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台風16号の上陸

 台湾と西表島の間を通過してそのまま中国大陸へ上陸かと思われた台風16号は、速度を遅くしつつ急激に東へと舵を切り、東北東に丸二日かけて東シナ海を横断し、ついに19日の真夜中に鹿児島県の大隅半島南部に上陸した。

 ちょうど上陸したかと思われる時刻の午後11時半ころ、ブログを書いている最中に突然停電し、今日(21日)の午前11時にようやく通電した。その間ちょうど一日半(約36時間)、数年前に太陽光パネルを設置しオール電化になったことで困ったことが多々あった。

 一番困ったのが通電しないと水が流れないトイレだ。
 水道だけは出ていたので風呂にいっぱい溜めておき、使用する都度バケツに汲んで来て流したが、たった一日半だったのに結構厄介なことだった。

 炊事はガスボンベ仕様の卓上コンロ、風呂は一度は貯湯タンクにあった分で済ませたが、二日目は銭湯へ行った。鹿屋市全体でまだ数万戸が停電中というわけで、銭湯の込みようは半端ではなかった。「千客万来」とはまさにこのことかと思ったくらいだ。入る方からすれば「芋を洗う込みよう」だったが・・・。

 夜中に風速40メートルは吹いたようだが、被害は瓦が2枚落ちたのと庭木が根っこから傾いてしまったのが数本、それに10日ほど前にタネを播いて本葉が出かかった大根などが風雨で完全に横倒しになったくらいで軽微なものだった。

 自分は気づかなかったが12時半ころから1時間くらい風雨が止まったそうで、その時に台風の目に入ったと思われる。ということは台風の直撃にあったことになるが、台風の直撃は実に久しぶりである。

 記憶をたどると23年前、平成5(1993)年の9月初めにやって来た台風13号が当地での直撃台風で、この台風のすさまじさは今でも語り草になっている。
 
 何しろ上陸寸前の気圧が910ミリバール以下(当時はヘクトパスカルではなかった)で、その頃肝属郡田代町大原に住んでいたのだが、上陸して数時間後の午前中に最大の風雨に見舞われた。
 十分な戸締りをして家で息をひそめていたが、猛烈な風と共に玄関わきの雨戸が吹き飛び、慌てて家族4人で裏口から出て隣家にたどり着いてほっとしたのも束の間、今度はその隣家の玄関の横のガラス戸が割れて強風が吹き込み出した。
 こりゃいかん、と、外に出て避難所になっている小学校までまさしく這う這うの体で行き着いたのだが、その頃すでに多くの人が避難していた体育館の屋根がめくれ上がったそうで、皆急いで一階の長い廊下に移って来るところだった。

 午後も3時ころになると急激に風雨が衰えたので、廊下にひしめいていた人々は三々五々家路につき、我が家と数件の家族はそのまま小学校の廊下で一夜を明かしたのだった。家族一同ずぶぬれに近かったがまだ真夏の陽気であったため幸いにも風邪をひかずに済んだ。

 翌日帰ってびっくりしたのが納屋が全壊していたことである。また借家の屋根の瓦もだいぶ飛ばされていたので、手持ちのブルーシートに寅ロープを括り付けて屋根を覆って雨をしのいだ。瓦不足のためにどの家も2~3か月はブルーシートを乗せたままだった。ひそかに「難民キャンプ村」と名付けたものである。

 電気は一週間、電話は二週間は通じなかった。

 思えばあの23年前の台風こそ「スーパー台風」の走りだったろう。最大風速は役場の屋上に取り付けた風速計では最大で70mを超えていた(そこまでは測れたが、あとは針が吹っ切れていたそうだ)。

 地球温暖化はもうその頃から深刻化していたのだろう。時間雨量が100ミリを超えたのもやはりその頃からだった。省エネは待ったなしだ。

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