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新三本の矢

 29日の国連総会演説後の記者会見で安倍首相は「新三本の矢」政策について得意げに語っていた。Cimg6152_1 国連演説後の記者会見で各国記者を前に「新三本の矢」を解説。(画像はNHK7:30のニュースから)

 新三本の矢の前に初めの「三本の矢」政策を復習しておくと、①大胆な金融(年間80兆円という紙幣の垂れ流し) ②機動的な財政投資 ③規制緩和による経済成長、の三本である。

 この中でもちろん①が中心の政策で、デフレマインドを解消すると意気込んだが、相変わらず国民消費は伸びず、②と③に乗っかった企業・産業だけはわが世の春らしい。こういった先行して「儲かった企業・産業」が全体を牽引して行くから大丈夫だ―との触れ込みだったが現実は冷え込んだままだ。

 これについて、首相はおおむね思い通りに行っていると胸を張るが結果が出ていないので何とも言いようがない。地方では、もうだれが首相になっても同じだ―と思うくらいに何の恩恵もない。<地方創生>は画に描いた餅に終わる可能性が高い。

 「新三本の矢」は安倍首相が自民党の次期総裁に無投票再選された時に演説の中で出された最新の政策(口約)で、

 ①GDP600兆円を目指す ②子育て支援を拡充する ③社会保障改革を継続する

というものだった。

 総論として「国民総躍動時代」を創る―というもので、誰もが自分らしく生き生きと躍動できる社会を目指すそうである。このフレーズ自体は大変すばらしいが、抽象的だ。

 さて、①と③はこれまでの自民党政権の踏襲で、目新しいものではない。600兆円という数字を掲げたのは唯一具体性がある。現在のGDPは490兆円というから20パーセント余りの伸びである。誰が見ても聞いても大風呂敷だろう。

 ②ももちろんこれまでも「少子高齢化担当大臣」を設置して、高齢化の問題とともに自民党政権のみならず民主党なども取り組んできたわけだが、今回は出生率を1.8に上げるというのだ。

 今の出生率が1.2~3であるから、これも大風呂敷かと思うが、具体的な施策についてはこれから見守りたい。

 と言って、実現するには大きなハードル、というかブレーキがある。それは「男女雇用機会均等法」以来の「女性の活躍の場を広げよう!せっかくのキャリアを生かそう!」という大合唱である。

 これあるがゆえに女性の多くにストレスがかかり、「そうだ、のんびり子育てなんかしていては、社会に取り残される。収入も激減し、おまけに将来もらえる年金額も低くなってしまう。だから子育てなんか早く済ませてまたキャリアに戻ろう」と思ってしまう。

 だから子どもはせいぜい一人か二人、結局、総合的な出生率は1.2
から1.3止まりに張り付いている。子供人口はどんどん減り、高齢化はますます進む。

 そこで思い切って視点を変え、「子産み・子育ては立派な仕事である。したがって産んだ子供一人につき○万円の賃金を母親に支払う」という風にすればよい。賃金と言ったのは「仕事」だからで、言葉を変えれば「子産み・子育て年金」となる。原資は高齢者向けの介護保険と同様に「子産み・子育て介護保険」を創設して賄えばよい。母親の子供に対する仕事は「介護」に他ならないからだ。

 たとえば3人の子を産み育てている母親は(○万円×3)万円を手にするが、この額が普通に外で仕事をする場合の額に匹敵するものであれば、多くの女性は3人を目標に子を産み、家でゆったりとストレスなく子育てに専念するだろう。

 子どもの方もゆったりと育てられ、やがてわが家を巣立つときも十分な温かい心と安心感を持って出て行き、必ずや社会に貢献するに違いない。一番下の子を送り出したあと、母親は必要ならばゆったりと社会復帰すればよい。

 「女性も男性並みに能力を磨け」「キャリアを埋没しては社会的損失」「自己実現の夢を忘れるな」などと男女平等・男女雇用機会均等の美名のもと、どうも女性が追い立てられ、煽られて過ぎている。

 煽る傍らで「子どもが少な過ぎる。もっと産んでくれ。え、収入がなくなるから嫌だ?そんなこと言わずに、なあ、産んでも託児所や保育園を充実させるから大丈夫だよ」などと取って付けたような<産め!でもちゃんと社会で働け!>という施策は矛盾を含んでおり、もう限界だ。

 ここらで男女が区別されて生まれた深い理由を感じ取り、もう一遍のどかな―つまり、母親が家庭の大黒柱だった(家庭が重要な仕事の場だった)時代を取り戻したいものである。

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田の神盗み(鹿屋市獅子目町)

 前回のブログでは「盗っ人」はロシア(正確には旧ソ連)だったが、身近な所でも「盗み」がある。「田の神盗み」だ。鹿児島弁では「タノカン・オットイ」と言っている。

 「盗み」といっても、田の神の石像を盗むというより「借りる」のであって、ある地区に借りて持って来て豊作を祈願し、その通りになったら元の地区に田の神とともに盛大に借りを返しに行く―という風習である。

Cimg6093_5 獅子目地区は三本の「舌状台地」からなり、その間の二本の谷筋(谷地=やち)に沿ってなだらかな段々田が広がっている(写真のグリーンの部分)が、その二本の長い段々田を見守っているのがそれぞれの田の神である。しかし獅子目入口にでんと構える水利組合が設置した獅子目町内図によるとその二体あるはずの田の神がなくなっているというのだ。

 確かめに行こうと右手の谷地方面を行くと、途中で農作業をしている人に出会ったので場所と無くなったのは何時かを聞いたら、「何年にもなるが、帰ってこない。昔は家で結婚式の時に田の神に来てもらった。夫婦事がうまく行き、子宝に恵まれますようにと願うこともあったが、今は結婚式場で挙げるからそんなことはなくなったけれど・・・」

 そうか、結婚で子宝が授かるのと、米がよく稔るのと、似たようなものだな―と感心して聞いていたが、「近頃は盗んで売り飛ばす奴も現れたとも聞くんだわ」とも。そういう手合いはばちが当たった方がいい。Cimg6106 西地区の田の神はこの用水路完成記念碑(平成4年)の隣りにあったというが、まったく分からなくなっている。しかしまあ、この完成記念碑が豊作を約束する現代の「田の神」なのかもしれない。Cimg6107 用水路沿いの田んぼでは老夫婦と若者の三人で刈り取りの真っ最中。Cimg6108 用水路はずうっと上の方から下って来ているので、最上部を訪ねてみた。Cimg6110 完成記念碑のあったところから1キロ余りの最上部にある堰。沢水をコンクリート護岸で誘導し、途中に巻き上げ式の青い堰板が設置されていた。ここから分水しているのだ。Cimg6112_2 沢の堰のすぐそばにある一番高い田には、上の山林に向かって4体の案山子と防風ネットのいくつかの支柱にテルテル坊主の極大なのが山に向かって立てられている。イノシシ除けだろう。まるで国境警備隊だ。Cimg6114 上の田より200㍍ほど下流の田でも防風ネットを張り巡らしたり、中には「電柵」も見受けられる。たかがイノシシとはいえ一度味をしめられたら何度でもやって来る。山間の田作りは苦労が絶えない。

 経済合理性から考えたら、とてもじゃないが山間部の田はやって行けない。民主党政権の時から直接所得補償が始まったので、何とかやって行けるのだろう。

 しかしそれはそれとして、この黄金色の田園は何にも代えがたい風景だ。こんなふうに日本列島では少なくとも2000年は作付けて来て今日がある。

 ここ獅子目町は大姶良地区の一部だが、鎌倉時代以来獅子目氏(志々目氏=藤原姓富山氏一族)が治め、南の根占氏、東の肝付氏との興亡のあったところで、平安時代の『倭名類聚抄』(930年頃成立)の諸国郡郷一覧「大隅国・肝属郡」に「大阿郷」とある大姶良郷の一地区であったから由緒は古い。

 たしかに河川はほんの小流とはいえ、比較的なだらかな谷地田であり、それなりに耕作しやすく安全な場所であったといえる。Cimg6116 タノカンサ―が鎮座していたという東地区公民館。オットラレタ(押っ取られた)おかげでやや荒れてしまった風に見えるのは思い過ごしか。Cimg6105 集落入口の水利組合の看板にも「田の神のお帰りをお待ち致しております」と書いてある。Cimg6103_5 もしオットラレなければ、こんなタノカンサ―だったと思われる。これは獅子目町入り口にある現存する唯一のタノカンサ―で、たぶん犯人を御存じに違いない・・・。

























 

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盗っ人ロシアの面目躍如

 9月21日にモスクワで開催された日露外相会談では、日本は見事に肩透かしを食った。Cimg6025 会見終了後に憎たらしく笑うラブロフと不満げに口を真一文字に結んで握手する岸田外相。(画像は朝日デジタルより転載)

 なぜ岸田首相は不満なのか―ラブロフが北方領土問題を議題にしなかったからである。

 記者会見ではさらにこうも言っていた。

「千島列島が第二次大戦で勝利したロシアのものであることは国連憲章を読めばわかる。(だから今さらどうこう言ってもしょうがない。)」(カッコ内は引用者の補足)

 第2次大戦にたしかに旧ソ連は勝利した。しかしソ連が戦勝したのはドイツに対してであり、日本ではなかった。日本とは中立条約を結んでいて、中立国同士だったのだ。

 ところが英米は狡猾にも1945年2月の「ヤルタ会談」において、大部分は戦後のドイツの処遇についてだったが、スターリンに日ソ中立条約を破棄して日本への参戦を求め、その見返りとして樺太と千島列島をソ連に与える約束をしていた。いわゆる秘密協定である。

 したがって今回ラブロフが「国連憲章を読めばわかる」と言ったのは誤りで、本当は「ヤルタ会談での取り決め(秘密協定)を読めばわかる」が正しかったのだ。「秘密」だから大っぴらに読めとは言えなかったのだろう。

 旧ソ連のスターリンはドイツの(ヒットラーが自殺して)降伏が決まったら3か月後には参戦するとヤルタ会談で述べており、ドイツ降伏の5月8日からちょうど3ヶ月の8月8日に、中立条約を破棄して宣戦布告し、満州を侵略して略奪・暴行・兵員強制連行シベリア抑留、また樺太・千島列島を日本がミズーリ号上で降伏文書に調印する前にすべて我が物としたのである。

 このことがあるので「盗っ人ロシア」と言うのだ。火事場ドロボーと言い換えてもよい。また秘密協定を結んだので、英米は北方領土に関してはソ連に対して火事場ドロボーだったから返せとも何とも云えず、「知らぬ存ぜぬ」を通している。

 この当時共産主義であり国際連盟にも参加していなかった(アメリカも参加していなかったが)ソ連が、戦後は英米主導の国際連合に迎えられ、しかも安全保障理事国の常任理事国に据えられたのは、ひとえに英米主導の「連合国」側に立って枢軸国(独日など)と戦ったからなのである。国際連合の設立意図もそこにあったから、英米の最も嫌う共産主義国でありながら堂々と「連合国」の仲間入りができたというわけである。

 中国共産党政府も実際には枢軸国の一員であった日本との正式な戦いはせず、しかもカイロ宣言(1943年11月)では英米は中華民国の蒋介石政府が中国の正統な連合国一員であるとして、ポツダム宣言でも英・米・中華民国の名で発表しながら、1971年に中国共産党政府を国連に加盟させ、翌年には中華民国を追放して共産中国を安全保障理事会の常任理事国の地位に繰り込んでしまった。

 つまり現在70周年を迎えた国際連合というのは、旧敵国である日独などを押さえつけておくのが目的だということが以上の経緯から明らかなのであって、したがって日独がどれだけPKOに参加し、遅滞なく多額の分担金を払おうとも、安全保障理事会の「常任理事国」には逆立ちしてもなれないのである。

 こんな国際連合には見切りをつけて、脱退した方が日本人の精神衛生上よほどましなのだが、あえて事を構えると「それ見たことか。やはりもう一度戦争を仕掛けて来るに違いない」とかっての連合国に悪意に取られかねないので、参加したままで「永世中立国」を宣言してしまえばよい。ただし憲法9条にその旨を書き加え、かつ「固有の自衛権に基づく専守防衛のための軍隊を持つ」ことも付け加えなければなるまい。

 永世中立国というとスイスだが、スイスのようになるとすると「徴兵制」になりはせぬか―という反論も出るだろうが、自分としては「徴兵」を含む「徴農」「徴工」・・・など、18歳から22歳くらいの年代に2年間をめどにそういった一種の体験・ボランティアなどを課すような仕組みがあったらと思う。

 軍事体験ががボランティアでできるか!―と言われそうだが、体験入隊から始まって初期訓練からプロの軍人へとなりたい、あるいはなれる人材を確保するうえでも上のような意味での「ゆるい徴兵制」があった方がむしろいいだろう。

 永世中立国になった暁には、日米安保も解消し、専守防衛こそ日本の採るべき平和への軍事政策となり、沖縄に過重負担のある基地問題も解決する。なぜなら日本国軍が全国を平等にカバーするからである。もちろん中国共産党政府の最近の拡張主義には警戒しなければならないので、沖縄にそのために多少多目の国軍基地を置かなければならないが、今のように米軍基地がやたらに置かれている状況からは嘘のように軽減されるだろう。

 『反中韓の詐偽を暴いた』(悟空出版。2015年刊)を書いた元ロンドンタイムズ東京支局長のヘンリー・ストークスは日米安保について次のような見解を示している。

<日本が今日まで存続できたのは、アメリカの軍事力という後ろ盾があったからである。アメリカの軍事力がなければ日本はとっくに他国に攻め込まれ、蹂躙されていたに違いない。>(同書232ページ)

 ストークスは「今日までどこからも攻め込まれ蹂躙されずに済んだのはアメリカの軍事力のおかげだ」というのだが、それは結果的にそうだったのであって、アメリカ以外のどこが日本まで攻めてくる可能性があったというのだろうか。憲法上アメリカが日本を丸腰にしておいてよく言うよ―とカチンとくる。

 朝鮮動乱を契機にようやく丸腰ではまずいから「警察予備隊」(これはむしろ内乱を防ぐため)「保安隊」そして「自衛隊」(1954年)へと再軍備しかかったわけだが、時の吉田首相が「再軍備よりも経済立て直しだ」(1955年)としたことで、本来ならサンフランシスコ講和でアメリカの占領が終わるはずのものを先延ばし、つまり「安全保障条約」を結んで今日まで来たに過ぎない。

 この日米安保によるアメリカの軍事的プレゼンスがあったからこそ日本は安全だった―とストークスは言うのだが、もし米軍駐留がなかったらどこが攻めて来たというのだろうか。ソ連?中国?彼らが何のために?何の名分で?

 よく日本人は水と安全はタダだと思っているとか「安保タダ乗り論」が言われてきたが、アメリカ軍の駐留がなかったら日本は日本で当然身を守ったであろうし、憲法9条も早々と改正して戦える日本になっていたであろう(ただし、専守防衛で)。

 戦後、日米安全保障条約のもとで日本は守られてきた―というのは本当は幻想だったかもしれない。アメリカが朝鮮動乱で中国共産党政府軍(人民解放軍)と戦い、38度線まで押し返したのは事実だが、ベトナム戦争やイラク戦争という大義も名分もない戦争に際して沖縄が米軍基地に使われたが、日本が独立自主国家であったらもっと違ったやり方で解決へと導いたであろう。

 「戦争をするのはそれによって利益を享受する輩がいるからだ」―とは去年の9月に現ローマ法王フランシスコ(今、そのアメリカを訪問中である)が述べた言葉だが、戦争の大好きな(戦争によって儲かる軍産複合やその大株主、戦後の復興特需に喰い込むネオコンがいる)「世界の警察官」アメリカへの忠告に違いない。

 また中国の習近平も、たまたま今アメリカを訪れているが、南沙諸島の軍事基地建設問題をはぐらかすかのように、「飛行機を300機買うぜ」と人民からネコババした札びらでアメリカのご機嫌取りをしている。また、高速鉄道の共同開発も行うそうである。

 アメリカがどうせ南沙諸島問題で、たとえば「国連安保理決議」などで追い詰めようとしないのは中国側で重々解っているからだろう。中国にアメリカが保有している多額の投資・資産や中国に買わせている米国債がパーになっては元も子もないからだ。

 その肩代わりを日本にやらせようというのがアメリカの本音で、日中が離反すればするほど円・元は売られ、逆に共通決済通貨ドルも米国債も高値安定するからだ。日中がドンパチやってはアメリカの思うツボだ。

 連合国の重要な一員であった国民党蒋介石政府(中華民国)を裏切り、こともあろうに共産党政府を加盟どころか、常任理事国に祭り上げ、今頃になって「しまった。厄介な国になった」と後悔しても、アメリカの自業自得だ。

 「旧敵国」でしかない国連にも、株(と国債)と武力(産軍複合体制)依存のアメリカにも見切りをつけ、永世中立国を目指すのが日本のこれからの生き方だろう。

 

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弥生時代中期から後期にかけての天変地異

 約2000年前に南海トラフ大地震があってその津波は高知・徳島・和歌山・大分の各地海岸部を襲ったらしいことは、高知大学の地質学教室の岡村眞教授を中心とする研究グループで解明されているが、今度は地震や津波ではなく、降水量の研究者によって2世紀前半に日本列島で大洪水が発生して壊滅的被害をもたらしたことが浮き彫りにされた。Cimg5982 総合地球環境学研究所の中塚武教授は、これまでの2000年の降水量が約400年の周期で極度に多くなって大洪水を引き起こし、コメなどの生産に大打撃を与えた―と考えている(画像はNHK特集「巨大災害」から。以下同じ)。Cimg5968 樹木の年輪の層中に残る酸素同位体の量を測ることにより、当時の降水量が一年単位で分かるらしい。Cimg5979 約1900年前の紀元後127年の降水量は平年を3倍を上回っており、大洪水が発生したであろうとしている。Cimg5987 弥生遺跡の代表として教科書にも取り上げられる静岡県の登呂遺跡でも、2世紀前半には突然消滅したらしいことが分かっているという。(この画像はその原因となった登呂遺跡を襲う大洪水の想像CG。)

 中塚教授の作成した降水量の折れ線グラフによると、127年からわずか5,6年後には逆に極度の渇水状態になっており、この前後10年ほどは気候の大変動があったと読み取れるという。

 洪水、渇水のどちらも米作りにとって最悪の事態を引き起こしたであろう。そしてこのことによって『魏志倭人伝』に記されている「桓・霊の間、倭人乱れ、歴年攻伐せり」という記事がクローズアップされてくる。

 すなわち後漢の桓帝(在位146年~167年)と霊帝(在位167年~180年)の治世西暦146年から180年の間に倭人国家群の間で規模の大きな争乱があったとしているわけだが、その原因の大きなものはこれらの気候大変動による大災害ではなかったか。

 また南海トラフ基因の大地震とそれに伴う大津波もその頃に発生している。おそらく南九州はそのどちらからも著しい痛手を受けたはずで、さらに加えて例年やって来る台風や桜島・霧島等の火山災害は南九州人をして「移住」を考えさせる以外の何物でもなかったろう。

 その移住こそが『山城国風土記逸文』に記載の南九州投馬国の「曽の峰」に天下ったカモタケツヌミの大和葛城への移動であり、記紀に記載の南九州投馬国からの「神武東征」の真相であったと思われる。「東征」とは厳めしいが、真実はそのような移民であり避難民であったとすれば、「神武東征」は史実であったとしてよい(これは古事記の「神武東征」。大和入りまで16年以上かかっている)。

 このあと約100年後の3世紀後半には糸島半島の「五十(イソ)王国」(伊都国ではない)王・崇神の大和への移動があるが、こちらはわずか3年で大和の中枢部・纏向に入っている(これが日本書紀の「神武東征」。崇神の外来性は皇女のヌナキイリヒメが大和国魂、すなわち大和固有の土地神を祀ろうとしてできなかったことで分かる)。

 前者の南九州投馬国からの「神武東征」では、安芸の国(広島)に7年、吉備の国(岡山)に8年も滞在したが、東征軍にしては滞在期間が長すぎ、それよりも移住先として安芸や吉備にもとめた結果と考えた方が合理性がある。もちろん最終的な目的地は南九州の先人であるカモタケツヌミが到達していた畿内大和であったが・・・。

 その後約100年して九州北部の五十王国を核とした崇神・垂仁王権が大和入りをするわけだが、先に大和を統治していた南九州からの王権はタケハニヤス・アタヒメの代に崇神王権(大倭王権)によって撃ち破られてしまうのである。

 ・・・やや、勇み足的なことまで書いてしまったが、要は気候大変動による異常気象、大地震による大津波、火山噴火等の大災害に見舞われることの多い南九州は、弥生時代的な「米作り=国造り」という等式が統治理念に採用されてから、ひどく不安定な状況に置かれ、それによって時には移住・移民を余儀なくされたのであろう。そのもっとも規模の大きい移住・移民こそが「神武東征」であったとみて間違いないだろう―ということである。








 

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近隣の秋模様

 明日から秋の彼岸に入る。

 このところまだ日中の暑さは相当なものだが、朝夕はめっきりしのぎやすくなり、早朝などは草に露がびっしり降りていることが多くなった。

 ウメの散歩コースの畑の畦には雑草の中、秋らしい花がつんつんと生えている。Cimg5931_1 このピンクの名も知らぬ花は球根で殖えるようで、去年の同じ時期にこれほど群生しているのを見たことがなかった。Cimg5946_1 彼岸といえば定番の彼岸花が、今年も彼岸を待ちかねたように律儀に咲き出した。Cimg5948_1 この畑はサツマイモを収穫したあとに大根を蒔き付けたようで、芽を出し始めて双葉がきれいに並んでいる。Cimg5945_1 同じ散歩道にある小ネギのハウスでは芽が出て10日ほど。姿かたちはすっかりネギそのもので、遠くまで一直線で伸びる緑はみずみずしい。これがあと30日もすれば立派な商品になる。Cimg5938_1 我が家の傍を通る県道の向こうでは、5,6名の人たちがサツマイモの収穫の真っ最中。Cimg5939_1 トラクターで掘り起こし、別のトラクターに装着した袋にみんなで投げ入れている。Cimg5952_1 少し離れた畑では、掘り起こしたほとんどの芋はすでにデンプン工場に運ばれたあとらしく、残りの芋を農婦がコツコツと選別しながら網状の袋に入れていた。

 間もなく袋が一杯になりそうだ。
















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自由民主党発足60年

 自由民主党が発足して60年、当時の首相は現民主党の前々代表で日本の首相も務めた鳩山由紀夫の父・鳩山一郎であった。その後今年で60年経つが、アメリカのプレゼンスは一向に変わらず、今度の「安全保障法制案」でいよいよ自衛隊が「国際紛争を解決する手段としての戦力として完全に米軍の指揮権のもとに位置付けられる」ことになった。

 もともと日本国憲法は「マッカーサー憲法」とも言われるように、日本を金輪際戦争をさせないように「日本軍という武力の牙を抜く」憲法として制定された。

 鳩山一郎の前任総理であった吉田茂は1951年9月に米国務長官アチソンとの会談で「保有すべきだとおっしゃるが軍隊を持つなど到底無理で、今は戦後復興に全力をあげる」と言って結局、武力による防衛はアメリカとの安全保障条約によってカバーする―という選択をした。

 この選択は保守合同の1955年以降も引き継がれ、自由民主党の党是である「自主憲法制定」もお蔵入りのまま今日まで来てしまった。

 数年前から中国共産党政府が周辺諸国との対立を深め、あまつさえ南沙諸島の軍事基地建設まで強行するありさまで、アメリカはそれに対して「遺憾である」程度の論調しか出せず、中国の先鋭的な拡張主義になすすべを知らないでいる。

 そのことをアメリカでは「リバランス」と言い募り、日本へ「もっとコミットせよ」「我がこととして中国の拡張主義に対処せよ」と言って来ている。それへの回答が今年4月30日の安倍首相のアメリカ議会での演説「はい、そのようにします。集団的自衛権があるのだから軍事的にアメリカの応援ができますよ。それに対処できる安全保障法制を制定します、7月までには何とか」―というアメリカへの公約で、事実衆議院では「強行採決」を行い、さらにまた今日、参議院で「強行採決」をする構えだ(多分いまごろは採決されているだろう)。

 そもそも「集団的自衛権」なるものは、英米の「大西洋憲章」を基準とした「国連憲章」に初めて法文化された新しい概念で、しかもその集団的自衛権を含む国連憲章51条と、53条を照らし合わせると、「英米を主体とする連合国の敵国である日独の枢軸国が、戦争後もまた刃向って来たら一緒にやっつけましょう」という主旨であることが分かる。

 したがって「戦敗国」である日本(やドイツ)には権利がないのである。あるのは同じ51条に記載されている「個別的自衛権」で、これについては古い時代から自然発生的にある「自国が攻められたら自国で守る」ということで、日本も持って当然の権利である。Cimg5877 9月15日の中央公聴会(以下同じ)の野党側の公述人で名古屋大学の松井芳郎名誉教授はテロップでは「集団的自衛権は先進国が海外の帝国主義的な権益を守るために考えされた概念である」と述べたとされるが、この「先進国」は「戦勝国」の誤認か、テロップ上の誤記と思われる。

 さて、この個別的自衛権についてはすでに1954年12月に首相鳩山一郎の日本国政府が、憲法9条に関して「自衛権は保有している。したがって自衛隊は合憲である」という見解を出していることでも明らかである。

 今回は一歩進めて「集団的自衛権」の一部行使を容認する法案だが、上で述べたように、国連憲章では戦敗国には集団的自衛権は認められていないのであるから、そもそもこの法案は「国際法上違法である」というしかない。

 このような違憲かつ違法な「安全保障法制」は廃棄するのが筋で、百歩譲って「集団的自衛権」を行使したいのなら、日米安保を解消し、さらに国連憲章53条の「旧敵国条項」を廃止して日本を旧敵国扱いにしているタガを外したうえで、堂々と改めてアメリカなどと集団的自衛権を行使する対等の仲間になる必要がある。

 しかしその前提として憲法9条の「国際紛争を解決する手段としての戦力の不保持」を改め、民主主義的手続きによって「保持」に変えなければ法治国家とは言えない。

 Cimg5859 いつまでもアメリカのプレゼンスのもとに「強大なアメリカの戦力を後ろ盾としていた方が防衛は安上がり」だとか、「産油国での紛争に日本が戦力を行使し、血を流さないでいいか」「日本を取り巻く国際環境(要するに中国の進出)が厳しさを増すなかでアメリカの言うなりの安保法制は必要」などというアメリカべったりの論評を述べる者が与党の公述人に多いが、それではますます「日本の真の自主自立」が遠のくばかりだ。

 日本は大東亜共栄圏樹立のために「たった一国」で、英米蘭仏などの欧米の人種差別的植民地主義国家群と戦い、敗れはしたものの、戦後10年から15年で欧米の植民地は次々に解放され、「民族の自立」へと歩み始めた。以て瞑すべし。

 日本の日本らしいこれからの歩みは米国のプレゼンスから自立し、世界の国々に「これぞ日本だ」と言われる国になることである。アメリカのような製造するものと言えば農業と軍需産業の戦闘機・ミサイルしかなくしかも「株主万能」の「金金(かねかね)主義」の国家に未来はないだろうし、中国もアメリカの同じ主義に洗脳された「共産主義国家」(!)にも同様に未来はない。

 日本はこれらの国家とは違った歩みで世界の平和に貢献しなければならないし、おそらくアメリカを除くほとんどの国は日本のそのような生き方を歓迎するだろう。

 しかし国連では「旧敵国」だ。しかも国連分担金は安全保障理事会常任理事国である中ソ英仏より多額を遅滞なく払っている。

 そのような国連からは脱退した方がすっきりするが、永世中立国スイスが長い間、国連に入らなかったが比較的最近になって国連入りしたように、旧敵国で安全保障理事会の常任理事国には逆立ちしてもなれない(旧敵国だから)のだが、それでも入っておいた方が常任理事国以外の世界の国々と交流するためには非常に役に立つ。

 スイスといえば、かって20年くらい前まではよくあったマスコミなどの「どの国が一番好きか」というアンケート(世論調査)では、常に断トツの一位であった。

 ところが、スイスは「徴兵制」であり、一部の地域で「直接民主制」を採っているなどの実態が知れると、特に「徴兵制」を布いていることからマスコミの忌避するところとなり、こういったアンケート自体報道されることがなくなってしまった。

 しかし今や相変わらず「憲法9条は絶対で、自衛隊すら違憲だ」などという分からず屋はいなくなっただろう。したがって憲法9条を「専守防衛のための戦力は保持する」としたうえで、スイスのような永世中立を国是とするのが良い。当然、日米安保は解消する。沖縄の米軍基地も無くなる。

 西洋との交流以来ここに160年、日本は欧米や隣国との紆余曲折を経て「永世中立国(ただし、専守防衛戦力は持つ)」として、もっとも日本らしいあり方で世界各国と付き合うべきだ。

 苦虫を潰したようになるのは、アメリカと欧米の一部とアメリカびいきの日本人だが、実は中国も韓国も歓迎するはずである。また世界の多くの国々も「待ってました」と大歓迎をするだろう。

 安倍首相の以前の「日本を取り戻す」というポスターを見て、「安倍首相はアメリカとの一方的な軍事コミットから、自主独立の日本を取り戻す」のかと思ったのだが、「尖閣諸島を国有化して取り戻した」民主党野田政権のほうが、日本の本来のあり方に近いような気がしてきた。

 「何でも民営化」「小さな政府」というアメリカの猿真似をし始めた中曽根政権からの一連の動きを見ていると、日本が日本本来の「民主的・文化的・平等的」な穏やかな国になるべきところを、「金・株・武力」のアメリカ(たった240年の歴史と、インディアンはじめ人種差別の酷い国)の後追いをしてどうするのか!

 目を覚ませ!日本人!

 専守防衛戦力保持の永世中立国を目指そう!

 

 

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10党の意見開陳

 安全保障関連法案が参院に回され、ほぼ自民・公明案に決定されようかと云う間際に、日曜夜のNHK「安全保障関連法案10党討論=どうする安保法案採決」なるものが、放映された。Cimg5832 画像は同番組より。円卓は手前から公明、右へ自民、NHK司会者(男女)、民主党、維新の党、共産党。後ろのひな壇は右から改革の党、社民党、生活の党(山本太郎と仲間たち)、日本を元気にする会、新党改革の代表者。

 こうしてみると小選挙区制によって「二大政党を目指す」としたかっての自民党などの思惑は全く達成していないことが如実に見て取れる。しかし考えてみると英米の二大政党制というのは国民の自由な意思表示によってそうなっているのか、むしろ疑問に思われる。日本のような10党も乱立するのが良いとは思わないが、4~5党くらいはあってしかるべきではないか?Cimg5837 さて、各党の意見開陳の前にNHKでまとめたプレゼンテーション。新安保の4大柱だ。

 このうち「集団的自衛権」については国連憲章から明確に謳われ始めた概念で、この「集団」とは第二次大戦の「戦勝国」のことであり、「戦敗国」でありかつ国連憲章上の「旧敵国」条項適用国たる日本は残念ながら入っていない(入れてもらえない)のである(日本が国連安保理事会の常任理事国に絶対なれないのも同じ理由である)。

 戦勝国(おおむね英米を主軸とした「連合国」で日独が加盟する前から国連に加盟していた国々)が、再び日独(枢軸国)のような敵対国家と紛争を起こしたら一緒にやっつけましょう―というのが本旨の「集団的自衛権」なので、旧敵国(戦敗国)であった日本が「集団的自衛権」を行使することはそもそも不可能なのである。

 しかも日本は単独でアメリカと「日米安全保障条約」を結んでおり、これは日本が軍事力が不足しており、かつ平和憲法で他国との紛争に於いて武力行使ができないからアメリカに肩代わりしてもらう―という片務的軍事同盟でもあり、そのことから言っても日本は集団的自衛権を放棄しているわけである。百歩譲って日本が集団的自衛権を行使できると考えても、アメリカとの片務的な軍事同盟を結んでいる以上、アメリカとの軍事的結合の「強化」になるばかりで、その他の国に対する集団的自衛権行使はあくまでもアメリカとの合意を前提とするほかない。Cimg5844 民主党の岡田代表から「これはアメリカからの要請ではないのですか」との質問に、自民党の外交問題の重鎮である高村副総裁は一瞬押し黙り、しばらくして口を開いたが、図星だろう。

 要するにアメリカが中国の強大化に対して、「自らまいた種」でもあるので、たとえば南沙諸島問題に対しても、牽制するだけで実力行使に出られない背景があり、それを日本がやるように仕向けつつあると見てよい。

 アメリカが「自らまいた種」とは―1972年に中国共産党政府を承認し、国府(台湾政府)を追放して国連安保理事会常任理事国の地位をはく奪し、その挙句、何と自由も民主主義もない共産党政府を国府に替えて常任理事国に据えたことである。しかも中国共産党政府軍と米軍は朝鮮戦争の時に敵国として戦っているのになぜ安保理の常任理事国になったのか不可解千万だ。結局、日本を旧敵国として押さえつけておくことが主眼だったのである。

 中共を承認し常任理事国にしたあとは怒涛のごとくアメリカ資本が海を渡り、今日の中国の金満金権腐敗国家を仕立てあげてしまい、アメリカ以上の「自己チュー」国家にしてしまったのだが、今頃になって内心しまったと思っているのだろう。もう後戻りは出来ない相談である。Cimg5843 維新の党は「地球の裏側で起きた米軍がらみの戦闘に出兵するようになりかねない自民党の案は憲法違反だが、我が党の後方支援活動は地域を限定して周辺事態に対応するものであるからOK」というが、仮に北朝鮮がアメリカ艦船に対してミサイル攻撃をしてきた場合、海自が出動するようになるわけだが、それをアメリカに対する「宣戦布告」と見なせば、日本が対北朝鮮への戦闘に参加せざるを得ないことになる。

 そうなると全面戦争にもなりかねず、拉致被害者を居留民に見立てて「居留民保護」の名目で朝鮮半島への出兵が合理化されるはずである。ところが北朝鮮の後ろ盾の中国が黙ってはいないので、戦いは泥沼化する恐れがある。

(日中が戦って喜ぶのはアメリカで、米国債もドルも高値安定となる。戦争の原因は国際関係の悪化にあるというのは過去の戦争で、現代は戦争することによって儲かる(金の動きが活発になり、生産・投資した以上にバックがある)軍需産業や機関投資家がうごめいていると考えた方がよい時代になっている。)

 まだ国民の6割が反対し、8割が説明不十分としている安保関連法案―「そうなんです。アメリカ様には楯突けないのです」と言ってしまえばすっきりするが、それでは次の選挙に勝てないのだろう。自由党と民主党が合同(保守合同)して60年。嗚呼、いまだに情けない。

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首都直下型地震?

 けさ早く、5時50分頃に東京湾を震源とするマグニチュード5.2の地震が発生した。Cimg5756 今朝は寝坊して起床が6時半を回っており、すぐにウメの散歩をして帰ってみたらNHK7時のニュースで地震発生を報道していた。Cimg5758 東京都下の調布市で震度5弱を観測した。この時点ではまだマグニチュードは5.3、震源の深さは70キロとしていた。Cimg5760 7時50分から気象庁で公式の見解発表があった。

 Cimg5762_2 それによると震源は東京湾で、深さは56キロ、マグニチュードは5.2というもので、東京湾の下に潜り込んでいるフィリピン海プレートの内部で発生したということであった。 震源は東京都と神奈川との境目あたり、ちょうど羽田空港の直下になっていそうだ。

 もっと浅い所で起こっていたら、東京全体が震度5以上で道路の陥没や水道管の破損などの被害が出ていたかもしれない。

 このところマグニチュード5クラスの地震が立て続けに発生している。火山活動との関連も言われるが、今回のは(首都)直下型地震の一種で直接の関係はないだろう。

 しかし油断は禁物である。最近、茨城県沖でもМ5クラスが起きており、ともに来たるべき大地震の前触れと受け止めてもおかしくはない。

 南九州でもМ5以上の地震が5月、8月、9月と起きていて、こちらもやや異常値に近いという印象が拭いきれないでいる。

 その際М5クラス以上の地震の前触れとして、青空に放射状の筋雲群が現れるような気がする(実際観測した)。

 もし気になるのであれば飛行機雲とは明らかに違う非常に滞空時間の長い筋雲が何本か規則正しく一定方向を向いて出ているかどうか確かめて見たらよい。

 ※ただし、直下型地震では長い筋雲になるのかどうか、我が経験則には今のところ無いので、まずは雲のいつもと違う怪しい並び方に着目して欲しい。


 




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エリザベス女王の在位

 昨日9月9日にイ1ギリスのエリザベス女王が在位63年7ヵ月と3日を超え、5代前の高祖母ビクトリア女王のこれまでの最長在位期間を塗り替えたそうだ。Cimg5742 会見に臨むエリザベス女王。(画像はNHK6時台のニュースから。以下同じ)Cimg5746 1952年2月、前国王の父ジョージ6世の逝去を受け、戴冠式により王位を継承。まだ満25歳の若さだった。Cimg5748 25歳の女性にしては立派な鼻筋。Cimg5749 1975年には初来日(50歳)。夫君はフィリップ殿下だが、国王としての統治権(海外を含む)及び英国国教会の祭祀権は女王に属している。Cimg5752 イギリス国内での王室支持率は70パーセント。

 海外の連邦国・地域は16を数え、大国としてはカナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどが挙げられる。

 ところが最近ニュージーランドではイギリスの国旗ユニオンジャックを標榜しない新国旗の制定を国民投票で行うという動きがある。連邦離脱というわけではないらしいが、新しい意思表示である。

 エリザベス女王がもし退位(おそらく逝去によるだろうが)することになれば、英連邦からの離脱を宣言する国や地域が出て来るに違いない。

 過去の大英帝国輝やかかりし頃は、ヘンリ-・ストークス氏が指摘したようにアジア・アフリカ最大の植民地宗主国であったが、日本人の大東亜戦争(目的:アジア民族自立)によって世界地図は大きく塗り替えられた。

 エリザベス女王が即位した1952年は日本が敗れてサンフランシスコ講和が実施に移された年(締結は前年)でもある。この頃には欧米のアジア・アフリカ植民地は次第に独立を果たし、10年後の1961年は「アフリカ独立の年」といわれるほど独立ラッシュが続いた。

 大英帝国―その栄光から挫折へ―を目のあたりにして来たのがこのエリザベス女王であった。それでもいまだにグレートブリテン・北アイルランド及び海外16国と地域の女王様である。

 栄光を築いたのは高祖母のビクトリア時代で、植民帝国、世界の工場、科学技術の先進地として世界を席捲した。在位は1837年から1901年の63年で、ビクトリアからエリザベスまでの間は男子国王が4代続いたがその合計在位は51年しかなく、世界共通で女性は長生きなのだといっても女王2代で126年、男王4代で51年はアンバランス過ぎる。

 日本でこれに似ているのが女王卑弥呼か。時代は1800年もさかのぼるが、当時の倭国(九州国家)では後漢の桓帝(在位147年~167年)から霊帝(在位168年~188年)の間に大きな戦乱があり、最後に卑弥呼が女王に立てられて収まった。その後卑弥呼は、死去する247年頃まで女王として君臨していた。

 桓帝と霊帝の間のどの時期に卑弥呼が擁立されたのかは不明だが、仮に霊帝の最後の年188年に擁立されたとすると、卑弥呼の倭国王としての在位は最低でも59年、足掛け60年となり、ビクトリア・エリザベス両女王に匹敵する長期間であったことになる。

 また女王ではないが、昭和天皇の在位も長かった。大正15(1926)年12月25日に大正天皇が崩御してから、昭和64(1989)年1月7日崩御までの足掛け64年、正味は62年と14日。これは日本の皇室では最長で、おそらく世界中の歴代男子国家元首の中でも最長だろう。

 日本という国号が生まれ列島全体が統一国家となったのは天武天皇の時代で西暦660年代。それから連綿と今上(平成)天皇まで1350年余、よくぞ続いた日本の皇室。現存する王家として世界最長を誇るが、ノルマン王朝(始祖ウィリアム1世:1066~1087年)から始まるイギリス王家に敗れたとはいえ、日本の伝統を決して棚上げにしてはなるまい。

 













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抗日戦勝利70周年パレード

 9月3日午前、北京で中国共産党政府主催の「抗日戦勝利70周年」を祝うという建前の軍事パレ-ドが行われた。Cimg5721 天安門前の広場では次々に中国の新兵器がパレード。(画像はTBS「ひるおび」から。以下同じ)Cimg5729 最新作の無人攻撃機。おそらく米軍のパクリだろう。

 こうして世界に中国の軍事力の大きさを見せつけるのがこのパレードの狙いで、米国軍事力への対抗が主眼になっている。Cimg5738 習近平の演説が焦点だったが、Cimg5736 戦時中の中国には人民の自由はむろん無く、正義も国民党の目指す正義と共産党の目指す正義には大きな違いがあり、この二党の内戦のほかに各大都市には軍閥が跋扈し、混乱の極みにあった。

 日本軍が上海から南京に入城した際は、このような混乱の中でむしろ整然と進出してきた日本軍を歓迎する市民が多かった。そのため南京の人口が当時20万だったのが25万に増えている。つまり南京市内は国民党軍、南京軍閥によって一般人民が略奪や暴行に晒されていたのに、逆に日本軍の占領により安定と平穏が保たれたのである。

 当時の南京攻略軍司令官だった松井石根大将は、孫文の御廟である「中山陵」を決して破壊せぬよう細心の注意を払っている。孫文こそは日本が日清戦争で満州人支配の清国を打ち破り、それに乗じて旧弊を打破して新しい中国を築いた「辛亥革命」の主導者だったからである。

 日本は孫文提唱の「三民主義」を高く評価したが、革命後は最大軍閥の代表である袁世凱との確執で思うように主導権を握れずに、次第に力を得て来た共産党軍との戦いも加わり、1925年に孫文が死ぬと国民党は蒋介石、共産党は毛沢東の時代に入り、以後内乱状態が続くようになった。

 しかし昭和12年(1937年)7月7日の「盧溝橋事件」に端を発し、日本と国民党政府が本格的に戦争状態になって行く。この盧溝橋事件は共産党軍(八路軍)の陰謀だという説もあり、そうでないにしても国民党政府軍は日本軍と戦うことによって消耗し、結果として共産党軍は勢力を温存することができた。

 このことを裏付けるのが1949年に共産中国が誕生した時のいわゆる「共産革命第一世代」の毛沢東はじめ周恩来・劉少奇・林彪・鄧小平などの指導者は日本への親近感を抱いていた―とされることである。

 抗日・反日が中国国内の学校教育で声高に叫ばれ始めたのは「革命第二世代」の上海閥の江沢民時代からである。江沢民の父は日本軍が南京を占領したあとに設立を助けた「南京臨時政府」(代表・汪兆銘)の要職にあったゆえ、その事実を糊塗するために余計に日本軍悪辣説(つまり反日)を唱えだし、ありもしない南京大虐殺30万をでっち上げた。

 それが端緒でいまだに中国国内では公式的に「南京大虐殺を引き起こした日本軍国主義に打ち勝った」というのが彼らの歴史認識になっている。またそう言っておかないと1971年に国連に加盟が許され、1978年に米中共同宣言で米国が共産党政府を認め、安全保障理事会の常任理事国であった台湾国民党政府を追放してその後釜に据えられた理由が問われた時に「国連で連合国と戦って敗れ、憲章の53条で旧敵国とされている日本と戦って打ち勝った。だから安全保障理事会の常任理事国になって当然だ」とうそぶくことができる―というわけである。

 しかし米国も米国だ。いくら同じ中国人だとはいえ、自由・民主主義体制の台湾政府に替えて、自由も民主主義も何もない中国共産党政府をこともあろうに安全保障理事会の常任理事国のポストを当てるにあたってなぜ拒否権を行使しなかったのか? しなかったのはやはり「旧敵国日本」対策だったのだろう。

 「竹のカーテンを開けてやったぜ」とアメリカが喜んでいる間に中国はどんどん肥大化し、ついに上記のような軍事力を誇示し、南沙諸島を軍事要塞化してしまった。安保理の理事会に掛ければよいものを、なにしろ中国は拒否権を持つ常任理事国様だから手も足も出ない。Cimg5731 しかも軍事パレードには米国が体質的に最も嫌うロシア(これも安全保障理事会の常任理事自国だ)を隣りに立たせて仲の良さを内外にアピールしている。

 こんな中国に誰がしたかと言えば、アメリカである。自業自得というべきか、それを自分で解決するのは共産党政府を引っ張り込んだ手前できないし、対中貿易赤字の巨大さの前に迂闊に文句も言えないので、「じゃあ、そろそろ日本に加勢させようか。日本と中国がドンパチやってくれたらしめしめ・・・」というのがアメリカの本音である。

 日本には日本の行き方があり、他国との付き合い方もある。しかも先の大戦の結果、武力による解決はもうやめにしよう―というのが国是になっている。大東亜戦争によって欧米による人種差別的植民地主義は雲散し、民族自決の当たり前の世界になった(このことはヘンリー・ストークス『反日中韓の詐偽を暴いた』に詳しい)以上、今後ともその国是を変えてはなるまい。

 国連憲章53条で「旧敵国」になっている以上、原加盟国(反日・反独連合国)に付与された集団的自衛権を、日本なりドイツなりが行使することはできない。ましてすでに日米安全保障条約が機能しているのであるから、ますます集団的自衛権の行使は難しい。

 日米安保を解消したうえで、改めて集団的自衛権によりアメリカとの「相互防衛協定」的なものを結ぶ―というのが筋だが、「旧敵国」である以上、原加盟国(連合国側)だけに許されている集団的自衛権の行使はできない。

 となれば、日本はやはり日本独自の立場、つまり、「およそ国である以上固有の権利として許される個別的自衛権により専守防衛の軍事力を持つこと。スイスのような永世中立国となること」の二点を憲法に書き加えるのがよい。

 むかし社会党を中心とする革新政党は「非武装中立」を唱えたが、これは書生論で、当時のアンケートなどでは必ず最も好きな国の第一位が断トツでスイスだったのだが、スイスが「国民皆兵(徴兵制)」の国だと知れると、たちまちダウンしたことでも分かるように、とにかく「金科玉条=第9条(非武装)」であった。

 今日はもう「非武装」などという考えの人間はほとんどいないと思うが、今またスイスのような永世中立武装国への道すじが改めて考えられてもいいと思う。

 願わくば、平安京へ「還都」したうえで、天皇の御言葉として「永世中立」(ただし武装)が宣言されんことを!

 

 











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変顔のアサガオ

 夏の名残りのアサガオ。ここのところ雨模様でプランターのアサガオの元気がいい。

 晴れて暑い日は前日の夕方にたっぷり水をやっても、翌日の昼ごろにはからからに乾いて葉も花もぐったりしていたが、雨のおかげで水遣りが省けるうえ、開花時間も長い。Cimg5642 混合種という一袋を蒔いただけなので青系とピンク系があったらしく、青はこれが標準的な花。Cimg5636_2 ピンク系はすべてに絞りが入っていたようだ。Cimg5670 斑入りのピンク。Cimg5672 絞り入り斑入りピンク?

 ところがこれで済まないのが次のピンク。Cimg5669 何とも名の付けようがない。Cimg5630 極めつけはこれ。

 まるで円グラフだ。お母さんの方が好きな人は赤、おとうさんの方が好きな人は白――なんちゃって。Cimg5632 おや、モモじゃないか。庭で何かしていると必ず寄ってくる猫。

 お前はこれをどう思う?

 ―カルカンが赤、猫元気が白だニャー。

 バカヤロー。






















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珍しい筋雲群(2)

 5月22日の「珍しい筋雲群」に続く第2弾。

 夕方の6時過ぎにテレビニュースを見ていたが、どのチャンネルも「東京五輪エンブレムを白紙撤回」で持ち切りだった。うんざりしてBSフジの『裸の大将放浪記』に替えてしばらく見ていたが、コマーシャルが入った際に居間の外に目を移したら大きな飛行機雲のような筋雲が青空を南東から北西へ横切っている。

 立ち上がってガラス戸から上空を望むと、「あれ、また筋雲群だ」と別室に行ってデジカメを手にし、玄関から外に出た。Cimg5654 ほぼ南の空に左下(南東)から右上(北西)に走る筋雲がたくさん出ている。Cimg5655 南の方向からカメラの向きを西に移動してみると、南の空の比較的低い位置から立ち上がった筋雲とは別にほぼ真上にもあり、これも北西方向に伸びている。

 筋雲群はどこか一箇所に収斂して行くようだが、頭上の二本の筋雲は、そのまま北西にたどればすぐ近くで交わるように見える。その先にあるものと言えば……桜島だろうか。

 だが、桜島は震源というよりは噴源と言うべきで、これがもし地震雲であったら、反対の南東側に震源があるとすべきか、南東側は種子島近海で、前にも小さな地震があったことがある。

 5月22日の奄美大島近海を震源とするМ5.1の地震の前兆かと思われる筋雲群が南西ー北東方向に出現したことはブログ「珍しい筋雲群」に載せた。

 また、実は8月26日に日向灘を震源とするМ5.2の地震にも筋雲群がわずかながら東の低空に観測されたのだが、あいにく写真は撮れず、ブログ化もしなかった。たしかその四日前だったか、低く垂れ込めた雲がたまたま東の低空だけ切れていて、その隙間から数本の筋雲群が南から北方向に伸びているのが見えたのである。

 その時感じたのは、もしそれが地震雲であれば日向灘かひょっとしたら南海トラフが震源の地震だろう―ということであったが、日向灘での発生は当たったことになる。

 さて今回はいかに…。

 同じ夕方のニュースで、桜島に出されていた噴火警戒情報は4から3に引き下げられた――とあったが、マグマ噴火の可能性は余程小さくなったのだろうか。時期尚早のような気もするが……。




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防災の日

 今日9月1日は防災の日。

 大正12(1923)年の9月1日正午少し前、マグニチュード7.9の関東大震災が発生し,死者不明者10万余りを出した。これを記銘し防災意識を高めようという日だ。Cimg5652 午前9時、首相官邸で安倍首相が「大地震が発生したので落ち着いて行動してください」と、訓練訓示を発表していた。(画像は9時のNHK番組から。以下同じ。)

 それによると、地震の想定規模はマグニチュード7.3であり、想定死者数は2万数千人ということである。

 地震規模がいかにも少なめである。余計な恐怖心を煽ることのないように―ということでかなり控えめの数値にしているようが、前関東7.9、阪神7.8、東北9.0という現実に起きた規模を想定した方がよかったと思う。

 前関東大震災程度のマグニチュード8.0クラスだと、死者数は最低でも10万。前関東大震災の時は木造家屋が圧倒的に多かったため地震後の火災による焼死者が9割を占めたが、現在ならその割合はかなり減るだろうと言われている。

 しかしビルでも火災は発生するし、密集地域にあるガソリンスタンドなど前大震災の頃にはなかった火の元はゴロゴロしているのである。

 その他地下街の異常なくらいの発達、地盤沈下による海水の逆流など危険性ははるかに増大しているはずだ。

 被害金額は想定で4~50兆円だが、8.0クラスなら100兆円と倍増しよう。国家予算と同額になる。Cimg5653 首都直下型地震になるのか相模湾トラフ地震になるのかも問題だろう。もし両方同時に起きたら―と考えておく必要もある。そうなると目も当てられない悲惨な状況が起きるに違いない。

 5年後の東京オリンピック開催を待たずに発生したらどうするのか?

 以前よく言われていた地方分散型国土という掛け声はどこに行ってしまったのか。東京一極集中は8.0クラスの地震災害を既定の条件としたら「危険」の一言である。

 橋下大阪市長は最近「大阪維新の会が母体となって大阪を中心に永田町を変えて行く新たな政党を立ち上げたい」と言っているが、もう一言、永田町の3割を大阪に引っ張ってくるような「分都」体制を早急に整備する――という観点が欲しい。

 出来たら序でに、というのも烏滸(おこ)がましいが、江戸城の皇居をまた京都の御所(平安京)へ「還都」する大事業にも目を向けて欲しい。(このことはこれからも訴えて行きたい!)

 

 

 

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