« 倉敷(阿知潟と吉備高島宮) | トップページ | 高隈山・桜島の雪景色 »

台湾総統選挙で民進党候補が圧勝

 台湾で総統選挙があり、野党民進党の候補蔡英文氏が圧勝した(得票率56㌫余)。国会に当たる立法院の選挙でも単独過半数(約6割)に達した。(画像はNHK1月17日午前7時のニュースより。以下同じ)Cimg7836 蔡英文女史の実際の就任は今年の6月以降だが、近隣諸国では韓国に次いで女性の国家代表が誕生することになった。Cimg7834 蔡氏を推す民進党は与党国民党が中国共産党政府寄りの政策に軸足を移し、国民から「過度の経済中心主義で国民の間に貧富の差が広がり嫌気が蔓延している」として非常な不人気に陥り、今度の政権交代が実現した。

 人民間の平等を最高の理念としているはずの共産主義国家(人民共和国)に肩入れすると、国民の間に大きな不平等が生まれる――というのもおかしな話だが、中国大陸の人民からして共産党の息がかかっていないと貧困に落とされる(共産党関係者のみうまい汁を吸う)から、貧富の格差は天文学的なものになっている。(日本を始め世界中に旅行をして爆買いしている連中はうまい汁組の本人か家族および一族である。)

 一党独裁の究極の汚点がすでに頂点に達しているわけだが、相変わらず人民の間には普通選挙は無論他の政党や政治結社すら作れない状態である。日本が大正15年(1926)に曲がりなりにも「普通選挙制」(男子のみ)が施行されて90年が経つが、その時代にさえ追いついていないのが中国共産党独裁化の中国である。

 1949年に大陸では中国共産党政府(主席・毛沢東)、台湾では中華民国(総統・蒋介石)が政権を掌握したが、蒋介石とその子の蒋経国の代を過ぎてから台湾も完全に普通選挙の時代に入りいわゆる通常の自由主義諸国の一員になった。しかしながら1972年に共産党政府が国連入りし、英米の反対があろうかと思いきや台湾政府に代わって何と安全保障理事会の常任理事国に入り込んでしまった。台湾政府は怒り心頭、国連を脱退したのであった。

 英米の最も嫌うはずの共産党独裁国家が国連入りどころか、さらにこのように台湾政府を蹴落として常任理事国になった(させられた)背景は二つある。

 1949年10月に共産党政権が樹立するわけだが、その同じ年の1月に蒋介石率いる国民党は次第に力を増してくる共産党(毛沢東)に手を焼き、国連及び英米仏など同じ安保理の常任理事国に対して「内戦の調停」を依頼するのだが、彼らはあっさり拒否。「国連は内戦に不介入」というのがその理由である。しかし英米は日本と戦っているときには積極的に蒋介石の国民党政府を援助していた。ところが日本が負けてしまうともう大陸のことは知らんとそっぽを向いたのである。その後の共産党の伸張・席捲は見ての通り。(アメリカは朝鮮動乱で積極的に介入し、おまけにベトナム共産党への戦争を引き起こしているのだから、彼らの言う「内戦不介入」は当てにならないいい加減なものだ。)

 もう一つは日本対策である。結局のところ国連は「第二次大戦に連合国側だった諸国のために組織され、連合国を敵にした旧枢軸国はお情けで加盟させているのだ」というスタンスが本音で、反日なら中国が共産党政権であろうとなかろうと「そんなの関係ねえ」というわけなのだ。

 1955年のアジア・アフリカ(バンドン)会議以降、中国共産党政府は日本へ経済発展のための技術などを求めて接近し、彼我の経済的交流が始まり、劉承志・高崎達之助のいわゆる「LT貿易」(1962年11月に覚書調印)が軌道に乗ってきた矢先に、キッシンジャーが例の忍者外交で中国共産党政府を認め、国連加入への道筋をつけた。同時に日中間に楔を打ったのである。(このことが国際的に評価されて「ノーベル平和賞」を受賞している。台湾と日本を出汁にしての受賞であった)。

 日米安保および米軍の地位協定はそのような時間軸で見ると、特に沖縄に置かれている多大な米軍および基地は日本を守るためではなく、日中が接近しすぎないように打たれた「永遠の楔」に他ならないということになる。

 台湾とアメリカとの間にも同様な協定が結ばれているが、こちらも台湾と中国がもし戦っても積極的な介入はしないだろう。あくまでも抑止力でしかない。

 Cimg7839 今度生まれる民進党蔡英文政権が中国とどのような関係を築いて行くのかはよく分からないが、これまでの国民党馬英九政権のような中国接近策はとらないだろうことははっきりしている。しかも蔡次期総統は親日的と言われており、そうなると中国は余計に難癖を付けたがるだろうから難しい舵取りになりそうだ。

 ただ中国大陸人民の間にこのような開かれた普通選挙による総統選出が見せつけられたことで、民主化の動きが強く出て来るのではないかと期待はされる。

 台湾ではあの辛亥革命で清王朝を瓦解させ「三民主義」を唱えた孫文の遺志がほぼ実現し、今回もまたそれを見せつけられた。慶賀すべきことである。

 孫文は死(1925年3月)の4ヶ月前に神戸で「大アジア主義」に関する演説を行っているが、その中で「西洋の覇道を採るのか、東洋の王道を採るのか、日本よ」と訴えている。日本は西洋植民地主義とは違う植民地を台湾、朝鮮半島等で経営した(特に台湾では民生に多大の裨益をもたらしたことで台湾人に日本への憧憬が根強い)が、孫文の期待に外れてしまったように見える。

 今、孫文が生きていたら日本やアジアの現状をどう評価するだろうか。そして分裂したままの台湾と中国をどう融合させるだろうか、それともこのままだろうか? 

 しかし中国大陸が一党独裁の圧政から解放され、少なくとも今度の台湾のような公正で自由な普通選挙が行われることだけは強く願うに違いない。

|

« 倉敷(阿知潟と吉備高島宮) | トップページ | 高隈山・桜島の雪景色 »

ニュース」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 倉敷(阿知潟と吉備高島宮) | トップページ | 高隈山・桜島の雪景色 »