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大阪維新の会、再び「都構想」

昼過ぎのインターネット上のニュース・毎日放送を見ていたら、橋下氏率いる「大阪維新の会」が、再び大阪都構想を登場させるという情報。(画像は毎日放送のインターネット画面から。以下同じ)

Cimg5624 11月22日の大阪府知事・市長のダブル選挙に松井知事と出馬するが、その際にはこの間の住民投票で否決された都構想を再度訴える―という。Cimg5627 今度は住民の意見も取り入れて区割りなどを是正して行くようだ。大いに結構だ、是非ともリチャレンジしてもらいたい。

 今年の5月17日に、史上最大の「住民投票」が実施され、維新の会の掲げる「大阪都構想」は有効投票140万のうち69、4万票を獲得し、反対票70,5万票にわずか1万1000票及ばず「廃案」とされ、橋下市長は「もう政治家はやめる。11月の市長選にも出ない」と会見で語った。

 何とバカなことを言うのか―と自分は思った。もう一押しすれば賛成が多数になるじゃないか、と。維新の党は既成政党の大合同(自民と共産さえ手を組んだ)に果敢に挑み、ほぼ拮抗する得票を得たのだから勝ったも同然だったのである。

 橋下氏は続投して都構想を貫け―とも述べた。

 (※5月18日のブログへ

 東京一極集中を是正する受け皿としての都市機能を持っているのはやはり大阪を置いて他にはない。他の百万都市に分散する、という案は一見すると正論のようだが、そうするといくらなんでも散らばり過ぎるし、どの官庁をどの都市に移転させるかで紛糾し、かえって時間ばかりかかってしまう。

 その点、大阪なら東京の官公庁の30パーセントなら丸抱えできるだろう。単に容量だけでなく、機能を動かすノウハウまで考慮しても大阪なら可能だろう。

 とにかく東京一極集中を早く解消して行かなくてはならない。なのに今度の東京オリンピックが、又もや一極集中を煽っているようで、まことに寒心に堪えない。

 お台場のようなゼロメートル地帯に各種競技場や選手宿舎を建設するなどとても正気の沙汰とは思えない。

 それより分散型防災機能都市へと生まれ変わらなければ外国からのトップアスリートたちは安心できないはずだ。

 大阪都構想が実現し、まずは東京からの官公庁移転が促進され、東京一極集中が少しでも早く解消されることを願う。

 さらに願わくば、「還都」が実現されんことを!

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風と共に去らんとす

 台風15号は沖縄八重山諸島から急激に北東に進路を変え、そのまま黒潮のルートをたどって沖縄・奄美群島の北側を走り、ついに鹿児島県西部に最接近し、福岡県久留米市辺りに上陸して日本海に抜けた。

 八重山諸島の辺りで940hPa、奄美の北あたりでは950hPaと徐々に勢力が落ちて来たので、もし進路予測の通りなら鹿児島の薩摩川内あたりに上陸する。しかしその頃には960hPa程度のごく普通レベルの台風になって大した爪痕も残さず足早に去って行くだろう――。

 ・・・という手前予測をしたのだが、さに非ず、勢力は九州最接近時点でも940hPaと全く衰えず、各地で意外な災害をもたらした。薩摩半島での停電である。

 夕方のニュースで27日現在、停電後三日経つのにまだ40パーセントの地区で電気が来ていないという町が多いらしい。

 大きな台風がここ10年近く上陸または接近していないため、道路に立つ電柱と電線に覆いかぶさるように繁る街路樹などが倒れるか、大きな枝が折れて引っ掛かるかして電柱が折れたり電線が切れたりしているようだ。

 備えあれば憂いなし―というが、そこでの「備え」は何かを取り付けたり支えたりしておく備えではなく、繁り過ぎた枝や木を間伐して(マイナスして)おくことだったのだ。

 上の場合は「マイナス」の備えが必要だったのだが、我が家ではプラスの備えが足りなかったので「憂い」が起きてしまった。プレハブ倉庫のシャッターの外側に土嚢で抑えておくのを手抜きしてしまい、ついにシャッターが外れたのである。

 24日の夜中にシャッターの真ん中の支柱が外れ、二枚のシャッターのうち片方が完全に外れてしまった。朝気がついたが、手の施しようがなく、近所の以前に軽量鉄骨のプレハブ建築に従事したことがあるという人に頼んで撤去することにした。Cimg5613 シャッターをすべて外し奥の方を見ると、V字型屋根のパネルがめくれ上がりかけている。V字屋根を支える金具がほとんどすべて腐食していた。Cimg5619 さっそく屋根に上がって解体に掛かってもらった。Cimg5614 南側の芋畑のほうから倉庫を見る。Cimg5615 いやはやカンカン照りの中を大変な作業だ。Cimg5620 午前中いっぱいかかって屋根の解体はほぼ完了。Cimg5621 午後3時頃までで、北側の壁はがしを終了。

 今日はここまで。明日は垂水市の知り合いがやはりプレハブをやられたらしく、午前中は見積もりに行ってくるそうだ。

 稼ぎ時だね、と笑ったら、「お宅もちゃんと解体業者が見積もりを取ったら○万円じゃ済まないよ、絶対」と返された。

 勘弁してよと彼に心で手を合わせる。また22年のプレハブ倉庫兼車庫の短い一生にも合掌。
















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広いさつまいも畑

 今朝、出かける時、通りすがりのさつまいも畑で早くから強い日差しの中を草取りだろうか、ひとりの農婦が広いさつまいも畑の中、まるでかくれんぼをしているかように作業をしているのを見かけた。

 夕方帰る時も見かけた(まだ畑にいた)のでいやはやよく続くものだと、家にいったん帰ってからデジカメを持って引き返した。Cimg5594 と言っても、この畑のどこにいるのか・・・。答は、この写真のちょうどど真ん中。対角線の交点あたりにちょこんと麦わら帽子と肩が見えている。

 朝見た時もこんな姿勢だった。さつまいもの畝間の草取りと、ツル返しをしているのだろう。もうそろそろ収穫なのかもしれない。Cimg5597 別の角度から見ると、向こうにもう二人が見える。向うの畑はどうやら夫婦で作業に来ているらしい。

 広いさとうきび畑ならぬ、さつまいも畑。戦時中もこんなふうにしてさつまいもを作っていたはずだ。

 ♪ざわわ ざわわ ざわわ 広いさつまいも畑は

  ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ

  今日も 見渡す限りに 緑の波がうねる

  夏の陽ざしの中で

 今日は台風15号の影響か知らん、風がよく吹いていた。

Cimg5598 今年の春先は低温続きでサツマイモの苗採りがかなり遅れ、梅雨に入った6月初旬から7月中旬までは雨ばかりだったので生育はかなり遅れたが、梅雨明け後は一転して晴天続きで生育は持ち直し、順調に収穫期を迎えたようだ。Cimg5600 我が家の南側にある畑地帯のさつまいも畑では、このように機械を入れてすっかり収穫を終えた畑が2、3枚ある。

 ここは9月になったら大根を蒔く畑だ。間もなく堆肥を鋤き込んでの耕運が始まる。










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太平洋戦争はなぜ起きたか(続々)

 ヘンリー・ストークスは『反日中韓の詐偽を暴いた』の<第3章>「まやかしの南京大虐殺」で、さらに次のように述べる。(注)は引用者の注記である。

<いったいなぜ、アメリカはありもしなかった「南京大虐殺」をことさら(注:極東軍事法廷=東京裁判で)取り上げる必要があったのだろうか。

 そこには広島と長崎に原爆を投下し、また東京大空襲を含め全国百都市以上を空襲して約30万人の無辜の市民を大虐殺したという、まことに非人道的な事実が背景にあった。

 アメリカは太平洋戦争で勝利をおさめて戦勝国の筆頭国となったが、国際社会からその事実を突きつけられることをどうしても避けたかったのだ。(中略)アメリカは東京裁判でその戦争犯罪の罪を相殺するために「南京大虐殺」を活用した。

 (中略)

 たとえば、(注:日本軍の南京占領翌日の)1937年12月14日の南京での出来事は、「上海の中国軍から手痛い抵抗をこうむった日本軍は、その恨みを一時に破裂させ、怒涛のごとく南京に殺到したのであります。この南京大虐殺こそ、史上稀に見る凄惨なもので、実に婦女子二万名が惨殺されたのであります。」と、『真相はこうだ』(GHQがNHKに放送させた番組)で説明されている。

 しかし、同年12月18日付の「ロンドンタイムズ」の記事は、「14日……通りには死体が散在したが、女性の遺体は無かった」と報じている。もちろん「ロンドンタイムズ」の特派員が南京のすべての状況を把握できたと思わないが、婦女子2万名が惨殺されて女性の死体をまったく目にしないはずがない。

 この一点だけでもGHQが日本人を洗脳するために、巧妙にプロパガンダを行ったことがよく分かるだろう。

 さらに本来ならばそうした占領政策に反駁すべき日本のメディアが、あろうことか「プレスコード」による検閲を恐れ、自主規制してしまったのである。日本メディアはGHQの意向に沿った報道を繰り返し、国民はさらに(注:上の『真相はこうだ』というような)プロパガンダ情報によって洗脳されていった。>(同書 168~170ページ)

 ここでは1972年以降の開放政策以降、中国共産党政府がことさらに「南京大虐殺」を喧伝するようになったその大元は東京裁判にあったという事実が指摘されている。つまり開放路線とは言うならば中国のアメリカ寄りの政策への大転換であり、彼らも以上のプロパガンダに歩調を合わせた―ということが見て取れるのだ。

 で、その東京裁判の不当性を訴えているのが<第4章>」「東京裁判は文明の抹殺」である

 <第4章>では、鋭い指摘をしている。。(注)は引用者による注記。

<…連合国側は「平和に対する罪」を持ち出して裁判を行った。「平和に対する罪」は、1928年のパリ不戦条約で成立したなどという主張は、21世紀の今日まで多くの国際法学者が認めていないし、国連の国際法委員会も否定しているのは前述したとおりだ。

 つまり第二次世界大戦当時から21世紀の今日まで、「平和に対する罪」などというものは国際法上一度たりと成立していないのである。その時まではこの世に存在していない罪(そして今も存在していない罪)で、戦勝国は裁判を強行し、被告を死刑に処したのである。

 私は、そのように無法な東京裁判を認めることこそ文明への冒涜であり、復讐を合法とするようなものだと考える。これでは戦争が終わるどころか、殺されたら殺し返すという社会を認めるようなもので、「裁判所」すらいらない世界を生み出すことになる。東京裁判を受け入れることはそういう社会を肯定し、支持することである。

 そういう意味で、世界中の識者が東京裁判を批判したのは当然のことだ。(注:193ページには著者が『世界が裁く東京裁判』(明成社刊)から英米出身の当時の関係者による批判的なコメントが16名分引用されている)

 東京裁判は戦勝国による一方的な勝者の裁きであり、復讐劇だ。裁判という名には全く値しない。裁判長も判事も全員が占領国側から出されている。これは誰がどう考えても公平な裁判ではない。私は戦勝国側の人間であるが、そう主張せざるを得ない。>(同書 191~2ページ)

 著者は別の箇所で、東京裁判はGHQ最高司令官だったマッカーサー個人の日本に対する復讐の側面が強い―と述べているが、同時にそのマッカーサー自身が最高司令官解任後にアメリカの上院外交委員会の席で「太平洋戦争は日本の自衛戦争であった」(要旨)と言ったとも書いている。

 <第5章>「日本人は血を流してアジア独立を助けた」

 小項目「白人キリスト教世界のアジア侵略」で著者は次のように書く。

<いまでこそアメリカ合衆国の大統領に黒人がなっている。しかしかってそのようなことは想像すらできないことであった。黒人はアフリカから奴隷として連れて来られ、物のように売り買いされた。労働を担うという点では家畜同然の扱いであった。

 白人は有色人種を同じ人間として扱ってはいなかった。もっとも白人男性の性奴隷として黒人女性が扱われていたという事実もあるから、この点では準人間扱いされていたと言えなくもない。

 (中略)(注:この箇所では南北アメリカ、アジアにおける白人の先住民抹殺、侵略的植民地支配が触れられている)

 日本人も白人ではない有色民族である。同じ有色民族の国家として、こうした白人の横暴は看過できないものがあったであろう。実質的にアジアで唯一の非白人・独立主権国家であった日本にとって、白人支配は脅威でもあった。パリ講和会議(注:第1次大戦後の1919年~20年)で、日本代表団の牧野伸顕(注:大久保利通の次男)が人種差別撤廃案を行った背景にはこうした世界の現実があったのである。(注:この提案は賛成多数であったのだが、議長の米大統領ウィルソンが「全会一致」を楯に葬り去った。自国内に大量の被差別黒人を必要としていたから、米議会が反対したのだ。痛いところを衝かれたアメリカは国際連盟に参加せず、以後日本を仮想敵国とし始めた。)>(同書 210~211ページ)

 このあと著者は小項目「フィリピンの解放」「インドネシアの解放」「インドの解放」という歴史的事例を挙げて、日本軍が進出して来てようやく白人による隷属的な植民地支配から現地人が立ち上がり、終戦後に次々に独立を果たしたことを述べている。

 そして第4章の最後にはこう書く。

<はっきり言おう。ヨーロッパの領土になっていた全アジアが、その植民地支配から独立できたのは、日本人が血を流したからだ。

 欧米列強に支配され、植民地にされて苦しんできたアジアの人々を救い、彼らを独立させたのは日本なのだ。その誇りを胸に日本人は生きるべきだ。>(同書 226ページ)

※もろ手を挙げて賛成である。

 <終章>は「日本が進むべき道」

 著者は最初に「反日」の喧伝をする中国・韓国のそれぞれの「お国事情」を挙げてそのしたたかさを指摘し、「反日」の旗はこれからも絶対に降ろさないし、降ろすことができなくなっているという。

 その対応策として、著者は上で引用してきたような正しい「歴史認識」を日本人が持つべきであるとともに、「自主憲法制定」を唱える。

 安倍内閣が進めている安全保障関連法案を是とし、多くのメディアが安保法案は違憲で、戦争する国家になる、として反対を表明するのは「真の独立国家としてあるべき姿」(同書 231ページ)ではない―とし、その根拠が「国際法で自衛権は認められている。日本国憲法もそれを決めているのだ。集団的自衛権も日本の当然の権利として有している。」(同書 231ページ)としている。

 個別的自衛権は日本国憲法第9条で、「国際紛争を解決するための手段としての戦力は持たない」とあり、他国が日本の領土を侵略したり、ミサイルを撃ちこんで来たりされたら武力で持って対処する―という専守防衛に必要な戦力まで否定されるものではない、とは歴代内閣の説明であり、その解釈でいいと思う。だが、集団的自衛権については著者の言うように当然持っている―とするのはどうか。

 また、232ページで、多くのメディアが「違憲」と決めつけて報道しているが、なぜ成熟した議論ができないのか―としたうえで、その<最大の原因は、戦後70年、アメリカに自国の防衛をゆだねてきたことにある。>(同書 232ページ)とし、さらに、

 <日本がこれまで存続できたのは、アメリカの軍事力という後ろ盾があったからである。アメリカの軍事力がなければ、日本はとっくに他国に攻め込まれ、蹂躙されていたに違いない。>(同書 232ページ)

 と言う。

 この点は首をかしげる。

 サンフランシスコ講和で連合国との戦争状態が集結し、その後朝鮮動乱が勃発したころ、アメリカは日本に警察予備隊(自衛隊の前身)を創設するように進め、さらに自前の軍隊を立ち上げるよう言って来たが、吉田茂首相が首を縦に振らなかった。そして「海外の国と戦争をするためのものではない自衛隊」を増強する一方で、海外の国との戦争に備えるために日米安保・日米地位協定を結んで米軍に依存して防衛力を強めた。

 もし日米安保がなかったら「とっくに他国に攻め込まれ、蹂躙されていた」と著者は言いたいのだろうが、どこの国が攻めて来て日本を蹂躙したかもしれないというのだろうか。

 この辺りがよく分からない。

 日米安保を結んでいる(現在も自動延長中だ)中で、さらなる「集団的自衛権」を一体どこの国と一緒に行おうというのだろうか。アメリカしかないではないか。これでは単にアメリカとより軍事的に密接になり下請けをしたいというに過ぎない。

 もし、本当に集団的自衛権を行使したいのであれば、日米安保を破棄し、自主憲法に「集団的自衛権を容認する」と制定し、国連憲章の「旧敵国条項」(第53条)をなくしたうえで、完全な自主独立を果たし、改めて米国や韓国や台湾との集団的自衛権を云々すべきだろう。

 現状の日米安保、国連の「旧敵国条項」がある以上、日本の集団的自衛権は自主独立した集団的自衛権にはならない。

 この点についてはさらに考察が必要だと思う。

 とまれ、ヘンリー・ストークス『反日中韓の詐偽を暴いた』は、太平洋戦争の真因を解明し、われわれ戦後日本人に刷り込まれた「日本はバカな戦争をした。侵略し、非道(大虐殺・婦女子暴行)を行い迷惑を掛けた。」という見方を根底から覆す好著である。

 実に戦後70年経ってやっと出現した「大東亜戦争は日本の白人植民地支配に対するやむを得ない反撃であった。敗れはしたが、アジアの植民地は解放されそれぞれの民族の独立に大功績があった」との、白人(1938年生まれの英国人)による「大東亜戦争肯定論」に他ならない。

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太平洋戦争はなぜ起きたか(続)

 ヘンリー・ストークス『反日中韓の詐偽を暴いた』の第1章はなおも次のように、西洋によるアジア植民地化の姿を描き出している。

<中国は植民地支配の新たな獲物として狙われていた。西洋人にとってアジアには――中国にもインドにもインドネシアにも――国境線など全く存在しなかった。また、住んでいるのは“先住民”だけだった。だから人として扱う必要など一切ないと考えていた。

 ルールは「弱肉強食」…そこには良心の呵責は無かった。白人優位の世界観が当たり前のように語られ、アジアやアフリカを侵略するのは白人の特権だと信じられ、まさに早い者勝ちの状況だった。

 そんな狩場のような世界に巻き込まれていなかったのが日本だった。しかし、西洋人の植民地主義者の間では「遅かれ早かれ、ヨーロッパの大国のどこかが日本を奪うだろう」と緊張が高まっていた。

 そんな中、イギリスはアヘン戦争(1840~42年)後、中国を切り刻みつつあった。フランスはインドシナの大部分を獲得してもなお物足りなく、さらに野望を燃やしていた。青島に拠点を置いたドイツは出遅れたが、その反動もあってハングリーだった。またロシアは樺太(サハリン)の一部を略取していた。

 白人諸国は有色人種の諸国を食い散らかそうとする衝動をさかんにし、アジアで争奪戦を繰り広げていた。>(同書 64~5ページ)

 この認識は幕末日本の開明君主、たとえば薩摩藩主島津斉彬などがいち早く察し、その後の維新への原動力となったわけであるが、「栄光の明治維新史」に拘泥して、この著者の言うような世界史の潮流が根底にあったことを、今日のわれわれの歴史認識に於いて忘れがちなのは残念である。

 <第2章>「慰安婦は性奴隷ではない」では、次の箇所が実に興味深い。

<ところで、この「性奴隷」という表現を無理やり日本軍と結び付け、日本を非難することを策略して最初に実行に移した“犯人”は日本人であることを指摘しておきたい。

 戸塚悦郎という日本人弁護士と、元社会民主党党首の福島瑞穂(現副党首)の実質的な夫らしい弁護士の海渡雄一の二人である。1992年(平成4)2月、こともあろうに国連人権委員会の場で「日本軍の性奴隷」を喧伝したのだから実に罪深い。>(同書 105ページ)

 弁護士なのに自国を弁護せず、逆のことをしているのだからたちが悪い。戦後の知識人・進歩的文化人は日本のことを貶める発言(自虐発言・自己否定的発言)をすることが多い。上記の著者の見解を冷静になって学んで欲しいものだ。

 そう言うと、多分、「中国を侵略し、朝鮮を植民地化して何を言っているのか」と反論されるだろうが、「欧米がまず真っ先にアジア・アフリカでやったことは侵略であり植民地化ではないのか」―とこの本の著者は繰り返し苦言を呈しているのだ。

 韓国の「植民地化」の是非については、この著者は呉善花の書いた物をおおむね評価しているが、呉善花が「日本は韓国を植民地化したが、善政を布いたので合併前より教育にしろ経済にしろ発展を遂げた」(要旨)という点について、著者は日本が行った合併は「植民地化」ではない、と断言している。

<・・・ここで重要なのは、日本人と一緒に朝鮮人も授業を受けていることだ。イギリスの(植民地の)インドや香港での統治で、イギリス白人とインド人や中国人が一緒に学校教育を受けることなど有り得なかった。イギリス人の私が言うのだから確かだ。植民地の先住民に対して宗主国が教育を熱心に施すことなど考えられないことだった。南アフリカのアパルトヘイト政策と同様に宗主国の欧米列強の白人の学校に、先住民を入学させ共に学ぶなどということは想像することさえできなかった。

 この意味でも、日本の朝鮮統治は「植民地統治」などとは全く違う別次元、別世界のことだと言ってもいい。>(同書 97~98ページ)

<第3章>「まやかしの南京大虐殺」

 南京大虐殺については、今は著者は「なかった」と認識しているが、以前はこうだったという。

<なにしろ、英語で出版されている「南京」に関する本、雑誌、論文等はほとんどすべてが「南京大虐殺」を史実と位置付けている。(中略)「南京大虐殺はあった」とする内容が英語の世界では圧倒的で、それを否定する論述はほぼゼロに等しいのだ。>(同書 129ページ)

 そのため著者も南京大虐殺はあったのだ、と思っていたらしい。

<その私がなぜ見方を変えられたかというと、「史実を世界に発信する会」(代表・加瀬英明)の英文データベースで、圧倒的に史実とされている「南京大虐殺」を否定する側の論述をよむことができたからだ。(中略)その中で最も衝撃的だったのは東中野修道教授が著した『国民党極秘文書から読み解く南京事件』(草思社)だった。(中略)その内容が衝撃的だったのは、中国側の史料によって「南京大虐殺」が無かったことを論じていたからである。日本側の史料ではなく、中国側の(国民党の)極秘文書によって、いわゆる「南京大虐殺」などなかったことが明らかにされていた。これは、説得力があった。

 繰り返すが、「南京大虐殺」などというものは、中国政府によるプロパガンダで、史実ではない。散発的にわずかな暴力行為はあっただろうが、むしろ日本軍が南京を占領したことで治安が回復し、20万だった人口が1か月後には25万人に増えているのだ。>(同書 131ページ)

 この第3章は著者も触れているように、加瀬英明代表の「史実を世界に発信する会」の英文による南京事件(主として東中野修道教授の前掲書)に負うているらしく、230ページの本のうち50ページを割いて詳しく「まやかし」が行われた真因を記述している。

 最後の方で著者はこう述べている。

<その「南京大虐殺」が問題として最初に大きな衝撃を与えたのは、連合国総司令部(GHQ)が製作しNHKで放送された『真相はこうだ(のちに『真相箱』)』であり、東京裁判でのことである。「南京大虐殺」などというものは東京裁判の法廷で検察側が持ち出すまで、そんな言葉も無く、まったく話題にも上がらなかったのである。

 そういう意味では、「南京大虐殺」という中国の偽りのプロパガンダを煽って火をつけたのはアメリカだった。>(同書 167ページ)

 話はその東京裁判を描<第4章>に移っていくが、今日はここまで。

 

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地獄の釜の蓋?(桜島)

 夕方6時のKYT「ニュースエブリ」を見ていたら、昭和火口に「蓋」ができていた―というショッキングなニュース。Cimg5544(画像は同ニュースから。以下同じ)

 けさ早く、夜中に桜島で「火映現象」が撮影され、ごく小規模な爆発があったことは複数の報道で知っていた。Cimg5555 午前2時過ぎにあった「火映現象」。Cimg5552 午前3時過ぎには噴火もしていた。高度わずか500㍍(噴火口からの高さ)というから、これまでの桜島の爆発・噴火からすればすこぶる小さなものだが、14日の夜中に最後の噴火をしてから5日経って「久しぶり」に噴火したわけである。

 これが大規模噴火の前触れかと思ったが、そうではないらしい。Cimg5549 今日、最初の画面の男性ニュースキャスターが京都大学関係者とヘリコプターで飛んで上空に差しかかったところ、昭和火口の上部はこのように蓋が嵌め込まれたような状態になっていた。

 キャスター氏は2006年の昭和火口の活動再開以降、何度も上空から見ているが、こんなになっているのを見るのは初めての経験だそうだ。Cimg5560 これは今年の5月に無人観測機(ドローン)を飛ばして撮影したものだが、火口は内部まで見通せるくらいぽっかりと開いている。Cimg5561 これは先月京都大学で撮影した昭和火口。まだ活発に噴火していた5月に比べかなり噴火が減少してた頃で、蒸気ばかりが見えるだけだが、5月のように噴火口の中までは見えなくなっている。Cimg5562_2 こちらは現在と先月を同じ画面に並べたもの。6月以降、爆発噴火が劇的に減って来たのは溶岩の堆積(蓋)が徐々に始まっていたことになる。そしてつい最近までには右のように完全に落とし蓋状態になり、火口の息の根が止まって噴火がなくなっていたのだろう。Cimg5568 今日、キャスター氏と同じヘリに乗って観察した京大の教授は、「熔岩の蓋の高さが以前は深かったが、少し上昇したようだ」と述べている。

 熔岩の蓋の高さが上がって来たーということは蓋の厚さが増したということだろうか。そうであれば上昇しようとするマグマの供給を上からぎゅーっと抑えつけているわけで、マグマの噴出現象(噴火)がそれを打ち破るべくより激しいものにならぬかと心配である。











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太平洋戦争はなぜ起きたか

 戦後すでに70年が経過した。今年は区切りの年として各メディアで取り上げられ続けている。鹿児島県内でもいわば「戦争(戦禍)の話題」で持ち切りである。

 鹿屋市など地方都市でも例外ではない。戦跡が多いうえにもし沖縄戦で2ヶ月半にもわたる持久戦がなかったなら、オリンピック作戦という志布志湾上陸作戦が開始されていたかもしれないから、よく学んでおく必要がある。

 しかしながら、どんなに戦争の経過や戦跡や戦禍を記銘したとしても、「こんなにまでして戦い傷付いた。もう決して戦争はしてはならない」というだけの結論で終わるのなら、それは一面的だ。

 なぜなら、戦争の結果だけを見ているに過ぎないからである。そもそもどうして戦争を始めなければならなかったのか、そこを知ることの方が今後戦争をしないために重要なのに、多くのマスコミは取り上げていない。

 負け戦さだったし、米軍の攻撃で惨憺たる目に遭ったので、戦火を逃げ惑った人たち、辛くも生き延びた人々にインタビューしても「もう戦争はこりごりだ。してはいけない戦争をやったのが悪い」というような答えが返って来るのは当然である。

 もう一歩進めて、あの戦争に至った原因から話を進めて行かなければならないのに、いたずらに「軍靴の音が聞こえてきた。暮らしが不自由になった。統制がひどかった」と戦前をバッサリと斬り捨ててしまうような報道が多いのは残念だ。

 さてここに『反日中韓の詐偽を暴いた』(ヘンリー・ストークス著・悟空出版・2015年8月刊)という本がある。

 この人物は1938年イギリス生まれでオックスフォード大学を出て英国の大手新聞「フィナンシャルタイムズ」に入社し、1964年に東京支局支局長として来日、以後50年ずっと日本で記者生活をし、奥さんは日本人という人である。

 サブタイトルに「外国特派員協会重鎮が・・・」と付いており、最古参の特派員協会会員ということになっている。

 この本を取り寄せたのは、自分としては例の中国・韓国の日本への「反日キャンペーン」がいかにおかしいかを、第三国人である著者がどう見ているのか―を調べようと思ったのが理由だが、内容はそれ以上に「日本が英米と戦争を始めた真因」について多くのページが割かれたのには驚きもし、勉強になった。

 今回はこれについて著者の見解をかいつまんで紹介して行こう。

まず、章立てを概観する。

<序章> 日本人よ真実の歴史で反撃せよ

<第1章> アメリカが開けた「パンドラの箱」

<第2章> 慰安婦は「性奴隷」ではない

<第3章> まやかしの「南京大虐殺」

<第4章> 東京裁判は文明の抹殺

<第5章> 日本人は血を流してアジアの独立を助けた

<第6章> 日本が進むべき道

 序章では第2章・第3章で詳しく見て行くように、韓国が持ち出す「慰安婦」を、また中国が喧伝する「南京大虐殺」を 、それぞれ単なるプロパガンダに過ぎない―と一蹴。

 これだけでは終わらない。序章ではさらにこうも述べる(要旨)。

 実は著者は2年前に『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』(祥伝社新書 2013年12月刊)を書いたところベストセラーになったが、日本の共同通信社が出版社に対して「出版停止して本を回収しないか」と言ってきたそうである。つまり欧米人が「慰安婦は日本軍の強制で連れて来られなかった」とか「南京大虐殺はなかった」などと<日本人の肩を持つようなことを書くはずがない。こんな本は出すべきではない>というような「先入観」に縛られているのである。こういう姿勢に中韓が悪乗りして日本を貶めているのに気付くべきだ―と。

 すぐにその中韓の「化けの皮はがし」の論証に行かないで、第1章で幕末のペリー来航からのいわゆる日本開国の歴史事象を世界史的な視点から取り上げているのが、そんじょそこらの「嫌中・嫌韓」本と違う点で、ここを押さえておかないと、第5章は解らないし、多くの戦争本・戦争報道が見落としている点である。

 第1章のパンドラの箱とは「開けてはいけないもの。災厄をもたらすもの」という意味だが、ペリーが日本を強引に開国させた(パンドラの箱を開けた)ために日本が覚醒し、結局は100年後に欧米の植民地を解放させてしまった、ということで、欧米にとってはとんだ藪蛇だった―という譬えである。

 日本はアジアで唯一欧米の植民地支配から逃れ、文明開化し欧米流の諸制度を導入して独立自尊を果たした。日本が立ち上がらなかったらアジアの解放はずっと遅れた。

 著者は終戦の頃は日本で言えば小学1年生くらいだったそうで、次のように書いている。

<地球儀のピンク色・・・それは当時世界の半分以上の地域を支配していた大英帝国の領土を示していた。アフリカはほぼピンクだった。中国を除くアジアのほとんどもピンクだった。…(中略)しかし、大東亜戦争の結果、地球儀の色は大きく変わった。…(中略)つまり、私が育ったのは、ピンク色だった地球儀が急速に他の色へと移り変わり、ついにはピンク色でなくなってしまうという時代だったのだ。消えたのはイギリスの支配する地域だけではなかった。他の欧米各国が支配していた地域もまた、次々と独立を果たし、それぞれの色に変わって行った。…(中略)この歴史を振り返る時、現在のように植民地が存在することなく、多くの民族が平等に過ごせるような新たな世界を人類が迎えることができたのは、ひとえに日本の努力の賜物だと思う。>(同書44~45ページ)

 これこそ70年前の戦争の正しい歴史認識だろう。実は自分も似たようなことを大隅史談会誌『大隅第50号』(2007年発行)の巻頭言で書いた。

【巻頭言ー歴史認識についてー (中略)黄色人種が白色人種の地球規模の植民地分割支配に割って入る、あるいはその支配から独立しようとすることを、彼らの白人優位という人種差別観がそれらをかたくなに拒んでいた。これに果然として挑んだのが日本で、その証拠がパリ講和会議における日本の主張であった。(中略)本会議で堂々と「人種差別はもう撤廃しようではないか」と訴え、会議の採決にかけた。すると何と賛成が反対を上回った。驚いたのが議長をしていたアメリカ大統領のウィルソンで、彼は他の議案については賛成多数によって採択しながら、日本の人種差別撤廃案は「全会一致でなければならぬ」と強弁し、採択から外してしまったのだ。(中略)パリ講和会議から21年後、日米は戦い、日本は敗れた。しかし人種差別、植民地支配の桎梏は音を立てて崩れて行った。極東に於いてひとり日本のみが独立を維持し、欧米の白人優位の植民地支配からの解放を促したことは世界史的、いや人類史的に見て明らかなことである。(中略)戦勝者側のプロパガンダに乗ってはなるまい。歴史を学ぶものとして先入主の色眼鏡を外し、勝ち負けを超えて冷静に過去を振り返る姿勢が必要だ。】

 ※今日はここまで。

 

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桜島の噴火警戒レベルが4に!

 昨日の15日、午前10時15分に桜島の噴火警戒レベルが3から4へ引き上げられた。「避難準備」の段階である。Cimg5517(画像は15日昼のNHKニュースから。以下同じ) 今年の1月に「山体膨張」が見られるとして火口周辺規制のレベル2から入山規制の3になり、3月の噴火回数が177回と近年になく活発化していたが、火山性地震の数はそれほど多くなかった。Cimg5520 ところが15日の朝7時頃から火山性地震が頻発するようになり、同時に数カ所に設けられた地殻観測所(坑道)の数値が異常に上昇し始めた。Cimg5523 気象庁の記者会見では「近いうちに大きな噴火があるかもしれない。その規模は1986年の噴火程度は想定される」としている。

 1986年の南岳噴火では直径2㍍もある岩石が飛ばされ、3キロほど離れた古里温泉のホテルの玄関部分を直撃し、テラス屋根に穴が開き、下の床の部分を突き破って地下室まで落ちたことがある。(幸いにも人的被害は出なかった。)

 午後4時過ぎには桜島を行政領域としている鹿児島市から一部地区に対して「避難勧告」が出された。Cimg5521 夕方の時点で2ヵ所の避難所が開設され、3地区約50世帯70人ほどの人たちが避難した。

 先に触れたように桜島は年明け早々「山体膨張」が見られ、2月から3月にかけて猛烈な噴火回数を記録、もしかしたら4月か5月頃には大噴火をするのではないかと危惧されたのだが、5月23日の「口永良部島の中規模噴火」以降は、どういうわけか急激に噴火回数が減っていた。

 口永良部島が噴いたので桜島が大人しくなった―そんな関連性を想っても見たのだが、どうやら直接の関係はないようだ。

 それでも最近は諏訪瀬島でも小規模噴火が見られ、県内の火山活動が例年になく活発化してきていることは間違いない。

 










 

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安倍首相の戦後70年談話

 今日の夕方6時から安倍首相が「戦後70年談話」を発表した。Cimg5480(画像はNHK6時の特別番組から)Cimg5485 有識者の取りまとめた提言を十分に踏まえましたよ―と冒頭に述べた。Cimg5489 その有識者の「戦前への歴史認識」がこれだ。Cimg5490 これも有識者のみならず多くのマスコミ・進歩的文化人の「戦前への歴史認識」である。

 日本が国策を誤り、戦争へと突き進んだのが間違いの基だった――というのが戦後のマスコミ・進歩的文化人の歴史認識であった。

 このことを踏まえて戦後50年に発表されたのが「村山談話」だ。村山談話では、植民地支配・中国侵略へのお詫びを初めて国内外に発表した。戦後60年の小泉談話もほぼこれを踏襲した。Cimg5492 Cimg5498 Cimg5499 日本のみならず世界の戦没者に哀悼の意を捧げるのは大変結構なことだが、事変・侵略・戦争そして植民地支配について言えば、日本よりはるかに昔から欧米諸国はアジア・アフリカを侵略し、さまざまな事変を引き起こし、戦争を行なってきた。

 このふたコマの画像で安倍首相が述べていることは、そっくりそのまま戦前までの欧米によるアジア・アフリカ植民地主義に対して当てはまる。Cimg5500 先の大戦への悔悟の念とは新しい表現である。反省でも謝罪でもないわけだが、深読みすれば、日本もだが、欧米諸国、特に英米仏蘭の国々もともに戦争に走ったことを「一緒に悔悟しよう」と呼びかけているようにも見える。

 今度の談話で、20世紀前半まで世界には植民地主義が蔓延していた。植民地化された国々の民族的自立は無かった――という歴史認識を述べていたことは大いに評価されるべきだろう。

 ただその一方で、戦後アメリカが「寛容の精神」で日本の窮状に加勢してくれたことに感謝する――ということを述べていたが、これは撤回すべきだ。

 戦後の日本への経済援助はけっして「寛容の精神」からではない。日本の無辜の民へ無差別爆撃・原爆投下を行い、戦時国際法に違反するとの世界の言論を封じるための懐柔策であり、またアメリカの食糧(小麦・脱脂粉乳など)の販売先として願ってもない市場が突然開けたというわけであったのだ。過大評価してはならない。

 この談話で踏み込んで欲しかったのは、「日本が戦わなかったら、アジア・アフリカの欧米による強圧的な植民地支配はまだまだ続いていた」という観点である。

 残念ながら自民党の歴史認識は「アメリカへの配慮」が強すぎて、公正な歴史観を阻害されている。

 安倍首相はまた、「今後80年、90年、100年に子や孫たちが同じ謝罪を繰り返すことのないようにしたい」とも述べたが、これもアメリカとの「強い絆」などと考えている以上、無理だろう。アメリカはいつまでも日本の首根っこを押さえておきたいので、中韓をそそのかしてでも「日本は謝罪せよ」と言わせ続けるだろう。

※つい最近読んだ『反中韓の詐偽を暴いた』(ヘンリー・ストークス著・2015.8刊・悟空出版)には、日本の戦わざるを得なかった真因が詳しく書かれている。次の機会に読後評を書くことにする。

























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川内原発の再稼働

 鹿児島県薩摩川内市の九電川内原子力発電所が再稼働に入った。核分裂制御棒を次々に抜いて行き、今夜11時頃には臨界に達するという。Cimg5460 (画像はKYTニュースから)Cimg5461 (画像は同上)14日から発電が始まり、来月上旬から商業運転に移行するという。Cimg5468 (画像同上)今月の最終的な再稼働へのコメントで、原子力安全委員会の田中委員長は「事故ゼロとは言えない」と慎重なのに対し、安倍首相や九電は「世界一厳しい安全基準を作り、一つ一つクリアして来たので大丈夫だ」という姿勢である。Cimg5463 (画像同上)KYTは読売系で、その世論調査では再稼働反対派はほぼ60パーセント、賛成派の二倍である。Cimg5473 (画像は7時のNHKニュースから。以下同じ)また7時のNHKニュースの中では、反対48パーセント、賛成17パーセントとさらに反対派の方が賛成の約3倍と圧倒的だ。(どちらともいえないが28パーセントもあるので、これを加重配分すると反対66パーセント、賛成26パーセントとなる。)Cimg5470 福島原発爆発事故で避難民となっているのは約10万人だが、KYTでもNHKでもインタビューに答えた人で賛成者は一人もいない。

 福島の避難民たちは4年を経過しても帰る目途が立っておらず、こういう状況下で原発再稼働をするという神経が分からない。

 福島避難民の人が、「今現在、電力不足が起きているわけではないのに何で原発を動かすのか」とあきれていたが、多くの国民はそう思っている。

 自分も2011の大震災と原発事故で原子力がすべて止まった時、夏を目前にして産業界が「可能な所から再稼働して行かないと夏には深刻な電力不足に陥る」と言い、再稼働を早くしなければならない―というような専門家もいたが、結局のところ一基も動かさずに夏場を乗り切った事実を目の当りにして、専門家や評論家のいい加減なのに呆れた覚えがある。

 ここ何年も異常に暑い夏が続いているのに、夏場に電力制限などあったためしはなく、今年も中部電力が供給可能量の97パーセントに達したが、他の電力会社では余裕があるという。

 危機感をあおるのはいい加減にして欲しいものだ。

 安倍政権は今度の安全保障法案では国民の4分の3が反対したにもかかわらず、衆議院で強行採決。原発再稼働に国民の3分の2が反対していてもゴーサイン。

 第一次安倍政権が生まれる時に「日本を取り戻す」と良いことを言ったのだが、第二次ではすっかり忘れ、「日本を取り壊す」方に行ってはいないか。

 尖閣諸島を「日本に取り戻した(国有化した)」のは、民主党野田政権下だったし、いったい何を取り戻そうとしたのか訳が分からない。せめて「民主党政権から日本を取り戻したのだ」と言いたいのだろうが、アメリカにおべんちゃら、中国に犬の遠吠えでは日本はますます取り戻せまい。

 

 




 






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涼を求めて(二つの滝)

 連日の猛暑。

 今年は梅雨明け後の晴天がはっきりしていて、とくにこの1週間は鹿屋でも35度の日が3日もあるほど暑い夏だ。

 暑さの中、庭の草むしりなどしていてはどうかなりそうで(ただ、快晴の中の方が草むしりはしやすいし、むしって地面に投げておいた草も暑熱で根っこごと早く乾燥してしまう)、たっぷり汗をかいてから温泉にでもと思い、今日は根占温泉ネッピー館に行くことにした。

 昨日から足を中心に若干の汗疹が出始めたので、塩湯のネッピー温泉は具合がよい。

 最近始めた「温泉ウォーキング」だが、今回は温泉駐車場に停めて歩くと云ってもこのくそ暑い中、温泉周辺を歩くのは熱中症の原因となりかねない。

 そこで根占まで行く途中にある錦江町(旧大根占町)の「神川大滝」に立ち寄り、いくらかの「空中散歩」をしてみようと思い付いた。Cimg5369 浜田海水浴場から国道269号線を南下して約5キロで神川海岸、そこから左手に入って行くと2キロ余りで神川大滝公園だ。Cimg5371 途中で観光バスが追い抜いて行ったが、保育園児たちが乗っていたようだ。引率者に聞くとここは帰り道でちょっと立ち寄っただけらしい。でも小滝が涼を送ってくれている。Cimg5372 大滝茶屋からほんのわずかでもう滝の全容が見える(滝の高さは25m)。Cimg5373 滝壺近くまで行くと落下した水のひんやりした蒸気が押し寄せてくる。マイナスイオンも相当なものだろう。Cimg5375 今度は空中散歩だ。さっき子供たちのいた小滝の脇から上に上がる螺旋階段があるので戻ったが、もう子供たちはいなかった。トイレ休憩に来ただけだったか・・・。10分くらいで吊り橋までやって来た。説明板に、吊り橋の高さは川面から63㍍、長さは130㍍とある。Cimg5380 滝壺まで63㍍、滝壺の形はほぼ円形だ。直径は滝の幅が約30㍍としてその3倍の90㍍はあるだろう。虹が滝壺の上に出ている。Cimg5377 上から見下ろす大滝茶屋。
Cimg5385 次に向かったのが「雄川の滝」。

 ネッピー館は雄川の河口近くの左岸にあるのだが、そこへ行く橋を渡らずに右岸沿いの道を佐多方面に走ると「雄川橋」信号があり、それを左折。道成りに約1.5キロほど行くと右折するように看板が出ている。しかし看板の下に「遊歩道が崩落のため通行不可」とありさらに「花の木」方面に展望所があるのでそちらへ行くようにと指示されていた。

 そこで指示通りにさっきの道をそのまま錦江町田代方面へ上がって行くと、花の木信号(看板あり)に出、右折して「滝見大橋」を過ぎて最初の十字路(看板あり)を左折、約300㍍でちょっとした駐車場と案内看板のある所に到着。ここから左手に木製のウッドデッキのような階段を30段も下ると展望所だ。Cimg5388 川底の平らな雄川がいきなりえぐれて落ちているのにはちょっと驚く。約9万年前に噴出凝固した阿多溶結凝灰岩の川底を水が少しずつ削り取りながら、海のほうからここまで滝を移動させて来て現在のこの姿がある。

 隼人町からやって来たという若い女性二人連れ。ウッドデッキの欄干から熱心に下を覗いていたので、「ここからバンジージャンプは無理かな」と言ったら首を傾げられた。Cimg5393 滝壺は見えないが、滝の高さは46㍍。ほぼ50mの垂直の落差は大隅半島では最も大きい。Cimg5395 今は手前の幅10㍍あるかないかの滝だが、大正9年(1920年)にやや下流に水力発電所が開設され、そちらに川向うの施設から水を取られるようになって大幅に滝の水量が減って今日に及んでいる。

 九電の説明では、雄川発電所の発電量は現在の南大隅町と錦江町の全世帯を賄えるくらいの規模だそうだ。大層な規模に違いなく、だからこの水力発電は雄川の流れがある限り、つまり半永久的に続くでしょう―ということだろう。

 大正9年以前の本来の雄川の滝の雄姿が見られるのは、発電所がトラブルでストップした時か定期点検でもした時しかない。いつかは見てみたいものである。

以前に雄川の滝の滝壺まで行った時のブログはこちら






















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あいら夏祭り花火大会

 今日は鹿屋市で二つの花火大会が同じ時間帯に行われた。かのや夏祭り花火大会とあいら夏祭り花火大会で、どちらも20:00~21:00の1時間を打ち上げに当てている。

 どちらにしようか―と迷ったが、近くの吾平の方に行くことにした。Cimg5272 夕飯後に少しまどろんだ後、8時15分前に家内と家を出た。打ち上げ場所から500mくらい離れた集落道にたくさんの車が並んでいたので、空いている所に幅寄せし、車を降りて見物した。

 すぐに花火の打ち上げが始まった。Cimg5273 打ち上げの前にはアナウンスで「○○会社の協賛を頂きました」などという協賛企業・組合などの紹介が言われるのだが、内容までは聞き取れない。Cimg5278 連発はやはり見応えがある。開いた花の中からまた別の花が次々に噴水のように湧き出て来るのがいい。Cimg5240 こういうタイプの花火が上がると、「バナナみたい」という声が隣りで見物していた家族の中から聞こえたが、たしかに似ている。Cimg5268 低い位置で次々に上がる連発の中には斜めに上がりながら次第に横に開いて行くようなのもが多かったが、これは技術的には難しいのかもしれない。Cimg5279 直径50mやそこらはある単発の巨大輪は音も強烈で、500㍍ほど離れた場所でも辺りが揺れようかというくらいの衝撃がある。Cimg5280 何百連発かのあと、巨大輪が2発続いて急に音が止んだので「もう、終わりだろう」と立ち上がって帰り支度を始めたら、また「ヒュー」と打ち上げ音がしたので、慌ててカメラのスイッチを入れて構えた瞬間に炸裂したのは彩り鮮やかな巨大輪。残念ながらぶれてしまった。

 どの花火大会でも一番最後の花火は巨大輪で、しかもこのように質の高いもの、鮮やかなものとほぼ決まっているようだ。次からは見落とさないようにしないと・・・。



















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