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旧国鉄大隅線(補遺②)

 以前に回った旧国鉄大隅線跡。このブログでは(1)から(5)に分けて取り上げたのだが、そのうちの(1)の志布志・菱田・大崎・三文字・東串良各駅では菱田・大崎・三文字の三駅が未確認だったので、「旧国鉄大隅線(補遺)」で改めて確認した場所を公開した。

 ところが未確認の駅跡は(5)にまだ4駅あり、今回改めて確認に行った。

 (5)には麓・辺田・二川・境・大廻・福山・敷根・銅田・金剛寺・国分の10駅があるのだが、二川・大廻・敷根・金剛寺の四つの駅が未確認だったのである。

 まず二川駅跡。Cimg6687 垂水方面からだと国道220号の二川地区に入る直前、牛根校前という表示のあるバス停の向かい側を右折。100㍍ほどで線路跡と思しき道路にぶつかる。左手に旧牛根中学校の校庭のフェンスが見える。その真ん前がホームだったようだ。今は新しい家が建ち、駐車スペースになっている。Cimg6686 線路跡を北(国分方面)へ100mほどで松崎川に出る。右手の橋が旧鉄橋かと思ったが、これは人道橋(自転車は通れる)で、鉄橋は今写している所に架かり、牛根小学校の体育館のすぐ後ろ側が線路だった。

次いで大廻駅跡。Cimg6685 大廻郵便局を右折すると上り坂が200㍍ほど続き、福山病院に突き当たる。ケヤキ並木が線路跡だ(向こうが国分方面になる)。Cimg6683 駅舎は軽自動車の右手辺りにあった。病院の看護婦さんが言うには、線路部分はもっとかなり低かったらしい。それにしてもこの病院は駅のすぐ後ろだったわけで、通院者にとっては便利この上なかったろう。

 次は敷根駅跡。Cimg6681 この駅の確認には大分手間取った。写真の中のカーブしている道が線路跡で、向こうの小さな川を渡って敷根の住宅地に入って行く(手前は福山から来て抜けるトンネルの出口)。Cimg6677 国道220号が敷根地区に下りて行くと間もなく右手に線路跡を拡張した「敷根バイパス」があるから右折し、約500mくらい行くと右手に赤い屋根の大きな二階家があり、それに並んで「日進工業」という看板を掲げたプレハブ二階建てがある。この建物の真向いに旧敷根駅舎があった(写真は来た方を振り返って写している)。

 この建物の前の道路端にはCimg6676国分ふれあいバスの停留所があり、その名が「大王」といかめしい。

 旧駅舎跡は道路反対側に立つ二階建てとその右側の平屋建てが立ち並んでいる。その二軒の家の前にも同じ停留所があるのだが、どういうわけか、「大王」という停留所名が無かった。

 最後に金剛寺駅跡。Cimg6654 敷根駅跡から国分(現在は霧島)市街地に入り、銅田駅跡の傍を通り京セラ国分工場前を抜けて行くと、右手に城山公園山頂の展望台が見えてくる。向うに小さく信号が見えるが、ここを右折すれば城山公園に上がる。

 駅舎跡は左右どちらか確認できなかったが、おそらく山手側ではなく市街地により近い道路左手一帯かと思われる。Cimg6657 金剛寺と駅名が付いた由来は、さっきの信号を右折して城山公園へ向かうと150㍍ほどで「史跡・金剛寺跡」にぶつかる。その金剛寺から採った名である。(写真は信号から右折した先を望んでいる。突き当りに金剛寺跡がある。)Cimg6660 金剛寺は薩摩の戦国大名島津家の第16代で国分に居住した義久の菩提寺で、巨大な墓塔が建てられている。しかし藩政時代になって島津氏の居城が鹿児島鶴丸城となってから、遺骨は鹿児島の島津家菩提寺である福昌寺へ移され、ここには遺髪だけが納められているという。

 鹿児島を席捲した廃仏毀釈の嵐のすさまじさの前には、由緒あるこの金剛寺も例外たりえず、伽藍などは跡形もなく消え失せ、ただ石造物のみ往時のよすがとなるばかりである。

 石庭と言ったらいいのか、匠が制作したかのような巧妙な自然石が処々に残ったさまは情趣ある勝れた風景だ。Cimg6669 さっきの信号に戻り、道を国分駅方向へ行くと、国分市民プールや第一工大(都築学園)のキャンパスの間を通り抜けたあたりで右手から線路が迫ってくる。それは現役のJR日豊本線だが、その線路に並行しながら旧大隅線は国分駅に到着した。(写真では道路のように左にカーブせず、そのまま真っ直ぐに線路が走っていたことになる。)














 










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