銃と人種差別
銃社会アメリカでまたもいわれなき悲劇が起きた。
ミネソタ州とルイジアナ州という別々の場所で2日連続して黒人青年が、警察官に呼び止められ、「銃を持っていて危険だ」というような理由で、その場で射殺されたのである。 二分割された画面(画像はTBS関口宏サンデーモーニングから)の向かって左がルイジアナ州での事件、右がミネソタ州の事件。
どちらも警官が一方的に銃所持をあげつらった挙句の殺害であった。 同番組によるとこのようなほぼ黒人側に落ち度のない冤罪に近い警官による黒人射殺事件が何回も発生している。
これに対して当局は警官には手ぬるい判決(不起訴が多い)を下しており、抗議のデモや暴動が起きることがあったが、しかし今度のは違った。テキサス州のダラスで、抗議デモの最中に取り締まりの警官が銃(ライフル)で次々に撃たれたというのである。 抗議デモに参加していたかどうかはわからないが、とにかく警官が撃たれるのを目撃した人の証言が流れた。
ダラス警察のトップは黒人だったが、銃撃犯は単独の25歳の黒人青年で、警官による行き過ぎた殺害に対する報復攻撃を示唆した。
出演者全員はこの事件の内容に沈痛な面持ちであった。
アメリカが銃社会であることは「個人への危険は個人で守る」というコンセプトに大きく負っているというが、オバマ大統領は子供が巻き込まれた射殺事件を目の当たりにして銃規制を強化(購入の許可制)した。だが、どうやら事件・事故は一向に減らないようだ。
何しろアメリカでは年間に3万人(うち80パーセントが黒人と言われる)もの人が銃で命を落とし、青年の死因としても年間8000人を数えているのだ。昔の西部劇時代でさえ、真昼の決闘のような撃ち合いで死ぬ数はこれほど多くなかったのではあるまいか(ただしインディアンに関する統計はない)。
まさに「カラスの鳴かぬ日はあっても、銃で人の死なない日はない。」というのが世界で最も先進的な文明を享受しているはずのアメリカの姿なのだ。そこには平和も安心安全もない。
インディアン虐殺時代は横に置いておくにしても、いま現在自国内で対黒人戦争のような塩梅の風潮を見ていると、言うことを聞かなかったら「武器で殺害」しても構わないとの傲慢な人種差別がまかり通っているようにしか見えない。
対黒人しかり、対イスラムしかり・・・。
こういう国と組んで(日米安保)、「積極的平和主義」を掲げ、集団的自衛権も通してしまった安部さんよ、ちょっとやばいのではないか。(※正確に言うと、集団的自衛権は連合国つまり戦勝国側の権利であって、もともとは枢軸国側が再び刃向かって来たら集団でやっつけましょう――というものであるから、敗れた枢軸国側の日本は持てないのだが・・・。ただし「個別的自衛権」はどの国にも超法規的に固有である。)
人種差別反対――を堂々とベルサイユ会議(1920年)の時に述べて採決にかけたら賛成が上回り、会議の議長で人種差別主義者のアメリカ大統領ウィルソンをして心魂を寒からしめた日本全権副使の牧野伸顕(大久保利通の次男)のような気迫の政治家はもういないのか。
日本は日本の道を歩け!
民生の安定こそ「国富」というのが日本の採る道だろう!
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