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南九州最古の水田跡

 縄文時代にさかのぼる水田の跡が見つかったという都城市横市町にある「坂本A遺跡」を訪ねてみた。Cimg1763_2
 かっての北郷氏(都城島津氏)の居城「都之城」址に築かれた都城歴史資料館(上の写真)に立ち寄って坂本A遺跡について教えてもらい、その場所を確認した。坂元A遺跡からは縄文晩期(弥生早期)の水田跡と初期稲作の証拠品である「擦り切り孔のある石包丁」が出土したそうだ。Cimg1767
 説明を受けたあと歴史資料館駐車場から北に200メートルほど行ったところの「岳下橋西」信号を左折、そこからは県道31号線を道成りに5キロ行くと右手に「児湯食鳥」の工場があり、そこの信号を左折してもう一度左折した先に「坂本A遺跡はある。Cimg1768
 平成8年度からの圃場整備事業の際にこのあたりの横市川流域で20余りの遺跡が確認され、特にこの田んぼの下からは縄文水田が2500年余りの長い眠りから覚めた(真正面に見える小高い丘は「母智丘(もちがおか)」)。Cimg1774
 縄文水田の近くを流れるのは横市川で、この川の流域の沖積層に田んぼが広がっている。Cimg1772
 母智丘橋から眺めた「坂元A遺跡」のある田んぼ地帯。真ん中の母智丘橋のすぐ上辺り。右手には野球用の夜間照明灯の建つ市民広場がある。
 歴史資料館で受けた説明では、この田んぼの用水は横市川からの導水ではなく周囲にある小高いシラス台地から湧き出る水だったろうということであった。そのシラス台地からは時おりがけ崩れによって田んぼにシラスが流れ込んだらしいことも発掘の結果わかっている。
 いまのところ南九州で最も古い水田だが、もうそのころから大雨等による災害との闘いだったことを明らかにしたことになる。南九州特有のシラスはやはり大昔から手ごわい相手であったのだ。Cimg1798
 橋から北へ2キロほど行くと桜並木で有名な母智丘公園で、その一角には「母智丘神社(祭神・トヨウケヒメ)」がある。江戸時代末期に都城の地頭であった薩摩藩士・三島通傭が神社の衰微を放っておけずに整備・寄進(桜並木もその一環という)して今日の隆盛に導いたという(三島は明治維新後に福島県令を務めたことがあったが、その時に有名な「安積疎水」を完工させたことでも有名である)。
 幅の広い階段を200段も上がっていくと神社。裏手一帯は巨石群で巨岩を稲荷神社として祭ったりしているが、その奥に展望所がある。Cimg1788
 母智丘展望所から見下ろした「坂元A遺跡」の辺り。真ん中に母智丘橋。横市川が右から左へ流れている。Cimg1787
 展望所にある説明版。都城盆地はかっては湖だったという。さもありなん、国道10号線を宮崎方面に向かっていくと高城町あたりから大淀川は次第に隘路に入り、轟ダムでは峡谷(ボトルネック)となっているのである。

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