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太平洋戦争はなぜ起きたか

 戦後すでに70年が経過した。今年は区切りの年として各メディアで取り上げられ続けている。鹿児島県内でもいわば「戦争(戦禍)の話題」で持ち切りである。

 鹿屋市など地方都市でも例外ではない。戦跡が多いうえにもし沖縄戦で2ヶ月半にもわたる持久戦がなかったなら、オリンピック作戦という志布志湾上陸作戦が開始されていたかもしれないから、よく学んでおく必要がある。

 しかしながら、どんなに戦争の経過や戦跡や戦禍を記銘したとしても、「こんなにまでして戦い傷付いた。もう決して戦争はしてはならない」というだけの結論で終わるのなら、それは一面的だ。

 なぜなら、戦争の結果だけを見ているに過ぎないからである。そもそもどうして戦争を始めなければならなかったのか、そこを知ることの方が今後戦争をしないために重要なのに、多くのマスコミは取り上げていない。

 負け戦さだったし、米軍の攻撃で惨憺たる目に遭ったので、戦火を逃げ惑った人たち、辛くも生き延びた人々にインタビューしても「もう戦争はこりごりだ。してはいけない戦争をやったのが悪い」というような答えが返って来るのは当然である。

 もう一歩進めて、あの戦争に至った原因から話を進めて行かなければならないのに、いたずらに「軍靴の音が聞こえてきた。暮らしが不自由になった。統制がひどかった」と戦前をバッサリと斬り捨ててしまうような報道が多いのは残念だ。

 さてここに『反日中韓の詐偽を暴いた』(ヘンリー・ストークス著・悟空出版・2015年8月刊)という本がある。

 この人物は1938年イギリス生まれでオックスフォード大学を出て英国の大手新聞「フィナンシャルタイムズ」に入社し、1964年に東京支局支局長として来日、以後50年ずっと日本で記者生活をし、奥さんは日本人という人である。

 サブタイトルに「外国特派員協会重鎮が・・・」と付いており、最古参の特派員協会会員ということになっている。

 この本を取り寄せたのは、自分としては例の中国・韓国の日本への「反日キャンペーン」がいかにおかしいかを、第三国人である著者がどう見ているのか―を調べようと思ったのが理由だが、内容はそれ以上に「日本が英米と戦争を始めた真因」について多くのページが割かれたのには驚きもし、勉強になった。

 今回はこれについて著者の見解をかいつまんで紹介して行こう。

まず、章立てを概観する。

<序章> 日本人よ真実の歴史で反撃せよ

<第1章> アメリカが開けた「パンドラの箱」

<第2章> 慰安婦は「性奴隷」ではない

<第3章> まやかしの「南京大虐殺」

<第4章> 東京裁判は文明の抹殺

<第5章> 日本人は血を流してアジアの独立を助けた

<第6章> 日本が進むべき道

 序章では第2章・第3章で詳しく見て行くように、韓国が持ち出す「慰安婦」を、また中国が喧伝する「南京大虐殺」を 、それぞれ単なるプロパガンダに過ぎない―と一蹴。

 これだけでは終わらない。序章ではさらにこうも述べる(要旨)。

 実は著者は2年前に『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』(祥伝社新書 2013年12月刊)を書いたところベストセラーになったが、日本の共同通信社が出版社に対して「出版停止して本を回収しないか」と言ってきたそうである。つまり欧米人が「慰安婦は日本軍の強制で連れて来られなかった」とか「南京大虐殺はなかった」などと<日本人の肩を持つようなことを書くはずがない。こんな本は出すべきではない>というような「先入観」に縛られているのである。こういう姿勢に中韓が悪乗りして日本を貶めているのに気付くべきだ―と。

 すぐにその中韓の「化けの皮はがし」の論証に行かないで、第1章で幕末のペリー来航からのいわゆる日本開国の歴史事象を世界史的な視点から取り上げているのが、そんじょそこらの「嫌中・嫌韓」本と違う点で、ここを押さえておかないと、第5章は解らないし、多くの戦争本・戦争報道が見落としている点である。

 第1章のパンドラの箱とは「開けてはいけないもの。災厄をもたらすもの」という意味だが、ペリーが日本を強引に開国させた(パンドラの箱を開けた)ために日本が覚醒し、結局は100年後に欧米の植民地を解放させてしまった、ということで、欧米にとってはとんだ藪蛇だった―という譬えである。

 日本はアジアで唯一欧米の植民地支配から逃れ、文明開化し欧米流の諸制度を導入して独立自尊を果たした。日本が立ち上がらなかったらアジアの解放はずっと遅れた。

 著者は終戦の頃は日本で言えば小学1年生くらいだったそうで、次のように書いている。

<地球儀のピンク色・・・それは当時世界の半分以上の地域を支配していた大英帝国の領土を示していた。アフリカはほぼピンクだった。中国を除くアジアのほとんどもピンクだった。…(中略)しかし、大東亜戦争の結果、地球儀の色は大きく変わった。…(中略)つまり、私が育ったのは、ピンク色だった地球儀が急速に他の色へと移り変わり、ついにはピンク色でなくなってしまうという時代だったのだ。消えたのはイギリスの支配する地域だけではなかった。他の欧米各国が支配していた地域もまた、次々と独立を果たし、それぞれの色に変わって行った。…(中略)この歴史を振り返る時、現在のように植民地が存在することなく、多くの民族が平等に過ごせるような新たな世界を人類が迎えることができたのは、ひとえに日本の努力の賜物だと思う。>(同書44~45ページ)

 これこそ70年前の戦争の正しい歴史認識だろう。実は自分も似たようなことを大隅史談会誌『大隅第50号』(2007年発行)の巻頭言で書いた。

【巻頭言ー歴史認識についてー (中略)黄色人種が白色人種の地球規模の植民地分割支配に割って入る、あるいはその支配から独立しようとすることを、彼らの白人優位という人種差別観がそれらをかたくなに拒んでいた。これに果然として挑んだのが日本で、その証拠がパリ講和会議における日本の主張であった。(中略)本会議で堂々と「人種差別はもう撤廃しようではないか」と訴え、会議の採決にかけた。すると何と賛成が反対を上回った。驚いたのが議長をしていたアメリカ大統領のウィルソンで、彼は他の議案については賛成多数によって採択しながら、日本の人種差別撤廃案は「全会一致でなければならぬ」と強弁し、採択から外してしまったのだ。(中略)パリ講和会議から21年後、日米は戦い、日本は敗れた。しかし人種差別、植民地支配の桎梏は音を立てて崩れて行った。極東に於いてひとり日本のみが独立を維持し、欧米の白人優位の植民地支配からの解放を促したことは世界史的、いや人類史的に見て明らかなことである。(中略)戦勝者側のプロパガンダに乗ってはなるまい。歴史を学ぶものとして先入主の色眼鏡を外し、勝ち負けを超えて冷静に過去を振り返る姿勢が必要だ。】

 ※今日はここまで。

 

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