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旧国鉄大隅線(1)

 志布志方面に史談会の『大隅58号』を何軒かに届ける仕事の序でに、旧国鉄の大隅半島を横断していた大隅線(昭和62年=1987年に廃止)の東の起点である志布志駅を訪ねた。

 国道220号線が志布志の街に入り、志布志郵便局のある信号を右折して200mも行くと志布志駅が左手に現れる。Cimg3854 駅前のロータリーはどこの駅にもあるが、入り口に花崗岩の石柱がでんと立っているのは珍しい。

 これは昭和5年に志布志を訪れた放浪の俳人「種田山頭火」の句碑である。

 <一きれの雲もない 空の寂しさがまさる>

 と刻んである。

 山頭火は子供のころ母親が自殺したという。そのトラウマを抱え続けてついに放浪の詩人となった。たしかに紺碧の青い空は心を浮き立たせながらも、どこか寂しさ、切なさを誘う。かの宮崎の生んだ歌人・若山牧水も「白鳥は寂しからずや 空の青水のあをにも染まず漂ふ」と、似た境涯を歌に詠んだ。

 志布志には昭和5年に来訪した際に、実に46句の自由律俳句を残しているそうである。Cimg3855_2 国鉄大隅線(志布志ー国分間98キロ)は廃止になったが、志布志駅は健在。なぜならここから宮崎へ行く「JR日南線」はいまだに運行されているからである。

 駅舎入口からホームへの通路に差しかかると、何と「蛍光灯の笠にツバメが巣作り! 注意!」とあった。ツバメが安心して巣を作るくらい、列車の本数が少なく乗降客も少ないのだろう。のどかだな、山頭火なら何と詠んだだろう。Cimg3857 駅舎を抜けホームの手前まで行くと、車輪止めのある線路が二本。ホーム寄りのは現役だろうが、右手のは始発列車の引き込み線だろうか?

 鉄路を見ていると、「線路は続くよどこまでも」という歌が思い出される。ここから日本国中のどの町ともつながっている―という未来への確証というか、繋がり感(絆)が湧いてくるから不思議だ。アナログ時代にタイムスリップするのも悪くない。何かこう、安心感のあった時代だった。

 大隅半島でその安心感のようなものが断ち切られて今年で28年目。昭和62年3月13日を最後に大隅半島から鉄道が消えた。厳密に言うと、その15日後の3月28日、今度は志布志から都城(西都城駅)を走っていた志布志線も廃止になった。

 志布志駅は宮崎県都城からの志布志線と、国分から垂水・鹿屋を経由してくる大隅線とが出会う駅だった。しかも現在も動いている日南線もここが起点なので、昭和62年の3月までは国鉄の三路線がここを始発・終着とするターミナル駅だったのである。Cimg3858 乗客のターミナルであり、貨物ターミナルであり、機関車等の整備工区でもあった当時の面影は今の駅舎周辺には全く感じられないが、駅舎から南へ約300㍍下った場所に「鉄道公園」があり、そこには蒸気機関車とディーゼル車の実物が展示されている。Cimg3863 昭和14年に製造されて3機関区を走り、最後にこの機関区に配属されて昭和50年まで走っていた(昭和50年は全国で一斉に蒸気機関車は廃止になった)そうで、その後この公園が作られた時に国鉄から無償貸与されたという。Cimg3864 地元には「SL保存会」なる会があり、ボランティアで清掃などの活動をしているらしい。 Cimg3859 蒸気機関車の後ろにあるディーゼル車。ホームに模したのはどうやら「舞台」のようで、右手の芝生の周りを4,5段の半円形の観客席が取り囲んでいる。


 昭和62年、それまで大隅線は、大正4年(1915)の鹿屋ー高須間を皮切りに、延伸に次ぐ延伸で、ついに昭和47年、志布志ー国分間が全線開通。

 他方の志布志線は、大正12年(1923)、都城と末吉駅(曽於市)を皮切りに大正14年(1925)には全線開通。

 両線は同じ日に同時に廃止になったので、大隅線全線98㌔は運行年数わずか15年だが、志布志線全線38㌔は運行年数62年と大きな違いがある。

 どっちも廃止されたのは残念だが、わずか15年で廃止になった大隅線の方が余計に残念である。もっと走ってもらいたかった―そう思うのが人情というものだろう。

 せめて、乗降客の多かった志布志ー鹿屋ー垂水間は残すべきだったのではないだろうか。

 と、今さら言っても愚痴になるが、志布志の鉄道公園から、せめて旧路をたどりつつ東串良駅跡まで戻ってみた。志布志駅から東串良駅までは菱田・大隅大崎・三文字の三駅を挟み、約16キロの行程。Cimg3869 東串良町総合センターという名の文化会館横の桜街路樹通りが線路跡。向うに向かって400m位に旧東串良駅跡がある。Cimg3871 白い建物の消防会館が目印になる。残された線路と車輪だけが往時をしのぶだけ。かってここに駅舎と貨物の引き込み線や倉庫群があった。Cimg3872 東串良駅跡から線路跡はさらに西へ向かう。約400mで串良川の土手にぶつかる。Cimg3874 土手で写真を撮っていたらウォーキングの女性が来たので聞いてみる。

 ―ここから川の向う岸に鉄橋が架かっていたんですよね?

 「そうですよ。鉄橋を渡ったら、ほら、あの黒っぽい建物が見えるでしょ、あの先の、木が繁った辺りが串良駅だった。」

 廃止後は鉄橋も取り壊され、川の中の鉄橋の足場も何もかも無くなったそうである。川の流れと世の流れはとどまることを知らず、ただ夏草のみが同じ姿を毎年甦らせているのだ・・・。Cimg3845 鉄橋の上流百数十メートルに架かる「豊栄橋」から眺める串良川。

 昭和62年までは鉄橋を走るディーゼルカーのオレンジ色が、はるか向こうの肝属山地の山の青をバックに映えて一枚の絵のようだったのかもしれない。



























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