに巻き込まれないように、すべての派兵に関して国会の承認を得て行かなければならない。「日本が我々の作戦に参加して血を流してくれれば、敵国条項から解放してもいいよ」と言われても、頑として受け付けてはなるまい。

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安倍首相と翁長沖縄県知事

 昨年12月の総選挙で選ばれた沖縄県知事の翁長氏と安倍首相の面談がようやく行われた。(画像は夕方7時のNHKニュースから。以下同じ)Cimg3028 知事に当選後、翁長知事が何度か本土へ足を運び面会を要請したが、政府側がかたくなに拒んでいた。しかし、2週間前に官房長官が米軍西普天間住宅の返還式に訪沖した際に水面下で会うことを取り決めていたようである。Cimg3017 知事はここでも撤回の一点張りだ。それはそうだろう、12月、沖縄ではすべての選挙で辺野古への基地新設に反対する人たちが選ばれたのだから。Cimg3018 沖縄県民の民意は「辺野古への新基地建設反対」なのである。Cimg3012 これに対して安倍首相は「普天間基地の危険性を除去するためには、移設しかない」というのは政府も沖縄も共通認識だろうから、Cimg3014 とりあえず米軍の西普天間住宅が沖縄県に返還されて良かったじゃないですか―とささやかながら成果をアピール。

 これと本命の普天間基地が返されれば、たしかに町のど真ん中にあり、いかにも「米軍によって占領されている沖縄」感は軽減されるだろう。うっとおしさは一つ消える。

 現時点で政府と沖縄の考え方の相違は乗り越えられそうにないが、「20年後には米軍が日本から撤退する」くらいの希望的観測のもと、辺野古基地は将来の専守防衛の日本自衛軍の基地に転化できるかもしれない。

 知事もここは呑んで、沖縄振興策に焦点を絞って取り組んだらどうだろうか。祈りの島・癒しの島沖縄ガンバレ。
















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埋まらない与党内部の溝

 安全保障の新局面である「集団的自衛権」に乗ろうとする政府自民党と与党の一角である公明党とのあいだで、運営面での解釈がすれ違いのままだ。Cimg2996 昨日の与党協議(画像はTBS「あさちゃん!」7時のニュースより。以下同じ)Cimg2999 国連決議に基づく他国軍隊への「後方支援」については、すでに行われていることであり、両者に隔たりはないが、Cimg3000 憲法で定められた「国会の承認」について、自民党は「例外は有り得る」とするが、公明党は「例外は認めない」としている。

 自民党は例外のうちに「アメリカによる国連決議なしの強硬な軍事行動」でも集団的自衛権がある以上、我が国の安全保障上差し迫った危機を認めたら、アメリカ軍に加担する。その場合、緊急な事態であれば「国会の承認」など求めていたら間に合わないので例外にしたいのだろう。

 また、派兵に対しても、「派兵ごとにいちいち国会で立法措置をとっていたら、間に合わなくなるので、これも例外を設ける」というのが政府自民党の見解である。Cimg2997「それこそが集団的自衛権だ」―と自民党は言いたいのだろう。国際紛争も外交問題の一種であれば、外交は国論の上位概念だから、国会など無視しても構わない。とくに「日本を守ってくれて来たアメリカに派兵を慫慂されたら嫌とは言えない」ので、あらかじめそのための言い逃れ(申し開き)ができるようにしておきたいのか。

 アメリカは湾岸戦争において米軍に加担した国々を持ち上げた一方で、日本のように派兵せずに金だけ出した国は全く評価しなかったが、それが日本側のトラウマとなって次のブッシュ二世によるイラク戦争では勇んで後方支援に派兵したが、あの戦争はブッシュ自身も認めたように「イラクには大量破壊兵器はなく、勇み足だった」ので、せっかくの日本の派兵(後方支援)も、これまた結果とし評価されなかった。

 そのことがさらにまた日本のトラウマとなり「実効ある派兵にしなければならぬ」と新事態法(国際平和支援法)を制定しようと焦っているように思えてならない。

 その根底には以上のことのほかに、日本が紛争地域に派兵して血を流せば英米中心の連合国に評価され、「国連の敵国条項」が削除され、国連の安全保障理事会の常任理事国になれるーとひそかな期待があるのだろうか。

 しかし中国共産党政府が常任理事国である限り、永遠に拒否され続けるだろう。

 その当面の脅威である中国の軍事的抬頭への準備ということなら、アメリカは日本への支持は表明しているが、もし中国が本当に尖閣諸島に派兵したりしても、「我がアメリカ軍が出るまでもない、日本自身が対応せよ」と突き放すだろう。

 なぜならアメリカは中国政府に日本を上回る米国債を貿易の支払い対価として買わせており、もし、アメリカが中国の尖閣諸島攻撃に対して武力で介入して来たら、即座に「米国債を売り払うぞ」と脅しをかけることができるからだ。もしそうなったら米ドルは大暴落し、アメリカ経済は大混乱に陥る。日本も同じように大量の米国債を抱えているが、売りに出せないのは最強の同盟「日米安全保障条約」のためである。早い話が首根っこを押さえつけられているのだ。

 中国にはそんな経緯はないから自由に米国債を売れるはずだが、しないのは経済的にはアメリカにおんぶしており、同じようにドルの暴落が自国経済を相当に麻痺させるからに過ぎない。(その時は日本も相当混乱するだろうが・・・)

 中国が呼びかけているAIIB(アジアインフラ投資銀行)の設立も、貯まりにたまったドル建て米国債をインフレ(ドル暴落)を起こさずに処分して行こう、つまりドルが紙切れにならないうちに建設的な投資に使ってしまおうということで、考えとしてはある意味まっとうである(現今の中国人旅行者の「爆買い」もその範疇に入ると思う)。

 ただ、中国の共産党主導の不透明な投資政策が果たして他国の為になるのかという点で、危惧は残る。しかし強固だと思われた英米両国の関係をやぶって、イギリスが加盟に名乗りを上げた。イギリスもよほど「ドル減らし」をしたいのだろう。名よりも実を取った。やはりしたたかな国だ。

 話が脱線したが、日本がアメリカの世界戦略に媚びて(ひっかかって)世界に派兵し、血を流しても、けっして現国連の体制は変わらないし、むしろ世界的に見たら「平和国家日本」のイメージを傷つけ、これから目指そうという「観光立国・旅行者受入2000万」など吹っ飛んでしまう。平和を愛好する大多数の世界の人たちを裏切ってはならない。

 そのためにも「専守防衛に徹する武装永世中立国」を目指して行こう。

 

 



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出水・薩摩川内歴史探訪

 毎月第3日曜日に開催している「おおすみ歴史講座」の研修で、出水市と薩摩川内市を訪れた。

 予定コースは、出水市の武家屋敷群と歴史資料館、薩摩川内市の新田神社(可愛山陵)、泰平寺、薩摩国分寺跡、歴史資料館などである。

 鹿屋の北田公園に7時に集合した7名が、車二台に分乗して出発。

 鹿屋バイパスにつながった東九州自動車道の笠野原ICから入り、一路出水市を目指した。栗野・湧水ICで九州自動車道を降り、菱刈町、大口市(両方は合併して今は伊佐市)経由で米ノ津川上流から出水市内に到着。9時20分であった。

 Cimg2910_2 出水郷(外城)の武家屋敷群は非常に整っていて、さすがは藩政時代随一の出水兵児の麓集落である。Cimg2904 竹添家の敷地で当主の説明を聞く。竹添家は人吉藩からの移住武士の家系だそうだ。Cimg2905 屋敷の内部。明治期の改築であるが、どっしりとした太い梁には年月を感じる。Cimg2906 表門の内側で。この飛び石のある通路で、鹿児島が最初の舞台となったNHK大河ドラマ「篤姫」の幼少期のワンシーンが撮影されたそうだ。Cimg2920 次に訪れた税所家。税所家は加世田からの移住武士で、出水郷では代々噯(あつかい)家(組頭)で、地頭代のもとで郷の政務を執って来た家柄である。

 ここは藩政期当時のままの内部が残っている。上級郷士の家の造りが表れていて、10畳敷きの部屋が3部屋ぶち抜かれ、一番奥の十畳間には濡れ縁が巡り、そとは美しい庭になっている。Cimg2921 刈り込みはすべて丸く仕上げてあるのが特徴の庭園。左の最大の丸刈りはモミジである。Cimg2918 上座敷と向こうの中座敷の壁はすべて薄紅色。洒落た雰囲気が漂う。Cimg2923 上座敷の濡れ縁の前で。Cimg2908 門構えの古めかしい出水小学校。藩政期、ここには地頭仮屋が置かれ、出水郷の政務を取り仕切った。

 出水郷は北の肥後と接する地域であるゆえ、江戸時代が始まるとすぐに薩摩藩内外の精鋭が集められ、外城(という名の軍事的郷組織)が形成された。薩摩藩独特といわれる「外城制度」の最初のモデルケースとされている。

 外城藩士は郷士と呼ばれ、一種の「屯田兵(武士)」であり、最大で2800戸あったという郷士たちは「門割百姓」を支配しつつ、質実剛健の日々を送ったという。

 次に向かったのが、島津氏初代忠久から5代の貞久までの墓塔のある「野田感応禅寺」。

 出水歴史資料館の前の道を本町で右折、ここからほぼ一直線の県道で野田郷に入る。中心部にある肥薩おれんじ鉄道の駅の名が野田駅ではなく「野田郷駅」というのに歴史を感じる。Cimg2928 感応寺の左手奥に石垣の柵がしてあるのが墓塔群のある「五廟所」だ。幅6~7m、奥行きが5mほどの大きさである。Cimg2930 向かって左側の石柵越しに見た五墓塔。説明書きによると、手前から初代忠久、二代忠時、三代久経、四代忠宗、五代貞久と並ぶ。

 忠久と忠時は鎌倉に墓があり、当地で死んだわけではないので供養墓でしかない。また久経は元寇の時に博多方面で死んだというから、当地での本物の墓は忠宗と貞久親子のだけらしい。

 事実、四代忠宗の子からは嫡子貞久はじめ、和泉氏祖忠氏、佐多氏祖忠光、新納氏祖時久、樺山氏祖資久、北郷氏祖資忠、石坂氏祖久泰と多くの薩摩大隅土着氏族が生まれているので確かだろう。

 また、五代貞久は木牟礼城(後述)に入ったのち、薩摩川内の碇山城、鹿児島の東福寺城と、のちの鹿児島島津氏の基礎を築いている。Cimg2931 野田感応寺から北3キロ弱にある「木牟礼城址」。ここは初代忠久が頼朝から三州の総地頭を補任された時に、重臣の本田貞親が先遣隊として薩摩に入って築いた最初の城として有名だ。

 国道3号線からは100mほど北側の平野部に小高く盛られたような岡があるが、法面に大きく「木牟礼城址」と書いてあるのですぐにわかる。

 説明板まで比高が2m、さらに20段くらいの階段の上には大きな変形御影石で木牟礼城址と彫り込まれている(揮毫は島津氏30代の忠義による)。Cimg2932 比高で8m位の城址というのもおかしいが、周囲が田や畑なので見晴らしは素晴らしく良い。この頂上部が本丸に該当するのか、以前はもっと高く広壮だったのが削られ尽くしてこうなったのか、よく分からない。

 いずれにしても島津一族の「三州(薩摩・大隅・日向)統一の最初の橋頭保だった場所」ということだけは言えるだろう。

 国道3号線をそのまま阿久根まで行き、昼食。

 さらに南下して薩摩川内市の上川内へ。高城川を渡ってすぐの信号を右へ折れると、左手に緑濃い丘陵が続く。これが手前から「端陵」「中之陵」そしてかなり高くなって「可愛(えの)山陵」。

 最後の可愛山陵には新田神社が鎮座する。Cimg2934 車で数百メートル登り、駐車場からは長い石段を歩いて上がる。長い年月で磨り減った石段が滑りにくくなっていたのはありがたい。Cimg2935 ようやく神社社殿が見えて来た。右手の巨大な楠は樹齢800年ほどのようだが、根元は空洞になっており、それ以上の樹齢を思わせる。Cimg2941 神社の裏側にある「可愛山陵」。祭神ニニギノミコトの墓ということになっている。Cimg2938 鳥居の向こうに「墳墓」があるらしいが、特にマウンド状になっているわけではない(宮内庁書陵部 桃山陵墓監区 可愛部事務所が管轄している)。

 新田神社から下りて、向かいの中越パルプ工場群を巻くようにして走ると、10分ほどで泰平寺に到着。Cimg2947_2 泰平寺は天正15年(1587)に秀吉自ら島津氏を征伐に来た時に、時の当主島津義久(龍伯公)が剃髪したうえで和睦を申し出た会見場として著名である。

 秀吉軍は小西行長や九鬼嘉隆などの軍事参謀を連れて来ていたが、当時はここを本陣として使用していた。Cimg2943 寺務所の前に繋がれていた柴犬(?)の犬小屋を見ると「鹿児島犬警 ・・・」と書かれている。警察犬にしてはおとなし過ぎる雌犬だったのが余計に笑わせてくれる。Cimg2949 最後に訪れたのは「薩摩国分寺跡」で、泰平寺からは5分とかからない。すぐ近くを新幹線の高架が走っている。写真は寺跡の真南から望んだところで、正面の遺構は「金堂跡」。手前には中門と南大門の跡がある。Cimg2950 右手に見える「七重塔」を囲む回廊の支柱跡が腰掛けのようになっている。Cimg2951 七重塔の礎石。国分寺は正式名が「金光明四天王護国寺」で、聖武天皇の天平13年(741)に創建の詔が発令されて、日本全土60余州に建立された。

 ここ薩摩国分寺は規模が小さいと言えども、一辺が100m余りある境内は相当広く感じる。完成した時の民衆の驚きはいかばかりであったろうか。Cimg2973 川内歴史資料館のパンフレットから国分寺跡の全景を載せてみた。左下の道路によって東南の部分が分断されているのが分かる。

 この南側に国分寺と並んで国府(国衙群)があったのだが、住宅地に浸食されて、発掘調査はままならないようである。

 久々に皆と出掛けてみたが、天気も良く収穫は大きかった。








 






























 


















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天皇皇后両陛下がパラオ諸島で慰霊

 今日4月9日、天皇皇后両陛下がパラオ諸島のペリリュー島を訪問され、現地に建立された慰霊碑に献花し、祈りを捧げられた。Cimg2886 日本から持参された白い菊の花を手向ける両陛下。(画像はNHK7時のニュースから。以下同じ)Cimg2883Cimg2884 昨日現地入りし、パラオ大統領の歓迎式典の中で、天皇はこのように述べられ、日本軍人のみならず、対戦国アメリカの軍人の慰霊碑にも献花された。Cimg2898 激戦で亡くなった日本軍人は1万余り、捕虜を除いて生き残った軍人はわずかに34人という。ほぼ玉砕であった。対するアメリカ軍は1700人の損害だったそうだ。

 天皇のこうした「慰霊の旅」は10年前だったか、サイパン島にも行かれて祈りを捧げられた。このパラオへはすでに20年も前から訪問を希望されていたのだが、現地の整備ができていなかったことで延び延びになっていたが、ようやく今日実現の運びとなり、肩の荷を一つ降ろされたのでは拝察する。

 この分で行くと、同じ玉砕となったアリューシャン列島のアッツ島(2600名戦死、生存26名という)も慰霊されたいであろうが、ロシア領とあっては不可能だろう。

 だが、宮中ではひそかにそのような場所における日本軍人戦死者の慰霊などが行われているのではないか、遠くから遥拝するような形で・・・。

 ペリリュー島で、敵国アメリカ軍人への献花をされたように、戦死者には敵も味方もない―という崇高なお気持ちは恒久平和を願うさりげない発露であったろう。

 鹿児島では「敵味方戦亡者慰霊の碑」が建立されているが、戦国時代の鹿児島の英雄の一人「島津義弘」が高野山に建立したのが最初と聞く。もともと日本では「誰もが死ねば仏になる」「一視同仁」という至って鷹揚な理念が心の奥底に流れていたからこその建立であるにちがいない。

 こんな両陛下のお気持ちがパラオの人々にも伝わったのか、Cimg2902 レメンゲサウ大統領は「パラオの人々の心が一つになりました」と感激の面持ちで別れの挨拶を述べていた。
 両陛下によって世界の人々が一つの心になる日が来るといい。










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政府と翁長沖縄県知事の会談が実現

 去年の12月の沖縄県知事選挙で選出された翁長知事と政府要人との会談がようやく実現した。

 これまで翁長知事が何度も上京して会おうとしても会わなかった政府が、普天間基地に隣接する「西普天間米軍住宅地」の返還式典に合わせて会談することになった。Cimg2827 会談のため訪れた県庁で初顔合わせだが、翁長知事は顔をそむけているように見える。(画像は読売テレビ「バンキシャ!」より。以下同じ)Cimg2828 席上で、翁長知事は米軍によって接収されて基地となり、その後どのような変遷があって今日に至ったのかを説明したようだ。そして「普天間基地が返還されたとしても、辺野古に新たに米軍基地ができるのでは沖縄の基地の面積は変わらない。辺野古への基地建設はやめるべきだ」。Cimg2825 バンキシャ!の解釈では、今回これまでかたくなに会うのを拒んできた政府が会談することになったのは、「政府が基地負担軽減に取り組んでいることがアピールできるから」というもの。Cimg2779 たまたまこの日は沖縄で米軍に追い詰められた住民が集団自決をした読谷村の「チビチリガマ」(ガマは九州南部から沖縄にかけての方言で「洞窟」)の70周年ということで慰霊祭が行われていた。(画像は「関口宏サンデーモーニングより。以下同じ)Cimg2778 沖縄戦では県民20万の死者が出たが、半分は純粋の民間人であった。

 当時の沖縄県人口は60万とされているので、民間人6人に1人の割合で死者が出たことになる。これは原爆を投下されて瞬時に8万の死者が出た長崎市に匹敵する割合だが、その後も宿敵米軍の統治下に置かれ、解放後も多数の米軍基地が置かれたままの現状は、長崎をはるかにしのぐ苦境である。

 翁長知事は会談の中で、「沖縄は自ら望んで米軍を置いてくれといったことはない。すべて米軍を日本本土の防衛のため必要だとする政府の政策による。」と寸鉄を刺したが、まったくその気持ちはよく分かる。

 しかし、米軍が沖縄はじめ日本各地に駐留しているのは決して日本を守るためではなく、国連憲章52条の「敵国条項」に該当する日本をいつまでも牽制しておくためだと知るべきである。

 国連憲章から敵国条項を削除せよとの意見はドイツも提出して国連の多数意見になっているのだが、なにしろ「一国でも拒否権を行使したら、その採択は無効」という強大な権限を与えられている安全保障理事会の常任理事国の米英仏露中のうちまず中国が反対し、露も反対に回るであろうから不可能なのである。日本の常任理事国入りを英米すら積極的に支持しないのもかっての「敵国」だからである。

 現国連の設立の経緯からすれば当然の帰結で、では日本は今後どうすべきなのか。国際連盟の時のように脱退するべきか? 国際連盟では日本は常任理事国であったのに、満州帝国をめぐる英国主導の邪魔立てにけつをまくって潔く連盟を後にしてしまったが、今現在、そのようなことは無理であろう。

 そうなるとスイスのように国連とは距離を置く、永世中立を目指すほかあるまい。ただし昔のように「非武装中立」などという書生論では話にならない。やはり自国は自国で守るという「専守防衛」意思をはっきりと表明すべきだ。

 その流れの中で、沖縄や日本本土に置かれた米軍基地も縮小して行くのが現実的だろう。沖縄の米軍基地がゼロになった時点で、北方領土も返還されるようになるはずである。これが歴史認識に基づいた戦後体制の解消法であると考える。

 これが本当の「日本を取り戻す!」(以前の自民党の選挙用スローガン)ことで、集団的自衛権(実はこれも連合国同士による対枢軸国つまり日独などへの自衛権というのが歴史的経緯なのであるが…)なるものを拡大解釈して行くのは自滅への道と知るべきである。

 沖縄県としては普天間の代替施設としての辺野古を一応は容認し、海上基地を作らせ、いずれは米軍が沖縄から撤退した時、日本防衛軍の基地に転用すればよいと私などはそう思っている。








 







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戌の日の宝満寺(志布志市)

 娘が妊娠五ヶ月を迎えたというので、戌の日の今日、代参した。我が家から東に35キロほどの志布志市内の前川河口近くにある宝満寺は安産祈願の寺として有名である。Cimg2753 前川に架かる「宝満橋」から宝満寺を望む。10時過ぎにはすでに相当な参拝客が来ていた。Cimg2742 寺といっても鹿児島では多くの古刹の例にもれず、伽藍は跡形も無くなっている。今見えているのは明治以降に再建された「観音堂」である。安産祈願だけではなく、無事にお産を済ませた家族もお参りに来ていた。Cimg2738 観音堂の中を見ると、これから祈祷を受けようという14,5組の祈願者が、観音像の安置された厨子のある一段高い場所に上がるところだった。Cimg2739 撮影禁止とは書いてなかったので、厨子の中に収められている「如意輪観音像」が写せぬかと思い、近寄ってみたが、厨子には格子状の扉があるため、隙間からそれと分かる輪郭しか写せなかった。

 なにしろこの如意輪観音像は『三国名勝図会』志布志郷の記述によると、「本尊 如意輪観音―割注に、坐像、長2尺8寸5分、運慶一生の逸作」だそうで、かの鎌倉時代の名工運慶の「一生の逸作」というのであるから、どんなにか素晴らしいものであろうか、想像を絶するほどのものに違いない。

 宝満寺の由緒は実に古く、これも『三国名勝図会』によるが、聖武天皇の時代に「皇国鎮護の為に創建したまひて、勅願寺とす」とある。聖武天皇といえば諸国に「国分寺」「国分尼寺」を建立しているが、大隅国には国分に国分寺があり、日向国は西都に国分寺があるのに、なぜここに勅願寺を建てたのか。

 それは大隅半島部(垂水・鹿屋・志布志)が持つ地理的な条件が特殊だったからだろう。大隅国府の国分(現・霧島市)からも日向国府の西都市からも隔絶した半島部は本来半島部だけで国が造られてもおかしくないほど独立的存在だったのである。当然、国分寺的な伽藍が必要で、それが宝満寺として創建されたわけである。

 しかし平安時代には廃れ、鎌倉時代になって頼朝が九州諸国に命じて再建させたという。運慶作の観音像が安置されたのもその時代であろう。また、鎌倉の鶴ケ岡八幡宮が勧請され、この寺の鎮守とされた。Cimg2746 湧水を跨ぐ石橋の向こうに鳥居が見えるが、あの奥のがけ下に八幡宮が祀られ、その横には石の地蔵もある。Cimg2737 しばらく並んで寺務所受付で祈願内容と祈願者(本人)の名前を書いて支払いをすると、写真のようなものを手渡された。住職は左端の「祈 安産」と書いた木製の祈願札を受け取り、さっきの観音像を安置した厨子の前にずらりと並べて、祈祷をする。

 祈祷は戌の日の午前中にしかしないので、注意が必要である。

 安産祈願についても『三国名勝図会』にはこう記す(安産を平産としている)。

 《・・・殊に産婦の擁護著しきとて、平産の護符を出せり。》

Cimg2720 順番待ちの間、少し時間があったので境内の崖の上にあるという「歴代住職の墓」「運慶作如意輪観音を当地に運んできた某の墓」(看板の説明)を訪ねてみた。Cimg2724 ほとんどが五輪塔で、年代の分かるものでは江戸時代中期以降のものが多かった。Cimg2727 向かって右やその反対側に立つ五輪塔の大きさは相当なもので、丸い部分(水輪)だけでも優に100㌔はあろうか。一番下の立方体の地輪などはもっと重いに違いないが、重機の無い時代に、下からここまで(比高で10m、距離で100mほど)、よく持ち上げたものである。Cimg2749 観音堂を取り巻く比高15㍍ほどの崖の下からは水が湧いていて広い池になっているのが、安らぎを与えてくれる。相当な昔はこの辺りまでが海岸で、海岸段丘の崖下から湧き出る真水は海の民にとって願ってもないアイテムだった。

 おそらく崖の途中に穿たれた半洞窟などでは、祭祀のようなことが行われていたはずである。Cimg2747 池畔には、戦前の昭和5年10月に志布志を訪れた漂泊の俳人・種田山頭火が、ここで詠んだという「家をもたない 秋が ふかうなった」の句碑が建つ。

 志布志は鹿児島県で山頭火が唯一足跡を残した町であるということで、町中に山頭火の碑が10幾つもあるそうだ。
























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吾平山陵の桜(鹿屋市吾平町)

 一昨日行った玉泉寺公園は8分咲きだったので、今日あたりはもう散り始めているだろうと思い、今日はさらに山手にある吾平山陵を訪ねてみた。Cimg2700 思ったほどの人の出ではなかったが、それでも普段は閑散としている駐車場に、10台くらいの車が停められていた。

 桜はまさに満開から散りはじめたところで、駐車場の路面は花びらで白くなっている。Cimg2705 山陵入口に架かる大橋も花びらで埋め尽くされている。Cimg2706 この前来た時(2年前だったか…)には日本語だけの案内看板が、半分のスペースに英語の説明があるようになっている。

 このところ鹿屋市内の到る所でリニューアルが見られるが、ここもそうで、おそらく今秋に開催される「国民文化祭鹿児島大会」に合わせて予算が付いたのだろう。Cimg2708 山陵大橋から見た姶良川の流れ。桜の咲いている所には東屋がある。Cimg2710 山陵への道には二本の石橋が架かるが、こちらは第一石橋。Cimg2712 広い砂利道の向こうに、ウガヤフキアエズ尊の墓といわれる洞窟墓の吾平山陵(正式には吾平山上陵)がある。洞窟なのに山上陵というのも変だが、江戸時代の薩摩藩地歴書『三国名勝図会』では「吾平山陵」となっている。

 昔、といってもそう遠い昔ではないが、明治時代中ごろまではここに「鵜戸神社」があり、墓主のウガヤを祀っていたが、山中で参拝に不便ということで旧吾平町役場の隣りにあった「田中八幡神社」のところに移設し、田中八幡は別の場所に移転させたという経緯がある。

 吾平山陵の起源は不明だが、田中八幡神社の由来ははっきりしている。江戸時代の正式名は「正若宮八幡宮」で、島津荘を開発した平季基の弟の良宗が当地を支配したことが、この神社の宝物として奉納された古鏡の銘「長久四年  平判官」とあることで分かっている(長久四年は1043年)。Cimg2713 ここは宮内庁書陵部の管轄で、木の看板には「吾平部事務所」とある。「Ⅰlove(アイ・ラブ)事務所」とは洒落ているな。Cimg2715 事務所の手前に川に降りる石段があり、流水に手が届く。伊勢神宮の五十鈴川を真似た(一説によると伊勢神宮が真似た)という姶良川の清流がゆるやかに静かに流れる。Cimg2714 石段から下流方向を見ると遠くに第二石橋が望まれる。

 この山陵の敷地の中にはソメイヨシノも山桜もないが、清流に似合うモミジが青々と美しい。























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大丈夫か、桜島!

 昼のNHKニュース(ローカル)で、久しぶりに桜島島内で地震が発生したとあった。Cimg2686 規模は震度1(マグニチュード2、6 震源は地下10キロ)と心配することの全くない地震だが、桜島の下で起きたという点で注意しなければならない。Cimg2689 平成24年以来というから3年ぶりである。3年前の頃は桜島火口からの爆発的噴火の回数は年間800~900回と多かったが、その後は急激に回数を減らしている。Cimg2690 鹿児島ではおなじみになった京大の井口教授は、昭和50年代と平成15年頃にも同じ場所で群発地震が起き、そのあと噴火活動が盛んになった―という。すぐに100年前の大噴火が起こることはないが、十分に注意しなくてはならない―とも言うが、今回の場合はすでに26・27日と過去の記録を塗り替えるほど活発に爆発が起きている。

 さっき10時のローカルニュースでは、この3月は177回もの爆発的噴火を観測したそうで、これも記録的な回数だろう。一日平均にすると6回、一年間続いたとすると2190回と、桁違いの回数がはじき出されるのだ。

 何も予言めいたことを云うわけではないが、近いうちに熔岩流を伴うような大規模な噴火が起こってもおかしくはない。

Cimg2693 閑話休題、桜二題。

 昼食後に所用で行った星塚敬愛園内の「芝桜」と向こうに満開の桜。Cimg2694 道路沿いの花壇に咲いた芝桜は目も鮮やか。

 花壇の幅2m弱、長さ20mは下らないだろう。ここまでするのにどれだけの時間がかかったか、お見事というしかない。











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