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鹿屋市鉄道記念館

 志布志駅から鹿屋駅・垂水駅を通り国分駅まで33駅98.3キロを結んでいた「国鉄・大隅線」が廃止されて29年が経過した。
 大隅線は昭和62年3月13日を最後に姿を消した。
 大隅線の前身は大正4年(1915年)に鹿屋・高須間約9キロに登場した「南隅軽便鉄道」で、それ以来延伸に次ぐ延伸で、昭和10年(1935年)に国有化され、同13年に古江・志布志間が狭軌(線路幅1067ミリ)に統一されて「国鉄・古江線」が開通。
 その後も古江から垂水の海潟温泉駅までが昭和38年に、さらに昭和47年には念願だった国分駅まで延び、志布志から鹿屋・垂水を経由して県都鹿児島市までが一本のレールでつながった。
 しかしその喜びもつかの間、特定地方交通線(要するに赤字路線=廃止対象路線)に指定されて62年(1972年)に廃線となった。海潟温泉駅から国分駅までの10駅33.5キロの延伸が足を引っ張る形になった。
 同じ時期に志布志から都城までの「志布志線」(10駅・38キロ)も廃止になり、大隅半島から鉄路が消滅した。(同年か前年には薩摩半島側の山野線と宮之城線も廃止になっている。)
 以来、大隅半島は正真正銘の「陸の孤島」と化し、車社会となった。バス路線が代替交通機関となったのだが、いつしか個人の通勤には自家用車が使われるようになり、今では各家庭において勤めに出る人数分の車が保有されるのが当たり前になった。
 
 それはさておき、大隅線が廃止になった翌年の昭和63年に鹿屋駅跡の一角に「鹿屋市鉄道記念館」がオープンし、旧大隅線の歴史を今に伝えている。Cimg8090 昭和63年10月1日にオープンした鉄道記念館の全景。Cimg8092 記念館の南側には模擬ホームと踏切が設置されて、保線車両と当時走っていたディーゼル気動車が展示されている。Cimg8095 正面入り口から館内を見る。正面に当時の鹿屋駅表示灯がでんと構える。Cimg8109 表示灯の右側にある丸いワッペンが、廃止当日の昭和62年3月13日に運行された最終列車の最前部につけられていた物である。29年の歳月を感じさせない生々しさがある。Cimg8105 館内全体の俯瞰。正面のケースはNゲージ、その向こうのケースは大隅半島のジオラマが入っている。Cimg8099 壁には昭和13年に国有化されたころの駅舎や保線の様子を写した写真が数多く貼られている。(「さようなら大隅線」という横断幕は廃止の日に鹿屋駅前で行われたセレモニーの時に使われた。)Cimg8096 別の一角には手前に保線用の自転車(線路に乗せて二人の保線要員が漕いで行くようになっている)が置かれ、奥のガラスケースには 当時の国鉄職員の制服が飾られている。とにかく保線用道具の展示の多いのが特徴である。 Cimg8107 外の模擬ホームに停められている当時のディーゼル気動車「キハ20型441」。屋根が掛けてあるため29年の歳月を経た割には劣化していない。この列車は80人乗りで180馬力。志布志・鹿屋・垂水の高校生たちにとっては通学の足だった。 Cimg8111 ディーゼル気動車の中には入ることができる。入ったところには手作りの「国鉄大隅線略史」が貼ってある。Cimg8112 その横には超レアな中吊り広告「フルムーン」が当時のまま吊るされている。Cimg8113 フルムーンの裏側には「ジパング倶楽部」。このコマーシャルに起用された上原兼と高峰秀子の大物俳優コンビも今となっては懐かしい限りだ。
 
 国鉄も民間化への足掛かりとして、このようなサービス部門を充実化させつつあった。その時の「青春18きっぷ」は民営化後もまだ息長く余命を保っているのはうれしい。
 
  春一番  ジパング倶楽部の  余韻なお
 

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