田の神盗み(鹿屋市獅子目町)
前回のブログでは「盗っ人」はロシア(正確には旧ソ連)だったが、身近な所でも「盗み」がある。「田の神盗み」だ。鹿児島弁では「タノカン・オットイ」と言っている。
「盗み」といっても、田の神の石像を盗むというより「借りる」のであって、ある地区に借りて持って来て豊作を祈願し、その通りになったら元の地区に田の神とともに盛大に借りを返しに行く―という風習である。
獅子目地区は三本の「舌状台地」からなり、その間の二本の谷筋(谷地=やち)に沿ってなだらかな段々田が広がっている(写真のグリーンの部分)が、その二本の長い段々田を見守っているのがそれぞれの田の神である。しかし獅子目入口にでんと構える水利組合が設置した獅子目町内図によるとその二体あるはずの田の神がなくなっているというのだ。
確かめに行こうと右手の谷地方面を行くと、途中で農作業をしている人に出会ったので場所と無くなったのは何時かを聞いたら、「何年にもなるが、帰ってこない。昔は家で結婚式の時に田の神に来てもらった。夫婦事がうまく行き、子宝に恵まれますようにと願うこともあったが、今は結婚式場で挙げるからそんなことはなくなったけれど・・・」
そうか、結婚で子宝が授かるのと、米がよく稔るのと、似たようなものだな―と感心して聞いていたが、「近頃は盗んで売り飛ばす奴も現れたとも聞くんだわ」とも。そういう手合いはばちが当たった方がいい。 西地区の田の神はこの用水路完成記念碑(平成4年)の隣りにあったというが、まったく分からなくなっている。しかしまあ、この完成記念碑が豊作を約束する現代の「田の神」なのかもしれない。
用水路沿いの田んぼでは老夫婦と若者の三人で刈り取りの真っ最中。
用水路はずうっと上の方から下って来ているので、最上部を訪ねてみた。
完成記念碑のあったところから1キロ余りの最上部にある堰。沢水をコンクリート護岸で誘導し、途中に巻き上げ式の青い堰板が設置されていた。ここから分水しているのだ。
沢の堰のすぐそばにある一番高い田には、上の山林に向かって4体の案山子と防風ネットのいくつかの支柱にテルテル坊主の極大なのが山に向かって立てられている。イノシシ除けだろう。まるで国境警備隊だ。
上の田より200㍍ほど下流の田でも防風ネットを張り巡らしたり、中には「電柵」も見受けられる。たかがイノシシとはいえ一度味をしめられたら何度でもやって来る。山間の田作りは苦労が絶えない。
経済合理性から考えたら、とてもじゃないが山間部の田はやって行けない。民主党政権の時から直接所得補償が始まったので、何とかやって行けるのだろう。
しかしそれはそれとして、この黄金色の田園は何にも代えがたい風景だ。こんなふうに日本列島では少なくとも2000年は作付けて来て今日がある。
ここ獅子目町は大姶良地区の一部だが、鎌倉時代以来獅子目氏(志々目氏=藤原姓富山氏一族)が治め、南の根占氏、東の肝付氏との興亡のあったところで、平安時代の『倭名類聚抄』(930年頃成立)の諸国郡郷一覧「大隅国・肝属郡」に「大阿郷」とある大姶良郷の一地区であったから由緒は古い。
たしかに河川はほんの小流とはいえ、比較的なだらかな谷地田であり、それなりに耕作しやすく安全な場所であったといえる。 タノカンサ―が鎮座していたという東地区公民館。オットラレタ(押っ取られた)おかげでやや荒れてしまった風に見えるのは思い過ごしか。
集落入口の水利組合の看板にも「田の神のお帰りをお待ち致しております」と書いてある。
もしオットラレなければ、こんなタノカンサ―だったと思われる。これは獅子目町入り口にある現存する唯一のタノカンサ―で、たぶん犯人を御存じに違いない・・・。
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