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温泉ウォーク(吾平交流センター)

 温泉ウォーク第3弾。1回目に続いて吾平交流センター(うがやの湯)から。Cimg5052 この前は上流に向かったが、今度は下流に向かって歩いた。Cimg5026 交流センターのすぐそばの「更生橋」を渡り、左岸(下流に向かって左側)の土手道を歩いて行くと危険個所を知らせる赤い旗が立っていた。

 「あぶない! 吾平小学校PTA生活指導部」と標札が一緒に立っているので、子どもたちが危ない川遊びをしないように夏休み前に立てたのだろうと分かる。(途中で自転車でどこかへ行く小学生にと4人ほどすれ違ったが、川遊びはいなかった。)Cimg5041 県道鹿屋ー高山線に架かる姶良橋を過ぎて「吉田橋」まで3.5キロ。ここからは反対側にわたり橋の向こうに見える「井神島集落」を目指す。だが、この橋の傍に大きな石碑が立っている。Cimg5036 「姶良郷下名人配永代移者顕彰碑」というものだが、まず「姶良郷」だが「吾平郷」でないのは、もともとこちらが「姶良郷」だったのだが、江戸時代に現在の姶良市が「姶良郷」と呼ばれてしまったため、仕方なくこちらは「吾平津媛」(出典:日本書紀)の出身だということで「吾平郷」「吾平村」と名付けられて現在に至っている。

 向こうの姶良市の元は「始羅(しら)郷」だったわけで、「始(し)」という漢字と「姶(あい)」という漢字の崩し字はほとんど変わらないことから取り違えられたのだろうと言われている。また、こっちが本来の「姶良」である証拠はまさにこの川が「姶良川」なので分かる。

 話を碑文に戻すと、この中の「人配(にんぱい=にんべ)」は耕地の狭い薩摩半島から広い大隅半島へ移住(分配)すること、また「永代移者」とは移住後に定着した者ということで、薩摩藩の政策により薩摩半島の士族の二、三男を中心に当地に開拓に入ってそのまま居着いた家々を指す。

 この碑文を書いた元大隅史談会会長の故森田先生によると、延宝年間から350年にわたって陸続と移住行われたが、現在の吾平町の四軒に一軒は「人配」による移住者の後裔であろうとのことで、いかに彼らが刻苦勉励してこの地に取り組んできたかを記念する石碑ということであった。Cimg5044 橋を渡って「井神島集落」の中を抜けて行くと、神社が現れる。「宮比神社」という。井神島の村社だったという。Cimg5046 祭神は「天宇受売命」で、この神は天照大神が雨の岩戸に隠れた時に岩戸の外で裸踊りを踊って神々を笑わせ、天照大神が岩戸を少し開けて外を見ようとした瞬間に手力男命が引き出した―という「岩戸明け説話」の功労者であった。

 何でこんな所に祭られているのか説明がつかない珍しい祭神である。でも面白いことに、鹿屋には岩戸明け説話に登場する神々がいくらか祀られている場所がある。鹿屋市打馬町の「春日神社」には岩戸明けの時に祭儀に用いた真榊を準備した「アメノコヤネノミコト」が、また鹿屋市輝北町市成にはアメノコヤネと同じく真榊の準備に携わった「フトタマノミコト」を祭神とする「太玉神社」がある。

 さらに面白いことには、アメノウズメが嫁いだ国つ神「サルタヒコ」は鹿屋市浜田町の「玖玉神社」に祭られており、岩戸明けから天孫降臨までの舞台はここではなかったかと、やや強引ながら付会させることも可能である。Cimg5048 宮比神社のある小高い岡は中世の吾平郷豪族「末次氏」の作った「末次城」(別名:井上城)のあった岡(比高は10~15㍍、長さ200㍍くらい)で、宮比神社をその西端とすると、東端近くには「法音山清源寺」という寺があり、御多聞に漏れず明治維新の廃仏毀釈で破壊され、今はいくつかの住職の墓と石造仏が残るだけだ。おばさんが一人でせっせと草を取っていた。Cimg5051 井神島集落から再び姶良川の土手を、今度は右岸沿いに戻って行く。途中で見える二つの小丘。手前のは高さ7~8mで幅は25mくらい、上には石の祠があり、円墳のようである。

 はるか向こうのは長さ100mはありそうな、これも古墳臭いが調べるのは後で。(かって行ったことがあるが、樹木が旺盛に繁っていて取りつく島が無かった。)Cimg5049 この辺りの水田の状態。もう穂が垂れ始めている。日照不足が心配だったが、果たして実の入りはどうだろうか。あと2週間もすれば見事な黄金色になろう。

 ※往復7.5キロ。 所要時間 1時間30分。



















 

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