生涯学習発表大会(鹿屋市東地区)
今年度も年に一回の生涯学習発表大会が大隅史談会も会場を借りている鹿屋市東地区学習センターで開催された。 鹿屋市東地区学習センター。9時に到着した時はまだ開始1時間半前とあってくる人はまばらだ。
昨日作成した資料展示に対する解説資料を、センターの輪転機で印刷して準備をした。 パネル一枚にちょうど収まった「大隅史談会へようこそ」。
今年のテーマは我が得意とする<邪馬台国>だ。魏志の韓伝と倭人伝を基に、帯方郡から郡使が邪馬台国のある九州島にやって来た行程(距離と日数および方角)を朝鮮半島と九州島にプロットして完成。
我が邪馬台女王国は福岡県八女市郡域、狗奴国は菊池川以南の熊本県域、そして5万戸という屈指の大国・投馬国は「古日向」すなわち鹿児島県と宮崎県を併せた領域である。
この古日向を投馬国と比定したことにより、古日向からの<神武東征>は史実と断定し得た。
なぜなら魏志倭人伝によると投馬国の王は「ミミ(彌彌)」で女王を「ミミナリ(彌彌那利)」であるが、古事記にも日本書紀にも神武天皇の皇子は東征前の古日向では「タギシミミ」「キスミミ」がおり、また東征後の大和における皇子の名も「カムヤイミミ」「カムヌナカワミミ」と、どちらにも魏志倭人伝による投馬国王と同じ「ミミ」が付いているからである。
魏志倭人伝という大陸王朝の「正史」に「ミミ」、日本側の日本書紀という「正史」(古事記は初期より古いが「正史」ではない)にも「ミミ」。これは無視しえない歴史的名称の一致である。ここから、「神武東征とは南九州古日向に存在した投馬国による東征である」ということが導き出される。
繰り返していうが、南九州からの大和地方への<東征>はあったのである。ただ、自分としては「東征」というようなオドロオドロシイものではなく、実態は火山噴火活動の頻発や巨大台風による大災害(もしかしたら南海トラフ由来の大地震・大津波などもあったのかも知れない)によって南九州が大被害をこうむって住み難くなり、その避難・移住が「東征そして大和王朝設立」というように高飛車な書き方をされた可能性が高いと思う。
一応、<神武東征は史実>を確定し得たので、これからはその原因・動機付けを精査して詰めて行けたらよいと考えている。
さて大隅史談会に当てられた部屋にはほかに手話通訳の会や高齢者大学などの展示があるが、人はなかなか入って来ない。手持無沙汰なのでよその展示や舞台発表を覗いて回った。 入り口ロビーには陶芸や水彩画の展示。特に陶芸は素晴らしいものがある。
女性ばかりの素人陶芸グループだそうだが、中にランプを入れて光らせる置物の数々には目を奪われた。
いつも大隅史談会で使用している学習室では人だかりがしていた。見ると「飾り雛・下がり雛」の展示コーナーだった。
なるほど目も彩な出来栄えの物ばかりが所狭しと飾られている。
同じ部屋にはキルト・パッチワークの展示が。これもすごい。
舞台発表も合い間合い間に観に行ったが、どれも充実していた。フラダンス・日本舞踊・コーラス・琉球舞踊・社交ダンス・尺八・詩吟・・・、その他には太極拳・三味線・何とか体操・・・、と目白押しであった。何と豊饒な文化活動だろうか。しかも作品の作り手にしても舞台の発表にしても女性がほとんどで、わずかに男性が出演して女性よりも上回っていたのは尺八演奏と詩吟のみ。
社交ダンスは男女ペアなので同数かと思いきや、一組は男性の代わりに男装した女性が踊っていたから女性上位だ。(この社交ダンスには何と90歳のそれも男性が出演していた!)
会場にはたくさんの観客が詰めかけていたが、ここも女性客が9割以上を占めていた。
女性なくしては成り立たない文化活動の数々。豊饒なことである。
閉会の挨拶に立った同好会連合会長(これは男性)が、「この発表会だけではなく、たゆまずに精進して多くの機会を見つけてに発表を!」と訴えていたが、それもやっぱり女性陣へのエールに違いあるまい。
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