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旧国鉄大隅線(2)

 昭和62年に廃止された旧国鉄大隅線(志布志ー国分間、98キロ)の跡はそこそこ残っている。先日の志布志駅から東串良駅までの続きで、串良駅から鹿屋駅までをたどってみた。

 まずは、東串良駅から串良川を挟んでわずか0,6キロしかない串良駅跡。Cimg4029 旧串良駅は公園になっており、入り口に記念碑が建っている。「大隅線のあゆみ」というタイトルが振ってあるが、最後から3行目に、「廃止にあたり国から関連事業として交付金1億3千万円余りが交付されたため、関連事業道路を建設するとともに、永い鉄道の歴史を残すためここに鉄道記念公園を建設する。平成2年3月」とあり、当時の串良町長名も刻まれている。

 廃止したらこの駅だけで関連事業費として1億3千万が交付されたのか、串良町全体の駅廃止に伴う総額が1億3千万なのかは分からないが、ともかく国から「鉄道がなくなれば自動車交通に頼るしかないので頑張りなさい」と引導を渡され、かつ、何がしかの資金が交付されたことは判る。Cimg4031 串良駅からは右の串良ー高山道路に沿うように線路は走っていた(左手の高圧線鉄塔に向かって線路が敷かれていた)。Cimg4034 下小原駅を過ぎ、肝属川を渡ると肝付町(旧高山町)で、旧高山駅の前に出る。ここまで串良駅から4,7キロ。

 この旧高山駅では、旧大隅線で唯一当時のままの駅舎が残っている。廃止後28年も経つが、さほど古びていない。今でも列車が来れば乗客が乗り降りできそうだ。Cimg4035 だが、駅舎の裏側に回ると、線路はもちろんホームの跡形もない。わずかに線路際に立っていたと思われる信号灯が往時をしのばせるのみ。Cimg4036 駅前から振り返る高山町。撮影したのは5時近くで、28年前のこの時間帯であれば、串良や鹿屋市内の高校から帰宅する高校生たちや買い物帰りの主婦たちで賑わっていたであろうが、今はご覧の通り閑散としている。Cimg4037 旧高山駅から、論地駅という不思議な名称の駅(江戸の昔に境界争いがあったのでこんな地名になったそうである)を通過して次は「吾平駅」。旧構内の一角には吾平町鉄道資料館が建つ。今は週一回しか開館しないそうで、色々な鉄道資料が展示されている。ここまで高山駅から4,2キロ。Cimg4039 資料館の奥には鉄道記念公園がある。おそらく国から串良町と同じくらいの交付金が出されて建設されたのだろう。公園の向こうに駅ホームが再現され、かって走っていたジーゼル車などが展示されている。旧大隅線で列車の実物展示は、志布志駅、旧鹿屋駅とここだけである。Cimg4041 ジーゼル車の向こうには約50㍍にわたって当時のままの線路が残されている(これだけ長く残されているのはここだけ)。Cimg4042 旧吾平駅から永野田駅、大隅川西駅を通過して旧鹿屋駅。吾平駅からここまで6,3キロ。(志布志駅からは32キロ。)この建物はかっての構内の一角に建てられた「鹿屋市鉄道記念館」。

 旧鹿屋駅は大隅半島では志布志駅と並ぶ中心的旅客駅で、垂水を経由して鹿児島市内へ行くための起点であり、かなめであった。Cimg4043 左手の市役所の位置に旧鹿屋駅舎とやや高い位置に駅ホームがあったが、平成3年におそらくは鉄道廃止による国からの交付金の活用で、6階建てのりっぱな庁舎にでんと置き換えられた。そこに駅跡を偲ばせるものは全く残っていないが、その代わりに鉄道記念館が建てられた。

 Cimg4045 鉄道記念館の裏には廃止当時走っていた「キハ40型ジーゼルカー」と保線に使う作業車が置かれている。Cimg4046 裏手の駐車場には往時の駅名板がいくつも残されて立っている。

 鹿屋市鉄道記念館は毎週月曜日と年始年末以外は入館でき、当時の鉄道資料の数々が展示されている。またNゲージの鉄道模型があり、子どもたちでも楽しめる(開館時間は9時から4時半)。


 








 












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