旧国鉄大隅線(補遺)
7月に回った「旧国鉄大隅線」(1~5シリーズ)のうち(1)は志布志駅から東串良駅までを載せたのだが、その間にある「菱田駅」「大崎駅」「三文字駅」をすっぽかしてしまったので、所用で志布志に行った途中、見て回った。
東串良駅から志布志方面へ向かうと、最初の駅が「三文字駅」だ。三文字とは駅名としては珍しいが、大崎町の中心部から西に向かう国道220号線上の交差点の名が援用されたのである。 国道の交差点三文字から東にわずか50m入った所には量販店「だいわ」があるが、その店舗の反対側に車止めがあり、そこが旧三文字駅である。
ここに見える道路こそが線路跡であるが、駅跡同様に何の表示もないので見過ごしてしまう。もっとも線路跡が拡張されて十分に相互通行できる広さの道路に変身したので当時の面影は全く感じられない。
大崎駅に行くにはこの道路を真っ直ぐ向こうに走ればいい。 三文字駅跡からは次第に上り坂となって、持留川と田原川との間にある上町台地に上がり、200mほど走ると「大崎町立給食センター」の白い建物に着く。ここが大崎駅の跡である。三文字駅からの距離はわずか1キロしかない。
ここは持留川と田原川の間の舌状台地で古墳の多いことで有名だ。超リアルな「武人埴輪」を出土した神領10号古墳や名前もゆかしい天子ヶ丘古墳(鹿児島では珍しい日光鏡を出土)などがあり、大隅半島では塚崎台地の立地条件とよく似ている。
ここから菱田駅跡へはちょうど4キロ。最初の2キロ余りは快適な道路だが、途中で二度クランク状の箇所があり、やや分かり難くなっている。 むしろ国道220に出て志布志に向かったほうがこの駅の所在を確認するには容易である。
国道220号線にあるバス停「菱田下町」が最寄りで、そのバス停から海側(東側)の旧道に入ると小さな公民館(写真の左手の建物)がある。ここが菱田駅の跡で、この公民館は旧駅舎の跡に建てられたようだ。
向こうに真っ直ぐ500m足らずで菱田川に行き当たる。長さ100m以上あった鉄橋は今はもう無い。
この三駅はいずれも大崎町内にあった駅だが、共通しているのが旧駅があったことを示す表示の類が一切ないことだ。他の廃駅ではほぼ必ず駅舎跡や線路の一部などがあり、かつまた公園化されたりしているのだが、この三駅に限ってはそれらが全く見当たらないのである。
廃線になることで国からの交付金などが出ており、それを原資に公園化などが進められたと聞くが、大崎町ではどうだったんだろうか―。
その使い道など今さら知る由もないが、善意に解釈すると駅跡を完全に抹消してしまったのは当時の国鉄分割民営化政策への抗議の意味だったのかもしれない。
国鉄分割民営化を推し進めた当時の自民党内閣の総理は中曽根康弘。その時のアメリカ大統領ロナルド・レーガンとは「ロン・ヤス」と呼び合う仲だったとかで、レーガンも「小さな政府」を標榜しやはり各分野で民営化路線を進めた人物だ。
のちに中曽根首相は、分割民営化の目標は民営化そのものよりも国鉄労組を解散させることだった―と述べている。確かに国労と動労は日教組・自治労と並んで革新政党の巨大な支持母体で事ごとに自民党政権には敵対してきた。
だからと言って単に不採算路線一律廃止はなかっただろうに。味噌とクソを一緒にしてもらっては困る。今さら元に戻せとは言わないが、大隅半島は相変わらず「陸の孤島」を脱せないままでいるのは残念だ。
こうなったら飛行場でも造るか。
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