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星塚敬愛園夏祭り2015

 7月30日夕方から星塚敬愛園で夏祭りがあった。Cimg5134 今年は星塚敬愛園創立80周年。

 昭和10年に当地選出の衆議院議員永田良吉が「ぐらしか(気の毒な)人たちのために療養所を」と、大方の反対を押し切って誘致したのが始まりである。Cimg5138_2 7時過ぎから始まった歌謡ショー。今年は大江裕と中村美津子の二人。Cimg5140_2 北島三郎門下生で「のろま大将」という曲でヒットして歌手の仲間入りを果たした。

 本人の弁によると、祖父が鹿屋市吾平町の出身であり、3歳のころから演歌歌手になるよう言い聞かせたという。

 120キロの巨体で物腰超やわらか―というキャラはなかなか面白いが、歌の方が浮いている気がするのは僻目か。むしろ師匠のさぶちゃんの持ち歌をカバーした時の方がのびも声量もあってよかったが・・・。Cimg5144 二人目は大御所中村美律子。

 大江君とは縁があって―という話は意外だった。ともに大阪でも南部の富田林と岸和田という「お上品な」土地の出身で隣同士のようなもの。しかも、どちらも鹿児島には縁があり、大江が祖父の出身地であるなら、中村は母が鹿児島出身だそうである。Cimg5141 自身最大のヒット曲「河内おとこ節」は最後のアンコールで披露したが、その直前の「セリフ」入りの曲「壺坂情話」(おさと・沢市)が素晴らしかった。

・・・中村はこの曲に因み(盲目の沢市が壺坂寺信仰とおさとの純愛で開眼する内容)、盲導犬協会に盲導犬を今年までで合計36頭も寄付しているそうだ。偉い!

 その他、持ち歌5,6曲と美空ひばりのヒット曲3曲を舞台を下りて観客席に入り込んで歌ったのには観客も大喜びだった。

 余韻冷めやらぬうちに、花火の打ち上げが始まった。Cimg5150 9時から始まって30分ばかり、いつもより2倍から3倍の時間上がっていたが、Cimg5166Cimg5169 隣りで見ていた人と、「今年は創立80周年というので多目に上げたのでは?」「ああ、そうでしょうな」などと話したりしたが、ちょっとした町の花火大会に匹敵するほどの見応えがあった。

















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これって「○○ハラ」?

 このごろようやく天気が安定したせいか、タカサゴユリが咲き出した。

 ウメの散歩のあと、庭に出てユリの一群の写真を撮っておこうと思ったら折よくモモが待っている。散歩に出る時、モモも一緒に玄関から出て行ったが、ここにいたか。Cimg5126 そこにいるんだぞ、ユリと一緒に撮るからな―と声をかけつつ行くのだが、そんな気持ちのさらさらないモモは、Cimg5123 もうそこにはいない。でも5mくらい離れた我が家への取り付け道にうずくまっていたので、捕まえに行ったらおとなしく首根っこを掴ませた。Cimg5124 首根っこを掴んだままパチリ。下に降ろしたいが降ろした途端逃げてしまいそうなのでこのまま次のポーズ。Cimg5115 と思ってもすぐにあっち向いてホイ。Cimg5109 ほら、花をよく見んか! ―カメラのレンズが気になってねえ・・・。Cimg5118 これでどうだ! ―見えます!見えます!(坂上二郎みたいになってきた)

 けれども実は見ていない。視線は―われ関せず―と、あらぬ方を向いている。

 こういうのを「猫にタカサゴユリ」というのだろうな。

 いや、ひょっとしたら猫への「パワーハラスメント」、「モラルハラスメント」。略して「猫ハラ」か?
















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国連の「旧敵国条項」から思うこと

 テレビ朝日で「池上彰ニュース解説」の2時間特番を見ていたが、やっとまともに日独等の置かれている「旧敵国」扱いに焦点を当てた内容にめぐりあえた。

 特番の中心は戦後70年をどう考えるか、というものだが、国連設立の経緯、旧敵国条項の存在、極東国際軍事法廷(東京裁判)、ドイツの徹底した戦犯追及などを取り上げていた。

 後者から見て行く。

 東京裁判には矛盾が多く日本側弁護副団長の回顧録で「東京裁判は連合国側の日本への復讐が目的であり、正当性は無い」という点が強調されていた。これはA級戦犯に対して「平和への罪」、C級戦犯への「人道に対する罪」という新しい「罪状」を事後的に造作して裁いたことに対する法理論上の錯誤があったので、認められぬ裁判であった―というもので、今日の見解からしても正論である。

 また、ドイツのナチスへの戦犯追及は「ナチス戦犯追及センター」という組織により現在も行われており、これがよく「日本の戦犯に対する日本人自身の追及はなされていない、ドイツを見習え」という意見を生むのだが、そもそもドイツの場合はナチスが「ユダヤ人抹殺」(ホロコースト)という戦争目的が何なのか分からないような虐殺犯罪を組織的に犯したものであり、日本の戦争目的とは全く似て非なるものだ。

 日本の戦争目的は「アジア人によるアジア人の民族自立・欧米型植民地支配からの解放」が主眼で、からくも欧米の植民地支配・不平等条約から脱して、非白人諸国で初めて民族自立を成し遂げた日本の欧米による世界植民地化の動きに対するカウンターだったのである。

 ここを見なければ始まらないのだ。

 日本は敗戦により東京軍事裁判を強行されてA級戦犯25名が絞首刑または無期禁固など制裁を科されたし、B級・C級として裁かれ命を落とした者も多い。

 6年後にようやくサンフランシスコ講和により戦争状態から完全に解放されたのだが、国連に加盟してもその53条で「旧敵国」の扱いを受け、70年経った今でもそのままの状態が続いている。Cimg5066 国連憲章53条の「旧敵国」は第2次大戦中の「枢軸国」で、日独伊のほかブルガリア・ルーマニア・フィンランドなどがある。

 この「旧敵国」が再び刃向って来たら連合国同士で一緒になってやっつけよう―というのが「集団的自衛権」の本来の意味で、今の新安保で引き合いに出される集団的自衛権など、日本のような「旧敵国」には持ちえないのが国連憲章の取り決めなのだ。

 もし本当に日本が集団的自衛権を行使したいのなら、まず「敵国条項」を削除させ、アメリカとの片務的な安全保障条約も解消したうえで、正式・正当な国連の一員になる。その上で各国との「集団的自衛権」を行使しましょう―と言うのなら筋が通るのだ。Cimg5075 ところが、国連の成り立ちから言うと、国連とは第2次大戦中の「連合国」の仲間連合なのであって、旧敵国(枢軸国)は当然仲間外れなのである。安全保障理事会の常任理事国に「共産主義」でありかつ「民衆(民主)的に選ばれた指導者を持たぬ」中国・ロシア(かってはソビエト)がでんと居座っているのを見れば分かる。

 ロシア(旧ソビエト)はナチスドイツとの熾烈な戦いで多大の犠牲を払ったゆえに常任理事国。中国共産党政府は中華民国(台湾)が常任理事国から追放されて後がまに入り込んだ国で、当然、国連創設とは何の関連もない(中共成立は1949年)のに国連入りと同時に安全保障理事会の常任理事国に据えられたのは、連合国英米、特にアメリカの日本への牽制だ。

 中国政府にとって降ってわいた常任理事国入りへの「パスポート」は「日本軍国主義と戦った。酷い目に遭った」という点だけで、いまでもそれをお題目のように叫び続けないと、常任理事国入りした理由を不可解に思う国が多いからである。

 こんど「対日戦勝70周年記念式典」にロシアも招くらしいが、冗談もほどほどにしろと言いたいのは、ロシアに対してである。いくらヤルタの秘密協定で英米からそそのかされたと言っても、日ソ中立条約を平気で踏みにじり、火事場泥棒宜しく北方4島を奪い、さらに満州にいた日本人を強制連行してシベリアで働かせて6万人もの命を奪ったことに対する一言もない国である。こんな国がなぜ安全保障理事会の常任理事国にいるのか、すくなくとも日本人から見れば不可解千万である。

 いずれにせよ、中ロの常任理事国入りは英米の思惑(差し金)であったわけで、今頃になって中国が言うことを聞かなくなったとアメリカがわめいても自業自得だ。それを国際情勢のリバランスとか何とか言って日本に「中国が何かして来ても俺は動けないから、お前やれ」というアメリカの身勝手さには呆れる。

 もし万が一にも日本が中国(または他の旧連合国)を攻めたら、「あ、旧敵国が牙をむいた。連合国諸君! やっちまえ!」と束になって日本を攻撃して構わない「国連憲章上の正当な集団的自衛権」を行使する口実を与えるだけだ。

 もう日本も国連(という旧連合国組織)に見切りをつけ、国連には加盟したまま、また「旧敵国」の地位のままでいいから、「武装(専守防衛)永世中立国家」を宣言して、我が道を行くべきではないだろうか。

 昔、社会党などが強かった頃、「非武装中立」が喧伝され、「書生論だ、戸締りをしない国があるか」と反対されるのがオチであったが、今般の新安保法制をめぐる論議によって、ほとんどの日本人は「武装して個別的自衛権を行使する」ことへのアレルギーがなくなったと思う。

 憲法9条を原理的に解釈してまだ「非武装でなければならぬ」という人がいたら、余りに現実を見ない人だ。私は「加憲」派で、9条に第3項を加え、「上の目的を全うするために、個別的自衛権に基づく専守防衛に徹し、永世中立を宣言する」としたい。

 (今の安倍政権による新安保法制は日米安保を結んだ中での自称「集団的自衛権の行使」で、これではアメリカの言うがままだ。どうしてもアメリカと一緒に戦いたい人間は、アメリカに帰化するがいい。市民権を手っ取り早く取る道は志願兵になって兵役に就くことらしいから、さっさとそうしてくれたまえ。

 また、日米安保を破棄して中国に攻められたらどうする、やはりアメリカに守ってもらう方がよい―という考えも根強いが、そもそも中国が正当な理由がなく日本を攻めたら、たちまち中国元も株もは暴落し、外資は引き上げ、人民は暴動を起こすだろう。そんなことをするはずはない。それよりむしろ、とてつもない難民の数が押し寄せる方が恐ろしい。

 いや、北朝鮮が何をするか分からない。ミサイルを撃って来たらどう対処するのか―。これには迎撃するほかないが、本当に日本を狙ったとしたら、これもまた正当な理由がない以上、逆に孤立し、世界から見放され、人民の暴動・クーデターに見舞われて自滅するほかないだろう。)

 

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温泉ウォーク(吾平交流センター)

 温泉ウォーク第3弾。1回目に続いて吾平交流センター(うがやの湯)から。Cimg5052 この前は上流に向かったが、今度は下流に向かって歩いた。Cimg5026 交流センターのすぐそばの「更生橋」を渡り、左岸(下流に向かって左側)の土手道を歩いて行くと危険個所を知らせる赤い旗が立っていた。

 「あぶない! 吾平小学校PTA生活指導部」と標札が一緒に立っているので、子どもたちが危ない川遊びをしないように夏休み前に立てたのだろうと分かる。(途中で自転車でどこかへ行く小学生にと4人ほどすれ違ったが、川遊びはいなかった。)Cimg5041 県道鹿屋ー高山線に架かる姶良橋を過ぎて「吉田橋」まで3.5キロ。ここからは反対側にわたり橋の向こうに見える「井神島集落」を目指す。だが、この橋の傍に大きな石碑が立っている。Cimg5036 「姶良郷下名人配永代移者顕彰碑」というものだが、まず「姶良郷」だが「吾平郷」でないのは、もともとこちらが「姶良郷」だったのだが、江戸時代に現在の姶良市が「姶良郷」と呼ばれてしまったため、仕方なくこちらは「吾平津媛」(出典:日本書紀)の出身だということで「吾平郷」「吾平村」と名付けられて現在に至っている。

 向こうの姶良市の元は「始羅(しら)郷」だったわけで、「始(し)」という漢字と「姶(あい)」という漢字の崩し字はほとんど変わらないことから取り違えられたのだろうと言われている。また、こっちが本来の「姶良」である証拠はまさにこの川が「姶良川」なので分かる。

 話を碑文に戻すと、この中の「人配(にんぱい=にんべ)」は耕地の狭い薩摩半島から広い大隅半島へ移住(分配)すること、また「永代移者」とは移住後に定着した者ということで、薩摩藩の政策により薩摩半島の士族の二、三男を中心に当地に開拓に入ってそのまま居着いた家々を指す。

 この碑文を書いた元大隅史談会会長の故森田先生によると、延宝年間から350年にわたって陸続と移住行われたが、現在の吾平町の四軒に一軒は「人配」による移住者の後裔であろうとのことで、いかに彼らが刻苦勉励してこの地に取り組んできたかを記念する石碑ということであった。Cimg5044 橋を渡って「井神島集落」の中を抜けて行くと、神社が現れる。「宮比神社」という。井神島の村社だったという。Cimg5046 祭神は「天宇受売命」で、この神は天照大神が雨の岩戸に隠れた時に岩戸の外で裸踊りを踊って神々を笑わせ、天照大神が岩戸を少し開けて外を見ようとした瞬間に手力男命が引き出した―という「岩戸明け説話」の功労者であった。

 何でこんな所に祭られているのか説明がつかない珍しい祭神である。でも面白いことに、鹿屋には岩戸明け説話に登場する神々がいくらか祀られている場所がある。鹿屋市打馬町の「春日神社」には岩戸明けの時に祭儀に用いた真榊を準備した「アメノコヤネノミコト」が、また鹿屋市輝北町市成にはアメノコヤネと同じく真榊の準備に携わった「フトタマノミコト」を祭神とする「太玉神社」がある。

 さらに面白いことには、アメノウズメが嫁いだ国つ神「サルタヒコ」は鹿屋市浜田町の「玖玉神社」に祭られており、岩戸明けから天孫降臨までの舞台はここではなかったかと、やや強引ながら付会させることも可能である。Cimg5048 宮比神社のある小高い岡は中世の吾平郷豪族「末次氏」の作った「末次城」(別名:井上城)のあった岡(比高は10~15㍍、長さ200㍍くらい)で、宮比神社をその西端とすると、東端近くには「法音山清源寺」という寺があり、御多聞に漏れず明治維新の廃仏毀釈で破壊され、今はいくつかの住職の墓と石造仏が残るだけだ。おばさんが一人でせっせと草を取っていた。Cimg5051 井神島集落から再び姶良川の土手を、今度は右岸沿いに戻って行く。途中で見える二つの小丘。手前のは高さ7~8mで幅は25mくらい、上には石の祠があり、円墳のようである。

 はるか向こうのは長さ100mはありそうな、これも古墳臭いが調べるのは後で。(かって行ったことがあるが、樹木が旺盛に繁っていて取りつく島が無かった。)Cimg5049 この辺りの水田の状態。もう穂が垂れ始めている。日照不足が心配だったが、果たして実の入りはどうだろうか。あと2週間もすれば見事な黄金色になろう。

 ※往復7.5キロ。 所要時間 1時間30分。



















 

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未明の地震で目が覚める

 夜中にコトコトという刺激音にふと目が覚め、あれ、と思う間もなく横揺れが始まった。その時点で地震と分かったが、最初のコトコトは縦揺れであった。

 まださほど揺れてもいない縦揺れの段階で目が覚めるのは初めてだ。といってもそもそも地震で目を覚ますことは滅多にないことで、大隅鹿屋に住んで12年になるが、2回あっただろうか―と記憶をやっとたぐるくらいだ。Cimg5012 10時頃にNHKデータ情報を見ると、地震の起きたのは2時半ごろで鹿屋は震度3であった。Cimg5013 震源は大隅半島東方沖で深さ40キロ、規模はマグニチュード4.6ということである。

 意外だったのが震源が日向灘沖(宮崎県沖)でなかったことで、大隅半島のこれくらい以上の規模の地震のほとんどは日向灘沖を震源としてきた。

 今から5年前だったか6年前だったか、鹿屋では珍しく震度4強くらいのがあったが、震源はやはり日向灘であった。

 ひと月ほど前の奄美近海の地震で、奄美市では震度4が観測されたことがあり、このところ南九州はやや地震が多くなっているが、肝心の日向灘沖を震源とする地震はこのところ鳴りを潜めている。

 ところで南九州で梅雨が明けたが、その梅雨明けをもたらした台風11号、強さは大したことはないが四国に上陸後も速度が遅いため各地に大雨を降らせた。普通は陸に上がると台風は急に速度を増してあっという間に通り過ぎて行くのだが・・・。

 兵庫県を中心に死者5名ほどが出ており、かねてなら降雨量の少ない瀬戸内式気候の常識を覆えした。ニュースにあったが、兵庫県三木市では24時間雨量が278ミリとかで、一日で年間雨量の20パーセントくらい降ってしまった。

 鹿児島では昔から梅雨末期には豪雨が降り、「人がけ死まんと、梅雨(なげし)が上がらん」ということわざで梅雨明け間際の洪水やがけ崩れ対策を促していたのだが、ここ5,6年前からそのことわざが空振りし、鹿児島以北の地域に適用されることが多くなったようだ。

 今回もまさにそれで、高崖の圧倒的に多い南九州シラス台地に住む住民としては有り難い、いや気の毒(!?)―という複雑な気持ちでテレビ情報を見ている。

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南九州梅雨明け宣言

 南九州の梅雨明けが宣言された。去年より1日、平年より3日遅いという。

 まあ、おおむね平年並みということだが降り続いた雨の量が半端ではなかった。鹿児島の南半分がとくに多く、最高の鹿屋市吉ケ別府が約2050ミリと2mを超えた。鹿児島市でも1600ミリと、平年の3倍になったという。

 大相撲名古屋場所を見ながらくつろいでいると、近所で刈り払い機のエンジン音が聞こえてきた。庭に出て西の方を見ると、Cimg4995 向こうのハウスの近くでたしかに草を刈っている。Cimg4996 刈り主は女性である。空気が乾燥して来ているせいかエンジン音が軽やかだ。Cimg4990 さっさ、さっさとよどみなく草を刈って行く。

 そこで一句 

  <梅雨明けや 女(おみな)軽々 草を刈る>

 10分ほどで数十メートルを刈り上げ、颯爽と軽トラに乗り込み帰って行った。

 家の中に戻り、6時のNHKニュースを見ていたら、「安倍首相が新国立競技場の建設を白紙に戻すことを決定した」といううれしい知らせ。Cimg5003 当然だろう。国民の80パーセントが反対しているのだ。強行すれば支持率が過去最低になった(不支持が上回った)安倍政権の存続が危うくなる。そうなったら、大好きなアメリカへの「口約」である新安全保障関連法案の参院審議の紛糾で一悶着があり、成立したとしてもアメリカは渋い顔をするだろう。Cimg5008 どうやらこの森乱(蘭)丸爺さんも、しぶしぶ安倍首相の白紙撤回案に同意したらしい。「夢を描いていた」のだろうが、せっかくキールアーチ案を採用して実現したとしても、2019年に自民党政権でなくなっていたら爺さんの出番はなくなり、元も子もないだろう。Cimg5010 <新国立競技場建設を考え直す会>(正式名を失念!)に出席し、涙ながらに「あんなに巨額の競技場を造り、いわゆる箱モノになってしまったら、アスリートに対して批判が出るに違いなく、負の要素を背負うことにならないか」(要旨)と訴えていた有森裕子が「白紙撤回」後のインタビューに答えていたが、「夢にあふれていい汗に彩られていくような競技場として、後世に伝えて行けるように…」(要旨)と述べていた。森爺さんの夢と何と大きな違いのあることよ。

 つまり、金ばかりかけて、一義的な存在であるアスリートを二の次にしたようなオリンピックでは意味がない―と言っているのだ。大賛成だ。しかし最近思うのだが、スポーツ選手のコメントにはハッとさせられるものが多い。この有森裕子のコメントはすでに「詩」ではないか。

 涙を流す女人は数多いるが、トップアスリートであった女人の涙は真実味に溢れており、それが二人の首相を動かした―と言ってもいいかもしれない。












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旧国鉄志布志線

 昭和62(1987)年3月に大隅半島を走っていた旧国鉄の二つの路線が廃止になった。

 先月は5回にわたって旧国鉄大隅線(33駅・98.3km)の跡を概観した。雨の日が多くて困ったが、観察不足は多々ありながら何とか回ったのだが、今回は旧国鉄志布志線(10駅・38.6km)の跡を調べてみた。

 旧国鉄志布志線の歴史を概略すると次のようである。

① 大正12年(1923) 都城-西都城-今町-末吉(10.8km)開通

② 同 13年(1924) 末吉-岩川-大隅松山(13.3km)開通

③ 同 14年(1925) 大隅松山-伊崎田-安楽-志布志(17.0km)

 ※昭和7年(1932) 都城駅・西都城駅間が日豊本線に繰り入れら  れ、西都城-志布志間のみが志布志線とされて、距離が2.5km減少し38.6kmとなる。

 ※昭和9年(1934) 末吉駅と岩川駅の間に岩北駅を新設。

 ※昭和35年(1960) 安楽駅と志布志駅の間に中安楽駅を新設。

 以上の新設された二駅を含め、昭和62年の廃止時点で駅の数は現役の西都城駅と志布志駅を含め10駅。

 軌間(線路幅)は開設当初から狭軌の1067ミリであった。この点が大隅線と大きく違うところで、大隅線(旧古江線)の方は開設こそ大正4年(1915)と8年早かったものの、軌間は762ミリの軽便鉄道で、全線が狭軌に統一されたのは昭和13年であった。

 7月16日の午後、天気がよかったので一回で巡ることができた。

西都城駅Cimg4980 駅前ロータリーが広々としており、駅舎は風格がある。

今町駅跡Cimg4977 よく手入れされた公園になっていた。Cimg4979 C1246という蒸気機関車が保存されている。旧国鉄山野線でも活躍したとか。昭和50年に現役引退、余生をここで過ごしている。

末吉駅跡Cimg4976 旧線路から鉄道資料館を見る。Cimg4975 資料館庭(旧駅前ロータリー)にはポイント切り替え器と線路、車輪などが残る。

岩北駅跡Cimg4973 岩北郵便局の国道269を挟んだ向かい側、線路跡はサイクリングロードだ。

岩川駅跡Cimg4971 岩川は大隅町の中心地で、志布志線ではもっとも利用客の多かった駅ではないかと思われるのに、駅跡を記念する物はない。前川に架かる日の出橋から線路跡を望むと、はるか向こうの茶色の鉄筋ビル(合同庁舎)の場所が駅跡と教えられた。Cimg4970 日の出橋のすぐ横に貨物車が2両あり、かろうじて鉄路在りし日を偲ばせている。

大隅松山駅跡Cimg4965 左手にプラットホームが残る。ホームにせり出している樹木の下に駅名板があることはあるが、新しいので当時のものではなさそうだ。Cimg4963 ホームの横に赤御影石で造られた立派な「大隅松山駅跡」の碑が建つ。手前の車輪は芸術作品と見まごう出来だ。

伊崎田駅跡Cimg4960 当時のままの駅舎が残る。時刻表や手荷物料金表などが往時を偲ばせる。Cimg4962 ただかってのホーム跡は草に覆われている。駅名板ももう字も読めない。伊崎田駅は不思議なことに小中学校のある伊崎田の中心地区から1キロ以上も離れた辺鄙な場所にある(現在駅の周辺には3軒の家があるだけ)。次の安楽駅も同じで、その理由は不明だ。

安楽駅跡Cimg4982 プラットホームの一部が残るだけで、人家もない。ただ向こう(伊崎田側)に比較的新しい肉の加工会社(?)がある。

 伊崎田中心地から志布志に通じる県道を南下して来て安楽川に架かる「水迫橋」の近くという見当は付けて来たのだが、分からず、幸いにも通りかかった畑に男性がいたので尋ねてみて判明した。水迫橋を渡る直前に右手にユーターン気味に鋭角に入る道があり、そこを150mほど行くと上の加工会社に行き当たる。

 

中安楽駅跡Cimg4983 安楽小学校の裏手にある。線路跡は車道で志布志駅まで通じている。Cimg4985_2 中安楽から約1.5キロ、国道220号を跨ぐのが「稚児松跨線橋」の跡で現在は「跨道橋」となっている。ここまで来ると、志布志駅まで残り1.5キロほどだ。

志布志駅Cimg4987 終着の志布志駅。現在は日南線のみが発着している。

 旧志布志駅は写真を写している交差点よりまだ西側(手前)に広々と展開していた。

 昭和62(1987)年3月28日、この日志布志駅に西都城からの最終便が到着し、それを以て大隅半島から鉄道は消えた。











































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親方星条旗

 Cimg4934(画像はNHK1時の特番より)
 昨日ついに衆院の特別委員会で安全保障関連法案が一括して採決され自民・公明両党の賛成多数で通過し、今日の衆院本会議でも賛成多数で採択された。Cimg4952 午後2時過ぎ、採決に入り、自民公明両党の圧倒的多数で通過した。

 与党が招致した憲法学者でさえ3人のうち2人が「違憲だ」と発言し、同じく歴代の元法制局長官(行政府における法のエキスパート)も集団的自衛権について、「これまでのどの自民党内閣でも、憲法に馴染まないとして見送って来た」として安倍内閣のやり方に疑義を述べている。

 世論調査ではどのメディアも7,8割が説明が不十分だと考え、賛成か反対かと訊けば、賛成が約25パーセント、反対が60パーセントほどもあるのである。

 こんな中で、昨日は安倍首相自身さえ「説明が不十分で国民理解に達してない」と認めつつ、そんなことは織り込み済みだとばかり、強行採決で通してしまった。

 同じことは新国立競技場建設の建設費をめぐる論争にも当てはまり、「私も高いなとは思っているんですよ、でも決めたのは前の民主党政権時代ですからね。これからまたやり直すというとオリンピックに間に合わなくなるんで、しょうがない」という(こっちの方は国民の反対の割合は8割もあり、前年にラグビーのワールドカップをどうしても新国立で―と意地を通そうとするあの森乱(蘭)丸爺さんさえ押さえ込めば改善の余地あり)。

 どちらにも感じるのは安倍首相という人の八方美人的なパフォーマンス的発言である。パフォーマンスと言えば思い出すのが、4月29日のアメリカ両院合同会における安倍演説だ。

 あの冒頭で叔父に当たる岸元首相のアメリカ議会での演説(1957年)を引き合いに出したのだが、岸元首相は「自由と民主主義において提携できる大国がアメリカだ」(要旨)といって持ち上げた。安倍首相は「欧米の国々の陣営に属したことは本当に良かった」と言って持ち上げた。

 だが、アメリカはそんな岸元首相を裏切るように、1971年に国連に加盟した中国共産党政府を認め、安保理常任理事国であった台湾(中華民国)を斬り捨て、こともあろうに「自由も民主主義もない中国共産党政府」を安保理常任理事国に据えてしまったのである。中国共産党政府では今日でさえ真の自由と民主主義はない。アメリカは口を開けば「自由だ、民主主義だ。これの無い国は国家に値しない」というような正義感溢れた国家のはずであったが、それを平然とやぶったままだ。

 読者はもう気付いていると思うが、アメリカは反日(と言うと少しオーバーだが)であれば中国のような共産党政府だろうが、旧ソ連のような社会主義国であろうが安保理のトップ5か国に据えても構わないと思っているのだ。何しろ国連憲章で日本は(ドイツや他の旧枢軸国も)「敵国」なのだから…(国連憲章第53条)。憎っくき旧敵が二度とふたたび旧連合国に対して刃を向けぬように、また万が一牙を剥いたら一緒になってやっつけましょうというのが国連憲章における「集団的自衛権」の本旨なのだから(国連憲章第51条=この条文での国連加盟国は旧連合国が主体の原加盟国で、日本はまだ加盟していなかった)…。

 今回の自民党の主張する集団的自衛権は、あくまでも日米安全保障条約を土台としての集団的自衛権であり、「わが国と密接な関係にある他国への攻撃が我が国の存立危機につながる時に発動する」としているその「他国」とはアメリカなのである。

 去年、安倍首相が集団的自衛権による自衛隊発動対象事態として図で示しながら、「もし邦人が滞在している国で暴動やテロが起こり、邦人をアメリカの艦船が輸送して我が国に向かっているときに攻撃を受けたら、自衛隊艦船が急行して反撃する―こういった事態です」と、「アメリカの」と限定していたことでも分かる。

 今年になってからの首相発言で「アメリカの」という形容が無くなっているのに気付いたが、おそらくそれを使うといかにも<アメリカの要請で新安全保障論が日程に上ったのだな>ということが丸見えになってしまうので、ことさら「アメリカの」を避けたのだろう。私だけでなく国民もその辺りを薄々気付いたのか、「説明不足、不十分」と感じている。

 おそらく今日の法案通過後に首相は、「実はアメリカの要請だったんです。圧力がありました」などとヘイチャラで口にするのではないだろうか。アメリカの特使とも言ってもいい行天○○氏も、昨年来「アメリカは中国が何かしてきてももう助けない」とか「中東の石油問題を巡ってアメリカや欧米諸国が血を流してくれているのに、日本が何もしないでいいのか」などと、アメリカ政府の代弁をしていることからも明らかだ。

 しかし中国に関しては、上で述べたようにそもそも自由でも民主でもない共産党政府を安全保障理事会の常任理事国に据え、ニクソンーキッシンジャー時代に国家承認を与えて経済至上主義(今や拝金主義に移行しているが)を植え付けてここまでのさばらせたのはアメリカ自身ではないか。南沙諸島やチベット、新疆ウィグル、内蒙古を速やかに返還させるべく交渉の表舞台に立つべきなのが「正義感溢れる」アメリカではないのか。

 そんなことをしようものなら中国が「じゃあ、アメリカ国債を売りはらうぞ」(ドルの大暴落だ)と脅してくるので、手が出せないのがアメリカの現状だから、そこを見越して南沙諸島の軍事基地化を推し進めている。結局アメリカは中国に対して手も足も出せないので、「日本、お前がやれ、お前自身の問題じゃないか」とばかり、けしかけて来ている。もし日中が衝突すれば、日本円も中国元も急落し、当然ながら相対的に安全なアメリカドルは値上がりし、アメリカの巨大な対外貿易の赤字は激減し、関係ファンドは大儲けをする。

 こんな国と付き合って血を流すなんて真っ平御免だ。また、アメリカでは銃による殺人事件で毎年8000人ほどが死に、警官による容疑者殺害も1000人に上ると最近知った。年間の米兵戦死者をはるかに上回る数だ。何とも言いようのない怖い国だ。

 血を流すと言えば、中東問題だが、中東で日本に関係があるのは石油資源の最大の供給地であるということだけだ。イスラエルとかイランなどの歴史的な政治上の問題は英米の未処理事案なので、日本とは関係ない。総じて中東諸国は日本に好意的だ(英米と戦ってくれたし、石油代金もちゃんと払ってくれる)。

 もし中東で紛争が起き、石油の供給に大きな影響が出るあるいは極端に値上がりするという場合でも、このことと軍隊の出動とは直接の関係はなく、経済合理的に解決して行けばよい。そのための「国連安保理」ではないか。日本は53条で敵国条項国であるとはいえ、国連に遅滞なく応分の負担金を払い続けているのだ。アメリカが、戦うから軍隊出せ、とか何と言おうと、「そういうことは国連安保理で解決してくれ」、と突っぱねればよい。

 イラク戦争(第一次湾岸戦争)の時、日本は金だけ出して血を流さなかった―として評価されなかったのがトラウマになり、以後、20年かかって今日の憲法無視の新安全保障法案に結び付いたのだが、仮に日本がいくら血を流しても「まだ足りない」と言われるのがオチだ。あるいは「もっと血を流したら、敵国条項を削除してやる」、とか「安保理常任理事国に推薦してやる」と甘言を弄してくるかもしれないが、それはリップサービスに過ぎない。

 英米仏中ソの常任理事国はすべて日本を旧敵国とするがゆえに常任理事国なのであり、中国がことさら日本の「軍国主義」と「靖国問題」をネタにいつまでも反日的侮言を続けているのは、そうしないと中国共産党政府が自由でも民主主義でもないのに常任理事国のポストにいる存在理由を問われたとき、何と答えたらよいか分からないからである。聞き流した方がよい。

 日本が応分の血を流し、仮に敵国条項国ではなくなっても以上のような現国連設立の由来からすれば、日本の常任理事国入りは有り得ない。アメリカも、今の片務的なアメリカにとって都合のよい日米同盟が永遠に続くべく、常任理事国入りを歓迎しないはずだ。常任理事国が特定の二国間軍事同盟を結ぶなんてことはないからだ。もっともその前に中国とロシアが拒否権を発動してくるだろうが…。

 今度の「安全保障関連法案」は日米安保が土台として存在している以上、対米従属をより一層強める結果となることは間違いない。

 安倍首相が2年半前に「日本を取り戻す」とポスターに掲げて選挙に臨んだ時は、私を含め多くの人は「対米従属から離れ、日本は日本独自の行き方に舵を切る」というふうに思ったのではないか。

しかしそうではなく、ふたを開けてみれば、「日本の政権を民主党から取戻し、懸案であった九条の変更と集団的自衛権の発動による紛争地での後方支援を切れ目なくできるようにしてアメリカに加勢する」ことで、そのための九条の変更には大変な時間と説得が必要だから、手っ取り早くまずは「解釈改憲」を施し、続いて4月29日の米両院合同議会演説の「7月に議会決定するという口約」(公約ではない)をいかなる反対があろうとも推し進める―と、こういうことだったのだ。

 国民の支持が得られなくても強行するというやり方はまさに岸元首相の時とそっくり。親方がアメリカ、つまりは親方星条旗だ。オバマの後任の大統領がジョージ・ブッシュの親戚でないことを祈るばかりである。

 

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昼なのに夕立?

 午後2時15分くらい前だった。手帳にメモを取っていると、パラパラという雨粒の音。

―にわか雨か通り雨だろう。まだまだ梅雨は明けんナ。

 書く手を休めて、そんなことを思っているうちに次第に風が出て来たのに気付き、ベランダに干しておいた洗濯物が気になった。

 行くと、屋根があるから問題ないと思ったものの、風まじりの大粒の雨になって来たので跳ね返りで濡れてもつまらない―と取り込むことにした。

 取り込む途中、あっという間にザアザア降りになり、取り込み終わって少しの間様子を見ていた。Cimg4907 たちまち篠突く雨に変化して行ったが、不思議なことにこれだけの降りでしかも東風がかなり吹き始めているのに、雷が鳴らない。空を見上げれば間違いなく真っ黒な雲である。Cimg4911 玄関に出て南から西の方面を見ると、向こうは(3,4キロ先は)晴れて青空だ。

 はて、東風に乗って黒雲がそっちへ移動して行くはずなのだが?

 そこで思い切って傘を差し、豪雨の中、庭の向こうへ行ってみた。Cimg4913 すると真西の方角も完全に晴れており、はるか先には入道雲の子供らしいのが発生している。

 ここで15分ほど見守っていたが、手前の我が家を覆っている黒雲は一向に西の方へ移動しない。相変わらず我が家周辺だけが降っているのだ。Cimg4918_2 真南に目を移すと、黒い雨雲は1キロほど南に向かって「湿舌状」に伸びて、そこまでの範囲に雨を降らしているようだ。そして梃子でも(東風が吹いても)その場から動こうとしないのである。嫌な雲め!(乾天の時には頼みたいぜ)Cimg4923 さらに10分くらいしてようやく雨が最初のポツポツ程度に収まって来た。真上を見上げると黒雲の間に青空が見え始めている。Cimg4924 東の方角はすっかり青空に戻った。Cimg4926 西の方面は何事もなかったかのよう。まさにどこ吹く風で、雨降り以前のままの青空が・・・。

 「夏の夕立は馬の背を分ける」(馬の背の向こうは降り、こっち側は降らない。今時の言葉で言えばピンポイントな降り方)というが、こういうのは初めてだったような気がする。長生きしていると面白い現象に出くわすものだ。



















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ぼったくりオリンピック

 今朝8時からの読売テレビを見ていて呆れたのは自分だけではあるまい。

 東京オリンピックのメーンスタジアム「新国立競技場」建設費をめぐる一連の不可解な動き、具体的に言えば建設費の上乗せ問題に関してである。Cimg4861 2013年の国際デザインコンペでは、日本の提示額は1300億円であった。そしてその範囲内の額で決まったのが、イラク出身でイギリス在住の建築家の二本の巨大な鉄のアーチで屋根を支えるものであった。

 ところが、いざ建設設計に取り掛かるとすぐに325億円の増額が必要となった。巨大な鉄のアーチの製作及びそれを取り付ける手順が思いのほか複雑で手間がかかる―というのが理由だった。Cimg4862 昨日の最後の有識者会議で建設費2520億円が正式に決定されたわけだが、その内訳が示された。

 屋根の部分だけで950億円、そしてスタンド(内装を含む)が1570億円。しかもこれには当初設置するとしていた開閉式屋根の建設費は除外されている。これについてはオリンピック終了後に取り付けるそうだが、260億円。

 2020年東京オリンピック開催のために開会・閉会式を含む陸上のメイン競技を行うためだけに、2500億円もの巨費を投じ、大会後の維持運営はどうするのかについての見通しは「一年を通じて何か巨大なイベントでもやれば・・・」くらいの判断のようである。Cimg4866 工事費負担で目途が立っているのは国費の392億円、スポーツ振興基金の125億円、2年間のスポーツTOTOによる益金109億円のわずか626億円だそうだ。このくらいの範囲で造ればいいのに・・・。残り1900億円はどうなるのか…。そのうちの700億円は目途すら立っていないというのだ…。

 恐ろしいドンブリ勘定!!である。

 橋下大阪市長(維新の党代表)によると、「借金で首の回らない家族がフェラーリの新車を買うようなアホな競技場建設」と揶揄していたが、その通りだ。

 有名なアスリートも次々に建設反対を表明している。マラソン銀メダリストの有森裕子は、「負の要素がわれわれアスリートに向けられそう」と言い、スピードスケートの金メダリスト清水宏康も、「いったい誰のための新競技場建設なのか? 競技とそれを行うアスリートのためであって欲しい」と、行政主導の見栄張り建設に苦言を呈している。

 興味深いのはラグビー元日本代表の平尾選手のツィッターでの発言―「あんな立派なのじゃなくても十分やれる」。なぜラグビー選手が出て来たかというと、実は新競技場の杮(こけら)落しにオリンピックの前年(2019年)にラグビーのワールドカップが日本で開催され、そこがスタジアムになるというのだ。

 そこで、ははあ、と納得した。ラグビーの全日本競技協会会長は今度の東京オリンピック誘致に大きな力を発揮した森元首相で、自身も早稲田のラグビー出身なのである。

 そうか、黒幕に森首相がいたか・・・。黒幕というにはちと世間に顔を出し過ぎだが、花園ラグビー場で十分なのに、老いの一徹で何としてでも世界最高の競技場でやらせたかったか・・・。どうせ自分の懐が痛むわけではないし、死に花のつもりかもしれない。

 ロンドンオリンピックのメーンスタジアム建設費の6倍という超高額建設費で潤うのは建築家と建設業(ゼネコン)だ。元請け・下請け・孫請け・・・と資金が還流する。本社は東京か大阪などの大都市だから、残念ながら地方には回って来ない。放送権料やらで稼げるのもNHKや東京の放送局だ。

 いっそ、今度のオリンピックは一度チャラにして(ただしデザイン料は違約金として払わねばならないだろう)、東京&地方創生オリンピックに仕切り直せばよい。

 開会式・閉会式を行う施設と選手村は東京を、競技場は「東京と新幹線でつながっている地方都市」を使う。

 東北は福島・仙台、信越は新潟・長野・金沢、東海道は名古屋・京都・大阪、山陽は岡山・広島・福岡など新幹線で通える地方都市に各競技場を分担して改築か新築かで確保。それぞれ数百億の資金を国が提供して工事させれば、せいぜい二年くらいで完成するだろう。

 落ちる建設費もだが、国際レベルの選手への応援によって地方に最高の「活性化」が期待でき、その後も国内・国際競技の継続的な開催が可能になろう。また、首都直下型地震への対応策としても上質ではないか。

 今度のオリンピックの誘致で積極的に使われた言葉「おもてなし」。

 外国人選手団や役員たちへの「おもてなし」が、巨額の費用をかけ、まるで東京一極集中を絵にかいたような見栄っ張りな巨大なスタジアムと巨大地震(建設を巡ってすでに大揺れに揺れたが)―であってはなるまい。



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温泉ウォーク(高山温泉ドーム)

 先週は吾平温泉(うがやの湯)周辺を歩いたが、今回は高山温泉(やぶさめの湯)の駐輪場にミニバイクを置いて歩いてみた。

 行く先:最近話題のかねてより年代が遡ることが確実になった「塚崎古墳群」まで歩くことにした。ほぼ東へのルートである。Cimg4831_2 温泉から2キロ弱、約30分で「花牟礼池」。ここは花牟礼地区の潅漑用ため池だ。

 この池の手前の交差点近くの雑木林の中でクサギの紫色の花の蜜を吸う黒揚羽蝶を目撃。Cimg4830_2 花も蝶も大きいので見応えがする。Cimg4835_2 花牟礼池から花牟礼集落の中を通り約600mほどで「塚崎古墳群第39号墳」(通称:花牟礼古墳)という「日本最南端の前方後円墳に着く。標柱の後ろが後円(被葬者が眠っている)部である。Cimg4838_2 その後円部の頂から前方部を望む。前方部がかなり低く造成されているので、古式古墳に属し4世紀代の築造とされる。墳長は67m、後円部の高さは9mもある。Cimg4843_2 塚崎古墳群1号墳は世にも珍しく、大楠が円墳をすっぽりと覆ってしまっている。これを「大塚神社」として祭っている。古墳の主を祭神とするのか、大楠を祭神とするのかは不明だが、どちらにしても大楠の迫力には驚かされる。Cimg4846 反対側から見た大楠。樹齢は1300年と書いてあるが、もっとありそうだ。

 大隅地域では樹齢1600年を数えるという蒲生神社の大楠、それに志布志市安楽山宮神社の大楠が有名だが、樹齢では蒲生の大楠、樹形では山宮神社の大楠であろう。ここの大楠は縄文のエネルギーと称する人もいるくらい神秘性がある。Cimg4851 県道波見・高山線が塚崎台地から下(波見方面)の田んぼ地帯へ下りる左手には11号墳がある。Cimg4853 後円部には雑木が相当生えており、築造当時は樹木など無いからこの前方後円墳は下場の田んぼ地帯からよく見えていたようだ。Cimg4858 塚崎台地の東側辺縁に築造された「塚崎古墳群第11号墳」の全景。墳長は56m。後円部の高さ5m。

 形が県道を挟んだ所にある10号墳(墳長40m)とうり二つだそうで、西都原古墳群で最も東に位置し、下場の田園地帯から望まれる台地辺縁に築造された古墳群に似ており、西都原の築造年代は3世紀代に遡るので、この10号、11号もその時代まで遡ってもおかしくない―と言われるようになった。

 そうなると「前方後円墳は畿内から伝播し、当地の豪族が取り入れたもの」という定説は書き換えられなくてはなるまい。

 帰りもほぼ同じ道を歩き、7キロ、所要時間1時間40分のウォーキングであった。






















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梅雨の晴れ間

 昨日の午後からは雨もやみ、夜が明けた今朝、ウメを散歩に連れて出た時間帯こそ時雨模様の雨が降ったが、その後はカラッと晴れ上がり、およそ1ヶ月ぶりの燦燦たる太陽を拝むことができた。

 気持ちがいいので昼食をとりに海岸通りに出た。Cimg4814 浜田海水浴場の南側からは桜島が遠望できた。ところが高隈連山はすっぽり雲に覆われている。Cimg4815 高隈山の頂きには今年初めての入道雲が見えている。このまま梅雨明けとなればいいのだが・・・。Cimg4800 立ち寄ったレストランからは根占方面の海岸線が手に取るように眺められる。Cimg4807 左は南大隅町(旧根占町)の岬、右手には対岸の指宿市山川町の突端が見える。その間の海峡(鹿児島湾口)を出れば三島・種子・屋久から奄美・沖縄方面への南海航路となる。

 それにしても空が青い。










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京都が世界一魅力的な都市に

 昼のNHKニュースで、著名な観光旅行雑誌において京都市が「世界一魅力的な都市」に二年連続で選ばれた―とあった。Cimg4786 (画像は午後1時のNHKニュースから)Cimg4788 アメリカの「トラベル&レジャー」という雑誌が毎年世界中の観光都市を対象に選定するそうだが、去年に続き今年も京都が選ばれたという。Cimg4789 京都と言えばお馴染みの東寺などを嵌め込んだ写真が流布しているが、今回の選定理由(去年もそうだったかもしれない)は、Cimg4791 京都御所など皇室の歴史が残り、寺院や神社など2000カ所以上も散在している―ことなどが挙げられているらしい。Cimg4793 観光庁長官も、Cimg4798 京都市長も当然喜びを語っているのだが、忘れてはならないことは上の選定理由に挙げられた「京都御所など皇室の歴史」である。

 京都は承知の通り「平安京」であり、その発展の歴史は天皇の御所の存在とともにあるのであって、賀茂神社系の下鴨神社(賀茂御祖神社)、上賀茂神社および松尾大社以外の神社仏閣はすべて御所、つまり平安京が生まれてからあとの造作でしかない。

 であるから、京都御所が単なるかっての歴史の史跡(文化財)であってはならず、今もなお天皇の「京都における御所」であることに価値がある。

 外国人旅行者が御所に来て、昔のまま大切に保存されているという説明を受けた際に、「なぜ天皇は今ここに住まないのか?」と訊いて来たら何と答えるべきだろうか。『今は東京の皇居にお住まいだから・・・』では納得しないだろう。

 そうなのだ、京都は天皇がお住まいになってこその京都なのである。世界で200ある国々の中で、一カ所の都に1100年近く住み続けた国家元首は天皇だけである。今は明治維新政府が徳川政権を滅ぼした象徴として江戸城を皇居にしているが、元来は京都におられるべきなのが天皇なのである。

 今からでも遅くないから天皇に京都御所へ還っていただいて(これを「還幸」という)、名実ともに京都を日本の顔にしたいものだ。京都観光の外国人も「これぞ日本だ。城に住まない君主なんて日本だけだ。素晴らしい伝統だ」と一層感激するに違いない。

 5年後の東京オリンピックで新国立競技場とやらに2500億円(オプションを入れると3000億!!)も使うそうだが、首都直下型地震がタイムテーブルに載っているというのに呆れるほど豪勢な話である。その半分でもいいから、「還幸」という首都分散化事業に費やしてもらいたいものだ。









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雨中に草刈る媼、釣りする翁

 今日で梅雨入り後34日、うち晴れたのが二日、曇りも二日、あとの30日は雨が降るという記録的な梅雨。6月の月間雨量は当地鹿屋で1400ミリ、肝属川上流の雨量観測点「吉ケ別府」では1600ミリを超えた。平年の3倍ほどで年間雨量の半分にもなった。

 それでも今のところ避難騒ぎも崖崩れもほとんど聞いていないから、災害に強い街づくりが完成の域に達しているのだろう。ただあと梅雨末期の豪雨と台風の接近が心配なだけだ。

 平成5年、鹿児島市内方面で<8・6水害>が発生した22年前の梅雨も似たような天気だったが、あの時は梅雨明け宣言を出すことができず、7月末から8月に三つの台風が接近するか上陸したあと、9月2日から3日にかけて襲来した台風13号は前代未聞の強さで(上陸時で910hPa)、薩摩半島南岸に上陸したあと錦江湾を横断して大隅半島に再上陸。

 勢力はほとんど衰えぬまま通り過ぎて行ったが、大隅半島に残した爪痕は大きく、鹿屋市串良方面では高圧線の鉄塔がなぎ倒され、ビニールハウスの鉄パイプがひしゃげ、家々の屋根という屋根からは瓦が吹き飛ばされた(私達一家がその頃暮らしていた肝属郡旧田代町では役場屋上に設置されていた風速計が75mまで指し示したあと吹きちぎれてしまった、とあとで聞いた)。

 被害が大きかったにもかかわらず、死者は皆無に近かったのは特筆されるべきだが、停電が2週間ばかり続き、屋根を葺き替える瓦不足には泣かされ、12月頃まで掛かってようやく修繕が済んだ所もあった。瓦を待っている間、屋根にはブルーシートが被せられ、高台から眺める集落はまるで「難民キャンプ」のように見えたものだ。

 あんな目にはもう遭いたくないが、今年はどうも平成5年の再来のように思われ、準備おさおさ怠りなくしておいた方がよさそうだ。

 それはそうと、雨に降りこめられてろくに運動ができないでいるが、室内何とかと云うような器械もないし、どうしようかと思っていたところ、現在週に二回ほどのペースで通っている温泉(といっても大隅半島のこのあたりではほとんどが沸かし湯だが)をベースにしてその近辺を1,2時間歩いたあと、温泉に浸かるというのはどうか―とのアイデアが浮かんだ。

 これならただ温泉に入るだけではなく、その前に運動をして汗をかくわけだから一石二鳥ではないか。

 というわけで本日からさっそく実行に取りかかった。

 いつもよく入りに行く温泉は「吾平温泉センター」「高山温泉ドーム」の二ヶ所だが、今日は近い方の吾平温泉へ。 雨だろうが、晴れだろうがミニバイクで温泉の駐車場へ入れて置き、そこから歩き出すことにした。

 雨が降っているので、雨具の上下を着込んでミニバイクで吾平温泉駐車場へ、そして、そのまま歩き出した。

 姶良川沿いの土手道を歩く。ここは自動車・バイク乗り入れ禁止だから安心して歩くことができる。Cimg4717 上流に向かって歩くこと15分、吾平中学校のすぐそばに架かる「月見橋」に着く(川向うが吾平中学校)。歩道に向けて立っている看板を見ると、「川では安全に楽しく遊びましょう」とあり、細かい字で「アユや鯉などをたくさん放流してあります」さらに「たて網漁(赤字)は禁止されています・・云々」とある。

 ああ、川遊びや川釣りが禁止されているわけではないのか―とうれしくなった。何でも禁止の御時世に希少なことだ。子どもは自然の中での遊びで賢くなるし、感性が豊かになる。Cimg4715 月見橋から姶良川の上流を見る。連日の雨で水量が多いが、溢れている箇所は全くない。Cimg4703 なおも行くと老農婦がそぼ降る中をせっせと草刈り。近くでは写さなかったので、媼はというと土手道のずっと先の右にカーブするあたりにぽつんと黒っぽい点のように見える。右手にはさっきの「月見橋」が・・・。

 土手の左側の田んぼ地帯が右手の川面よりも低く見えるので、「おばさん、昔の姶良川はこっちのほうを流れていなかった?」と尋ねるも、「あたや、こけ、嫁に来ちょったっで、そいは知らんと」。ああ、嫁に来たのなら分からんのが当たり前―とあきらめる。Cimg4710 草刈りの媼のところからさらに15分、「中福良橋」を渡り、とある「樋菅」(田んぼからの排水を川に流し込む時に水量を調整する一種の堰)の前を通ると、今まさに自然の中で賢くかつ感性豊かになる遊びを実践中の親子?(もしくは爺さんと4人の孫?)に出くわした。Cimg4711 左手の中1か小学校高学年の子が何かを釣り上げたらしい。「じいちゃん(多分)、釣れたよ。ほら、見て」と言うのだが、じいちゃんはじいちゃんで自分の棹に当たりが来ているのか、マイペースだ。じいちゃんも自然の中では子どもに返るらしい。Cimg4712 もっと見ていたかったが、こっちも運動なんだからマイペースを維持しなければならない。で、さらに約10分で「鶴峰橋」だ。温泉センターからここまで35分ほど。距離は2キロ半だろうか。Cimg4714 鶴峰橋の下は向こうから落差を以て流れ込んだ水が左手の岩壁にぶつかって結構深い淵になっている(岩壁の上には「軍(いくさ)神社」が鎮座する.。祭神はイワナガヒメ)。4,5年前の夏、ここで青年が帰省したついでに泳いでいて溺れ死ぬということがあった。水中では表層の流れと違った激流のような部分があるから要注意だ。それに意外とここの水は冷たい。

 ここからまた15分ほど行くと吾平山陵への「山陵道路」に至るが、今日は雨具の中でたっぷり汗をかいていることだし、反対側の土手を温泉センターに向けて戻ることにした。

 往復5キロ強、1時間15分ほどの運動であった。このあと温泉のありがたみにたっぷりと浸ったこと言うまでもない。今後、定番になりそうだ。

















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箱根が噴火警戒レベル3に!

 昨日のニュースで、小規模噴火が認められたとして箱根火山が噴火警戒レベル3にワンランクアップした、とあった。Cimg4669 火山性地震や火山性微動が増えていることもアップの判断の対象であった(画像はFNNニュースより)。Cimg4673_2 気象庁の会見では、大涌谷周辺の立ち入り禁止範囲を半径700㍍から1キロに広げるという。そのため一部の生活道路が通行できなくなり、箱根町は一部住民に避難指示を出す騒ぎとなった。Cimg4676 対象住民は50人程度とさして多くないが、箱根町始まって以来の避難指示だろう。

 しかし今朝も周辺では新たな火山灰が降っており、さらに小規模噴火をもたらしたと思われる「噴火口」も出現している。Cimg4679 夕方のNHKニュースでは大涌谷を供給源としている温泉約70軒への供給が止められた―という。源泉の急激な減少によるものだそうだ。Cimg4680 源泉を利用している民宿やホテルの経営者は大困りだろうが、実は泉源の枯渇はいよいよマグマ噴火へ移行する過渡期の現象と見てよく、できたら大涌谷から3キロくらいは離れて欲しいものだ。

 というのも、101年前に日本列島内の噴火では20世紀最大と言われる桜島大正大噴火(大正3年=1914年1月12日)の前兆現象として、「井戸水が干上がった」というのが多く見られたのからである。 

 その他には―枯れないまでも井戸水が温かくなった、冬眠しているはずのカエルや蛇が這い出してきた、地鳴りがする―などさまざまな前兆が見られた。

 前兆現象は3,4日前から顕著になり、すでにこの段階で避難を始めた島民もいた。憂慮した桜島村長が鹿児島の気象台に「噴火はしないのか」と何度も問い合わせたが、「大規模噴火はない」との見解のままだったそうである。

 そして当日を迎え、流れた熔岩で桜島が大隅半島と地続きになるという大熔岩流を伴う大規模噴火が始まってしまった。

 この規模の噴火にしては死者・行方不明者58名で済んだのは、さすがに火山と共に生きている桜島住民の智恵と手際の良さが光るが、この「噴火する、しない騒動」を胸に刻んだ桜島では後年、<島民は科学を信ぜず、島民自身の経験に基づいて行動しなければならぬ>と気象台(科学者)への不信感を露わにする石碑を建立している。

 今日に照らしても、地震・噴火予知の科学的解明は道半ばで、やはり常日頃からの危機管理は自ら果たしていかなくてはならないだろう。
















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