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旧国鉄大隅線⑤

 天気の良い日に行こうと待っていたが、週間天気予報を見ても晴れ間は望めず、今朝もぐずついた天気だったが思い切って国分までの大隅線の跡を訪ねることにした。Cimg4518 旧海潟温泉駅まで大隅線が延びたのが昭和36年。その後国分まで延伸されたのが昭和47年。この時晴れて志布志―国分間98,3キロが開通し、県都鹿児島市と大隅半島が鉄路で結ばれた。

 海潟温泉駅からはトンネルをくぐって牛根麓へ。「大隅麓駅」は上の辺りか、向こうにこんもりと繁るのは「居世神社」。この珍妙な名前の神社、大隅史談会の初代会長の永井彦熊先生は「伊勢神社」のことで、ここに落ち延びた安徳天皇がひそかに祀ったのだろうする。線路は神社の裏手を真っ直ぐに伸びていた。Cimg4521 麓駅から辺田駅までの間は線路跡をたどれるが、途中で左手に「道の駅たるみず」が見える。Cimg4523 旧辺田駅の少し先の鉄橋跡。ここを過ぎて右手に登って行くと小高い所に「宇喜多秀家公潜居跡」がある。以前に来たことがあるのでパス。Cimg4526 辺田で国道に下り、二川を過ぎて、牛根境へ。この町は焼酎「森伊蔵」で有名になった。

 境小学校への案内看板を右折し、小学校を過ぎて100㍍ほど上がると突き当りが旧大隅境駅だ。Cimg4528 鉄道公園になっている所は駅前駐車場(ロータリー?)で、線路と駅舎は3、4m上にあった。昭和47年に海潟温泉駅から国分駅まで延びて9つの駅が新設されたが、国分市内にあった「銅田駅」「金剛寺駅」の二駅以外はすべてこんな感じの駅ばかりであった。Cimg4530 小奇麗に維持されている旧大隅境駅跡。Cimg4532 駅舎跡から桜島方面を望む。あいにくの天気で、海と空の境さえ分からないが、天気が良ければ桜島が悠然と煙を吐いて見えただろう。

 道路の先に見える3階建ての建物が境小学校。今年、創立142周年と入り口に書いてあったが、だとすると明治6年の創立ということになる。明治5年の学制改革(発布)とほぼ時を同じくするわけだ。すごいなァ。

 ところで、ここ牛根境あたりのトンネル工事の際に、落盤事故があり6名が亡くなったそうである。昭和47年開通の国分延伸線にはトンネルが18か19あったというから、事故があって不思議ではないが、そんなにまでして延伸開通させた大隅線はこの区間でたいそうな難儀をしながら、その後わずか15年で幕を閉じてしまった。死者が浮かばれまいに・・・。Cimg4538 大廻(おおめぐり)駅を過ぎて次の駅は「大隅福山」。ここの場所が分からず地元の人に聞いたところ、「小廻駅のことネ」と言われ戸惑ったが、小廻というバス停の上の方(山手)にあるそうで、なるほど地元では大字の「小廻」のほうが通用しているのだ。

 その小廻バス停は旧福山町の3キロはありそうな長い海岸沿いの市街地の一番北寄りに位置していた。そこを右折して200㍍余り坂を上がった眺めの良い場所に駅跡はあった。Cimg4535 駅舎跡のすぐ下に広がる「福山(甕壺)酢の天日場」。ぎっしり並べられた甕壺酢は半年以上こうして寝かされて熟成させる。Cimg4533 記念公園には車両が二セット置かれている。この看板の裏には大隅線のうちの国分延伸線の建設経緯が書いてあるが、それによると、47年完成の8年前の昭和39年に着工されたとあった。古江から海潟温泉駅までの延伸完成が36年だったから、そのころすでに計画が始まっていたことになる。

 また延伸線の工期8年のうちおそらく半分かそれ以上の時間を、トンネル工事が占めていたのではないだろうか。というのは、旧志布志線だが、この線路も大隅線と同じ62年3月に廃止になったのだが、志布志―西都城間約40キロが開通したのは大正年間であるにもかかわらず、40キロをあしかけ4年(大正11年から14年)で完成させているのだ。

 国分延伸線の長さは約34キロで、大正年間に建設された志布志線より短いので、志布志線程度のトンネルしか無ければ、当然当時よりはるかに早く完成を見ることになる。せいぜい3年あれば足りただろう。

 それが8年もかかったということは、18,9もあるトンネル工事が工期を大きく延ばした最大の要因ということになる。8年を費やしてようやくできた路線がたった15年で終わろうとは「お釈迦様でも知りますめい」。Cimg4541 (敷根を過ぎて東回り自動車道の下をくぐり、そのまま国分に向かって真っすぐの道路。国分側から写す)

 大隅福山から列車は亀割峠の下をトンネルで潜り抜け、次は敷根駅だが、この駅はまったく原形をとどめず、現地の人に聞くと旧敷根小学校グラウンドの南300mほどのところにあったというのだが、パス。

 敷根を抜け、敷根小が統合されたという国分南小学校の脇を一路国分市街地へ向けて走ると、「国分南公園前」という信号のある交差点の一角に「銅田駅跡」があった。Cimg4540 銅田駅跡の鉄道記念公園。可愛らしい公園に似合う小さな「車掌車」がぽつっと置いてある。この駅は平地のど真ん中、おそらく田んぼ地帯の一角だったろう。Cimg4542 国分南小学校の脇からまっすぐのびる県道をなおも行くと、急に道がネックとなり、クランク状に県道の続きを走る。写真の辺りが国分駅の一つ手前の旧金剛寺駅があったと思しき場所。Cimg4544 なおも同じ道を行くと国分シビックセンターのある官庁街を抜け、やはりクランク状に道を取り国分駅前へ。駅前ロータリーがそれなりの駅舎風景を醸し出している。

 ※今日で旧国鉄大隅線をたどる行程は終了となるが、一応おさらいの意味で若干の歴史を箇条書きにしておきたい。

 <大隅線開業と延伸の歴史>

① 高須駅―鹿屋駅9.3キロ開通(大正4年=1915年)

② 鹿屋駅―高山駅10.2キロ開通(大正9年=1920年)

③ 高山駅―串良駅4.7キロ開通(大正10年=1921年)

④ 高須駅―古江駅6.8キロ開通(大正12年=1923年)

⑤ 志布志駅―串良駅16.8キロ(昭和10年=1935年)

⑥ ①~④は軽便鉄道仕様の線路幅762ミリ、⑤は狭軌1067ミリであったので、国有化したうえで昭和13年に1067ミリに統一し、古江から志布志まで全線開通し、大隅半島横断鉄道である「国鉄古江線」となった。

⑦ 古江駅―海潟温泉駅17.0キロ開通(昭和36年=1961年)

⑧ 海潟温泉駅―国分駅33.5キロ開通(昭和47年=1972年)

⑨ 国鉄分割民営化政策で不採算路線として認定され、昭和62年(1987年)3月13日をもって廃線となる。

 

※昭和13年に開通した大隅半島横断鉄道「古江線」だけでも残しておいたらと思うのは私だけではあるまい。

































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