『寺山修司研究・9』
小田原に暮らす甥から今年も『寺山修司研究』本が送られてきた。 第9号は2016年4月20日発刊
編著者 「国際寺山修司学会」
発行所 文化書房博文社
まだ全部は読んでいないが、甥は編集委員であり、今号ではエッセイを2編、書評を4編も書いている。
中でも「魂の語り、魂の声、魂の叫び ~昭和精吾さんに捧ぐ~」という20数ページにわたるエッセイ(というよりは叙事詩)は圧巻だ。
「 昭和精吾事務所
寺山修司生誕80年記念
われに五月を 特別企画
『寺山さんてなんだった?』
~2013年トークショー映像上映と追加トークと詩の朗読~ 」
という催し物での感想を詩にしている。
中で、
スモークとともに昭和さん登場。
そこから30分以上
寺山さんの思いが
寺山さんへの想いが
ぎっしり詰まった
昭和さんの魂の語りが
昭和さんの魂の叫びが
続くのである。
という箇所で、最初にちらっと読んでいった時に「昭和」という時代を想起し、
昭和さんの語りは、「昭和の語り」であり、「昭和の叫び」との連想を懐いた。
昭和が人生の起伏の中で最も身近で切ない者の謬感であるが・・・。
さて、自分としては
『寺山修司と石子順造――「幻の母」と「イメージの母」と』という研究論文に惹かれた。
この二人とも揃って母の存在感が希薄であったそうで、そこに自分を重ねてしまった。
実態の母とイメージの母のギャップから生まれる葛藤は芸術のどの分野にも存在する。子供から見た母親は常に「所与のもの」(別言すれば神から与えらえれた存在)であるが、母親の実態はなかなかそうはならない。そのギャップに苦しむ子供が多いが、そのことが逆に音楽を生み、文学を生み出す根源となるのだろうから、世の中捨てたものじゃない(と世俗的な結論)。
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