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口永良部島に中規模噴火あり!

 前々回のブログでは、その前に書いた「5月21日に南の空に西南西から東北東に向かって現れた数本の不可解な筋雲は、地震雲か?」という疑問が当たり、ちょっとオーバーだったが「予言が当たった!?」というふうに書いた。

 地震は奄美近海を震源とする震度5弱(マグニチュード5.1)で、不可解な筋雲の現れたその日の夜10時半頃に起き、そうしたら翌日の22日の朝8時頃に、今度は同じ南海上の屋久島と屋久島の西の海上20キロ弱にある口永良部島で震度3の弱い地震が起きた。

 そのうち後者の口永良部島の揺れは、実は火山性の地震であったと後になって(その夜のニュースで)訂正があったので、「確か去年久しぶりに噴火して、警戒レベルが上がっていた島だよな」と若干危惧の念を感じていた。

 それが、今朝の午前10時、ちょうど茶を飲み出し、NHKテレビを見始めて間もなく、<口永良部島で噴火が・・・>と臨時ニュース。Cimg3946 気象庁の口永良部島監視カメラがとらえた瞬間。

 口永良部島の中央にそびえる600m余りの「新岳」が噴火したのである。やはりあの5月22日朝の火山性地震(震度3)が前触れだった。Cimg3947 正確には9時59分が噴火の始まった時刻だが、わずか5分後の10時4分には火口からの噴出物の一部が下降して山肌を流れ下り、間もなく海に達しようかという状況になっている。

 幸いにも流れ下った海岸部には人家もなく、被害はなかったようだが、もう少し西寄りに流れていたら口永良部島でももっとも人家の多い「本村地区」を呑みこんでいたかもしれない。噴火爆発の音を聞いてすぐ逃げるにしても、わずか5分では多少なりとも被害は免れなかったろう。Cimg3968 10分後には火山噴火警戒レベルが5に引き上げられ、15分後には屋久町はじめ県からも島民に対して避難指示が出された。Cimg3978 噴煙は9000mまで上がったと報道されたので、もしかしたら見えるかと我が家の庭の南端から口永良部島方面(南南東、直線距離にして120㌔ほど)を眺めるのだが、それと分かる黒雲はない。

 5月21日に見えたような「不可解な筋雲」も現れていない。あれは地殻性の地震だから起きた現象で、今回のは火山噴火だから出ないのは当然といえば当然だろうが・・・。

 第一、 もし火山噴火の前触れで出現するのなら、年がら年中桜島の噴火している鹿児島の空は筋雲だらけになってしまうよな(笑)。
Cimg3977 11時までテレビにかじりついていたが、最初の中規模噴火の後はほとんど噴き返しもなく、収まりつつあるようだ。

 ところが10時49分に桜島が噴火し、火口の上2000mまで噴煙を上げた―という「桜島噴火情報」が出た。シンクロナイズド・エラプション(噴火)だ。こんな時にやらなくてもいいのに―。

 








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旧国鉄大隅線(1)

 志布志方面に史談会の『大隅58号』を何軒かに届ける仕事の序でに、旧国鉄の大隅半島を横断していた大隅線(昭和62年=1987年に廃止)の東の起点である志布志駅を訪ねた。

 国道220号線が志布志の街に入り、志布志郵便局のある信号を右折して200mも行くと志布志駅が左手に現れる。Cimg3854 駅前のロータリーはどこの駅にもあるが、入り口に花崗岩の石柱がでんと立っているのは珍しい。

 これは昭和5年に志布志を訪れた放浪の俳人「種田山頭火」の句碑である。

 <一きれの雲もない 空の寂しさがまさる>

 と刻んである。

 山頭火は子供のころ母親が自殺したという。そのトラウマを抱え続けてついに放浪の詩人となった。たしかに紺碧の青い空は心を浮き立たせながらも、どこか寂しさ、切なさを誘う。かの宮崎の生んだ歌人・若山牧水も「白鳥は寂しからずや 空の青水のあをにも染まず漂ふ」と、似た境涯を歌に詠んだ。

 志布志には昭和5年に来訪した際に、実に46句の自由律俳句を残しているそうである。Cimg3855_2 国鉄大隅線(志布志ー国分間98キロ)は廃止になったが、志布志駅は健在。なぜならここから宮崎へ行く「JR日南線」はいまだに運行されているからである。

 駅舎入口からホームへの通路に差しかかると、何と「蛍光灯の笠にツバメが巣作り! 注意!」とあった。ツバメが安心して巣を作るくらい、列車の本数が少なく乗降客も少ないのだろう。のどかだな、山頭火なら何と詠んだだろう。Cimg3857 駅舎を抜けホームの手前まで行くと、車輪止めのある線路が二本。ホーム寄りのは現役だろうが、右手のは始発列車の引き込み線だろうか?

 鉄路を見ていると、「線路は続くよどこまでも」という歌が思い出される。ここから日本国中のどの町ともつながっている―という未来への確証というか、繋がり感(絆)が湧いてくるから不思議だ。アナログ時代にタイムスリップするのも悪くない。何かこう、安心感のあった時代だった。

 大隅半島でその安心感のようなものが断ち切られて今年で28年目。昭和62年3月13日を最後に大隅半島から鉄道が消えた。厳密に言うと、その15日後の3月28日、今度は志布志から都城(西都城駅)を走っていた志布志線も廃止になった。

 志布志駅は宮崎県都城からの志布志線と、国分から垂水・鹿屋を経由してくる大隅線とが出会う駅だった。しかも現在も動いている日南線もここが起点なので、昭和62年の3月までは国鉄の三路線がここを始発・終着とするターミナル駅だったのである。Cimg3858 乗客のターミナルであり、貨物ターミナルであり、機関車等の整備工区でもあった当時の面影は今の駅舎周辺には全く感じられないが、駅舎から南へ約300㍍下った場所に「鉄道公園」があり、そこには蒸気機関車とディーゼル車の実物が展示されている。Cimg3863 昭和14年に製造されて3機関区を走り、最後にこの機関区に配属されて昭和50年まで走っていた(昭和50年は全国で一斉に蒸気機関車は廃止になった)そうで、その後この公園が作られた時に国鉄から無償貸与されたという。Cimg3864 地元には「SL保存会」なる会があり、ボランティアで清掃などの活動をしているらしい。 Cimg3859 蒸気機関車の後ろにあるディーゼル車。ホームに模したのはどうやら「舞台」のようで、右手の芝生の周りを4,5段の半円形の観客席が取り囲んでいる。


 昭和62年、それまで大隅線は、大正4年(1915)の鹿屋ー高須間を皮切りに、延伸に次ぐ延伸で、ついに昭和47年、志布志ー国分間が全線開通。

 他方の志布志線は、大正12年(1923)、都城と末吉駅(曽於市)を皮切りに大正14年(1925)には全線開通。

 両線は同じ日に同時に廃止になったので、大隅線全線98㌔は運行年数わずか15年だが、志布志線全線38㌔は運行年数62年と大きな違いがある。

 どっちも廃止されたのは残念だが、わずか15年で廃止になった大隅線の方が余計に残念である。もっと走ってもらいたかった―そう思うのが人情というものだろう。

 せめて、乗降客の多かった志布志ー鹿屋ー垂水間は残すべきだったのではないだろうか。

 と、今さら言っても愚痴になるが、志布志の鉄道公園から、せめて旧路をたどりつつ東串良駅跡まで戻ってみた。志布志駅から東串良駅までは菱田・大隅大崎・三文字の三駅を挟み、約16キロの行程。Cimg3869 東串良町総合センターという名の文化会館横の桜街路樹通りが線路跡。向うに向かって400m位に旧東串良駅跡がある。Cimg3871 白い建物の消防会館が目印になる。残された線路と車輪だけが往時をしのぶだけ。かってここに駅舎と貨物の引き込み線や倉庫群があった。Cimg3872 東串良駅跡から線路跡はさらに西へ向かう。約400mで串良川の土手にぶつかる。Cimg3874 土手で写真を撮っていたらウォーキングの女性が来たので聞いてみる。

 ―ここから川の向う岸に鉄橋が架かっていたんですよね?

 「そうですよ。鉄橋を渡ったら、ほら、あの黒っぽい建物が見えるでしょ、あの先の、木が繁った辺りが串良駅だった。」

 廃止後は鉄橋も取り壊され、川の中の鉄橋の足場も何もかも無くなったそうである。川の流れと世の流れはとどまることを知らず、ただ夏草のみが同じ姿を毎年甦らせているのだ・・・。Cimg3845 鉄橋の上流百数十メートルに架かる「豊栄橋」から眺める串良川。

 昭和62年までは鉄橋を走るディーゼルカーのオレンジ色が、はるか向こうの肝属山地の山の青をバックに映えて一枚の絵のようだったのかもしれない。



























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予言が当たった!?

 昨日のブログで「西南西から東北東へ延びる筋雲群は地震の前兆か」という “予言”をしたが、どうやら当たったようだ。

 と言っても、本人はああいう雲の観察をほぼ終日(最後に見たのは午後7時少し前で、夕空にやはり南の山の稜線から三本の放射雲を確認した)初めてのことであり、内心は「予言じゃなくて、余りの言の “余言”になったら、アイツ余計なこと言って怖がらせやがった―などと言われるだろうナ」と自信はなかったのである。

 それが、今朝7時のNHKニュースの最中に鹿児島のニュースの一覧を見たら、Cimg3827 昨夜の10時28分頃に奄美で地震があり、震度5弱ときた。

 昨夜は10時半頃までテレビを見ることなく、史談会の発送準備などをしていて眠くなってきたので、そのままテレビを見ることもなく床に就いてしまった。いつもなら大抵11時頃のニュース番組に目を通してから就寝するのだが・・・。

 6時台は外にいたので、7時半頃に食事をとっている最中にたまたま鹿児島のニュース一覧のボタンを押したので奄美大島震度5弱という地震情報に接したわけである。Cimg3828 奄美市が5弱とかなり強かっただけで、他の観測地点では4が最高で、同心円状に外に行くにしたがって弱まり、一番遠くは南方では沖永良部島、北方ではトカラ列島の中之島・宝島のそれぞれ1であった。Cimg3829 震源は大島近海で深さは20キロ、マグニチュードは5.1だそうで、奄美市の震度5弱というのはあまり聞いたことのない強さである。鹿児島県域の地震源として、奄美大島近海が震源というのは割合よく聞くが、せいぜい震度4というのがこれまでの相場だったと思う。Cimg3836 このニュースを確認後、もしかしたらあの三本の放射的な筋雲は消えたろうか―と玄関から確認しようとしたがあいにく早朝から今にも降り出しそうな曇り空で、Cimg3838 昨日出ていたような南の連山の稜線からの筋雲群は確認できない。

 昨日のように晴れていれば、どちらかはっきりするのだ。つまり消えていれば昨夜の奄美大島地震の前兆であり、現実に起こったことで「地磁気のようなもの」も消失しているだろうし、そのままであれば、奄美の地震とは関係のない別の要因による筋雲群だということ―このどちらかがはっきりするのであるが、どんよりとのっぺらぼうの空でしかない。

 残念に思いながら家に戻り、NHK朝ドラの「まれ」を見始めて、またビックリ。何と、Cimg3832 九州で地震があったとテロップ。場所は?―と思う間もなく、Cimg3833 あ、鹿児島じゃないか、しかも南方の屋久島だ。Cimg3834 震源は種子島の近海で、ごく浅く、マグニチュードは2、6と出た。

 いま活動が活発になっている口永良部島でも震度3である。口永良部島は660mある「新岳」の小噴火が去年、何十年かぶりに再び始まった火山島だ。種子・屋久が死火山の島であるのに、屋久島からわずか西の海上20キロ弱にある同島は桜島レベルの噴火警戒度3に格上げされている。

(※訂正。口永良部島での震度3の地震は新岳火口の地下が震源であるようだ。午後9時のNHKローカルニュースでそう報じ、さらに噴火への注意を促していた。)

 また同島から北40キロには、7300年前にここ1万年内の世界火山噴火史上最大と言われる「鬼界カルデラ大噴火」を起こした名残りの外輪山の一つ「硫黄島」(薩摩硫黄島)があり、今もなお噴気を上げ続けている。

 硫黄島をかって「鬼界島」(きかいじま)と呼びならわしていたので「鬼界カルデラ」というが、このカルデラは海中にあるため目にすることはないが、直径が16~7キロはあろうかという巨大さだそうだ。

 硫黄島というガス抜きの火山があるので、ここが再噴火を起こすなんて滅相もないが、しかし7300年というのはいかに地質上の年代のスパンは長いといっても、ちと不発の期間が長すぎる気もする。

 そうはあって欲しくはないが、もし7300年前の半分ほどの噴火でも、南九州は灰まみれ、津波まみれで、県民生活はマヒするだろう。津波だけでも海岸部はほぼ壊滅、もし海上を火砕流が走ってきたら、かなり奥の平野部まで呑みこまれてしまうだろう。川内原発もおそらく無傷では有り得ない。福島原発並みかそれ以上の津波に洗われるに違いない。

 太平洋上の小笠原西ノ島が去年からどんどん熔岩を噴出して島が大きくなっているというニュースや箱根火山、御岳噴火など、去年から日本列島はどこもかしこも一斉に火山活動が活発になって来ている。こんな列島では原発は動かさず、ドイツのように廃炉へ持って行くのが正解だろう。





















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珍しい筋雲群

 10時まで大隅史談会の仕事をして一段落ついた。庭の方を見ると、外が余りにもうららかに晴れているので、茶よりもまずは深呼吸でもしようと玄関を出たが、空を見上げると太い筋雲が南から北へ青空を断ち割るかのように鮮やかだった。Cimg3751 「飛行機雲」とすぐに思ったが、それにしては太い。かなり低空を飛んだジェット機なんだ、と納得しようとしたが、10時までにそんな飛行機が飛んでいれば、必ずや仕事をしている部屋にまで飛行音が届きそうなものである。Cimg3750 南の山々まで見通すと、どうやら山の向こうから続いているものであるらしい。Cimg3753 すると驚いたことに、さっきの太い筋雲のほかに、山の稜線からは三本かそれ以上の筋雲が、左斜め上に向かって平行するように立ち上がっていた。

 最初の太い筋雲は飛行機雲であるとしても、その他の筋雲が飛行機雲である可能性はほとんどない。

 たしかに我が家の位置する大隅半島は、南西から北東に向かって航行するジェット旅客機がよく通過する。おおかた沖縄や台湾方面から関空などを目指す飛行機だろうが、それにしても山の端に近い三本以上の筋雲は絶対に飛行機雲ではない。

 いつまでも眺めていてもしょうがないので、5,6分後に家に入り、コーヒーを淹れてしばらく休憩し、15分後にふたたび庭に出てみた。Cimg3756 すると、さっきの太い筋雲がそのまま残っているではないか。15分前に比べてやや強くなった西風に押されたのか、雲は東に移動していたが、形は崩れないままだ。こんなことは飛行機雲では起きない現象である。Cimg3757 庭の南の端からは、相変わらず山の稜線から立ち上がる筋雲が、ほぼ同じ位置にある。雲なら風や気流で散り散りになっていくはずだが・・・。地震雲か?とふと頭をよぎる。地磁気の働きで雲が一定方向に並ぶとはよく聞く。

 これらの雲の向きは、西南西から東北東へ。鹿屋からだと西南西は薩摩半島の南端から三島村(黒島・硫黄島・竹島)の方向、東北東は太平洋で、日本列島の南を洗う黒潮のルートそのものだ。

 再び家に入り、史談会の仕事を続け、それから約一時間後の11時35分ごろ、再度庭に出てみると、Cimg3772 うわっ、これは!―と固唾を呑むような感じを味わう。大量の斜め線だ。うち、右手からクロスして立ち上がっているのは、いかにも飛行機雲だと分かる。一本の線だったのが崩れて行っているのが一目瞭然だ。

 だが、そのすぐ上にある太い筋雲は? 一時間前に見えていたあれではあるまい。なにしろ一時間も経っているのだから。Cimg3775 少し東に目を移し、ほぼ真南の空。すると合歓の木の平らな樹冠に沿うように一本の薄い筋雲が目に入る。これが一時間前には真上にあったあの太い筋雲だろう。やはり形は崩れずにそのまま東へ移動している。Cimg3771 合歓の木の上を東に延びている怪しい筋雲。おりしもその上を左手からジェット旅客機が南に向けて通りかかった。タイミングがいい。Cimg3774 ほんの数秒後には、小気味の良いくらい細く白い直線だったのが、もう崩れ始めて細麺がのびてふやけたようになってきた。(画像をダブルクリックすると拡大画面へ)

 そうなると、その下にたゆたう筋雲はいったいどんな性質のものなのか、首をかしげざるを得ない(さらに下に平行に横たわる三本以上の筋雲たちにも)。正体や如何に!?






 









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桜島の噴火爆発がハイレベル

 昨日は一回しか噴火の無かった桜島だが、けさは早くから4000mを超える噴煙を上げた。Cimg3629NHKの朝7時のニュース中、6時16分に爆発した噴煙は火口の上4100mまで噴き上がり、噴煙の方向は南東つまり鹿屋方面へ向かっている―という「桜島噴火情報」がテロップされた。

 居間の外を見ると、Cimg3641さっき6時半に庭に出て体操をしていた時は晴れ上がっていた空が、30数分のうちに見事に黒い噴煙に覆われている。Cimg3638 東方面を見ると、日の出から1時間余りの太陽が、まるでおぼろ月状態。Cimg3631 我が家から500mほど西の、いつもは桜島の頂上部分の良く見える茶畑まで行ってみたが、桜島はおろか晴れていればくっきりと見える高隈山塊も、目を凝らさねば分からないほど霞んでしまっている。Cimg3644 昼食を摂っていると、昼時のNHKローカルニュースで今度は10時過ぎに再び4000mを超える噴煙が噴出したという。Cimg3645 今日はこれで午前中に4000mを超えるのが二回、3000m級が一回と、昨日とは打って変わって大量の火山灰を吐き出している。

 これを書いているのは1時過ぎだが、12時台にも3000m級のがあり、今も「噴火継続」になっている。

 5月11日、12日と二日連続して一日噴火爆発回数がそれぞれ26回、27回と史上最高回数を塗り替え、トータルでもいま現在575回と、これも史上最高のペースとなっている。

 これだけ「こまめに」吐き出していれば、大正大噴火のようなものは起こらない―とは火山噴火の常識だそうだが、一つ心配なのは、これが4年前の東北大震災の桜島的な余震(余波)であり、もっと大きな何らかの本震を誘うのではないか―ということである。

 もう一つ今度の桜島活動で不可解なのは、いつもなら5月に入ればほぼ100パーセント鹿屋垂水方面への降灰はなく、薩摩半島側の鹿児島市内への「豪灰」がニュースのトップになるはずなのに、今年はそれがないのである。それだけ西風がいつまでも続いているということなのだが、このままだと梅雨が長く冷夏だった平成5年頃を再現するかもしれない。杞憂だといいが・・・。













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翁長雄志沖縄県知事の記者会見

 午後1時から沖縄県知事の翁長雄志氏が外国人特派員協会で会見を行っている様子を、インターネット配信で見ていたが、一週間後の訪米を前に開かれたようである。Cimg3628 配信元は[The Page]という(以下の画像も同じ場所から)。

 米国訪問の目的はもちろん辺野古基地建設反対を訴えるものだが、その中で知事は沖縄県に偏った米軍基地の在り方の是正も求めるはずである。

 知事は日米同盟を否定するものではなく、同じ日本国でありながら、日本の安全保障に役立つ米軍基地がなぜ沖縄だけに異常に多く存在するのか、ぜひ日本全国に「均等に」とは言わないが、分散して欲しい―という想いなのだ。

 無理からぬ発想である。

 知事の演説の後、記者たちの質問が相次いだが、その中で印象に残るのは

 「米軍基地が落とす金は沖縄にとって重要ではないのか」

 というのと

 「現在中国の脅威がもっとも懸念されるが、沖縄はやはり中国に近く、米軍の基地は対中国を考えると、沖縄に重点を置かざるを得ないのではないか」

 という質問で、これらに対して翁長知事はこう切り返していた。

 最初の質問へは

Cimg3626
ー確かに米軍基地ができた当初は、沖縄経済(GDP)の50パーセントくらいの重みがあった。しかし沖縄県への施政権返還の1972年(昭和47年)の時は15パーセントに下がり、現在はわずか4、9パーセントでしかなくなっている。

 今や米軍基地の存在は50年前とは逆に、経済発展の「足枷(あしかせ)」ですらある。たとえば、自分が那覇市長の時に「米軍那覇軍港」が返還されたが、返還時点では県民で雇われていた人数は180人で、主に草むしりなどをしていた。しかし返還後はあそこにショッピングタウンを建設したところ現在の雇用人員は18000人規模になっている。また那覇市に入る軍用地借地料は「?」(一桁の数字だが失念)億円だったが、今やそこから上がる税収は90億にもなった。

 具体的にこう聞かされると、経済上の基地必要論者は、ぐうの音も出まい。

 次の質問へは

―中国の脅威は以前とは比べ物にならないが、アメリカの戦艦が搭載している核弾頭は一発でかって広島に落とされたリトルボーイの1000倍の威力があるという。中国が配備している核弾頭ミサイルはこれほどの高性能ではないせよ100倍くらいの力はあるだろう。

 するともし中国との間で戦争状態になったら、まず沖縄の米軍基地がミサイル攻撃の対象になるはずで、核ミサイルが普天間なり嘉手納基地なりに落とされる。すると基地全部と周囲の日本人も基地にいる米軍の家族まで根こそぎやられる。

 そんな危ない沖縄に米軍基地を置いておくよりも、グアムへ移転した方が安全で、別角度から中国への睨みにもなるではないか。

 もう一つ、思い出したが、「沖縄独立論」(日本人記者の質問)について、

―独立というよりも、日本の沖縄斬り捨てのように見える。施政権返還前の沖縄に戻ってしまっていいのか、という危惧を感じてならない。

 とばっさり。

 沖縄が太平洋戦争で本土決戦の前に、県民挙げて獅子奮迅したために多くの民間人が米軍の犠牲になったが、それが本土の防波堤の役割をしてくれたことを忘れてはなるまい。

 海軍の沖縄守備隊根拠地司令官だった大田實(おおたみのる)少将は、沖縄県民の我が身を省みない献身的な働きに感動し、次の有名な電文を本土海軍省の次官あてに残している。

 <沖縄県民、かく戦へり。 県民に対し、後世特別の御高配を賜んことを>

 1945年6月7日、大田少将は電文の結びを上のように書き、その後自決した。海軍はほぼ全滅、あと15日たった6月22日。今度は陸軍の司令官だった牛島満中将と参謀長の長少将が自決して沖縄戦は止んだ。

 「後世、特別の御高配」が沖縄の米軍基地であってはなるまい。戦死者への冒涜に等しい。自由で平和で美しい沖縄に戻すことが「御高配」でなくてはならない。沖縄及び日本本土の米軍基地はけっして沖縄や日本を守るためだけに置かれているのではない。

 とくに沖縄は対共産勢力(中国・北朝鮮・かってはソ連)へ睨みをきかす米国の橋頭保(キーストーン)であった。しかし今は中共(ロシアも)を国連安全保障理事会の常任理事国に英米の旧連合国が据えているくらいだから、国際関係論上その役割は終わったと言っていい。少なくとも本土並みの基地数に激減させるべきなのである。

 

 

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大阪市の住民投票

 昨日17日は、戦後最大(有権者数210万)となった「大阪都構想」をめぐる住民投票が行われ、結果としては反対が多数であった。Cimg3567 わずか1万700票余りの差で否決された。昨夜は11過ぎまでパソコンで検索していたが、すでにその時には「反対票が多数」と速報されていたので、すぐに床に就いてしまったのだが、やはりそうだったのだ。(画像はNHK7時のニュースから。以下同じ)

 「惜しかったなあ」というのが感想である。

 選挙結果を受けて、この住民投票にまで持ち込んだ橋下市長が記者会見―Cimg3578 しんみりとした敗戦の弁で始まったが―Cimg3579 結局は、選挙前の公約通り、任期いっぱいで市長を止めると言う。しかも、Cimg3581もう政治家はやめる、とも。

 何だ、やっぱり政治家になったのはパフォーマンスだったのか。何のために「大阪都構想」を打ち上げたのか―これも単なるマスコミ受けのための話題提供的コマーシャルに過ぎなかったのか。Cimg3569 せっかく既存政党のほとんどを敵に回し、維新の党とわずかの友党だけの孤軍奮闘でありながら、ほぼ拮抗する票を獲得したのである。「勝ったも同然」だということが分からないのだろうか。Cimg3582 勝ったほうの自公民共産連合の代表・大阪市議団幹事長も、内心は「勝った」と思ってはいないだろうことは表情に現れている。右後ろの元大阪府知事(名前を失念)もまったく浮かない顔をしているのでもそれと知れる。

 ここは橋下氏にはふんどしを締め直し、さらに大阪市長の一期を費やして「大阪都構想実現」へ向け、もう一歩二歩を進んでもらいたいものだ。まだ第4コーナーが残っている。

 自分としては巨大な市と巨大な府県が重なるいわゆる「二重行政」は解消すべきだと思うし、もうひとつ大阪都構想には、東京への一極集中を解消して行く道筋が実現可能性として見えてくると思うので、今回の住民投票に多大の関心を持っていた。

 東京が間もなく(といっても地球規模の地質上の変化であるから数カ月後ということではないが)大きな震災に見舞われることははっきりしているので、早く手を打たなければとてつもない災害が発生するわけで、そのまず先手で行政の思い切った地方分散が必要だ。超巨大化した行政マンモスをぶった切らなければ始まらないのだ。

 その受け皿として、大阪都は機能的に十分な容量があると思っている。大阪市が廃止になれば、不用になった市の施設へ国の施設が入ればいいのである。そう簡単には行くまいが、少なくとも受け入れ可能性の最も高いのが大阪なのである。

 これと並行するか、もっと早目に、皇居を京都に移転して欲しいと思う。現時点では大阪都構想は潰えたので、こうなったら皇居の移転こそ急ぐ必要がある。

 皇居が京都に移転するのではなく、本来の場所(平安京)に帰るのであるからこれを専門的には「還都」というが、平安京への還都は日本の将来にとっても大きな意味を持つ。

 さらに願わくば、平安京に還都された天皇が「国際平和宣言」とともに「日本の永世中立化宣言」(ただし専守防衛の武装はする)を世界に向かって宣言されんことを望みたい。








 

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梅雨の走りにうんざり

 一昨日の13日の夜中に足早に抜けて行った台風6号は何の被害ももたらさなかったが、翌日の14日は久しぶりの「台風一過」の青空を恵んでくれた。

 しかしそれもつかの間、また雲の多い天気に早変わりし、昨日の午後からは雨となった。梅雨の走りのような空模様である。

 夕方からは本降りとなり、雷さえ鳴り始めたので、パソコン関係のコンセントをすべて抜いて回る始末に・・・。

 以前抜き忘れて近所に落雷し、パソコンのフロッピーディスク再生部分を壊したことがあったので、神経質になってしまった。朝外出の時も、もし朝のニュースで大雨情報が出ていたら、必ず抜くようにしている。

 パソコンや周辺機器を繋いでいる4口のテーブルタップ型コンセントは上部に元コンセントからの電流を遮断するスイッチが付いており、それをオフにすれば問題ないはずなのだが、それはそれ、自分は自分、と機械文明への不信がどこかにあるから、なのか、そうしないと万が一もあるから―ということでやっている。御苦労なことと自分を揶揄することもあるが、癖になれば特に面倒でもないから不思議だ。(子どもを守る母親の気持ちか・・・!?単なる加齢性神経症か!?・・・)

 今これを書いている時点では雨は降り止んでいるし、雷もなっていない。だが空を見ると、どんよりとした空一面に低い雨雲が西からやや北に向かって動きが早い。おそらく大陸から九州の北西方面へ寒冷前線がやって来ているのだろう。この寒気に、南からの暖気がぶつかり合い拮抗すると梅雨前線だ。

 沖縄・奄美がもうそろそろ梅雨に入るにちがいない。

Cimg3557 そんな難しい理屈は分からないだろうが、動物もうんざりしているようで、今朝のやや強い雨の中、外に出て行ったモモが犬小屋で雨宿り。Cimg3558なんで雨が多いんだろうにゃ。Cimg3556 澄ました顔して小屋に入っているが、そこは本当は・・・。Cimg3559 こっちの「避難小屋」の住人ウメの本宅なのである。ウメが絶対に入ろうとしないので、あきらめてここにブロックで壁を建て、古い食卓を屋根にして作った応急的な小屋なのだ。ここにはすんなりと入ったのになあ・・・。Cimg3562近づいたら少し身を乗り出したが、「雨降りだと、臭いも何も分からなくて困るわん」と困惑気味のウメ。

 手前に置いてあるゴミ用のペールは、小屋の中に雨が吹き込むのをブロックしている(と思う)。さすがに台風の時は前面を竹のすだれで覆うが、避難小屋でも「我が家なり」と文句は言わないウメなのである。





 


 

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甥からの贈呈本『寺山修司研究・8』

 5月の連休に入る直前、小田原に住む甥から『寺山修司研究・8』(国際寺山修司学会)が送られてきた。Cimg3486 表紙絵はいつも天野天街というひとの大正ロマン風の作品で、今回のはエロチックである。

 ただ、タイトルと右下の丸で囲まれた文字は一見すると判別しにくい。タイトルはもちろん「寺山修司研究」で、右下のは「九條今日子・追悼号」である。

 序でに表紙カバーの全体像―Cimg3488 こうなっていれば書店でも図書館でも棚から取り出せる。買おうとすると定価は2500円(税別)とちと値が張るが、希少本の類のようであるからリーズナブルだ(文化書房博文社発行・A5版237ページ)。

 今号の目次をめくると、甥は三編を寄稿している。そして驚いたことに、奥付けでは甥が編集委員になっているではないか。慌てて最初に送られてきた5号そして6号・7号の奥付けを見ると、去年の7号から編集委員に名を連ねていることが分かった。これはしたり!

 去年の今頃は、会長兼事務局をしている大隅史談会の年一回発行の史論集『大隅57号』の発送と、5月の第4日曜日に初めて開催する月例会の案内文作成や講師への連絡等でてんやわんやで、つい甥の送って来た『寺山修司研究・7』を甥の書いた部分だけを読み飛ばしたままだったのである。

 今年のゴールデンウィークもおおかたは4月末に発行された『史論集 大隅58号』の贈呈発送と、発刊案内などで潰れるが、それでも今年の5月例会(5月24日)は会長である自分の発表を行うことにしてあり、その点で時間を取られることのない分、ずいぶん余裕がある。

 ただ、甥の本が送られてきたのと同時くらいに、今最も読みたいと思っていたアメリカの歴史家ジョン・ダワーの『人種偏見』もアマゾンから到着し、こっちも史論集の発送の合間合間に読み継いでいた。そしてようやく昨日今日になって両者を読み通したのである。

 例によって、甥の論稿はじめ他の研究者の発表内容を斟酌する知識はないので、甥の書いたもののタイトルだけを以下に掲げる。

「あっぱれ、アッパレ、五月晴れ ~九條今日子(寺山映子)さんに捧ぐ~」

「魂の叫び・魂のふるさと『恐山』」

「イケブクロウィーク&ウォーク」

そして書評

「書評・清水義和著『寺山修司 百年後の世界』(文化書房博文社)」

 最初のエッセイのタイトルにあるように、ごく最近、故寺山修司(1983年没)の妻であった九條今日子(寺山映子)さんが亡くなり、今度の8号はその方の追悼号でもあった理由が判明する。

 この九條さんという女優(松竹SKD所属)と寺山との結婚は、寺山の母ハツの大反対に遭い、途中で離婚を経験しながらも寺山との交流は続き、寺山のよき理解者・伝道者であったという。(この部分は同書の白石征「九條今日子さんのこと」による。)

 甥の三番目のエッセーの「イケブクロ」とは豊島区池袋のことで、池袋には東京芸術劇場のほかいくつかの劇場があるそうだ。自分が東京を出た35年前とを比べるとまるで別世界である。今後もなお一層、とくに2020年に開催される東京オリンピックがらみの変容を遂げて行くのだろう。

 

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芋の植え付け(鹿屋市池園町)

 今年はサツマイモの植え付けが遅れている。桜の咲く時期前後が寒く、そのため芋の芽出しが遅れたせいだろう。いつもなら4月中にはだいたい終えている。Cimg3461 我が家の裏(北東)のイモ畑では昨日(10日)の母の日に、母らしき女性二人と父(どちらかの旦那だろう)が3人で終日芋の植え付けに精を出していた。Cimg3459 去年この畑では里芋を育てていたが、今年はサツマイモに変えたようだ。里芋の値が安かったのかどうかは知らないが、サツマイモの方が価格的には安定している。Cimg3466 昨日のうちにすべて植え付け、今朝見ると黒いビニールのマルチングだけが目立つ。黒ビニールは雑草を抑えてくれ、ツルが伸びてもほとんど「ツル返し」(伸びたツルの節々から根を出して土に定着するとそこからも土中にイモができ、個数は多くなるがイモの一つ一つが小さくなってしまうのを防ぐ)の必要もないので手間的には実に楽になった。

 Cimg3467 昔風の「植え付ける」というと、裸の畝を手でほじくって溝を作り、そこへサツマイモのツルを置き、両手で土をかぶせて軽く鎮圧して行くのだったが、今はマルチングをしたビニールに竹べらかなんかで斜めに切り込みを入れ、片手に持ったイモのツルをそこにスライドさせて差し込み、別の手でうえからポンと抑えるだけで済む。
 さらにビニールのマルチングをしなかった昔は、イモの畝の雑草はもちろん、畝間の雑草も頻繁に取る必要があり、さらにその後に追肥を撒いて畝間を管理機(小型耕運機)で耕運することが多かった。今はツル返しも畝間耕運も追肥の必要もなくなった。

 明日(12日)は雨が降るというので、昨日のうちにやってしまいたかったのだろう。植え付け後すぐの雨は願ってもない慈雨となる。

 しかしその雨というのが、いまフィリピン東海岸を襲っている「台風6号」の接近によるというから複雑だ。

 今日遅くから明日の午前中に掛けて、ひょっとしたら沖縄に上陸するかもしれない。そうなると5月中としては二番目とかの早い上陸を記録することになるらしい。

 ところが一番早かった日本上陸は、何と4月25日で、場所は鹿児島であったというから驚きである。1956年のことで60年も前だが、上には上があったものだ。鹿児島はやはり台風銀座の名に恥じなかった。有難迷惑だが・・・。

 今春は低温気味だったのにもう台風がやって来るとは、不可解千万だ。

 今年も不可解千万な一年になるのだろうか・・・。







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箱根火山が新しいステージへ

 一昨日の5月6日、箱根火山の噴火情報が1ランクアップしてステージ2になった。前日に起きたやや深い箇所での地震のためだという。

 火山で起きる地震は「火山性地震」といい、通常の地震は活断層や、地層(プレート)の潜り込み反動によって起こるが、火山での地震はマグマの動きに直結しているらしい。熱せられた水蒸気による活発化はそのうちに収まるが、マグマが動くとなるとその噴出の可能性が高まり、噴火という現象になって表れるそうである。Cimg3441 噴火予知連絡会の藤井会長も、今朝のNHK8時のニュースでそう語っていた。

 今朝の読売テレビ「ウェークアップ」でもそのことは詳しく解説していた。Cimg3434 きのうの大涌谷では、東海大学の専門家が大涌谷に入り、湯本温泉の泉源になっている場所で温泉水を汲もうとしたが、蒸発してカラカラになっており、次の策としてそこから発生している火山性ガスを採取した。

 その分析の結果、「二酸化炭素」「二酸化硫黄」の成分が多くなっていることが判明した。明らかにマグマ自体の動きによるものである。Cimg3402 直接の調査に当たった東海大学の大場教授は、長年の研究調査でも今回のような事態は初めてらしく、このまま鎮静しないとすると本格的な噴火が起こるかもしれない―と危惧していた。

 先日のブログにも書いたが、箱根火山の麓・小田原市付近を震源とするマグニチュード7クラス以上の地震は21世紀初頭までに必ず起きる―とする地震学者の見解(『大地動乱の時代』石橋克彦著)があって、時期的にはもう過ぎてはいるものの、今度の箱根火山の活発化は、<当たらずと言えども遠からず>ということわざに当てはまる現象だと思われる。

 つまり「想定外」の現象ではなく、「想定内」の事象だということである。もし小規模の噴火でもあれば、それが導火線となって小田原地震を誘発する可能性は大ではないかと思う。

 そしてもっと恐ろしいのが、小田原地震は首都圏直下型地震の引き金になるということである。

 上記、石橋氏は、首都圏直下型地震はあの関東大震災のころとは比べ物にならないくらいの被害を東京にもたらすだろうとする。大正の大震災の際、地震そのものの揺れによる死者はさほどではなく、火災による焼死者が大部分を占めていたが、超高層ビルや地下街などの発達はそういったインフラへの直接的な被害はもちろんだが、人的被害に於いては圧死者の数を飛躍的に高めるとしている。焼死者も少ないと言っているわけではなく、割合としては小さくなるというだけのことである。

 このことを前提として、石橋氏は「首都圏の分散」を提唱しているのが目を引く。当然と言えば当然だが、今日のように東京圏一極集中では、首都圏が壊滅的被害を受けたら国家機能そのものがマヒをしてしまう。こんなことは小学生でも分かる道理だろうが、政治家の連中は東京のど真ん中の永田町がお気に入りらしく、たとえば学園都市つくばには、数えるほどしか政府機能の移転が進んでいない。

 もっと迅速に首都機能を東京から分散させなければなるまい。5月17日に投票が行われる橋下大阪市長の提案による大阪都構想が日の目を見れば、分散の受け皿になる可能性があろう。その意味で支持したい。

 自分としては早く皇居を江戸城から京都の御所へ移転してもらいたい。移転というよりは「里帰り」(専門用語では還幸という)であろうが、江戸幕府を倒した象徴として天皇を幕府の牙城であった江戸城に行幸・滞在させるという意味はもう全く失せており、そうであれば元の平安京にお帰りいただくのが自然だ。

 そうすることで、江戸城が空き、いざ首都直下型地震の時の避難場所にもなろう。避難所になるのは非常事態の時だが、それ以外は江戸時代265年続いた戦乱無き平和国家日本の総元締めが居城していた場所として世界からの観光客の絶え間ない所になろうし、天皇の還幸をうけた京都は京都で、1200年今なお続く天皇の御住まいのある都市として、より以上に光り輝く街になろう。皇居に伴って宮内庁は当然移転となる。そのほか文部科学省など文化行政的なものはすべて一緒に京都に移転していいのではないかと思う。





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2015春のばら祭りのステージ

 5月6日、連休最後の日に2回目のばら園までのウォーク。

 午後2時半からエイサーと鹿屋出身のものまね歌手・英明のステージがあるのでそれに合わせて、1時半に家を出る。

 園に着いたのが2時25分。Cimg3332 この日は開花状況が9割と、見応え十分。しかし入園料は310円と安く設定してあった。この分だと、この春の祭り期間中はこのままだろう。観光客にはありがたい。Cimg3366 あらゆる種類の色とりどりのバラが咲いている。Cimg3335_2 ただ今年はつるバラが不調のようで、これなんかも下の方は咲いているが、アーチの部分はまだまだである。Cimg3344 つるバラのトンネルのすぐ脇にあるステージでは、もうエイサーが始まっていた。演じているのは鹿児島うるまエイサークラブで、鹿児島市を中心に活動しているグループだ。Cimg3343 エイサーは沖縄で、もともとは本土のお盆のような行事の時に繰り出される「鉦踊り」が沖縄ふうにアレンジされて広まり、芸能化され、いつでも踊られるようになったものである。Cimg3340 ステージではなく野外で踊るのが普通で、このグループもステージから観客のいる広場まで下りてきた。

 全身を使う結構ハードな演技で、6曲ほど30分もやったので下手なスポーツよりカロリーを消費したにちがいない。Cimg3361 10分くらいして英明のステージが始まった。Cimg3362 歌そのものもだが、歌の合間のトークが格段にうまくなっている。特に鹿児島弁での「かあちゃんネタ」は笑わせる。Cimg3352 持ち歌の徳永英明の「レイニーブルー」と「壊れかけのラジオ」は無論だが、他に一青窈「花みづき」と中島みゆき「時代」の熱唱は素晴らしかった。Cimg3357 去年もやったサインボール投げ。歌いながらステージから観客に向かって投げるのだが、最後の一個は、午前のステージに引き続き見に来たという高校生らしき少女を二人、舞台に上げて躍らせながら投げ渡した。

 英明には残念ながらオリジナル曲がないので、メジャーなステージに立つのは無理だろうが、こうして場数を踏んで行けばそのうちに新たな分野も開けるかもしれない。




























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五月晴れと蓮華草(鹿屋市古前城町)

 5月に入って二度目の五月晴れ。

 4月29日の役員会が終わってから、会長兼事務局の仕事で今もっとも忙しいのが、大隅史談会刊の『史論集 大隅58号』の発送。

 ここ三日ばかりは、国会図書館はじめ県内のめぼしい図書館、報道関係機関などへの寄贈分を大型封筒に入れて宛名を書いたり、去年購入してくれた人たちへの購読案内文書を作成したりと、なかなか大変だ。

 そんな中、一昨日、メールで知人が入院したと来た。さほど親しいというわけではないが、後輩でもあるし、仕事を半分すませて入院先の病院を見舞うことになった。

 鹿屋市の中心部からやや北寄りにある病院は県立であるうえ、平成18年に造られ、まだ真新しい。

 病棟を訪れると、「夜中に咳き込んで呼吸困難になり救急搬送された。応急措置の結果いったん家に戻ったが、地元の病院で胸のCTスキャンを撮ったところ、激しい咳と結び付くような病変は見当たらないが、内視鏡の検査は地元の医院ではできないので、再びここへ入院して詳しい検査をすることになった。ただし、連休明けです」とのこと。

 話を聞いている際も咳が出て、薄い痰らしきものも出ている。それ以外は至って元気だが、やや顔色は血の気が無いように見えた。

 検査の結果は即日に分かるというから、またメールで知らせて欲しいと、10分ほどで退室。良い結果を期待したい。

 帰り道に鹿屋市営の墓苑「緑山墓地」を通って、古前城町に下りてみた。Cimg3322 実はここからの眺めが素晴らしいのだ。ひな壇式の墓塔群の向こうに大隅最高峰の高隈山。真ん中のピークは「御岳」で1182m。

 下に広がる町は「打馬町」(うつまちょう)といい、珍名の一つ。ただし自分の説は「うつま」は「宇都間」であり、「宇都」(うつ)は美しい「うつ」、「夢うつつ」の「うつ」と同じで、「現実味がある」「揃っている」。「間」は場所の意味だから、「宇都間」とは、「現実に(必要なものが)揃っている場所」であろう。

 この打馬町は、高隈山から流れ下って来た肝属川(写真の真ん中より右手に見える川)が開析して生まれた開析平野だが、手前や向こうに左右に広がる樹林でそれと分かる「シラス台地」だった所をえぐってできた一種の盆地であり、水田とシラス崖の下から豊富に湧き出る水とで生活しやすい所だった。Cimg3323 同じ場所からカメラをやや左へ向ける。真ん中に見える鉄筋の建物群は鹿屋小学校である。この小学校の創立は明治2年。今年で146周年は県内でも最古か二番目くらいに古い学校だ。

 小学校の手前に田んぼが見えるが、あれは鹿屋農業高校の実験田で、普通作のはずだから今月下旬の頃か6月初旬が田植えのはずである。生徒たち全員が、昔ながらの手植えで行うのが恒例になっている。

 よく見ると、何やら田んぼが赤っぽい色をしている。「おや、まさかレンゲか!珍しい!」

 そうと決まったら、墓地の中の道を下りて見に行くことにする。Cimg3324 やはりレンゲ(蓮華)だった。今時ほとんど見なくなったが、6月に植え付ける普通作の場合、前年の刈り取り後に蒔いておいたレンゲがこんなふうに花を咲かせ、それはそれで初夏の風物詩だった。

 このレンゲを田に鋤き込んでやると、マメ科のレンゲは結構な窒素肥料となってくれるのである。Cimg3330 高隈山を背景にレンゲ田を撮影しようとしたら、右手前に流れている用水路沿いの細い道があったので、それをたどると、とある一軒の家に上がる小さな橋の横にビワの木が植えてあって、たわわに実っているのに遭遇。まだ青さがあるから食せるのはもうすこし先だろう。でもきれいなビワだ。Cimg3331 細道を挟んで、ビワの木の向かいにはミカンの木が数本。こっちは3月一杯くらいで収穫を終えたのだろう。新しく出た葉の新緑がまぶしい。

 レンゲ田はもうすぐそこだ。Cimg3329 観賞用の花ではないが、こうして群生したところは見応えがある。レンゲの蜜をめがけてミツバチなんかがブンブン飛び回っていそうだが、見当たらなかった。

 あと2週間もすると、さっきの用水路に水が滔々と流れ、ここや3~4キロほど下流に広がる川東地区の普通作の準備が急ピッチで進められることだろう。
















 

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箱根火山の活動が活発化

 一昨日から報道され始めたが、神奈川県の温泉観光地・箱根で先月の26日以来、急激に火山性地震が増え、一週間経った今なお収まる気配がないという。Cimg3303 Cimg3297 箱根火山では通常これまでは年に1000回くらいは観測されていたらしいが、この一週間だけで600回以上、一日当たり100回もの火山性地震があるという。(画像は8時の「スッキリ」から)Cimg3302 昼のNHKニュースでは、今朝、気象庁の職員が現地に入り、調査を行ったと報道された。Cimg3313 調査の結果、箱根温泉の大涌谷では「噴気圧力の高まっている泉源がある。」ことが分かった。Cimg3314 しかし「総合的に判断する」とし、今すぐ大規模な噴火が起きるとは考えにくいことを示唆していた。

 その結果出た判断は「噴火警戒レベルは1で、周辺では3キロ以内の立ち入りを禁止する」というものであった。

 噴火警戒レベルが1なのに立ち入り禁止範囲が3キロとは、桜島などの場合に比べて格段に広範囲である。おそらく、圧倒的に観光客の多い箱根温泉なので、万が一に噴火した時の人的被害を考えてのことだろう。正しい判断だと思う。

 ところで、この箱根火山の麓に位置する小田原では、江戸時代以来5回のМ7クラスの地震が発生している。しかも周期はほぼ70年で、最初に起きた寛永大地震(1633年)から、元禄大地震(1703年)、天明大地震(1782年)、嘉永大地震(1854年)、そして大正の関東大震災(1923年)と、おおむね70年ごとに小田原では大地震に見舞われている。

 以上のデータは『大地動乱の時代』(石橋克彦・岩波新書350)からの引用だが、では1923年の関東大震災から70年というと1993年前後がこれに当たるが、小田原では大地震は発生しなかったのである。

 この本が出版されたのは1994年8月だったので、間もなく起きるであろう小田原大地震への注意を喚起する意味で出版されたと思われるのだが、小田原大地震については見込みが外れてしまったことになる。

 しかし、その代わりというと変だが、出版の翌年1月17日に「阪神大震災」が発生した。地震の巣でもなんでもない阪神地方に未曾有の地震が発生したのである。

 阪神は小田原から500キロ以上も西に離れているので、小田原近辺で起きるはずの地震のエネルギーが代替的に向うで発散されたとは考えにくく、したがって上記の本の予言ともいうべき「小田原大地震70年周期説」は外れたと評価せざるを得ない。

 だが、今回の「箱根火山の突然の目覚め」のような活動は、どうも不気味である。素人的に見ても、火山の活発化と地震の間には因果関係があるように思われるのだ。

 著者の述べている「小田原を震源とする大地震は21世紀初めまでには必ず発生する」ことは否定されたように見えるが、出版されてから間もなくの阪神大震災を皮切りに、北海道根室沖地震、新潟中越地震、岩手・宮城内陸地震、そして4年前の東北大震災など、多くの死者を含む大地震が実際にかなり起きている。

 ところが不思議なことに、この間小田原をはじめ関東周辺ではむしろ平穏が続いている。地震の空白域と言ってもいいくらいだ。そこへ今度の箱根火山の火山性地震の活発化である。

 地震学的に言うと、地震の空白域を埋めるような大規模な地震はいつ起きてもおかしくない―のであるから、神奈川を中心とする関東地方は、大袈裟に聞こえるかもしれないが、大地震発生のの秒読み段階に入ったと言えないだろうか。用心に越したことはない。











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ばら園の現況

 5月1日は久しぶりに陽光きらめく一日だったので、徒歩でばら園まで行ってみた。先日(4月23日)訪れた時に車の距離計で確認したところ、我が家とばら園との距離はほぼ4キロであった。

 これは分かりやすい距離で、徒歩1時間が4キロ(一里)という原則を当てはめれば、我が家からばら園まで歩いて1時間ということになる。

 ちょっと遅かったが、午前10時半に家を出た。往復2時間、それに、ばら園内をぐるっと一周で30分、都合2時間半とみて、帰着予定は午後1時。遅い昼飯となるが、1時間程度の遅れはこれまでに何度もあったから気にしない。

 案の定、ばら園着はほぼ1時間で、11時25分。それから園内に入場(一般入場料は310円とあり、まだ割引中だった。もっとも当方は年間パスポートがあるのでフリーパス)。Cimg3242 前に来た時から8日目の園内は大分開花が進んでいた。Cimg3244 早いのでは5分咲きを上回っている。Cimg3245 この辺りは2割程度か。Cimg3260 種類によって随分バラつきがある。(のが、バラの特徴?)Cimg3249 かのやばら園の最初にあったバラ園(ゴーカート場のすぐ下で、当時は無料だった)は、今はイングリッシュローズガーデンに生まれ変わったが、古典的なイングリッシュローズを掛け合わせたらしい新品種「桜島」が創出されていたのが目を引いた。Cimg3254 イングリッシュローズガーデンからは東の眺望がいい。鹿屋の南部を取り巻く横尾山系や遥か東方の肝属山系が、なだらかに広がって見える。Cimg3256 バラの赤色を引き立てる木立のグリーンも陽光のもとで輝いている。楠の新緑はひときわ美しい。Cimg3261 総じて咲き具合は5割までは行かず、4割5分というところ(写真は「恋人たちの聖地」から。左手は温室と切り花や花飾りなどのできる建物)。

 この前来た4月23日(1割未満)からすると、2日で1割ずつ開花が進行しているとみて、園内がバラの香りで噎せ返るような日にはあと一週間かかるだろう。

 連休の最後か、そのあとの土・日(9日・10日=母の日)なら文句なく最高のばら園に仕上がっているはずである。

























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