今上陛下82歳の誕生日
平成天皇が82歳の誕生日を迎えられた。 一般参賀に訪れた人たちに手を振る両陛下。(この画像はNHK午後7時のニュースから)
師走の恒例行事となった一般参賀。昭和天皇の時代、昭和48年から始まった行事というから40年以上続いている。戦後の全国行脚の一環として国民に親しまれる「開かれた皇室」という観点から始められたものだが、戦前とは雲泥の差である。 午後10時からのテレビ朝日では平成天皇の「慰霊の旅」に焦点を当て、特に沖縄への両陛下の思い入れの深さを取り上げていた(以下同じ)。
1984年(昭和59年)の誕生日に沖縄からやって来た高校生から花束を受け取られてお礼を言う昭和天皇。
昭和天皇は沖縄訪問を強く願ったのだが、沖縄県民の間に「天皇のために死ねと言われ、戦場や防空壕で多くの県民が命を落とした」とのわだかまりが強く、とても訪問どころではない―という政府の判断で見送った経緯がある。 今上陛下は皇太子時代の1975年(昭和50年)、言わば昭和天皇の名代として沖縄を訪問され、戦跡のひめゆりの塔では火炎瓶を投げつけられたりしたのだが、少しも動じることなく坦々と巡礼をされた。
その時の沖縄県民へのメッセージ(1975年7月17日)では、「沖縄に心を寄せ続けて行く」と述べられている。
鹿児島県民としても、もし沖縄で米軍の攻撃に対して沖縄県民が3カ月近く戦ってくれなかったら、米軍の「ダウンファール作戦」(日本上陸作戦)の一環である南九州上陸(オリンピック)作戦が開始され、薩摩半島の吹上浜および大隅半島の志布志湾への米軍侵攻によって相当な悲劇を生んだはずであり、やはり沖縄には心を寄せる必要がある。 昭和天皇の心残りであった全国巡礼行脚の沖縄版は平成天皇に受け継がれ、今後も絶えることなく続けられていくだろう。
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