ノーベル文学賞2016
今年のノーベル文学賞が歌手のボブ・ディランに与えられたのは驚きだった。
ボブ・ディランは自ら作詞作曲するシンガーソングライターだから、歌詞のほうを評価されての受賞となったらしい。
なるほど「詩」も文学であるから、歌の歌詞が評価されてもいいのかもしれないが、やはり違和感がある。
ボブ・ディランの場合は特に反戦平和・公民権運動家としての活動に精力的であったから、既存のノーベル賞ならむしろ平和賞がふさわしかったのではないか。
もしくはノーベル音楽賞を新たに設けてそちらの栄誉ある最初の受賞者だったら良かった。
同じ芸術でも文学と音楽は全く違う分野だ。もちろん人間の心魂に訴えかけて揺さぶったり、心地よい気分にさせたりする方向性は同じだが、表現方法が全然違うから、文学賞を音楽分野から選ぶというのは疑問だ。
それにしても日本の文学界からは川端康成と大江健三郎の二人以来受賞していないのは残念、というよりかノーベル賞選考委員会の選定基準はどうなっているのだろう。
日本くらい文学的な作品が量産され、翻訳され、巷に氾濫している国はそう多くない。内容も純文学(外国文学を含む)・大衆小説・歴史小説・劇作・詩・短歌・俳句・・・と作者も読者もせっせと制作に読書いそしんでいる。
書店(最近は大型書店ばかりだが)に行けば、ありとあらゆるジャンルの単行本・文庫本・新書本さらには純文学の日本・世界全集から個人別作家の全集までこれでもかというくらい並べてある。
今年も日本の文学者では村上春樹が候補に挙げられていたが、また選ばれなかった。もう10年越しでノミネートはされているのだが、受賞に至らない。
村上春樹の場合、日本の作家によくある「英語に翻訳されていないか、翻訳作品が少ないので選考委員会では圧倒的に不利だ」というのとは違って、世界中で各国語に訳されてよく読まれているという。
それでもなお選考から洩れてしまうのは、どこに原因があるのか。
そのヒントは日本人作家でノーベル賞を受賞した上記の川端康成・大江健三郎がなぜ選ばれたか――にある。
どちらも「日本固有の伝統的な背景(歴史)と感性」に裏打ちされている描写や表現法が余すところなく使われており、村上春樹にはそこが曖昧だ・物足りないということではないか。
スウェーデンノーベル賞選考委員会の委員は当然欧米人であり、彼らの求めているのはそういう日本固有の視点ではないだろうか。
| 固定リンク
「ニュース」カテゴリの記事
- タイのサッカー少年たちの話題(2018.07.05)
- 米朝会談と板門店宣言(2018.06.13)
- 米朝会談とロシア外交(2018.05.28)
- 加計学園問題(2)(2018.05.22)
- 南北首脳会談異聞(2018.05.12)
コメント