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日本人のルーツを探る二つの遺跡

 12月27日のNHKテレビでは新たに発見分析された二遺跡出土の多量の人骨から日本人のルーツを探る――という番組が放送された。Cimg7537 司会は壇蜜と天野という珍妙な取り合わせだが、進行の仕方は面白い。Cimg7540 多量の人骨が出た二つの遺跡のうち旧石器時代(~15000年前)のものは、沖縄の石垣島「白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞窟遺跡」で、人類学者によると当時の人骨は同じ沖縄県と静岡県の二カ所でしか発見されておらず、しかも数はわずかなものだが、今度のは大量だという。

 ただこの旧石器の人骨については詳細な分析結果は出ていない。ともかく日本列島に15000以前前から人が住んでいたことと、なぜここにそのような大量の人骨が残ったか(――それは人骨群がサンゴ由来のアルカリ性土壌に含まれていたため骨が溶けてしまわずに残った)ということの説明をするためであった。Cimg7553 その一方で富山県の富山市呉羽町で北陸新幹線工事にかかる遺跡「小竹(おだけ)遺跡」では、縄文時代前期(6500年前~5500年)の人骨が何と91体分発見されている。Cimg7575 それら人骨中のミトコンドリア遺伝子を分類した結果、Cimg7581 91体分の人骨のうち13体からミトコンドリアDNAが抽出され、それらは5つのタイプに分類されたという。Cimg7582 A、G、N9b、М7a、М9の五つで、それらの多い地域をプロットするとCimg7589_2 北からバイカル湖周辺、沿海州奥地、沿海州海岸寄り、中国大陸中部、ミャンマー周辺というように、小竹遺跡に眠っていた縄文前期人のルーツは大陸北部から東南アジアまでの広い地域にまたがるという。

 ミトコンドリアDNAは母親由来なので、その型の多い地域はそこからさほど動いていないということが言え、アフリカから伸張してきた人類のその地における小進化(小変異)なので、富山の小竹遺跡にはそれぞれの地域から何らかの動きによって集まって来たと言えるそうだ。

 要するに小竹遺跡の前期縄文人の母方のルーツはアジアのそうとう広い範囲だということになる。もちろん、母方のルーツのその又ルーツを突き詰めて行くと「アフリカ」なのだが……。
Cimg7603_2 出演者5名(司会の壇蜜・天野、ゲストの森公実子・クリス・阿部リポーター)のミトコンドリア遺伝子はすべて「D4」という型で、小竹遺跡の縄文人とは重ならないことが分かった。

 だがその中でも森・天野・阿部は縄文時代に日本列島にやって来た子孫で、クリスと壇蜜は弥生時代にやって来た子孫だそうである。このあたりの分析の仕方がいまいちよく分からなかったが、これまでの分類でいえば前者は縄文人の直系、後者は弥生人の直系ということになるのだろう。(ただし、あくまでも母方のルーツということである。)Cimg7595 日本人のミトコンドリアDNAは約20種のタイプに分けられ、その中でも「D4」型は33パーセントを占めており、他のが最大でも「B4」の9パーセントであるから、断トツの占有率である。

 この「D4」型のミトコンドリア遺伝子の由来はどこなのか、はっきり示されなかったように思うが、日本列島と考えてよいのではないだろうか。

 権力欲と支配力の駆け引きが錯綜する歴史を考える上で、遺伝子情報は実はさほどの意味はない。こういった情報に意味ありとすれば歴史よりも人類学や個人においてだろう。

 ただし個人史の場合は「我が家のルーツ」が他を圧倒して興味の対象であり、その際遺伝子はほとんど用をなさないが、これからの国際化時代の中ではむしろミトコンドリアDNAが大きな意味を持ってくるかもしれない。






















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